空と屋根の間
翌朝もユイリは夜明け前に目を覚ます。
(今日は見つからないようにしないとー)
着替えると慎重に庭へ出る。
エルフの夜目は薄暗い中でもよく見える。
(リリン、補助をお願い)
今朝はゆっくり登るのではなく、時間をかけずに一気に高所まで上がるつもりだ。
守護精霊の同意の気配を感じた後、ユイリは木に向かって飛び上がり幹につかまると、昨日よりさらに高い位置まで登った。
父親のように多くの魔法を使える訳ではないが、エルフの特性のおかげで身は軽い。
(ねえ、この辺りって魔法結界とかあるの?)
否定の気配がする。じゃあ、行けそうだ。
庭の木を渡って建物の近くまで移動する。ユイリは木を離れ、家の屋根に降り立った。
もちろん、足音など立てたりしない。
近くで一番高い場所を探す。
(お、あれがいい。デカいし、かっこいい)
ユイリが選んだのは、中央広場にある教会の塔だった。
屋根の上を駆け出す。
商会の通りに面した部分は、他の建物も造りは違っても大きさはほぼ揃っている。
エルフの少年は、まるでそこが森の中であるかのように、屋根を次々に飛び移り、広場に到達する。
(いくよ!)
教会の隣の建物から、精霊の助けを借りて風に乗り、空を駆ける。
さすがに一気に上までは行けず、一旦、塔の壁に取り付くと、そこから壁の隙間に手を入れ、よじ登った。
空が白んできた。
ハアハアと息を切らし、ようやく尖塔の頂上にたどり着く。
「わあ」
祖父母の家の庭からよりも、さらに遠くまで見渡せた。
薄いモヤの中に、町の景色が浮かび上がる。
その中に一段とキラキラと輝くモノがあった。
(何だろう、あれ)
ユイリは、その美しい光景を目に焼き付けた。
(あ、早く戻らないと)
また騒ぎになる前に部屋に戻らなければならない。
ユイリは祖父の商会の建物まで戻って来た。このまま庭へ降りるとまた騒ぎになるだろう。
屋根から自分たちの部屋を見ると、まだ窓は開いていない。
(まだミキは寝てるなあ)
ふと見ると、隣の従兄のレリーの部屋の窓には張り出した部分がある。しかも机や椅子を置いてお茶も飲めそうなくらい広い。
(ちょうどいいや)
ユイリは屋根から静かにそこへ下りる。ここなら一階の使用人たちには見えないだろう。
コンコンと大きな窓を叩くと、部屋の中から訝しげな声がした。
「だ、だれだ」
「レリー兄さん。ユイリです」
開いた窓からすっと中に入る。
「ありがとうございます。昨日のように騒ぎにならなくて良かったー」
ユイリがにっこり笑うと、従兄は少々引きつった笑いを浮かべていた。
昨日は、使用人の女性の叫び声を聞いた近所の人が連絡したようで、店に警備隊が調べに来てしまった。
祖父が「子供のイタズラで驚いただけですよ」と笑いながら説明して、何とか収まった。
しかし、祖父母は近所にも説明して回らなければならず、むやみに表に出ることを禁じられているユイリは、自分で謝りに行けないことを申し訳なく思った。
(ギドちゃんならどうするかな?)
「ごめんなさい」
謝ってー、それから……?。
「僕に出来るお手伝いはありますか?」
商国では失敗したら仕事で取り返すのが当たり前だ。
誰でも失敗はする、それは仕方のないこと。
問題はその後なのだ。
「失敗したら、その分働け」
ギードは従業員たちにそう教えていた。
自分が出した損失を、失くした信用を、逃げずに働き続けることで返していく。それはいつか積もり積もって、先の失敗を成功へと転換する、かも知れない。
「こちらに雇って損はないと思わせてくれよ?」
ギドちゃんのイタズラっぽい笑顔が浮かぶ。
ユイリは、自分が外に出られないならと家の中で出来ることを探した。
「そうだ。ねえ、お祖父さま。僕を通りに面した部屋の窓に置いてください」
「どうしてだい?」
ユイリは怪訝な顔をする祖父に提案する。
「客寄せ?。それか、お客様との話題くらいには使えるかなーって」
祖父母の店は客に困っていないのは承知の上だ。
珍しいエルフの子供の姿をチラッと見せるだけで、来店の口実やお客との会話が弾めばいいと思った。
「そんなことしなくてもいいよ」
そう言いながら、やはり祖父もユイリたちを自慢したい気持ちはあったのだろう。
店舗二階の奥、商会長である祖父の仕事部屋にお邪魔することになった。
窓の傍に椅子を置いて、ユイリとミキリアの二人が外を眺めている。
「あ、店の入り口が見える。ここからお客様の出入りを確認出来るのですね」
ユイリの声に「そうだよ」と祖父は微笑み、仕事机に座る。
この商会の建物は、周りに比べ数歩分下がって建てられている。玄関口のひさし部分だけが他の店と並んでおり、飛び出しているように見える。
「あれはどうしてあんな形なの?」
ミキリアが首を傾げる。
「ああ、馬車から降りるお客様が雨や陽射しを避けるためだよ」
馬車の扉を開けるとどうしてもその分建物から離れてしまう。
お天気が悪くても、良すぎても、ひさしがあれば幾分防ぐことが出来る。お客に快適に来店していただくための工夫のようだ。
「なるほど!」
ユイリが感心しながら窓の外を見ていると、さっそく気がついた女性の声が聞こえた。
「まっ、まあまあ、エルフのお孫さんがいらっしゃるというお話は本当でしたのね!」
窓際のエルフの少年。
薄い銀に近い金髪、白い肌。特徴的な耳もおそらくチラリとしか見ることは出来ないはずだ。だが、すでに商会に滞在しているという噂はあったのだろう。
(そういえば、レリー兄さんもお友達に紹介したかったみたいだけど)
祖父母に止められて、「約束してたのに」と残念そうな顔をして学校へ向かって行った。
(そのうち同年代の友達も出来るかなあ)
エルフの少年は、ほんの少し期待していた。