最終章
雛子の入内に際し、冷泉邸から帝都までは丸1日かかる。
椛と蒼紫は、その日は朝日が昇る前に冷泉邸に到着した。
「蒼紫、椛さん、こんな朝早くからごめんなさいね。本日はどうぞよろしくお願いします」
「こ、こちらこそよろしくお願いします…!」
「俺がついているんだ。万が一あやかしが出てもすぐに祓ってやる」
蒼紫の心強い言葉に雛子は微笑んだ。
そうして、蒼紫と椛は一番前の車に乗せられ、後ろの2台には雛子とその家族、そして付き人たちが乗り込んだ。
車は順調に進み、蒼紫は暇なのか車の中でうたた寝し、代わりに椛が周囲に気を配っていた。
その途中、山道に差し掛かった。
1ヶ月ほど前に山火事が発生したようで、黒く焦げた山肌が広がっていた。
そこで多くの生き物たちが無情に焼け死んだのが原因か、怨念として具現化したあやかしたちが多数現れた。
そのたびに車を止め、外へと出た蒼紫があやかしを滅した。
まさか、車の窓から顔を覗かせる椛が異能を操っているとはだれも思っていない。
「蒼紫、さすがね!」
「姫さま、車から降りられては危のうございます…!」
あやかし祓いの姿の蒼紫に感動したのか、雛子が付き人を振り切って車から降りてきた。
「蒼紫は昔から異能力に長けていたけれど、また強くなったんじゃない?」
「まあな。なんたって、天道家だからな」
強そうに見えるのはわたしのおかげですよと椛は心の中でつぶやく。
だか、今の話を聞く限り、雛子も蒼紫の異能力の高さを知っているような口ぶりだ。
それならば、やはりもともとはそれなりの異能者だったのだろうか。
『べつに異能がまったく使えないわけじゃねぇよ』
前にああ言っていたのを踏まえると、噂どおりの力だということになるが、なにかが原因で異能が使えないのか――。
異能は一度開花すると、秘められた才能や修行により力を上げることはできるが、下がるとは聞いたことがない。
しかし、ここで椛が考えたところでその真意はわからなかった。
「雛子、ここにいたあやかしは追い払ったことだし先を急ごう。帝都まであと少しだ」
「うん」
ふたりは見つめ合ってうなずく。
その様子を車の中から見ていた椛は、なぜ胸がチクッとした。
雛子といっしょにいるときの蒼紫は、普段ならしないような笑顔を見せるときが多々ある。
それに雛子も、蒼紫を見つめるときのまなざしが違うような気がした。
同じ幼なじみの楓と圭吾もお互いを想い合っていた。
もしかすると、蒼紫と雛子も――。
そんなことを考えると、椛は心の中がモヤモヤとした。
「どうした、椛。浮かない顔して」
車に戻ってきた蒼紫が元気のない椛に気づく。
蒼紫と目が合って、椛は思わず顔を背ける。
「…な、なんでもない!」
「ふ〜ん。変なの」
椛は蒼紫の顔を見ることができず、気まずい車内での空間を過ごした。
あやかしが出てきてくれさえすれば気分転換にもなるのだが、その後あやかしは出ることなく、無事に車は帝都へと到着した。
帝都はいつきても人が多く、椛は毎度驚かされる。
街はガス灯のあたたかみのある明かりに包みこまれ、夜だということも忘れてしまうほどに幻想的。
「冷泉さま、遠路はるばるようこそお越しくださいました」
御所の前に着くと、屋敷の者たちが待機していた。
「雛子さま、さっそくお部屋にご案内いたします。どうぞこちらへ」
「その前に、少々よろしいでしょうか」
雛子は断りを入れると、蒼紫のところへやってきた。
「蒼紫、ここまで無事に連れてきてくれてありがとう」
「礼を言われるほとじゃねぇよ。『ずっと俺が守ってやる』――ガキのころに交わした約束を守っただけだ」
蒼紫の言葉に、雛子は目に涙を浮かべる。
「御所は結界が張ってあってあやかしは入ってこられないからな。これからは俺がいなくたって、雛子はここで安心して暮らせる。だから、約束はこれきりだ」
「…そうだね。雛子、帝さまのよき妻になれるように励むね。蒼紫と椛さんみたいに、仲いい夫婦になれたらいいな」
突然自分の名前が出てきて、椛はキョトンとする。
そして、蒼紫と顔を見合わせてどちらも頬を赤く染める。
「ふふふっ、お似合いね」
「全然お似合いじゃねーよ!」
「…そうですよ!」
蒼紫とは契約結婚。
お互いが望んで結婚したわけでない。
それに、きっと蒼紫は雛子のことを想っている。
自分は単なる便利屋としか思われていないのだから、お似合いもなにもない。
椛はそう自分に言い聞かせるも、心の中は複雑だった。
御所へと迎え入れられる雛子を蒼紫と椛は見守っていた。
后妃となるため御所に一度入れば、もう会うことはできないであろう雛子の姿を蒼紫は目に焼き付けているように見えた。
