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M.痛そうって、なによ。痛い、じゃないの?

 私は確かに意識を失った、と思っていた。

 けれどそれは一瞬のことで、ブチリ、と何かが千切れた感覚で、私の意識は無理やり覚醒させられた。

 なのに。私の目の前で、私の身体は結崎くんに向かって倒れ掛かって、だらんと垂れた手がコンクリートに擦れてしまっていた。


 痛そう。


 そう思って、私は混乱した。痛そうって、なによ。痛い、じゃないの?

 私はどこからこの光景を見ているの?


 痛みは、遅れてやってきた。けれどもそれは、コンクリートに手を擦ったくらいのちょっとした痛みなんかじゃなかった。

 腕を千切られたような、ハラワタを喰われているような、そんな、今まで経験したことのない気が狂いそうなほどの痛み。

 私の手足は失われていなかった。私の腹も食い破られていない。どこも傷ついていないのに、痛い。痛い! 痛い!!

私は頭を掻き毟って絶叫した。喉が潰れてしまうくらいに。頭を地面にガンガンと打ち付けて。けれども痛みはまったく感じられなかった。どんなに叫んでも、暴れても、自分の頭の中だけで「自分は今叫んでいる! 自分はいま地面に頭を打ち付けている!」と妄想しているような、そんな曖昧な感覚しか得られなかった。まるで夢の中のような。

 けれども喰われているような痛みは残酷なほどに鮮やかだった。


「おーい!そこのお前!」


結崎くんの声がしたかと思うと、唐突に痛みがやんだ。体の力が抜け、地面に崩れ落ちる。コンクリートに膝を思いっきり打ったはずなのに、まったく痛くない。

私の目の前には、地面に横たえられている私がいた。気を失っているようで、ぐったりと目を閉じている。もしかして私は、幽体離脱かなにかをしてしまったのだろうか?なら、自分の身体の中に戻らなくては。

 そう思って、私は自分の身体に近づいた。しかし、あと一歩の所で、私の身体は駆け戻ってきた結崎くんに奪われてしまった。伸ばした手が空しく宙にとどまる。

 結崎くんはいつのまに、手に食いかけの林檎を持っていた。その林檎を見た瞬間、私はわかってしまった。


 あれ、私だ。


 結崎くんは私の身体と林檎の私を連れて走り出す。私も私を追いかけて走り出す。私たちの背後からは、あのモンスターが追いかけてくる足音が聞こえた。


 そうか。私はあいつに喰われたんだ。あの痛みは、私が喰われた痛みだったんだ。あいつは私や結崎くんの中にある林檎を狙っていて、私の林檎はあの時にズプリと奪われたんだ。


 結崎くんがモンスターの出てきた裂け目に飛び込んだ。見えない糸に引っ張られるように、私も裂け目へと引きずり込まれていった。











 裂け目の向こう側は森だった。ただし、砂利道ながら道路が引いてあって、それなりに人の手が加えられているようだった。私たちはその道路の真ん中に飛び出した。結崎くんは私の身体を抱えたまま、肩を地面に打ち付けて唸っている。

 振り返ると、もうあの裂け目はなくなっていた。標識も何もない道路が延々と続いていて、そこから先はこうばいの関係でここからでは見えない。


「あ……」


 ふと下を見ると、私の足元に林檎が転がっていた。私の林檎だ。かじられて果肉部分がむき出しになってしまっているけれど、土や砂利がつくこともなく綺麗なままだった。試しに手を伸ばしてみると、林檎はあっさりと私の手の中に納まった。触れるんだ。

 ならば、と思って結崎くんに手を伸ばしてみたが、触れる手前でピリッと静電気のようなもので弾かれる。


 林檎を両手に持ったまま、私はふよふよと辺りに漂う。今の自分は精神体のようなものだと認識してからは、幽霊みたいに空に漂うことができるようになっていた。

 このまま自分の身体に戻るのが一番なのだろう、と思いつつも、なかなか踏み出せない。

 私の林檎は喰われてしまった。それがどういうことなのか何もわかっていないけれど、おそらく、私は何かが欠けてしまったのだろう。このまま身体に戻っても、なんの解決にもならない気がした。


「なら、ボクと一緒に来る?」


 後ろから突然声をかけられて、私はひゃっと飛び上がる。心底驚いたものだから、ポーンと宙に飛んでしまった。眼下に森が広がっている。私、空を飛んでいるんだとズレた感想を抱いていると、今度は横から声をかけられた。


「なに遊んでいるの」


ひゃっ、と叫んで、今度は横に飛んでいきそうになったけれど、それよりも早く腕をつかまれる。その反動でぐるりと一回転すると、「なにしてるの」と呆れ口調で言われた。好きで一回転したわけじゃない。あと、誰だお前は!


