フィリピン陥落〈二〉
「おいまじかよ、クソ、又行き止まりじゃねぇか」
暗闇の中でライトの光に照らされた壁を見ながら解放軍兵の江少尉は悪態をつく。
日本の進撃を受けた解放軍は少しでも足止めをしようと占領時に見つけたこの迷宮のような地下水道を利用してゲリラ戦に持ち込もうとしたわけだが、事前の調査が甘かったのか彼のように迷う部隊が続出してしまっていた。それでもめげずに歩み続けているがこうも連続で足止めを愚痴の一つでも出て来るものだ。
「これ一体どこから間違えた?そう何度も分かれ道にはあっていないはずだが」
来た道を戻りながら自分たちの居場所を考察する。地下水道に入ってかれこれ3時間は過ぎようとしていた頃、すでに方向感覚・時間感覚ともに鈍っている江少尉たちにとってはその作業すらも苦労していた。
「隊長、遠くから何やら物音が――足音のようです」
「先に潜入した部隊か?だとしたら丁度いい、合流したいところだな」
部下の言葉を受けそう反応する。耳を澄ませると僅かだが固い地面を掛ける数十人規模の足音が響いてきていた。
その足音を頼りに道を進む江少尉一行、向こうも気づいたのか足音が次第に近づいてくる。そして何回目かの曲がり角を右折したその時――
「うお!?」
「あ……」
出会い頭にぶつかりそうになり慌てて後ろに下がる江少尉、相手も驚いたのか元来た道の方に飛びずさる。そして暫しの沈黙、お互いにライトを向けて確認しようとして視界が眩む。だがそれでも僅かだが相手の特徴を確認することが出来た。
(解放軍の軍服ではない!?)
相手を見てすぐに自分たち仲間ではないと判断するが判断できたのはそこまでであった。余りの突然のことで思考がストップする。向こうも同じ状況なのか身じろぎ一つしない。中には驚きすぎて挨拶を交わすものまで出る始末、そんな何とも言えぬ空気がお互いの間に流れる。
「そこに居るのは味方か?どこの部隊だ。って……何をしている!敵だ、敵!早く撃て!!」
彼らの沈黙を破ったのは幸運にも後方からやってきた別の味方の小隊だった。その怒鳴り声によってようやく硬直していた体が動き出し後退しながら銃撃を加える。相手もやっと事態を飲み込めたのか反撃を開始する。
響き渡る銃撃音、壁に当たって跳ねる銃弾とそれによって思わぬ方向から被弾して倒れる味方、そして騒ぎを聞きつけ合流してくる中日両軍の兵士たち、もはや地下水道の中ではハチの巣をつついたと言うよりも叩いたといった方がいいレベルの銃撃戦へと拡大していく。
「クソ!日本軍め、まさか地下水道を使ってくるとは」
いつからだ?どれほどの数が来ている?そもそもこの敵は本隊なのかそれとも陽動なのか、江少尉の頭の中でそんな疑問が浮かんでは消える。もはや敵味方が入り混じり僅かな光を頼りに中には小銃に取り付けた剣で白兵戦が起きている状況でひたすら引き金を引き続けるが事態は混沌さを増していく。
「隊長、このままでは埒があきません。一時後退するべきです」
「そんなことは分かっている!だが、こうも敵味方が入り混じっていると命令が出来ん。貴様は今いる奴らを連れて先に引け!こうなったらここでゲリラ戦を……グッ……!」
そこまで話した後、身体、特に腹の辺りに強い衝撃を受けた彼はそのまま転倒し意識を失った。
地下で銃撃戦が始まったのとほぼ当時に地上でも新たな動きが始まろうとしていた。否、既に始まっていた。
「状況報告!」
「前方400に敵戦車!数3!」
「左方に装甲車が4輌見えます」
「右方から日本兵が接近中!」
次々に来る部下からの報告に小隊長が舌打ちをする。日本の嵐のような砲撃を潜り抜けたと思ったのも束の間、一体どこにいたのか今度は装甲車や戦車で周りを固めた日本の歩兵の大群が四方八方から街へ攻め入ってきていた。
すぐに応戦する解放軍だったがその前の砲撃によって大型装備は軒並み破壊されていた影響でもはやまともな戦闘など出来ず、後退に次ぐ後退を余儀なくされていた。
「一先ず戦車が邪魔だ。誰か対戦車ミサイルを持っていないか?」
「隊長、自分たちが居ます」
小隊長の問いかけに2人の部下が返事を返す。
