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M.世界が、縦に裂けた。

 暑い。


 ハンドタオルで額に浮かんだ汗を拭うがすぐまた汗がにじんでくる。身体中がべた付いて気持ち悪い。シャワーを浴びれたらどんなにいいだろう。

 椅子にもたれ掛って横目で窓の外を見ると、憎たらしいほどに晴れあがっていた。ああなんて爽やかな青い空なんでしょ。なのにどうしてこうもべた付くの。ふざけんじゃないわよ。

 窓を開けようにも蝉の鳴き声がうるさいだけで風ひとつ吹きやしない。スマートフォンのお天気アプリでは、最高気温は30度を越していた。

 そんな日にエアコンもつかない部屋にいるだなんて正気の沙汰じゃない。帰りたい。ものすごく帰りたい。でも諸事情により帰れないのだ。ああ、憎々しい。


「先輩、大丈夫ですか?」


 長机を挟んで向かい側に座っている後輩が、おずおずといった感じで声をかけてきた。我が部活は全部で30人ほどいる中規模クラスのサークルなのだが、現在部室にいるのは私と彼の二人だけだ。他の奴らは?それが来ないのだ。部長すらも。


「みんな……来ないね」


 私がそう言うと、後輩の結崎夏輝(ゆうさきなつき)は肩を縮こまらせた。気を付けていたつもりだったのだが、言葉尻に棘が出てしまったのだろうか。彼を攻撃するつもりはなかったのに。だって結崎くんだけが、こうやって部活に出てきてくれたのだから。


「他の奴ら……やっぱり、潰れてるんでしょうか」

「でしょうね。だって、twitter廃人の部長も、午前七時に『飲み会楽しかったー!』ってつぶやいて以降、一度もつぶやいてないもの。間違いなく寝てるわ。間違いなく」


 語気が荒くなる。ああ、ダメだわ。暑さと怒りでいつものように『COOLな真紀子先輩』を演じられなくなっている。結崎くんごめんなさい。この暑さがいけないの。それと、土曜日を部活動日にしておきながら前日に飲み会を入れる部長がいけないの。ああ憎い。


「困りましたね……。みんなが来ないと、話し合いもなにもできませんし」


 そう。

 今日は、我らが文芸部の次に出す部誌について話し合いをするはずだったのだ。土曜日は節電のためエアコンが使えないから嫌だと言ったのに、部長は聞いてはくれなかった。その結果このザマだ。部活に来たのは、昨日の飲み会に参加しなかった私と結崎くんだけ。


「どうしますか?真紀子先輩」

「……とりあえず、ダメ元で部長に電話してみるわ」


 なんとなく、電話をする前から嫌な予感はしていたのだ。だが、確認しないことにはどうにもならない。結崎くんに促され、私はスマートフォンを手に取った。





「もしもし、部長?由川(よしかわ)ですけど」


「はい……はい……すみません」


「それでですね、今日の部活のことなんですが……」


「……え?」


「え、いや、……え?なくなった?でも、何も聞いてないんですけど……」


「……昨日の飲み会で、言った、んですか」


「…………そうですか………………しね」


「では失礼します」










「……ぷはあっ! ……はあ……はあ…………はあ」


 自動販売機で買った冷たいジュースを一気に飲んで、のどの渇きを癒す。胸の内にわだかまっていた怒りもすこし冷やされた気がして、ホッと息をついた。


「先輩、大丈夫ですか?」

「うん。じゃあ、帰ろっか」


 自販機の隣のゴミ箱に空き缶を入れ、結崎くんと一緒に校門を出る。外は直射日光が当たる分部室よりも暑かったが、だからこそさっさと家に帰りたかった。


「先輩」

「ん?」

「その……」

「……?」


 中々話し出さない結崎くんに、どうしたのだろうと思って顔を上げる。結崎くんは私より頭一つ分は大きいから、見上げないと顔が見えないのだ。

 結崎くんは、ぴょんぴょんと跳ねたやわらかい黒髪と、二重瞼の大きな目が特徴だ。男子にしては少し背が低いし、身体も薄いから、年齢よりも幼く見える。年上の女子部員によくいじられているのを見かけるが、ぶっちゃけ彼女たちよりよっぽど頼りになる。


