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第三部

結局のところ、僕達は心の何処かで「普通」に飢えていたわけだ。

危険地帯で油を注ぐような真似をしている僕だって、チャイナボールをばら撒いてるエイノだって、できることなら普通の生活を送りたいとは思っている。

だからユミの作った「普通」の料理が美味しく感じたんだろうな。

しかし「食堂をやったら?」なんて口走ったのは流石に迂闊だったな。

その時は食堂をやるのにも設備をしっかりしなきゃいけないということをすっかり忘れていたんだ。

このビルは僕のものだし、ここでの営業ならショバ代は取られないんだけどさ、机とか椅子とかはどうするのさ。

僕にはインテリアの趣味はなくてね。

僕の部屋は五階の全フロアなんだけどさ、金属フレームのベッドとテレビ、少々のソファーしか置かれていないくらいに興味がないんだ。

そんなわけで僕ではなくエイノがユミと市場に出かけて行った。ほら、そういったセンスは女性の方がいいというのがお決まりだろ?

僕はその間やることがないからね、ビルの屋上で水浴びしてた。

この建物の屋上にはプールがあってね、というか僕がエイノの承諾なしに勝手に取り付けてね、夏はお風呂代わりに使っているんだ。

ほら、ベトナムは暑いじゃないか。だから昼間の殆どはこうやって過ごしてる。

ビルの各階に空調が付いてるから室内だって涼しいんだけど、米帝出身の僕としてはプールが無いとなんだか落ち着かないんだよ。

太陽が少しオレンジがかってきたぐらいかな、僕のプライベートビーチにこのクソ暑い中スーツで固めたおっさんが現れたのは。


「よおケビンの旦那、調子はどうかね?」


「ん…? 誰かと思えばギアさんじゃないですか。下でクラクションを鳴らしてくれれば僕がそっちに向かったのに」


このやけに腰が軽いギアさんは現地のマフィア「ツーファップ」のトップに立つ人間なんだ。

来客者がギアさんだと分かった僕は再びプールで泳ぎ始めて、彼はそれを見て羨ましそうな目をするんだ。

別に舐めているわけじゃない、彼は少し変わっていて相手が畏ることを極端に嫌うんだよ。

ただ「親しき中にも礼儀あり」と言うように超えちゃいけない一線というのもちゃんとあってね、要はメリハリのしっかりした人だ

この人の一番面白いところはギアって名前はベトナム語で「義」って意味らしいんだな。

そりゃこの町を仕切ってるから「義」なんだろうけどさ、「義」の意味って一体何なのかと考えさせられるよね。


「しかしギアさん、僕に何か用があるんですか?」


「まあな。それよりプールに足入れていいか?」


ギアさんはそう言うと僕の返事も聞かずに革靴を脱いでプールに足をつけた。

まあオーケーと返すつもりだったから別に構わないんだけどさ、何というか憎めないキャラなんだ。


「用といっても大したことじゃあないんだ。お前のところのエイノがアジア人と一緒に市場を徘徊してたもんでさ。あいつは一体誰なんだ」


「彼女はユミって日本人です。ほら、ヤンって奴覚えてます? あいつが代金にって置いていったんですよ」


「あーはいはいあのクソ野郎か。そういやあいつを片付けてくれたのお前らしいな」


もう情報が出ているのか、ユミに伝わったら僕のことを本気で怖がるだろうな、そんなことを思って肩をすくめたよ。


「何をしようとしてるのかは聞かないけどまああれだ、準備ができたら報告くらいしてくれよ」


お前はこの町の基準線なんだからな、そう言い残してギアさんは帰っていった。

このビルで食堂をやるなんて言ったらどんな反応をするだろうか、そんなことを考えるだけでワクワクしてくるね。





それからしばらくして本格的に日が赤くなり始めたんだ。

そろそろ上がり時かな、なんて思ってたらちょうどいいタイミングで聞き慣れたエンジン音がビルの下から聞こえてきたんだ。

濃紺のパーカーを羽織って下の階に降りるとやっぱり僕の軽トラックがビルの前に止まってた。

荷台にはテーブルもあったんだが、それにしても色々な種類の椅子が積まれていてね。

材質から大きさまで何から何まで違って一つとして同じものがないんだ。

運転席からエイノがのそのそと降りてきて、


「ケビン、後ろの荷物をを運び入れて下さい」


「ああ任せておけ、そのために身体はしっかり冷やしておいたぞ」


「失礼ですが身体は温めておくものでは?」


「…………うるさいな、エイノはジョークというものを知らないのか?」


そんなやりとりをしていると荷台でごそごそと何かが動いてんだ。

よく見てみると荷物と一緒にユミが積まれていた。

ユミから椅子を引き受けてそれを一階に運び込む、それを20回くらい繰り返してやっと荷台を空にできたかな。

一方でビルの中ではエイノが内装を整えていた。

一階はテナントが入る予定も無かったし壁がコンクリートのままになっていたんだけど、エイノのその姿はまるで現代美術を勘違いしているアーティストだったよ。

日が暮れるまで試行錯誤を繰り返してようやく落ち着く配置に辿り着いたと思ったらさらなる問題が起きたんだ。

最初にそれに気づいたのはユミだったかな。


「あの、食堂開くのはいいんですけど、名前の方はどうするんですか?」


「それを考えるのは君の権利だとてっきり思ってたんだが……そうだな、『GUN & PEACE』なんてどうだ?」


「そんな物騒な名前はちょっと…」


「じゃあユミが考えろよ」


そうですねえ、とユミは唸り始めたんだ。結構な間のあとに彼女はちらっとビルの方を見て何かを思いついたんだ。


「そうだ、食堂の名前『豊輪工業』なんてどうです?」


『ホーワコウギョウ』、僕が拾ってきたあの看板だ。彼女はそれをそのまま店の名前にしようって言うんだ。

横を見てみたらエイノは娘を見守る母のように頷いていてね、つまり彼女は賛成なんだ。


「まあいいけどさあ、それって『GUN & PEACE』よりイカしてるのか?」


エイノはこれにも首を上下に振りやがるんだ。さっきのジョークもウケなかったし、彼女にはユーモアがないのかもしれない。

しかしだよ、お店の内装を見てみると不思議とその名前が似合うんだな。

灰色の壁に剥き出しの電球、その下でどっしりと構えるテーブル、それを囲むバラバラの椅子――そこに付けられた「豊輪工業」という無機質な名前は僕のユーモアが欠けているんじゃないかと思わせる程にピッタリなんだ。

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