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魔法適性ゼロで婚約破棄された俺、実は"古の魔王を受け止められる唯一の器"だった 〜嗤った令嬢と偽りの英雄に、真実を突きつける〜  作者: まる


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第十九話 腐敗の証明

証拠は握った。だが、それをどう使うかが問題だった。


「まともに告発しても無駄よ」

 旧棟の一室で、クラリスが集めた記録を睨みながら冷静に言った。


「私たちは生徒よ。フォンティス家はこの国の頂点。私たちが何を叫ぼうと、あの男は権力でいくらでも揉み消せる。この記録だって、公にする前に握り潰されて、私たちは証拠捏造の罪で逆に消される。それが落ちよ」


「だから、俺たちが告発する必要はない」

 俺は言った。


「告発すべき人間は、もうこの学院にいるだろう」


 クラリスの目が見開かれた。


「……査問官、デュラン・ヴァイス」


「そうだ」

 俺は頷いた。


「あいつは王室直属だ。宰相の権力もあいつには届かない。しかも、あいつ自身が《穿ちの黒玉》の出所を追っている。この証拠をあいつの手に渡せば」


「フォンティス家の腐敗を暴くのは、私たちじゃなく王室そのもの、というわけね」

 

 クラリスの顔に、感嘆と警戒が同時に浮かんだ。


「……あなた、本当にただの落第じゃないわね。このたちの悪い狡猾さ。とても、火花ひとつ出せない男の発想とは思えない」


 鋭い指摘だった。だが、俺はしれっと肩をすくめた。


「嗤われ続けると、頭だけはよく回るようになるんだよ。体も口も封じられてたからな。残ったのは頭だけだ」


 クラリスはしばらく探るように俺を見ていた。だが、それ以上は追及しなかった。「休戦」の暗黙の約束を守るように。


「ずいぶん周到ね」

 彼女は代わりにそう言った。


「まるで権力の潰し方を知り尽くしているみたい。ただの没落貴族の三男が、ね」


「必要に迫られただけだよ」

 俺は答えた。


「ずっと理不尽に潰され続けてきた。だから潰す側のやり口も、嫌というほど見てきた。それだけだ」


 半分は本音だった。この三年間の屈辱は確かに俺に多くのことを教えた。誰がどう弱者を踏みつけるのか。そのやり方を、俺は誰よりも痛みとともに知っている。


「王室査問局は、貴族の腐敗を暴くための機関よ」

 クラリスが記録を束ねながら言った。


「特にデュランは、権力者を恐れないことで知られている。宰相家という大きすぎる獲物を、あの人はむしろ喜んで狙うはず。私たちはただその獲物の居場所を教えてやればいい」


「餌を撒くのは猟師の仕事だ。だが、仕留めるのはもっと大きな獣にやらせる」

 俺は頷いた。


「俺たちはあくまで影のままだ。表に出れば潰される。だが影のまま糸を引けば、誰にも気取られない」


「……本当に油断ならない人ね、あなたは」

 

 クラリスは呆れたように、けれどどこか感心したようにため息をついた。


「デュランに渡す手筈は私が整える」

 クラリスは言った。


「あの人は明日の午後、単独で旧棟の資料室に証拠品を検分しに来る。学院長から聞き出したわ。その機を狙いましょう」


「一つ、気がかりがある」

 俺は言った。


「あの査問官は鼻が利きすぎる。証拠を渡す瞬間、俺たちが糸を引いていると気づかれたら、今度は俺たちがあの男の獲物になる」


「だからこそ、あくまで『偶然』を装うのよ」

 クラリスは冷静に言った。


「たまたま私が古い記録を見つけた。たまたまそれを査問官に届けた。あなたの名前はどこにも出さない。安心なさい。真実を正しく隠す術なら、法務貴族の娘の得意分野よ」


 その揺るぎない口ぶりに、俺は少しだけ心強さを覚えた。敵として恐ろしかったこの少女が、味方に回るとこれほど頼もしいとは。


 だが、その計画は思わぬ形で狂うことになる。


 翌日の放課後、俺は一人の見知らぬ使用人に呼び止められた。


「ヴァンフォード様。学院長が旧棟の資料室でお待ちです。至急、とのことで」


 嫌な予感がした。旧棟の資料室。それは明日、デュランが来るはずの場所だ。なぜ今日そこへ呼ばれる?


