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その日から、ビーストはローズ姫の侍従となった。
姫は侍従に仕事を申しつけた。庭にあふれるローゼットの手入れをするという重要な仕事であった。
棘だらけの茎や蔓は、人の手で手入れしようとすればさぞや難儀なものだろう。だが剛毛に覆われた彼の頑強な指は、花の細い棘などにはびくともしない。
もちろん花弁にできるだけさわらないよう、つぼみを落とさないよう、細心の注意を払わなければならなかった。
虫がひどくついているものは株ごと引き抜く。絡み合う蔓はなるべくはずし、あまり密になりすぎず、かといって疎の部分が出ないよう、見栄えにも気を配る。
最初のうち、ローズ姫は少し離れた場所からビーストにあれやこれやと指示を出していた。
「ちがうわ、その花じゃなくて邪魔なのはそっちよ。それじゃないったら。そんなこともわからないの? 本当に頭が悪いのね」
以前の飼い主にもよく言われた言葉が、ローズ姫の唇から放たれるとたちまち甘美な響きを帯びる。
彼は期待に応えようと奮闘し、やがて姫を満足させるだけの結果を残せるようになった。ローゼットの茂みは、ローズ姫の登場により以前の何倍もの美しさに生まれ変わって咲き競った。
だが彼のもっとも重要な仕事は、花の世話ではなく、お姫さまの食事をお世話をすることだったかもしれない。
これまでも外から調達はしていた。近隣の倉庫や農家の畑に入っては、ほしいものを好きなように持ってきていたのだ。
だがローズ姫に、虫食いだらけのレタスや傷んだタマネギ、まして生の鶏肉などを運ぶわけにはいかない。
彼は必要に迫られるまま民家に侵入し、火の通った肉や魚やパンなどを手に入れるようになった。
抵抗する者は誰もいなかった。彼が居間に入っていくと、皆、凍りついたように動かなくなり、彼が食べ物の物色をすませるまで実に協力的な態度で待っていた。
調達した食べ物は、毎朝毎晩、大きな長テーブルにずらりと並べられる。鍋ごと民家から運びこまれたスープは、しっかり温め直されている。
ローズ姫はその中から好きなものを選んで召し上がる。彼の食事は、もちろんお姫さまのあとだ。
希望どおりの献立が並べられるとは限らなかったため、ときには遠慮ない叱責が飛んでくることもあった。
「まずい! こんなにすっぱい林檎が食べられるとでも思って? あたしはおまえみたいな化け物とはちがうのよ」
やっと探し当てた林檎が宙を飛び、彼の顔面に当たって落ちる。しかたない、お口に合うものを出して差し上げられなかったのだから。
ばらまかれた林檎を拾い集めると、彼はそれを押しいただいて頂戴する。
飲み物が飛んでくることもあったから、床を拭くためのナプキンも用意している。割れた杯は破片を残さないよう念を入れてかき集める。
そして、さらなる怒りを買わないように卑屈な態度でご機嫌をうかがう。
ローズ姫は軽蔑もあらわな目つきで侍従を見やり、肩をそびやかす。それから馬鹿にしきったように笑う。
そうして笑いながら、あるとき姫がしはじめたのは、こんなふうな話であった。
おまえ、あたしのことを本物のお姫さまとでも思っているんでしょう? もちろんその考えは正しいわ。あたしはお姫さまだった。ただし山賊のね。
山賊という言葉を聞いたことがなかったため、彼にはそれがどんな王族なのかさっぱりわからなかった。姫は続けた。
山賊っていうのはね。山の中で人を襲って、着ているものを身ぐるみはいで、持っているお金を根こそぎ盗んで、抵抗したら殺して捨てる人たちのことよ。言ってみれば最低の部類の人間ね。
でもそうしてお金が手に入れば、好きなものが買える。衣装も靴も香水も、宝石だって思いのまま。
あたしの家はね、貧しい農家だったの。地面に這いつくばって作物を育てて、その作物の出来具合ひとつで喜んだり嘆いたり、飢えたり凍えたり、ふるえながら藁の中で眠ったり。
あたしは我慢できなかった。あたしみたいに美人に生まれついた娘が、染みだらけの前掛けで毎日働き続けているなんて、とても納得できなかった。
こんな生活、間違っていると思ったわ。わかる?