椛は、そんな蒼紫の姿を寂しげに見つめる。
蒼紫が椛と契約結婚を交わしたのは、雛子を帝都まで送るためのあやかし祓いになるため、自分が異能を使えない代わりに椛の異能を必要とした。
つまり、これで蒼紫との契約は切れることになる。
お互いの利害関係の一致だけではなく、椛にとって蒼紫はもうそばにいることが当たり前の存在。
このまま、蒼紫と離れるなんて…いやだ。
そんなことを考えたら、椛は胸が押し潰されそうだった。
そのあと突然の雷雨に襲われ、また夜も遅いことから、ふたりは仕方なく近くの宿に泊まることにした。
1軒目に訪ねた宿がちょうど1部屋だけ空いていた。
「おひとり様のお部屋しか空きがなく、少々狭く感じられるかもしれませんが…」
「いえ。泊まらせていただけるお部屋があるだけでありがたいです。雨足も強く、時間も時間なので宿が見つからなかったらどうしようかと思ってたところだったので」
仲居に案内され、ふたりは2階の部屋へと向かった。
「お部屋はこちらになります。お布団はすでに敷いておりますので」
「ありがとうございます」
しかし戸を開けて驚いたが、部屋にはひとつの布団しか敷かれておらず、そこにふたつの枕が並べられていたのだ。
「それではごゆっくり――」
「…ちょ、ちょっと待ってください!布団は…あれだけですか?もうひと組は…」
「先ほどもお伝えしましたとおり、ここはおひとり様用のお部屋ですのでお布団はひと組しかなく。枕は余りがございましたので、ふたつご用意させていただきました」
それだけ伝えると、仲居はふたりを残して部屋から出ていった。
6畳の狭い部屋に敷かれたひと組の布団の前で椛と蒼紫は立ち尽くす。
「え…えっと、どうしましょうか…」
蒼紫の屋敷では別々の部屋で寝ているため、椛はあからさまに戸惑っていた。
「わたし、他の宿探してきます…!だから、天道さんはここに泊まってください」
椛は仲居が運んだ手荷物を再び手に取ると、そそくさと部屋から出ていこうとする。
しかし、その手を蒼紫が握った。
「こんな雨の中、外に出る気かよ。やめとけって」
「でも、さすがに同じ布団で寝るのは――」
「いいじゃん。べつに俺たち、“夫婦”なんだから」
蒼紫は気にもとめていないような涼しい顔を見せる。
だが、椛はぽっと頬を赤くしていた。
そうして、椛は仕方なく蒼紫と寝ることになった。
ひと組の布団の上で、ふたりは背中を向け合って横になる。
今日は1日中車に揺られ、あやかしも祓って疲れているはずなのに、すぐそばに蒼紫がいると思ったら緊張でなかなか眠れなかった。
無理やり目をつむってみるが、雛子に笑いかける蒼紫の顔が浮かび、そのたびにかきむしりたくなるほどの胸の違和感を感じ、まったく寝つけない。
そうこうしているうちに、なぜこんなことになってしまったのだろうという考えに至った。
そもそもの原因は、蒼紫との契約結婚。
椛は実は異能が使えるという秘密を知られ、その力を蒼紫が欲したから。
そして、蒼紫はなぜか異能が使えない。
――なぜ?
『あなた、もしかして記憶を失ったときに、椛は“月影”に力を奪われたんじゃないかしら』
『なにを言い出すかと思えば。月影は単なる迷信だ』
ふと、両親のそんな会話を思い出した。
月影は異能力を奪うとされる正体不明のなにか。
椛は、望んで手にしたわけでもないこの有り余った力を月影が奪ってくれたらとさえ思っていた時期があった。
月影の存在は迷信としていわれているが、もしかして蒼紫が異能を使えないのは…。
「天道さん、まだ起きていますか」
「ん…?なんだ」
「ちょっとお聞きたいことがあるのですが」
椛は背を向けたまま、ごくりとつばを飲んだ。
「天道さんが異能を使えないのって、ひょっとして月影に力を奪われたとか…?」
尋ねてみたが、同じように背中を向けている蒼紫の表情や様子は一切わからない。
静かな部屋に沈黙が続く。
「ごめんなさい、なんか変なこと聞いちゃいましたね。そんな迷信、真に受けてるほうがどうかして――」
「そうだよ。俺の異能力を奪ったのは、月影だ」
「…えっ」
それを聞いた椛は思わず飛び起きた。
だが、蒼紫は静かに横になっているだけだった。
「俺は、これまでに二度月影に会ったことがある。そして、俺から大切なものすべてを奪っていった」
「大切なもの…?」
蒼紫がむくっと体を起こす。
そして、悔しそうに前髪をくしゃっと握った。
「俺、目の前で兄貴を殺されてんだよ。月影に」
予想もしていなかった蒼紫の言葉に、椛は言葉を失った。
蒼紫の瞳の奥には、怒りと悲しみの黒い炎が揺らめいていた。
「…でもたしか、天道家のご長男は病気でって…」