『罠だ、レイ』

 アイシャの声が鋭く警告した。


『気配がおかしい。旧棟の資料室に、複数の荒くれた男どもが潜んでいる。学院の人間ではない。あれはフォンティスの飼っている荒事の連中だ』


 やはり来たか。


 ゴドウィンは査問の決着を待つまでもなく、俺を直接消しにかかったのだ。事故に見せかけて。

 旧棟の崩落にでも巻き込まれた、哀れな落第生として。証拠を握った俺を始末するつもりだろう。


「戻った方がいいか?」

 俺は小声でアイシャに問うた。


『いや』

 アイシャは少し考えて言った。


『これはこちらにとっても好機だ。生徒の暗殺を企てたという事実こそ、あの男の逃れられぬ罪状になる。乗ってやれ、レイ。ただし派手に動くなよ。ここは結界の外だ。査問官の感応も、この距離なら届きうる。だが、こいつら程度なら真なる魔法など、指の先ほども必要ない』


「ああ」


 だが、その前に。俺はこっそりクラリスに、一枚の紙片を握らせておいた。「旧棟の資料室に呼ばれた。おそらく罠だ。デュランをそこへ」。それだけを走り書きした紙片を。あとはあの頭の切れる猟師が上手くやってくれるはずだった。


 紙片を握らせたとき、クラリスは一瞬ですべてを察したようだった。彼女は何も問わず、ただ鋭く頷いた。「デュランは私が必ず連れていく。あなたは、生きていなさい。証言者に死なれては困るもの」。その言葉の裏に隠しきれぬ、案じる響きがあったことに、俺は気づかないふりをした。


 俺はあえて罠に乗った。旧棟の暗い資料室へと足を踏み入れる。


 案の定、扉が閉まると同時に、埃の匂いの立ち込める影の中から屈強な男が数人現れた。手には鈍く光る棍棒。あるいは短刀。その目には、後ろ暗い仕事に慣れた者の淀んだ光が宿っていた。


「悪く思うなよ、坊主」

 男の一人が下卑た笑みを浮かべた。


「ちょいと、この旧棟の古い床が抜けちまうんでな。運の悪い落第生が一人、そこに巻き込まれる。それだけの話だ。痛みは一瞬で済ませてやる」


「……そいつは親切だな」


 五人。手練れではない。だが、荒事には慣れた連中だ。棍棒に短刀。落第生一人を始末するには、じゅうぶんすぎる手勢。

 フォンティスは俺を「無力な落第」だと信じ切っている。だからこそ、この程度で片がつくと踏んだのだろう。その油断こそが命取りだと知りもせずに。


 男たちが一斉に襲いかかってきた。だが、俺の目にはその動きが、まるで水の中を這うように緩慢に映った。真なる魔法を宿してから、この体は常人とは造りが違う。空気の流れも、相手の重心の傾きも、次にどう動くかも、手に取るように分かる。


 俺は力を使わなかった。ただ体を捌いた。


 振り下ろされる棍棒を紙一重で躱す。風圧が頬を掠める。俺は半歩踏み込み、相手の重心の傾きを読んでその足を払った。一人がたたらを踏んで無様に床へ転がる。

 別の一人が短刀を突き出してくる。その手首を軽くいなし、突っ込んでくる勢いをそのまま利用して壁へと叩きつけた。鈍い音。呻き声。


 三人目が背後から棍棒を振りかぶる。だが、その気配は俺には丸見えだった。俺は身を低く沈め、相手の懐へ滑り込む。がら空きになった脇腹に、肘を軽く打ち込んだ。男が声もなく膝をつく。


 四人目が慌てて短刀を逆手に構えた。その切っ先は震えていた。恐怖が動きを鈍らせている。俺は一歩踏み込みその手首を掌の底で跳ね上げた。

 短刀が宙を舞い遠くの床へ乾いた音を立てて転がる。がら空きの肩を軽く押しやると、男は勝手に体勢を崩し、壁際へ崩れ落ちた。


 一連の動きに力みはなかった。相手の力を、相手の勢いを、そのまま返しているだけ。空っぽの器が放たれた力を飲み込むのと同じ理屈だった。抗わず、受け止め、流す。それがいつの間にか、俺の体そのものに染みついていた。


