N.わかりました、大使者様の元に連れて行って下さい
目が覚めると、そこは真っ白な部屋だった。
ベッドのシーツもカーテンも家具もすべてが白で統一されている。病室のようだと思ったけれど、それにしてはいささか金がかかりすぎている。白い布に白い糸で繊細な刺繍をほどこされたシーツを撫でて、はっとした。小さな手。それは以前の半分ほどの大きさにまだ縮んでいた。
そうだ、僕は身体が縮んで行ってしまって――そうしたら、突然魔法陣から白銀の鎧をまとった騎士が現れて――
トントン、と部屋の扉が叩かれた。予期せぬ来客にどうしようとうろたえていると、しばらくしてガチャリと扉が開かれる。
部屋に入ってきたのは、9歳かそこらの女の子だった。豊かな深緑色の髪を腰まで伸 ばして、頭には薄桃色の花をつけている。ゆったりとた袖の、白地に模様の編みこまれた丈の長いワンピースを着ており、大きくて丸い浅黄色の目でじっと僕を見ている。
「起きたのです、か?」
絵本の中から抜け出したかのような風貌の少女に見とれていたせいで、少女の言葉をうっかり聞き逃した。慌てて少女が何を言ったのか思い返そうとして、僕は驚きのあまりベッドから転がり落ちる。もう少し詳しく言うと、"驚いて少女に詰め寄ろうとしたが小さい身体をうまく動かせなくて転がり落ちてしまった"だが。
「だいじょぶですっ!? だいじょぶですっ!?」
僕が落ちたことに驚いて、少女は涙目で駆け寄ってきた。いたいけな少女に「怪我ないです?いたくないです?」とうるんだ瞳で聞かれ、自分がとんでもなく悪いことをした気分になる。
「ごめん、大丈夫。ちょっと驚いただけだから」
「ほんとうです?」
「うん。ごめんね、心配かけちゃって」
少女はなおも僕が怪我をしていないか疑り深く視線を向けていたが、やがて本当に怪我をしていないと納得したらしく、にぱあ、と笑った。
「よかったあ」
な、なんだこの子……かわいい。服装も相まって妖精みたいだ。
妖精ちゃんはひとしきりニコニコした後、お手々をきちんと揃えてぴょこっと頭を下げた。
「わたし、フェイといいます。今日からししゃさまにお仕えすることになります」
「シシャ?」
「ブルー・マーブルから来られた人のことを、使者さまというです」
「ブルー・マーブル?」
「使者さまのお名前は、なんていうです?」
ダメだ。質問しようにも、自分が何をしゃべるかでいっぱいいっぱいになってるみたいで、全然聞いてもらえない。ここは一度相手に調子を合わせるしかないみたいだ。
「結崎夏輝だよ」
「ユウサキナツキさま?」
「うーん、ナツキさまかな」
「ナツキさま!」
少女はまたにぱあと笑う。なんてあどけなく笑う子なんだろうか。9歳くらいかと思ったけれど、西洋風な顔立ちがそう思わせるだけで、本当は5歳くらいなのかもしれない。
「 、 ! !
「え?」
少女は突然まったくわからない言葉で独り言? を言うと、「ちょっとまっててください!」と言って部屋から出ていこうとする。いきなり独りにされてはたまらないと、僕は慌てて声をかけた。
「待って! いきなりどうしたの?」
「ナツキさまがおめざめになられたことを、エルダーさまに報告しないといけないですっ」
「エルダーさま? それってだ…………行っちゃった」
部屋に一人残されてしまった僕は、仕方なくベッドの縁に腰掛けた。おそらく、彼女よりもずっとお偉いさんが呼ばれてくるのだろう。その人も言葉が通じればいいんだけど。
はあ。ベッドにばふんと背中を預け、ため息をはく。
これからいったい、どうなってしまうんだろう。
「ナツキさま!」
しばらくして、フェイという女の子は一人の騎士を連れて部屋にはいってきた。思わずベッドの縁から腰をあげる。その騎士は、僕をここに連れてきた青年だったのだ。
「貴方は……」
青年は僕のことをじっと見つめてきたが、僕に対しては口を利かない。「フェイ」と少女のことを呼ぶと、彼女に向かって何かを喋り出した。
フェイは真剣な表情で彼の言葉に耳を傾け、時折大きくうなずく。青年が口を閉じると、フェイは僕に向き直った。どうやら、彼女は僕らの通訳らしい。上司……でいいのかはわからないが、目上の者がいる手前だろうか。背中をピシッと伸ばし、直立不動の体勢となった彼女は、瞳をうるませ頬を真っ赤に染め、明らかに緊張した様子だった。まるで、学校の授業でみんなの前で作文を読み上げる小学生のようだ。
「ナツキさまに、申し上げます! 今回のジタイをセツメイするために、ナツキさまには、これから"オオシシャさま"の元へゴドウコウお願いイタシます! "大使者さま"はナツキさまと同じお言葉をしゃべラレます! ナツキさまのギモンに、必ずや答えてくだサリます!」
カチコチに固まってしまっているのと、無理に丁寧に喋ろうとしているせいで、フェイの言葉は先ほどよりずっと聞き取りにくくなってしまっていた。
……つまり、僕と会話ができる人物が、今回のことを説明してくれるのだろう。僕を"使者"と呼んでいたことに対して、その人物を"大使者"と呼んでいたことは気になるが、とりあえず言う通りについていくしかなさそうだ。
「ありがとう、フェイ。日本語上手だね」
「ニホンゴ?」
とりあえず可哀そうなくらい力んでいる彼女をリラックスさせてあげようと褒めてみたが、うまく通じなかったみたいだ。しかし、僕が話しかけたことで多少は落ち着いたようで、肩がへにゃんと脱力した。
「エルダー様に、伝えてくれる? "わかりました、大使者様の元に連れて行って下さい"って」
僕の言葉にまたフェイの身体が緊張する。その姿に苦笑しながらも、本当はわかっていた。彼女は冷静さを取り繕っている僕の真実の姿なのだと。身体が震えそうになるのを、拳を強く握りしめることで叱咤した。