「ボクはリーフ。このロングフィールドの森で賢者をやっている」


 口に出したわけでもないのに答えてくれた。もしかして読まれているのだろうか。

 リーフと名乗った彼は、ゆったりとした黒色のローブを身に着けた、14、5歳の男の子だった。髪の毛もまつ毛も雪のように真っ白で、鮮やかな緑色の瞳をしている。編み上げブーツがいかにも森の民っぽい。偏見だけど。


「あと、君が気にしているように、君の考えていることはボクに筒抜けだから」


 本当に読心術を使われていたらしい。どうしよう。どうもできないけど。


「というか、ボクたちはいま心で会話をしているから。だって、君はいま精神体で、口で会話なんてできないでしょ? 君が自分で口に出して喋っていると思っていることも、本当は心の中でそう思っているだけなんだよ」


 なんだかややこしいことを言われてしまった。つまり、えーと……。


「なんで貴方、私が見えてるの?」

「そりゃあ賢者だから。この森にゲートが現れるっていうから興味本位で覗きに来たんだけど、まさかこんな珍しいものに会えるとは思わなかったよ」

「珍しいものって」

「だって君、異世界の住人でしょ?」


 そう聞かれて、コクンとうなずく。まあ確かに、珍しいだろうね、異世界人。精神体の状態でもいつも通りの服装をしているから、この世界の人間じゃないことは見た目から一発でわかるだろう。


「それに、半分かじられてるし」

「え?」

「だから、半分かじられてるし」


 少年が、私の両手におさまった食いかけの林檎を指さす。おざなりな扱いにちょっとムッと来た。この林檎は私なのだ。もっとなんかこう、敬ってほしい。それに。


「半分じゃないわよ、三分の二程度は残ってるもの」

「なにそれ、すごくどうでもい……。……わかったよ、ごめん」


 私の心中を読み取ったのか、彼は割と素直に謝ってくれた。


「それで、どうするの?」

「え?」

「一緒に来る? 言っておくけどボクの提案、キミにとってかなりいいと思うよ。ボクはキミのことが見えるし、喋ることができる。キミにこの世界のことも、その林檎のことも話してあげることができる」

「……でもその代り、私に何か要求してくるんじゃないの」


 私がそういうと、少年はちょっとだけ笑った。無表情か呆れた表情しか見せてこなかった彼がいきなり笑ったものだから、私は少しドキドキしてしまった。名誉にかけて言うがショタコンではない。でも少年は私が今まで見たこともないくらい綺麗な顔をしているものだから、どうしても、ね。


「するよ。でも、そうだな。何も知らないままボクの要求を聞いても、キミにはきっと訳がわからないと思う。だから、とりあえず一緒についてきて、話を聞くだけ聞いてよ。それで嫌だと思ったら、断って出て行ってくれても構わないから。どう? 悪い話じゃないでしょ?」


 確かに、悪い話ではない。あの裂け目が閉じてしまった以上、私たちは元の世界に帰るための方法を探さなければならない。そのためには、いかにもいろいろな情報を知ってそうな"賢者"と名乗る彼を頼るのは有効な手のように思える。


「確かに悪くはないけど、でも、ちょっと待って。下の方に、後輩と、そして私の身体を残してきてるの。置いていけないわ」

「ああ、彼らならもうここにはいないよ」

「なんですって?」

「帝国の騎士に連れて行かれた」

「はあ!?」


 帝国の騎士? 連れて行かれた? いったいいつの間に? っていうか知ってるならなんで黙ってるのよ!

 すぐさま森の上空からあの道路へと戻ってみる。しかし、少年の言う通り、そこには結崎くんも私の身体もいなかった。

 結崎くんはまだしも、自分の身体が消えたことに気付けないだなんて……。呆然としていると、少年が悪びれもない様子で声をかけてくる。


「で、どうする? ボクと一緒に来る?」

「アンタ……わかってて黙ってたわけ?」

「まあ、そうなるかな。その理由も後で話すけど。で、どうする?」


 ム、ムカツク。なんなのコイツ、すっごくムカツク! 何がムカツクって私がムカついていることは彼に筒抜けなはずなのに涼しい顔しているのがムカツクッッ!!


「いいわ……。一緒に行く」


 全然よくないけど、こんな幽霊みたいな状態で、こんな右も左も知らない異世界に放り出されるわけにはいかない。とにかく私は知らなければいけない。そのためには、どんなにムカツク奴にでもついて行ってやろうじゃないの。


「ん。じゃあついておいで。あ、そうだ。名前は?」

由川真紀子(よしかわまきこ)

「マキコ、よろしく」




 ――こうして、私はロングフィールドの大賢者と呼ばれるリーフ=アルフヘイムに拾われることとなった。


 それがどういうことを意味するのか、その時の私には知る由もなかった――




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