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M.それはまるで、愛の告白のように思えた。

 これは……


 クッキーでできた壁に飴細工の窓。


「どうしたの? 遠慮せず入りなよ」


 どう見ても……


 チョコレートの扉に金平糖のドアノブ。


「いやでも、これ……」


 極めつけは生クリームでデコレーションされた真っ白な屋根。おいしそう……。


 じゃなくて! これ、お菓子の家じゃないのっ! なんでこんなものに住んでるのよ!?


「キミたちの世界の童話で、こういった家が出てくるんでしょ? 美味しそうだったから作ってみた。ほら入って」


 少年はケロッとした顔でそう言ってのけると、イガイガした形のちょっと掴みにくそうなドアノブ(だって金平糖だもの!)を回して(どういう構造なの!?)扉を開けると私に中に入るように促した。

 いざ入ってみると、内装はいたって普通だった。木のテーブル とイスが部屋の中央にあり、壁には暖炉がついている。申し訳程度にお茶のセットが暖炉の上の戸棚にしまわれているけれど、使われている様子はなく、生活のにおいがまったく感じられない。ベッドもなにもない。こんな所で生活できるのだろうか?


「どうぞ」

「……どうも」


 すすめられるままイスに腰を落ち着かせると、少年は手際よくお茶の用意を始める。といっても、戸棚に入っていたティーポットを傾けると淹れたてのお茶がでてくるというファンタジー設計。魔法っていうやつなのかしら。試しに一口飲んでみると美味しかった。便利ね。


「ケーキいる? クッキーは?」


 そう言いながら少年が両手に持った皿をテーブルに置くと、キラキラとしたエフェクト付き でケーキやらクッキーやらが現れる。思わずわあっと歓声を上げてしまい、それから気恥ずかしくなってコホンと咳払いをした。それでもケーキを一口食べた時には、笑顔になってしまうのを止められなかった。


「キミは意外に素直な性格なんだね」

「え?」

「まあ、その林檎を見たら確かにある程度予測できることだけど……まさかこんなにあっさり食べてくれるとは思わなかった。いろいろ疑問に思わなかったの?」


 そういえば、私は精神体のはずなのにどうしてこれらを食べることができたんだろう。


「アンタまさか、騙したの!」

「騙してはないよ。ただ、急を要することだったから。気づいてなかっただろうけど、キミの身体はだんだん透明になっていたんだよ」

「え 」

「ただでさえ異世界の身体に属する魂が、むき出しのままでいるんだもん。馴染めるはずがない。だからとりあえずこの世界の食べ物を与えることで、キミがこの世界にいられるようにしたんだよ。これは魔法で出した食べ物だから、いまのキミにも食べることができる」

「……」

「ほら。その林檎も、貸して」

「……」

「そのままじゃ、腐っちゃうよ?」



 渋々私の林檎を渡すと、少年は口の中で小さく何かをつぶやきながら、林檎を何度も丁寧に撫でた。すると林檎の周りに幾層にもキラキラと光るヴェールのようなものがコーティングされていき、それにあわせて私の身体は(心は?)だんだんと軽くなっていった。

 気が付いていなかっただけで、私はすでにかなりの負担を受けてい たらしい。


「こんなことしてもらっても、私、何にもお返しできないわよ」

「いいよ、ボクにとっては大したことじゃないし。それじゃあ、話そうか。なにから話す?」

「……ここは、どこなの? 私たちの世界とは違う世界だっていうことはわかっているけど、どういった世界なの?」

「そうだね、まずは名前からいこうか。キミたちの世界は、ボクたちの世界では"ブルー・マーブル"と呼ばれている。ボクたちの世界には基本的に名前はない。だって、ボクらにとって"世界"とは"この世界"のことだからね」


 ブルー・マーブル。確か宇宙から撮った地球の写真のことだ。地球は青かった、っていうやつ。


「キミたちの世界は球体らしいね。マーブルっていうくらいだし。でも、ボクたちの世界はそういった点がまだ解明されていない。この世界の東西南北は魔物の領域だ。ボクたち人間の領土は地図上では中央にあり、その周りを海が囲い、海の向こう側はすべて魔物の領土となっている。ちなみにこの森ロング・フィールドは、人間の領土の更に真ん中に存在するこの世界で一番大きな森だ。ここまではいい?」

「……なんとか」


 頭の中で地図を描きながら(それはひどく単純な世界地図となってしまったけれど)少年の説明を必死に叩きこむ。"魔物"という言葉がサラッと飛び出てくる辺りで頭を抱えたくなったけれど、この世界に来た発端がそれである以上飲み込まないわけにはいかなかった。


「この世界の歴史は魔物と人間との間の領土争いに尽きる。もちろん人間同士の争いも絶えなくあるけどね。けれど、どんなに人間同士で激しい戦争をしていても、魔物の侵略が始まれば協定を結んで戦わざるを得ない。魔物との争いはこの世界の人間にとって宿命なんだ」

