恋する美空さんがキレました。
鈴木 りんさま、主催のきゅあぴゅん企画参加作品です。
好き、なんて思っちゃいけない。浮かれちゃいけない。心揺らしたらいけない。
だって……だって――
*
三年前の高校受験を控えた秋のこと。テスト明けの午前授業で、久々に生じた暇時間を堪能すべく、河原へ向かった。
予報では降るはずだった雨が降らず、思ったより暖かな午後の日差し。無駄になった雨傘を、日を遮るのにひろげ、コートのまま草むらに寝転がる。周囲から隔離された空間でほっとし、雲を見上げるのにも飽きて――目を閉じた。
どれくらいそうしていたのだろう。
気まぐれな一陣の風に傘が飛ばされ、あわてて起き上がると、制服の裾をはためかせ、傘を追い走る男子の姿があった。わたしより先に追いついて、歩み寄ってくるグレーのスラックス。
制服を一目見て、わたしが目指している高校の制服だとわかった。
立ち止まっていたわたしの手に、無言で傘を差し、振り向きもせず、歩き去っていった彼。すれ違いざま、落ちかける陽で、赤茶けてみえた頭髪が風に揺れ、流され――わたしの頬に触れてもいないのに。なんでかくすぐったさを感じ、お礼の言葉も忘れ、呆けたように後ろ姿に見惚れ、足が地につかない浮遊感に襲われ、理解した。
一瞬だけ目にした横顔に、今、わたしは恋をした……の、だと。
まわりにわたしと彼以外がいないのをいいことに、徐々に遠ざかっていく後姿を、食い入るように見つめながら、一目ぼれというものが本当にあるのだと知った。
けど、まさか、それが体が浮くほど、胸が苦しくなるものだとは予想外だった。
心が、気分が酔ったのだとそう納得させて、気もちと記憶にふたをした。以来、どんな男の人と会って話をしても、あんなふうに、揺り動かされるようなことはない。
だから。あの夕暮れの彼は、わたしの初めてで最後の人になり。
だから。彼は忘れられない人になり。
だから。わたしの好きはけっして実らないのだと知った――。
*
「誰かを好きになるってどんな感じなんだろう?」
「美空にもいつかわかる時がくるわ。天までだって昇れそうな、そんな感じがするのよ」
「本当に?」
「あなたはママ似だから、絶対よ」
夕暮れの彼と出会う少し前、母とそんな話をしたことがある。今ならその言葉がどういう意味だったのかがよくわかる。母もきっと誰かを好きになり、わたしと同じ浮遊感を感じたのかもしれない。けれどわたしの父はきっとその相手ではないだろう。
それが答えだ。
わたしと彼が相思相愛に――は夢物語。恋愛相手にはなれない。
母は本当に好きな相手を選ばず、父と結婚をしたのだろうか。
「生活は平々凡々でもそれなりに幸せなのよ。美空も素敵な恋が出来るといいね」
そんな母の言葉を思い出し、わたしは母をうそつき……と思ってしまった。
*
もうすぐ高校を卒業するというのに、わたしにはまだ彼氏というものがいない。告白されたことや、友だちから紹介された人もいたのだけれど。気もちが添わない交際が出来るはずなどなく、「ごめんなさい」という言葉でお断りし続けている。
しかたがないのだ。
わたしは三年前の夕暮れの彼が忘れられないのだから。
どんな男性を目にしても、あんな浮遊感に襲われるということがなかったのだから。
わたしを高慢チキだ、生意気だ、と、周囲が陰口をいっていることも知っている。その度、だからなんだよっ! と、こぶしを固め、ずっと無視してきたのだけれど……。
今日は最悪な日になった。
〈トイレたむろ女子たち〉の会話を耳にしてしまったからではない。
その中に親友だと思っていた女子の声が混じっていたからだ。
「美空は男がダメな女なのかもしんないね~」
きゃはは! という嘲るような数人の笑い声がトイレいっぱいに響きわたり――。
*
何とも言えない寂寥感にまみれながら下校する。
こんなのは久々……夕暮れの彼と会うことはないと知って、うつむきながら真っ直ぐ家に帰っていた頃以来だろう。
わたしが入学した春、彼は卒業したのだと気づいたのは夏も近くなってからだ。
それまでは、会っちゃいけない、けれど、隠れ見は出来るかも? なんて偶然を期待して、帰り道を週替わりで変えたりしていた。