そしてそのまま手に持っていた対戦車ミサイルを前から来ている日本の戦車に向ける。そして少しの間を置いた後、2発のミサイルが放たれ1輌の戦車に2発とも直撃する。別々の目標ではなく集中させたのはミサイルの威力不足を危惧したため確実性をとったためである。
「やったか!」
「あ、隊長、それフラグ……」
部下の1人が隊長に話しかけたその刹那、ミサイルの爆炎が晴れて敵戦車が姿を現すがその姿は当たる前とほとんど変わらず目に見えるダメージは確認できない。そして旋回した砲が火を噴き、彼らの後方に着弾して砂利を吹き飛ばす。
「効いてねぇじゃねぇか!後退だ!急げ」
「隊長がフラグを建てるじゃないからですかー!」
それ絶対に関係ねぇ、と言いながら全速力で走る小隊長たちに向けて容赦ない攻撃が加えられてくる。
攻撃の僅かな合間に後ろを振り返ると2輌の戦車が合流してきた歩兵と共に追撃してきていた。
戦車が1輌足りないがどうやらミサイル攻撃の際に足回りに損傷を受けていたようだ。何だかんだ言ってしっかり打撃は与えていた。
そして500mほど下がり他の部隊と合流した彼らは街中の車輌が入れない細道に逃げ込みつつ体制を整える。
「全員居るか?」
入り組んだ道を進んだ先にあった廃屋に逃げ込んだ後、自分たちの部下に言葉を投げ掛ける。他の部隊と合流したため人数自体は増えていたがそれでも見知った顔の者が数人見当たらなかった。
「王上等兵、李上等兵の二名が砲撃に巻き込まれて戦死のほか、陳一級軍士長含む4名とはぐれてしまったようです」
「そうか、わかった」
報告を聞き短く応える。この他に13名が程度に差はあるが負傷していた。
このままではジリ貧だ。さっきから本部とまともに通信もできない通信機を握りながらそう考える。
刻一刻と狭まってくる包囲網を受けて彼の意識は既にどう戦うかではなく、いかに生き残させるかに移り変わっていた。
中華解放軍フィリピン駐屯本部
解放軍がフィリピンに進駐して以降からずっとフィリピン部隊の心臓として機能してきたこの建物で慮 閔行大校は休みなく入ってくる悲報に頭を抱えながらも懸命に指揮を執っていた。
「司令、ダヴァオの守備隊が壊滅しました。スリガオ、カルバヨク、ヘネラルサントスにいた守備隊も後退を余儀なくされております」
「南部の守備隊は軒並み後退、北部は善戦しているが逐次増援が投入されているから時間の問題だな……本国への増援要請はどうなっている?」
報告を聞き考え抜いた末、そのような質問を投げかける。すでに駐屯していた戦力は無人兵器のみを見ても3割を超えており、各都市に置いていた守備隊も各個撃破されようとしていた。
それでも日本に与えている被害を鑑みれば辛うじて善戦しているのだが、ひっきりなしに被害以上の新戦力を投入してくるせいで常に劣勢に立たせられている感覚に陥っていた。いや、このままではいずれ落とされることは確定事項だから間違ってはいないのだが。
「本国からの増援ですが派遣の途中で日本の潜水艦からと思われる魚雷攻撃を受け、撤退したとのことです。現在はタイやマレーシア、インドネシアなどを通じて陸路で向かっているようですが当てには出来ないでしょう」
「はぁ!?じゃあ何だ?我々は今ある戦力だけであの日本を相手に勝てと言うのか?すでに分かっているだけで半個師団規模の部隊が上陸してきているのだぞ、そして今も向こうの本土から増援がやってきている。それに加えてもう部隊間での連絡も出来ない状態なのにまだ戦えと?ふざけるな!!」
今まで平静を何とか保ってきた慮大校がここにきてブチ切れる。そもそも島の多い上に山地で道路の整備も間に合っていないこの国で大規模な陸軍戦力を置いておくこと自体無理がある。普通なら海軍を中心に配備して接近される前に叩くべきにもかかわらず、肝心の海軍がインドネシアに集中的に置かれているのでは意味が無い。
それが無理なのならせめてバックアップだけは完璧にしてほしいがそれすらも出来ていない状態で戦えと言われるこっち側の気持ちも考えろ。
「戦力が残っている内は最後まで戦ってやる。だが、すでに意思疎通が困難な状態では末端の部隊が何をするかは制御どころか把握すらできない。仮に勝手な行動を取ってもこっちは何の責任も取らないし、咎めるつもりもない。その旨を本国に伝えろ。全軍通信回線でな!!」