「な、なんだ、こいつ……! 落第じゃなかったのか!?」


 最後の一人が、恐怖に顔を引きつらせて後ずさった。腰が引けている。もはや戦意はなかった。


「悪いな」

 俺は静かにその懐へ踏み込んだ。


「三年間殴られ続けてきたんだ。躱すのだけは得意になった」


 半分は嘘だった。だが、まあいい。俺は男のみぞおちに拳を軽く突き入れた。男が白目を剥いて崩れ落ちる。


 資料室に静寂が戻った。


 俺は床に転がった荒くれ者どもを見下ろした。呻き、身動きの取れなくなった五人の男。こいつらは証人だ。宰相が生徒の暗殺を企てたという動かぬ証人。証拠の記録よりも、なお雄弁な。


「誰に雇われた」

 俺はいちばん近くで呻いている男の襟首を掴み、静かに問うた。


「し、知らねえ……! 顔も見たことのねえ貴族の使いだ……だが、金は確かに、フォンティス家の紋の入った封蝋で……」

 男は恐怖にがたがたと震えながら口を割った。


「頼む、殺さないでくれ……!」


「殺しゃしないよ」

 俺は襟首を放した。


「お前らは生きて証言してもらわなきゃ困る。誰がこの俺を消そうとしたのか。全部、洗いざらいな」


 男はこくこくと何度も頷いた。恐怖に支配された人間は驚くほど素直になる。このフォンティスの飼い犬たちはいまや、その飼い主の首を絞める最良の証人へと変わっていた。


 そして、その一部始終を。


 資料室の開いた扉の陰から、王室査問官デュラン・ヴァイスが穏やかな笑みを浮かべて静かに見ていた。その傍らにはクラリスの姿もあった。彼女が俺の紙片を受け取り、機を見てデュランをこの場へ導いていたのだ。


「いやはや」


 デュランはゆっくりと資料室へ足を踏み入れた。転がる男たちを一人ずつ確かめるように見下ろす。


「落第生を事故に見せかけて始末しようとする、雇われの刺客。しかも、宰相家の息のかかった連中だ。禁呪具の密かな収集に加えて、これですか。面白い。実に大きな獲物になりそうだ」


 彼の灰色の瞳が、床の男たちと俺の顔を交互に見つめた。そしてその視線が一瞬、俺の「あまりに鮮やかな体捌き」の痕跡に留まったのを、俺は見逃さなかった。五人の屈強な男を傷ひとつ負わずに沈めた落第生。その不自然さにこの猟犬が気づかぬはずがない。


 だが、デュランは何も言わなかった。にこやかに微笑んだ。


 その沈黙がかえって恐ろしかった。この男は気づいている。

 気づいた上でいまはあえて口にしない。より大きな獲物を先に仕留めるために。だがその仕事が終われば、この猟犬の鼻は間違いなく俺へと向く。そういう静かな予告のような微笑みだった。


「さて。宰相閣下に少し込み入った話を聞きに行くとしましょうか。証拠はじゅうぶんに揃ったようだ」


 俺は静かに息を吐いた。


 これで詰みだ。腐った権力は自らの汚い手で、自らの首を絞めた。


 俺は力をほとんど使わなかった。真なる魔法など指の先ほども解き放っていない。ただ腐った男が自ら仕掛けた罠を、そのままその男に返してやっただけだ。

 空っぽの器は放たれたものを静かに飲み込み、その重みで相手を沈める。決闘のときと何も変わらない。


 それでも心臓はまだ早鐘を打っていた。査問官のあの一瞬の視線。俺の体捌きに留まった、あの鋭い探り。綱渡りはいつだって終わった後で足が震える。


 資料室を出ると廊下でクラリスが待っていた。彼女は俺の全身を素早く検分するように見て、傷ひとつないことを確かめると、ふう、と小さく息を吐いた。


「無茶をするのね」

 彼女は責めるような、けれどどこか安堵したような声で言った。


「あんな数の男の中に、一人で飛び込むなんて」


「勝算はあったさ」

 俺は肩をすくめた。


「それにお前がデュランを連れてきてくれる。そう信じてた」


 クラリスは一瞬、言葉を失ったように俺を見た。それから、ぷいと顔を背けた。


「……信じられても困るわ。私はあなたの敵なのよ」。

 だが、その耳が微かに赤かった。


 俺はその横顔を見て小さく笑った。敵だと言い張りながら、こうして案じてくれる。おかしな相棒がまた一人増えた気がした。


 だが浮かれてはいられない。フォンティスはこれで終わる。だがその向こうには、もっと大きな影が控えている。

 今日の勝利は長い戦いのほんの入り口にすぎなかった。それでも、俺は確かに一段上った。空っぽの器を武器に、誰にも気取られぬまま。着実に一段ずつ。俺は静かにそう心に刻んだ。

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