小説家になれる人たちと、なれない僕の話
発端は「どうして僕は複数作品を同時進行できないんだろう?」と言う疑問だった。
ツイッターなどで親交のある作家の方々は、アマチュア・プロに関わらず、雰囲気も設定も違う作品を複数本同時進行して、今日はこっち、明日はそっちと、どんどん作品を量産していたりする。
でも、僕は作風の違う物語を同時進行できない。
もちろん、メインの連載作品の合間合間に、(今書いてるコレみたいな)短編をちょこっと書くのは苦痛じゃない。むしろ好きですらある。
それでも、複数の長いお話を同時進行させると、文章を書くスピードがガクンと落ち、小説をひねり出す作業が心を圧迫し、内容も細切れのような状況説明の羅列に成り下がってしまう事は経験として分かっていた。
ただし、同時進行できない作業は、連載小説の本文を書く作業のみ。
その他の、プロットを考えたり、ちょっとした文章、つまり勢いですぐに書きあがる短編やツイッターなどの短文、活動報告などは、いくらでも同時進行できる。
この差はどこから来るのかと、僕は今日、本業のプログラミング作業中にボーっと考えた。
そこで思い至ったのが、今回の結論である。
「僕は小説家じゃなく、どこまで行っても読者なのだ」
どうしてその結論に至ったかを説明するには、まず僕の小説の書き方を聞いてもらわなくちゃならない。
僕の小説の書き方が変わっているのか普通なのかは分からないけど、その書き方が同時進行を難しいものにしているからだ。
長編の連載を書く場合、まず最初の数秒から数分で、自分の小説世界へ没入する。
これは小説を読むときと全く同じ感覚だ。
没入感がすぐに来る作品と、なかなか来ない作品があって、それはだいたい「好き」「嫌い」と直結している。
好きな小説の場合は数文字でその世界にどっぷりとダイヴし、目から入った文字情報が脳内で映像に変換されるようになる。
そこまで行って初めて、僕の読書は始まるのだ。
小説を書くと言う作業の場合もこの没入から作業は始まる。
まだ書いてもいない小説の世界へどうやって入り込むのかと言えば、それは当然ながら脳内妄想だ。
小説を書くと言うより、脳内で繰り広げられる物語を文字に落としていく作業。
極端に言ってしまえば実況中継。
もっと言えば、頭の中にある小説を写経しているような、そんな感覚。
ただ、自分が読みたい、好きな作品を見ながら、それを文字に起こしている。その文字に起こす作業だって、小説を書き始めた当初は「毎回微妙に変わる物語の一番いいやつだけをつなぎ合わせて、最高の自分専用小説を作りたい」みたいな感覚で始めたのだ。
僕は僕だけが読める僕の小説の唯一の「読者」で、結局のところ小説を書く「小説家」ではないと、今日、まさに今日。確信してしまった。
そんな訳で、僕の小説の一番のファンはたぶん僕自身で、僕は自分で小説を書きながら、主人公たちの境遇に心を躍らせ、胸が苦しくなり、そして涙している。(比喩でも心情表現でもなく、ほんとに泣く)
一つの楽しいエピソードを書き上げると、次のエピソードが早く読みたくなり、戦いが終われば体中から力が抜ける。
そんなジェットコースターのような作業を終え、「一話」と言う区切りを付けた後、僕は全く別の世界に入り込むのに、ものすごく時間も労力も必要とするのだ。
想像してみてほしい。
大好きな推理小説と大好きなファンタジー小説を用意して、10ページ読むごとに別の本を読むと言う作業を。
小説家になれる人、……もしくは小説家脳を持つ人と言い換えてもいいけど、たぶんその人たちは、世界を神の視点で見ながら小説を書いているんじゃないかなと思う。
登場人物一人一人に気を配り、全体のバランスをとり、物語を緻密に練り上げ、正しく面白い小説を作っていく。
そうでもなかったら、複数の違う小説を同時に何本も書けると言う現象に説明がつかない。
本当にそうかどうかは別として、まぁ僕のやっている作業とは真逆であることは確かだ。
僕は登場人物に自己投影し、没入し、一緒に冒険して、そして泣く。(何度も言うが、ほんとに泣く)
その物語がただ妄想で終わってしまうのが悲しくて、一生懸命文字にする。
小説を書くと言うのは、紛うことなく創作者の仕事で、僕のやっているのは労働。楽しいから好きでやってるけど、たぶんそう。
頭の中で繰り広げられた世界最高の物語を全部表現したくて、とにかく書くだけだ。
普通なら推敲して、読者に読みやすい、良い作品にする作業があるんだけど、僕の推敲は誤字脱字と変な言い回しや二重表現などの「国語」的な推敲のみで、「小説」としての推敲作業は皆無。
頭の中の物語を全部表現したいんだから、せっかく書いた文字を削るなんて作業は当然無い。削れない。削りたくない。
こうして、僕は多大な労力と引き換えに、「僕にとって最高に面白い物語」を作り続けているのだ。
僕は文章を書くのが上手く無いし、たぶん本当は好きでもない。
それでも、僕の頭の中の物語を誰かが小説化してくれでもしない限り、小説を書き続けたい。
小説家にはなれないけど、小説は書き続けていきたいと、僕は今日、強く心に誓った。
そう心を決めて改めて見ると「小説家になろう」って言うサイト名はとっても残酷だなぁ。
……って、思いませんか?