机を思いっきり叩きながら怒鳴って軍としては最後の命令を下す。この命令を受け部下たちはどう動くだろうか、自身の部下が優秀であることを願わずはいられない慮大校だった。
「はぁ、はぁ……陳、唐いるか?返事をしろ」
ひたすら闇に支配された地下水道を走っていた明上士は共に日本との戦闘から離脱してきた戦友の名前を呼ぶ。しばらくして離れた所から聞きなれた友の声を聞き安堵するがすぐに気を引き締める。
不幸にも日本軍と出くわしてしまった彼らの部隊はその遭遇戦によってほとんど散り散りになってしまい部隊の態を成していなかった。
「明よ、これからどうする?一先ず他の仲間と合流するか?」
暗闇の中から陳の声が飛んでくるがその姿は完全に闇と同化してしまっていた。出来れば明かりを点けたいところではあるが、どこに日本の奴らが居るか分からない以上見つかるようなことはしたくはなかった。
「合流は優先するがあの戦いでどれくらいの仲間が離れられた?いや、何人やられた?」
質問に質問を返す明、返された2人も分からないのか口を噤んでいる。狭い地下水道での小隊規模同士の戦闘はまさに苛烈を極めた戦いであり、跳弾によって斃れた者、銃剣によって刺された者と誰もが自分を守るのに精いっぱいで他人を気にする余裕もなかった。幸運にも戦いから少し離れていた明であっても慕っていた隊長や同期の者が数人倒れた所は見たがそれ以外はさっぱりであった。
沈黙に支配されていた3人の所に突然通信が入り慌てて回線を開く。部隊一斉通信であるため本部からの連絡だなと推測しながら聞き耳を立てる。
“フィリピン駐屯本部より全軍へ、繰り返す。フィリピン駐屯本部より全軍へ、既に情報伝達が困難になり、いつ断絶するか分からない状況であるため予め全部隊への命令を下す。全軍、最善を尽くして本地域を守備せよ。なお、それぞれの行動意思決定は各隊長もしくは個人に委ねるものとする。その全ての判断で何が起ころうとも本部は咎めないし責任も取らない。諸君の幸運を祈る”
そう言って本部との通信が切れ、ザーという雑音が地下水道内に響く。通信を聞いていた3人は何といっていいか分からず黙り込む。
「この命令、どうする?」
しばらくして唐がささやくように2人に問いかける。命令というより指揮放棄のような言葉を聞き、困惑している様子である。
「兎に角、今は残っている仲間を集めて日本の奴らに突撃しよう。元々そういう作戦だったし隊長たちの仇討ちをするぞ」
「おい、待て!もう決着が目前なこの戦いに今更従事する必要はあるのか?俺ははっきり言ってそんなものはこれっぽっちも感じられない!適当な時期を見て投降するべきだ。幸いにも本部はこちらの行動の責任は追及しないと言っているのだ。ここは生き残ることを優先するべきだろ?」
「このままやられっぱなしでか?せめて一矢報いなければ隊長たちに示しがつかないだろ!投降はそのあとでもいいはずだ」
この後の行動について言い争う明と陳、完全に意見が対立していて両者一歩も引く様子が無い。
カーン――
次第に激しくなっていく議論に割って入るように無機質な金属音が壁に反響する。その次の瞬間には耳をつんざくような音と共に闇になれていた目を潰すがごとく眩い閃光が辺りを包み込み、身動きが取れなくなった明は後ろから強い衝撃を受けてそのまま気を失う。
彼が次に目を覚まして見た最初の風景は蛍光灯に照らされた知らない天井だった。状況が分からず混乱するが少しして自分が寝かされていることに気付く。
「気が付いたかね、明上士」
不意に自分の名前を呼ばれて声のした方向に首を向けるとそこには自分と同じように体を横にしている自分の隊長の江少尉がいた。
「隊長……ここは……」
自分が慕う者の姿を見て安堵すると同時にますます混乱する明、何とかして状況を纏めようとするが先ほどから妙に頭に霧が掛かったような倦怠感で上手く働かない。
「安心したまえ、少なくともあの世ではない。ここは日本の輸送艦の医療室だ」
