秋鳴慧は述懐する 甲斐唯香は制裁する
秋鳴慧は浮き立っていた
楽しい
いや、今のこの混乱状況を喜んでいいわけないが、先週までのあの気の滅入る毎日が嘘のようだ
一人になると、つい腹を撫でてしまう
もう違和感はないが、始まりはそこからだった
沈んだ気持ちで、次の職探しの面接からの帰り道
文字通り、ぽっかり腹に穴が空いたような感覚に突然襲われ、思わず立ち止まり腹を撫でてしまった
近くの公園から女が二人飛び出し来た
こちらの顔を見るなり
「あー、良かった」
と声をかけてきたのが、岩谷さんだった
さん付けすると本人は嫌がるが、ここは、あちらが一つ年上であることを、強調しておきたい
もう一人、どこの田舎の女子高生かという感じの大きめのジャージをきた女の子がいたが、よく見ると驚くほどの美少女
あとから、アイドルタレントをしていると聞いて納得した
どこでどう言う話になったのか、たぶん岩谷さんが、いい身体してるけど、お仕事は何、みたいなことを言ったんだと思う
そこから愚痴をこぼしてしまったんだが、何だか岩谷さんのペースに巻き込まれているうちに、美少女が突然、探偵事務所とか言い出した
何が何やらで雇ってもらおうなんて話になって、今に至るわけだ
今朝、運転しているときに、隊長から、ほんとは探偵事務所だから所長が正しいんだろうが、ついつい昔の癖で隊長と言ってしまう、お腹気にならない?と聞かれて、自分が危ういところを助けてもらったことを実感した
隊長の能力は飛び抜けていて、時間を戻してやり直すことの他にも、色んなことができるらしい
ただ、どうもやり直しても、何か違和感が、特に誰かの能力が関係している場合、残る可能性があるかもしれないと言うことだった
隊長達は最初、新宿の公園に沿った下り坂を歩いている自分が、突然、なにか得体の知れない物に襲われて、倒れたところを目撃したらしい
自分にとっては、実際に腹を食い破られた記憶があるわけではないし、大きな人生の転換点をもたらしたこの腹の違和感を思い出し、つい撫でてしまうわけだ
命令の遂行に戻る
ターゲットは、ゴーグルに続いてマスクも着用した
ステージの中の状況を前もって予測しているのは間違いない
が、一目散に控えスペースに飛び込んでから、固まった
それはそうだ
そこに混乱状態でいる筈の人間が、一人もいないからだろう
そのまま飛び出ていくと、ゴーグルを外して、辺りをキョロキョロしだした
ターゲットはステージ裏に近づいていくが、隊長からは、奴の行動の裏が取れたら、特に危険な真似さえしなければそのまま監視し続けるだけで良い、と言われている
奴を刺激しないように、そっと背後に近づく
ステージ裏に座り込んでた人たちも、少しずつ立ちあがって、特にスタッフは、ステージの様子を確認するためだろう、こちらに出てくるところだった
ターゲットの警備員の男は、一瞬、すくんだように見えたが、スタッフをやり過ごすと、大丈夫ですか、とタレントたちの方に近づいていく
×××さん、誰か一人の、たぶんタレントの名前を呼んで手招きをしたようだ
一人のタレントが、そちらへ踏み出そうとしている
これは、危険か
自分が身構えると、それより先に、甲斐が立ち塞がった
ちっ、と舌打ちした警備員が、伸ばしかけた手を甲斐に向けたとたん
甲斐唯香が消えた
しかし、ざわついて居るからか、他の人間は、まるで甲斐が最初からそこにいなかったかのように、何も感じていないように見える
自分も一瞬呆然としたが、警備員は、何かを引きずってでもいるかのようにその場を動きながら、空いている手でハンカチのようなものを出す
パーティチェックを思い出して、確認すると、甲斐は、まだそこにいる事になっている
もう少し泳がすか、ためらった時
「グガッ」
男が変なさけび声を上げると、手の先が、変な方向を向いた、女性の手のようになっていく
違う!
男の手の先が消えて、女性の手が現れ始めたんだ
と考える間もなく
「ギャッ」
と言うさけび声を残し、男が消えた
ハンカチを一枚落として
そして、替わりに呆然と、甲斐が立っていた
さすがに、後ろにいた連中も、今の異常な状態に気づく
隊長に連絡だ
・・・
俺がゆっくりと駐車場に向かっていると、秋鳴から電話がかかってきた
男が消えたそうだ
いや、男を消したそうだ
カイコが
はぁ、やっちまったか
秋鳴は男のシャツをマーキングしていたが、そのマーキングもシャツ共々消えているそうだ
「今さら、慌ててもしょうがない。俺は、もう一人の男の様子を確認してから合流するから、カイコのメンタルケアを頼む」
こうなりゃ、やることは一つだろうなぁ
一般駐車場には、俺が先に到着した
泡流は、間違いなくこちらに向かっている
奴がやってくるのを目立たぬ位置で待ち構えていると、一台の車に迷わず向かう男が現れた
水色のポロシャツ
身長は170cmくらいだろうか
ボサボサの髪で不健康なくらい痩せた男だった
車のドアを全開にしたと思うと、すぐにエンジンをかける
このまま帰られたら面倒だなと思っていると、泡流はエンジンをかけっぱなしですぐに出てきて、全開のドアに持たれながら、スマートフォンを操作し始めた
この炎天下の屋外駐車場じゃ、先にクーラーかけておかないと、車の中は地獄だろう
ひとしきりスマートフォンの操作を終えた奴が、車に乗り込もうとしたところで、俺は時間を逆行させた
目当ては奴のメールチェック
過去メールをすぐに消してしまっている可能性も考えて、メールを打つか、少なくとも電話をかけるのを待ちたかった
ラインはそういう用途に向いていると思えなかった
ただ、時間逆光状態だと、機械操作できないんだよな
泡流は、慌てるだろうが、今は細事
少し離れたところまで行って、いったん時間を動かした
で、結局奴はメールをしているわけではなかった
取り上げた奴のスマホの中身を確認すると、ネットへ接続した履歴は残っていた
最新の履歴を辿る
昔ながらの掲示板?
パスワードがかかっていなかったので、助かった
そこに出てくるハンドルネームは、<騒乱屋>と<手品師>
この二人のやり取りのためだけの掲示板のようだった
<騒乱屋>というのは、泡流の仕事そのままなので、あいつのことだろう
今、書き込んでいたのは、
<そちらの首尾如何に、報酬の受け渡し場所を指定するので、連絡待つ>
その前には、
<依頼完遂>
とあった
面と向かっての取引をするつもりは無いようだ
二人が仲間というわけでは無く、泡流は、ほんとに騒ぎを起こすためだけに雇われたような感じだ
掲示板の前の方には、段取り打ち合わせや、報酬30万円などという文言が残されている
ずいぶん張ってるが、俺が邪魔をしなければ、充分に効果があったろう
しかし、いくら二人だけが見れる掲示板とは言え、全部のやり取り残しておくのも間抜けだが、当然、泡流もこの商売は始めたばかりだろうから、そこまで気が回ってなかったのだろう
相手の<手品師>は、本当は何をやろうとしているのかは、明らかにしていないし、<騒乱屋>もプロに徹しようとはしているようではあった
ハンドルネーム<手品師>か、、、
最初、カイコは、まさしく手品のように消されたんだったか
カイコの顔を見に行くか
・・・




