希望の少年
歌は思いを伝え感情を操作する。
誰もが気づかず歌に乗せられる。
私はその事に罪悪感と喪失感を抱き、歌っていた。
自分の思いではない、偽りの異物を人々に与えていることに。
でも、私はあの時。
その偽りの呪縛を解く、その人に出会った。
コード1・希望の少年
雨島シティーデパート。
月に何度も芸能人が立ち寄る、人気の建物。
通路には数多くの人々が笑いながら歩き、カップルと親子づれ、一人でいるというのは少々居づらい。
そんな空間の中、通路の柱で一人イライラと携帯を耳に当てながら立つ一人の少年がいた。
「母さん、息子にこんな羞恥心をあじあわせて楽しいか?」
少年の名は皐葉アルナ。
橙のパーカーに下はジーパン、髪は前髪がややボサボサとした至って普通の少年だ。年齢も高校一年と今年の春に入学して、まだ二か月しか経っていない。
普段、自宅での勉学とゲーム、それに筋トレで日常を過ごし、週に三回と空手の師範をする父と組み手をするのが日課である。
あまり友達付き合いが苦手で、結局は家からでない始末で休日を過ごしていた。
だが、今日に限って何故か母から御使いの依頼がきた。
何でも少し離れたデパートである人のサインを貰ってきてほしいとのこと。
最初は了解して、準備と共に外に出ようとした。
だが、玄関手前で母から出た言葉。
それは、
「いきなり飛行機乗せてこんな都会に行かせるとか、いくら子には旅をさせろって言っても急すぎるだろ」
飛行機に新幹線、長旅五時間。
確かに自宅があるのは都会を離れ、海をまたいだ本当に小さな孤島。
いつか家を出て行かなくてはならない日が来るかもしれない。
しかし。だからといってそれが明日、学校がある高校生にさせることか?
『まぁ、そんな大げさな事じゃないでしょ?』
「大げさすぎる!」
『とりあえず、できれば携帯で写真も送ってね』
「無視! 無視ですか!?」
『それじゃ、よろしくね』
ブツ、と通話が切れる。
……………………………………………
そうだよな、今さら言っても無駄だよな……、だって母さん、自己中だもん。
はぁ、と溜め息をこぼす皐葉。
携帯の待ち受け、時刻は午後四時。
とりあえず、御使いを早くすませて帰るか。
「(何時に帰れるかな、はぁ…………)」
皐葉はとぼとぼと足を動かし、通路の奥へと進んで行く。
道を進むにつれて人ごみが激しくなり、天井に取り付けられた看板には、大きな文字でこう記されている。
『スクイ・レイナ。コンサート会場』
この時までは日常にいた。
だが、皐葉は気づかなかった。
凍結されていた時間が、ある少女との出会いで動き始めることを。
会場、確かにそう看板には書かれていたが、それにしても、
「広すぎるだろ、これ」
目の前に広がる広場。
そこは大量の人で埋め尽くされていた。
オーケストラ用のステージらしいが、そもそもこんなデパートに来る歌手に対して大袈裟すぎる。それならどこかのドームでやればいいのだから、わざわざこんな所で歌わなくてもいい。
「通路が混むわけだな」
皐葉は目の前のさっきまで肉挟みに合っていた通路を見やる。
今でもお肉満載の眼鏡男がその肉挟みを喰らっている。
……とりあえず、近くに行くか。
皐葉は人ごみを通り抜けよう足を動かす。
が、しかし。
……そんなに簡単にいくわけがなかった。
「ぬググッ…」
再びの肉挟み。
肘やら足やら、いきなり頭突きが飛んでくる。
ゴン! と頭突きをモロに喰らった皐葉は、額を抑えながら若干と涙目になる。
「…………………」
もう、いいか。
殴り飛ばしても、多分大丈夫だろ。
皐葉は、キッ、と目を尖らせ、腰に落とした拳に力を込めた。
そして、再び来た頭突きを喰らわせてきた眼鏡男に向かって、拳を振り落とそうとした。
その時。
≪夢、会おうと………しーてもー≫
突如、耳に溶け込む歌。
目の前の男が、ストンと腰を落とし、足を合わせ体育座りになる。
それに続いて周りにいた人々、ほぼ全員が同じように体育座りになる。
「は?」
皐葉は一瞬、何が起きたのか分からなかった。
自身を除く、この会場にいる人々たちがまるで催眠術にかかったかのように、体育座りをしている。そして、人々の表情は、まさしく≪無≫
「な、なんだよ…………これ」
辺りを見渡し、状況を理解しようとした。
だが、そんな中。
≪分かりー会えない≫
背後から、またしても歌が聞こえる。
皐葉は、その歌が聞こえてきた会場の奥。
ステージの上を、ゆっくりと歩く一人の少女に顔を振り返る。
「………………お前」
ツインテールの髪。
青のワンピースに淡い蝶をイメージしたスカート。
伏せた瞼をゆっくりと開かせ、その淡いブルーの瞳を見開かせる。
≪…………嘘≫
少女、スクイ・レイナは目の前に立つ皐葉を見て歌を止めた。
そして、驚愕の表情を浮かべる。
皐葉は警戒して体を動かすことができない。
スクイは震える唇を紡ぎ、一歩。
足を動かせステージから離れた場所にいる。
皐葉の前に足を止めた。
「………………な、何んだ」
≪あなた、どうして≫
驚く皐葉に対し、スクイは静かに口を紡ぎ、そっと…。
≪Aァ………………………≫
綺麗な美声。
濁りもなく、優しげな。
そんな音だ。
……………だが、
「……お前………何で、そんな辛そうに歌うんだ?」
ボソっと、皐葉は小声で呟く。
それは普通ならあり得ない。
誰もがそうは思わないことを、皐葉だけはそう口にしたのだ。
そして、それはスクイは開いた口を紡ぎ、同時に瞳から一筋の涙を零れ落とさせる。
≪…お……おねがい………します…≫
「?」
あった。
この世界で、もう誰もいないと思っていた。
だけど、神様は……。
スクイは、涙をぽつぽつと零し、それは必至の頼みであるかのように言った。
≪……ここから。私を、逃がしてください!≫