その言葉を皮切りに江少尉はあの遭遇戦で負傷した後で日本に捕らえられ一命をとりとめた事、地下水道に解放軍がいる事に気付き日本軍の鎮圧戦が行われてその過程で明たちをはじめとする多数の解放軍兵が確保されたこと、明に関しては気絶させる際に思わぬ負傷をさせてしまったため、治療のためにここに運び込まれてきたことを事細やかに話してくれた。
「戦闘は……」
一通りの話を聞いて再度尋ねる。
尋ねられた江少尉は何も言わずに首を右に向けてその先に置かれている通信機を見る。どうやら電源がついているらしく絶えず日本語が流れているが明上士にはさっぱりだった。
「日本の偽魂体が置いていったものだが、日中両軍の状況が逐一知らされてくる。戦闘はもう8割がた片付いたようであとはほんの少数の部隊や自立行動に移った無人兵器の排除を残すのみになっているようだ。慮大校は司令本部で戦死なされたらしい」
捕虜となったとはいえ仮にも敵兵に現在進行中の作戦状況を知らせるなど正気の沙汰ではないと思いながらも少尉からもたらされた情報に驚愕する。
だがそれも様子を見に来た日本の軍医が意識を戻した彼をみて兵士を呼んだため考える暇もなくなる。江少尉は重症の身であるためもうしばらく医療室に居ることになるが明の傷はたいしたことはないため他の捕虜たちが居る別の場所へと移動することとなる。
「この戦争、どう終わるのだろうな……」
部屋を出る間際、明に江少尉がそう呟く。だが、一介の兵士である明にはその問いに答えられる言葉など持ち合わせていなかった。
日本
フィリピンの戦闘が終息に向かっている報を受け、統合司令室で全体の状況を見守っていた東国安大臣は席に座りなおしながら緊張を解く。
中国本土に近いせいで援軍が来たときは冷や汗を掻いたがそれも事前に潜航させていた潜水艦によって追い返すことに成功して無事に本地を陥落させることが出来た。これによって残った占領地であるインドネシアやマレーシアに対しての補給路への妨害手段を手に入れることが出来たことは今後の作戦にとって大きなアドバンテージとなるだろう。
「しかし、占領地から追い出すまではいいがそれで戦争が終わらなかった場合はどうするべきか――」
机の上に広げられた世界地図を見てそう嘯く。
すでに中国が占領していた地域は開戦時の半分に縮小しており、いつ降伏してくれてもいいくらいだがそのような気配は見せてきていない。せめて王主席率いる中華防衛軍によって再び中国国内の主導権を奪還してくれればそのまま講和に繋げていきたいところだが情報機関の情報によるともうしばらく時間が掛かりそうとのこと、もし全ての占領地から解放軍を追い出すことに成功しても降伏しなかった場合は最終手段として中国本土の侵攻となるわけだが日本にとっては悪夢以外の何物でもない。
「そこは外務省の腕次第というところか」
暫しの沈黙の後そう結論を出す。とにかく今は解放軍に対して打撃を与え続けることが重要と考え、他の事に関しては他省に任せることにした。
「報告!パンダ海に展開中のインドネシア攻略部隊からインドネシア方面で解放軍の大規模な動きを察知、これを受けて当部隊は予定通り第4作戦への移行を決定。インドネシア攻略を開始するとのことです」
「囮部隊にはそのままインドネシア攻略に流用できるだけの戦力を用意しておいたが、それで足りるか?もし不安があるのなら作戦の一時停止も視野に入れなければならん」
突如舞い込んできた新たな戦闘の狼煙にそう懸念を伝える。戦力的にはそれなりの規模を整えたとはいってもやはりもう少し準備をしておきたい。そんな心情が垣間見えた。
「戦力に関しては既存の艦隊に加えてフィリピンで予備として追従していた第11艦隊及びその隷下部隊を追加派遣する他、事前に追加派遣している第1駆逐隊率いる4個駆逐隊とパプアニューギニアに待機していた第1、第2艦隊及び6個支援艦隊を向かわせております。それで足りなければ作戦そのものを見直す必要があるでしょう」
大臣の懸念にそう補佐官が説明する。話を聞いた限りもはや全力出撃に等しい陣容である。
その言葉に一定の安心感を得つつも東大臣は何故か心の奥底では胸騒ぎを感じていた。