「その魔物が、どうして私たちの世界に現れたの?」

「魔物は、人間よりも武力も魔力もずばぬけて高い。ただし、知力は人間の方が圧倒的に高い」


 それは、なんとなくわかる気がする。あの赤いモンスターも、知能のある生き物にはとても見えなかった。


「けれども、ひとつだけ魔物が知力を得る方法がある」

「……それは?」

「ブルー・マーブルの人間の林檎を食べることだ」


 私と少年は、示し合わせたようにテーブルの上に乗っている林檎を見た。モンスターにかじられてしまった、私の林檎。


「……なに、それ。なんでそこで私の世界がでてくるの」

「何故かはわからないけれど、この世界はブルー・マーブルと繋がっている。二つの世界を行き来できるゲートが無規則に出現するんだ。キミの会った魔物は、そのゲートを通ってそちらに行った。そして、目的の林檎を得るためにキミたちを襲ったんだ」

「なんで? なんで襲うのよ。私たち無関係じゃない。なんでわざわざ私たちなの?」

「この世界の人間が襲われればいいのにって?」


 ドキッとした。いや、ギクッとしたといった方がいいかもしれない。確かに私が今言った言葉には、そういう意味合いが含まれている。でもはっきり口にされると、「アナタは非情な人間なんですね」とでも言われた気分になった。


「魔物はボクたちのことも食らうよ。でも、それは言葉通りの意味だ。餌として、肉として食べられるんだよ。長年の研究で、ボクたちには林檎がないことが明らかになった。だから魔物はボクたちでは知能を得ることができないんだよ」

「……」

「魔物はキミたちの林檎を食べると知力を得て、そして人間に近い外見になる。もちろん武力と魔力はそのままだ。知力を得て人型になった魔物のことを"魔族"という。魔族は魔物を率いて人間の領土を侵略する。だからボクたちは、魔物がキミたちの世界に行かないようにあらゆる手を尽しているんだ」

「でも私は、かじられた」

「そう。そして、この世界にやってきた。今まで、ゲートを偶然見つけてこちらの世界にやってきた人間は少なからずいた。その場合、ゲートの監視員が早急に保護する。この世界とブルー・マーブルは時間の流れが逆だから、この世界に来た人間は若返っていき下手したら胎児になって死んでしまうんだ」

「え」


 なんかいまサラッととんでもないことを言われた気がする。


「大丈夫、キミの身体ともう一人の子は無事だよ。まあ十歳くらいは若返ってしまっただろうけど」

「それ大丈夫って言わな」

「帝国の騎士がこの場に現れたのはそういう理由だ。だからいま、キミの身体ともう一人の子は帝国によって手厚く保護されているはずだよ。キミたちの身体は、貴重な研究材料だからね」


 またサラッととんでもないことを言われた気がする……。

 えーと、つまり、えーと。今まで聞いたことをあわせて考えると……。


「アンタは、私を帝国? に、渡したくなかったの?」

「うん、そうだよ」

「それってつまり、アンタと帝国は、仲が悪かったりするの?」

「いや? そういうわけじゃないけど、まあ、そうだな。ブルー・マーブルの人間の研究は、帝国だけじゃなく様々な国が行っている。だからキミたちはどの国からも欲しがられているんだ。けれどキミたちの身柄を求めあって争いになったら元も子もないから、一番最初に身柄を保護した国がキミたちを国に滞在させる権利を得ることになるんだ。ボクは賢者だからどこの国にも属していないけど、国と同等の権力を持っているからボクが最初に保護したら同じように権利を得ることができる。で、ボクはキミが欲しかったから、一緒に来ないか誘ったってわけ」

「…………えーと…………。でも私の身体、帝国にあるんでしょ?」

「うん。でも、林檎はここにある。それに、キミの精神体もね。ボクは林檎の研究がしたいからこれだけで十分ではあるんだけど、キミが必要なら帝国と交渉して身体もこちらに譲ってもらうよ。身体だけ保護していてもどうしようもないから、多分簡単に応じてもらえるんじゃないかな」

「…………えー…………」

「大丈夫? ついていけてる?」


 全然だめ、ついていけてない。身体はあっちにあって精神はこっちにあってって、なんかバラバラ死体かなんかにでもなった気分だ。私が頭を抱えているのを見て、少年は「じゃあ、わかりやすく話を整理しよっか」と言って人差し指を一本立てて見せた。


「ボクはキミにここにいてもらって、キミの林檎の研究をしたい。林檎を取り出すことができるのは魔物だけだから、こうやって目に見える形で存在するのはとても貴重なことなんだ。キミの精神や肉体に負担がかかるようなことはしない。キミの衣食住も全部提供する。これがボクのキミへの提案だ」