「その……」


 人の言う事は素直に聞くし、真面目できちんとした性格だ。だから私もそこそこ気にかけている。……のだけれど、さっきからどうしたのだろう? 何か言いたそうにしているのに何も言いださない。

 頬がほのかに赤い。汗もかいているみたいだし、もしかして暑さにやられたんだろうか。


「結崎く、」


 そう思って私が結崎くんに声をかけようとした、その時。



紙を引き裂くような音と共に、世界が、縦に裂けた。











 世界に縦線が入った。


 大学から徒歩十分ほどのところ。駅までの近道の、住宅街の中の小道。

 車も通らないその道を、私と結崎くんは横に並んで歩いていた。

 その目の前の空間に、二メートルほどの縦線が引かれた。


「なにこれ……」


 突然の出来事に、私はどうしたらいいのかわからなかった。フラフラと近寄って行こうとすると、腕がグン、と引っ張られた。


「行っちゃ駄目です」


 見ると、さっきまで赤い頬をしていた結崎くんが、真っ青になってしまっている。「逃げなきゃ」と彼はつぶやいた。大きな目は瞬きもしないで縦線を凝視していた。

 私も縦線を見た。すると、線はだんだん太くなってきていた。さっきまで鉛筆で引いたような太さだったのに、いまでは太いマジックで引いたような太さになっている。


「逃げなきゃ、逃げなきゃ」


 そう言いつつも、結崎くんはその場に縫い付けられたようにピクリとも動かない。ただ、掴む力がだんだん強くなってきて、私は結崎くんから逃げたい気分になった。


「あっ!!」


 そう叫んだのは、私だっただろうか、それとも結崎くんだっただろうか。


 今やペンキブラシで引いたような太さになった縦線からにゅるりと赤色の手が現れて、線の縁を掴んだ。そして引き戸を引くように、グイッと横に力を込める。




 ビリリリリッという音と共に、空間が破れた。




「なんなの、これ……」



 私は白昼夢でも見ているのだろうか。

 目の前の光景は、とてもじゃないが現実だとは思えない。

 破かれた空間から、赤い色の見たこともない生き物が現れた。

 いや、ゲームとか、アニメとかだったら、同じような生き物を見たことはいくらでもある。

 赤い鱗の、お腹がぽっこり膨れた、トカゲに似た生き物。そんなモンスターいくらでもいる。現実世界以外には。

 なのにどうして現実世界にいるの。


 モンスターは空間からしっぽまできちんと全身出てくると、私たちを見てニマアッと笑った。口角の大きく上がった口ちらちらと細長い舌が出入りする。それを見て私はわかった。こいつは、私たちを食べるつもりなんだ。


 けれど、わかったところでどうすることもできなかった。

 相手はモンスターで、私たちは武器も何も持っていなくて、相手は私たちを狙っていて、でも助けを呼ぶ猶予もない。


 モンスターは考えている暇さえ与えてくれなかった。大きな鉤爪のついた手足をバタバタ動かして、私たちに向かってくる。モンスターの狙いは結崎くんのようだった。モンスターの目は獲物である結崎くんをしっかりと捉えている。


 だから私は、自分の持っていたカバンで思いっきりモンスターを横殴りした。結崎くんしか見ていなかったモンスターはカバンの攻撃をもろに食らったが、私は横殴りにした勢いが殺せず、モンスターに背中をさらけ出してしまった。


 結崎くんと目が合う。彼は未だ動けずにいた。なんだか、なんだか。それがおかしくて笑えてしまった。逃げなきゃって言ってたのは彼なのに、なんでまだ逃げないの。なにしてんの、バーカ。



「逃げて」



 そう言った直後、背中からズプリと何かが入り込んできた衝撃に、私は意識を失った。



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