勝手に足が家路と反対の方向に歩きだす。この先には小さな商店街がある。久々にそこの雑貨屋をのぞいて帰ろうか。
雑貨屋にある小物……文房具とか髪留めパッチンなどをながめていたら、銀色のステンレス素材で出来た、しおりが目に入った。金色と対になる二枚の表裏、四面に四季の花が描かれている。憂さ晴らしの衝動買いには、お安い値段のような気がして購入し、ここに来て正解だな、と思ったのだけれど。
店を出てすぐ、言い訳がまいの幸せ気分になっている自分に気づき、小さなため息が漏れた。
今日ここに来たのは、絶対に叶わないだろう偶然に、すがりつきたかったから。だけなのだろう。
高校一年の夏、終業式帰りに、この雑貨屋の前を通った時のことだ。
店内に買い物をしている彼がいた。校内でどんなに探しても、見かけることのできなかった姿を見つけ、思わず店内に飛び込んだのだ。わたしは隠れるようにして彼の姿を追った。
そして再確認してしまったのだ。
わたしは彼と、面と向かい合う勇気などないし、会ってはいけないのだと。
けれど、やはり、彼のことが大好きなのだということにも。
あの日再び、好きという気持ちにふたをした。ふたが二度と開かないように、ぐるりと粘着テープを巻きつける。そんなイメージを思い浮かべ、彼から顔をそむけ、泳ぐようにして、立ち去るのが精いっぱいだった。
*
きゅあぴゅん体質と母が名付けた体質は、確実にわたしにも引き継がれていたらしい。
本当に気になる相手……好き! と思う人を見てしまうと、足が……地面から離れてしまうのだ。
手をつないでる相手が突然、浮いてしまったとしたら? 相手はどんだけビックリするだろう。好きの想いが大きくなったら、体がどこまで上昇するのかもわからない。
こんな体質のわたしを好いてくれる人がいたとして。抱きしめようとした瞬間、わたしは空に飛んでいってしまうのだ。
なんでわたしだけ? 不公平だ! けれど、現実なのだから笑えない。
いつかの会話で最後に母がそえた言葉を思い出す。
「誰かを好きになれるというのは、それだけで幸せなことよ」
確かに、実らない恋だけど、夕暮れの彼の姿をさがしていた帰り道は、それだけで満ち足りていた。
負け惜しみでも、欺瞞でも……わたしは自分を嫌いになりたくないから、いつもの呪文が今日も胸の中で爆発した。
――だからなんだよっ! と。
*
家についた頃には、むきぃー! な気分は、諦めしおれた、うつむきに変わっていたのだが。
「おかえりー。パパが出張から帰ってるよ。おみやげのフルーツタルト食べましょう」
明るい母の声を聞いた瞬間、わたしの、むきぃー! が暴れ出し、言ってはいけないことが口から飛び出していた。
「どうしてなの? 好きでもない人と結婚して、なんでそんなふうに笑えるわけ?!」
「あらぁ……なにかあったの?」
「だから! なんでこんなきゅあぴゅん体質なんて――――」
そこからのわたしは決壊したダムだった。三年越しの夕暮れの彼のこと。本気の恋が出来ない悔しさ。母のように妥協した恋や結婚は出来ないなんて。そんなことを一気に吐き出していた。
「あらあら~まあ~、美空ったら……ママはパパ一筋だったのよ?」
「うそ! ママ、いったじゃない。天まで飛んでいくんだって――」
「そりゃぁ、恋が実ったら天まで飛んでいきそうな気分だけど、実際に飛ぶわけないじゃない。そんなのぴゅんじゃなくてびゅーん! になっちゃうわよ。ちょっとふわって浮くだけだもの、どうにでもごまかせるよ。パパはいつもママの腕をしっかり掴んでくれてたもの。あ……それにね、この体質は思春期限定だから」
甲高い声の応酬に、何事かとやってきた父が割り込んだ。
「お前……そういうのは、きちんと教えておかないと……美空が不憫だろうに」
「あらぁ、親の惚気なんて、年頃の娘は聞きたいものじゃないでしょう?」
母よ……父が言っているのはそういうことじゃないと思う。わたしと父はそれぞれにため息をついた。
その日、わたしは新たな呪文を何度となくくり返し眠った。
――言ってみよう。ダメもと万歳!
(おしまい)
主催の鈴木 りんさん。お疲れ様です。
わけわからないきゅぴゅんですが、余興参加なのでお許しください。(^^)/