 次に、少年は中指を増やしてからまた口を開く。


「ただし、最初に言った様に、ボクからの話は断ってしまっても構わない。その場合キミは身体の保護されている帝国に行き、そしてそこで研究対象として保護されることになる。そっちに行っても確実に衣食住は提供されるだろうし、なにより帝国にはキミの友達がいる。帝国がどういった研究方針をとるかはわからないけれど、人道に背くようなことはしないはずだ」


 「そして、これがキミの一番気になっていることだろうけど……」と言い、少年は薬指を増やした。


「元の世界に帰るには、ゲートを通る必要がある。ゲートの出現場所は不規則であるため事前に予測することはできないけど、ゲートが出現してから観測することはできる。ボクも帝国も、観測を元にキミたちの元へ行ったしね。ゲートの出現時間は短いから、どれだけ早く観測できるかが重要な要だ。この世界にある国々で、一番早く観測しゲートのもとへ行くことができるのは帝国だけど、賢者などといった個人を含めるなら、多分ボクが一番早い。ただし――」


 少年は手を降ろすと、私の瞳をまっすぐ見つめた。こんなに真剣なまなざしで見つめられたのは初めてだった。そらすこともできずに、ただただその力強さにのみこまれていく。


「この世界とブルー・マーブルは、時間の流れが逆だということは話したね」

「う、うん……」

「だからキミたちの身体は、ほんの数分で10年以上若返ってしまった。いま、帝国の処置によって、キミたちの身体の急激な退行は止められたと思う。そうだな。たぶん、砂時計で考えるとわかりやすいんじゃないかな。この世界にやってきたとき、キミたちの中の砂時計はひっくり返って、ものすごい早さで砂が落ちて行ってしまった。つまり若返ってしまった。いま、砂時計は更にひっくり返され、元に戻ったんだけど、砂が落ちるのは少しずつで、少しずつしか歳をとっていけない。10歳年をとるには、10年かかるんだ。不思議なことに、その10年の間に、キミたちの世界の方も10年経ってしまうということはないらしい。キミたちは、ここに来た時と同じ姿でゲートをくぐれば、ここに来た時と同じ時間に戻って行くことができるみたいだ。ただし――」


 それまで言葉に詰まることなく喋り続けていた少年が、この時初めてためらいをみせる。何度か口を開いては閉じ、出そうとした言葉を引っ込め、言葉を選んでいるように見えた。


「実は、ブルー・マーブルからこの世界に人が来ることは時々あるけれど、帰ることは滅多にないんだ。帰れないわけではない。でも、今の技術では、元の年齢になるまで待たなくてはいけない。大体みんな10歳以下まで若返って、そこからここで生活を始めるから、元の年齢になったときには10年以上この世界で過ごしたことになる。その頃にはこの世界で家庭を持っていたり、大切な人ができていたり、そうでなくても居心地が良いから――なにしろ彼らは研究されているとはいえ手厚く保護されているからね――この世界にこのまま居つくことを選ぶ人が多い。また、帰ろうと思っていても、元の年齢になった年にゲートが開かない場合がある」


 少年はそこまで一気に喋ると、軽く息を吐いた。さっきはあんなにまっすぐ見つめてきたのに、今は目を伏せていて、白く長いまつ毛が影を落としている。


「キミがこの世界に来たのを見た時、ボクは正直、心が躍ったよ。けれど、キミにとって魔物に襲われたという事は、キミの林檎をかじられたという事は、そしてこの世界に来たという事は、不幸以外の何物でもないだろう。それでもボクには、キミのことがたまらなく魅力的な存在に見える。……すまない」


 それはまるで、愛の告白のように思えた。罪の告白なのにね。

 意外に素直な性格なのは、アナタの方じゃないの。こんな風に謝られたら、怒るに怒れない。

 少年が黙りこんだことを良いことに、私はしばらくぼうっと考え込んだ。例えば、帝国に行った私。例えば、少年の元で過ごす私。例えば、そのどちらも選ばず逃亡した私。どれも曖昧で、ふわふわしていて、全然掘り下げて考えることができない。

 仕方がないので、次に目の前のことを見ることにした。私の目の前には、かじられてしまった私の林檎と、おいしいケーキとクッキー、そして、賢者と名乗る生意気かと思いきや意外に素直な少年がいる。

 そうだなあ。とりあえず、ケーキはもっと食べたいし、少年とももっと話してみたい。

 どうせ10年はここに居なくてはいけないなら、少年としばらく過ごすのも悪くはないかな。


「それじゃあ私、アナタのお世話になるわね」


 そう言うと、少年は弾かれたように顔をあげた。賢者様ってもっと威厳があるものじゃないのかしらとちょっと面白くなりながら、私は彼に向って頭を下げる。


「これからしばらく、よろしくお願いします」



 こうして、私の異世界でのホームステイ先は彼の元に決まったのだった。



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