ビーストにはわかった。当然だ。ローズ姫が藁の寝床で眠るなんて、あってはならないことだ。
それで、父親が止めるのも聞かずに飛び出したわ。都に行こうとしてね。
そうしたら親切な男の人が寄ってきて、都に行かなくたって宝石をあげるというじゃないの。しかも本当にくれたのよ。
豪華な宿に泊めてくれて、好きなだけ着飾らせてくれて……それから時が過ぎて……気がついたとき、あたしの仕事場はいつのまにか山の中に。
でも楽しかった。だってみんなあたしにひざまずいてくれたもの。貧しい農家の娘のあたしに。
ローズ姫は話しながら、杯に注がれた葡萄酒を優雅に飲んだ。
あるとき、山の中で食べるものがまったくなくなったの。ろくな旅人が通らなくてね。久しぶりに飢えて過ごしたわ。
そんなとき、仲間の山賊が一匹の小さな魔物をつかまえてきたの。犬と蝙蝠を足したみたいな魔物で、矢で射られたからすでに息をしていなかった。
そうしてね。そのあと、どうしたと思う? ねえ、どうしたと思う?
ローズ姫は、杯をかかげたままビーストに顔を寄せた。そして高らかに言い放った。
「食べたのよ! 何が悪いのよ、魔物だって人間を平気で喰らうじゃないの。普通に火であぶって、みんなで食べたわ。おいしかった、いえ、飢えていたから、とてもとてもおいしかった。でも、次の日の朝にあたしは」
姫の声が静まり、鈴を振るような響きに深い憂いが加わった。
「あたしは気づいた。何かが自分の中に入ったことに。その何かが種のかたちをしていることに。たぶんあたしが食べた部位の肉に、ちょうど種がとり憑いていたんでしょう。人間には入るはずのないものなのよ。穢れた魔物を食べようなんて夢にも思うはずのない、普通のまともな人間には」
夢魔。身体の内部に入った何かのことを、ローズ姫はそう呼んだ。
いつかあたしも夢魔になる。おまえなんて及びもつかない化け物になる。でも大丈夫。だってあたしはもうすぐ死んでしまうのだから。
「どうしてだと思う?」
ローズ姫は問いかけ、そして自分自身でそれに答えた。
「あたしはおまえに殺されるのよ」
ビーストは意味をたずね返したりはしなかった。しゃべれなかったからだ。
彼は姫の言葉を黙って聞きとり、姫のさげすんだ眼差しを黙って受けとめ、姫が怒ったときは罵声を浴びて、笑ったときはわけがわからなくても一緒になって喜んだ。
「おまえみたいな間抜け、見たことないわ」
掃除している彼の頭を踏みつけながら、あきれた口調でお姫さまは言う。
彼の茶色い体毛をわしづかみにして引っぱりながら、高飛車な声で命令する。
「わたしは湯浴みがしたいのよ。さっさとお湯を運びなさいよ、なんてうすのろなのかしら」
就寝時間がやってくると、彼は姫を抱いて天蓋つきのベッドまで運び、そこにそっと横たえる。豪華なベッドは特に彼女のお気に入りで、藁とは大違いの羽根布団にくるまる顔は満足げだ。
けれど、その布団の中にいるのは、そう長い時間ではない。
浅い眠りからめざめると、姫はしばしば荒っぽく彼を呼びつけて、床にすわるように命ずる。彼の広い膝をベッドがわりに、太い腕を枕がわりにするためだ。
やわらかすぎる布団より、ビーストの固い身体のほうが寝心地がいいらしい。
すわりこんだビーストは、けしてその場から動かないし、姿勢を変えることもない。腕がしびれても足が痛くても、勝手に動いて、姫の眠りを妨げるようなことはしない。
ビーストの腕に抱かれて、ローズ姫は朝まで眠る。前以上に安心しきった顔をして。