「表立ってはそういうことなってる。でも、兄貴は月影に殺された」
そうして、蒼紫は椛に語った――。
蒼紫には、10歳年上の兄がいた。
歳の離れた弟の蒼紫をかわいがり、蒼紫にとってはやさしく頼り甲斐のある兄だった。
また異能の才に恵まれ、天道家の次期当主としては申し分ない異能力を持っていた。
そして今から2年前、蒼紫が18歳のとき。
日が落ちてなおも修行に励んでいた蒼紫を兄が迎えにきた。
「蒼紫、そろそろ戻ってこい。いくらなんでもがんばりすぎだ。もうみんな晩飯食っちまったぞ」
「いいよ、べつに。あと少しで、術のコツがつかめそうなんだ」
修行に没頭する蒼紫に呆れつつも、兄はやさしいまなざしで見守っていた。
――そのときだ。
音もなく、背後に月影が現れたのは。
さらに月影が現れたと同時に、大量のあやかしたちも出没したのだ。
そして、まるで月影が操っているかのようにあやかしたちは天道兄弟に襲いかかった。
一体一体が強力な大型のあやかしで、ふたりがかりでも苦戦。
その戦闘の最中、兄の間合いに突如として侵入してきた月影が体に触れたとたん、兄は異能力を失った。
一瞬の出来事で、蒼紫も兄もなにが起こったのかわからなかった。
ただ、印を結んでも異能が発動しないのだ。
蒼紫は兄を庇いながら応戦するも、ひとりで戦うにはあまりにもあやかしの数が多すぎた。
このままではどちらも助からない。
せめて兄だけでもこの場から――。
蒼紫がそう思った瞬間だった。
兄が強力な異能を発動し、周囲のあやかしたちを瞬殺した。
蒼紫がやったと思ったのも束の間、兄は大量に吐血した。
力を使い果たしてしまった蒼紫を守るため、兄は封じられた異能を無理やり引き出して、ひとりで月影と戦う。
だが、異能を使えば使うほど兄は吐血を繰り返した。
もうやめてくれと蒼紫は頼んだが、兄が最後に振り絞った異能が月影の急所をかすめる。
深傷を負った月影は、そこでようやく姿を消したのだった。
しかし、蒼紫の兄はだれが見ても手遅れだとわかるくらいに瀕死状態だった。
そして、それから1日とたたないうちに亡くなった。
蒼紫はあとから、あれが月影だったと知る。
なにが目的で現れたのかはわからない。
だが、兄を死に追いやったという事実に代わりはなかった。
その後、蒼紫は兄の敵を取るため、それまでよりもさらに一心不乱に修行をした。
必ずこの手で月影を倒すことを誓って。
そして、それから1年たったある夜。
再び、月影は蒼紫の前に現れた。
なんとしてでも月影を倒したかった蒼紫だったが、つば競り合いの末、月影に敗北。
蒼紫は命こそ取られはしなかったものの、兄と同じく異能力を奪われた。
「両親は兄を亡くして悲しみに暮れ、しかも俺まで異能が使えないとなったら天道家の存続に関わる。だから俺はその事実は家族にも隠し、この1年、俺の代わりに異能が使える強力な異能者を探していたんだ」
「それが…わたし」
「そうだ」
椛はごくりとつばを飲んだ。
いつも飄々としてつかみどころがない蒼紫に、まさかそんな壮大な過去があっただなんて思いもしなかったからだ。
「兄貴が命をかけて俺を守ってくれたように、俺も異能を使おうと思えば使える。ただ月影の呪いなのか、そうしようとすると心臓を握り潰されるみてぇな激痛が全身に走るんだ」
蒼紫の話を聞いていると、蒼紫の兄は無理やり異能を力を引き出したことにより亡くなったのだろう。
『何事にも“使いどき”ってのがあるんだよ。俺が異能を使うときは、命をかけて守りたいと思ったときだけだよ」
『命をかけるって、大げさじゃないですか?』
あのときはクスクス笑った椛だったが、力を奪われた蒼紫にとって異能を使うことは、たしかに“命がけ”であった。
「…ごめんなさい。わたし、まさか月影がそんなやつだとは知らなくて、どうしても目立ってしまうこの異能力を月影に奪ってほしくて、天道さんとは違う意味で月影を探していたときもありました」
「俺もそれなりに異能力は強いほうだったから、強さゆえの椛の苦労もわかるつもりだ。だがな、あんなやつ、できることなら一生会わないに越したことはねぇよ」
重みのある蒼紫の言葉に、自分の考えがいかに浅はかだったこと、なにもしてやれないことに椛は唇を噛んだ。
「さあ、そろそろ寝るぞ。おやすみ」
蒼紫は一方的にそう告げると、再び布団をかぶってしまった。
椛は、その蒼紫の背中に声をかけることができなかった。
寝るように言われたが、あんな話を聞かされたあとにのんきに眠れるわけなどなかった。
それから3時間近くがたち、激しかった雷雨はいつのまにかどこかへ過ぎ去り、再び帝都は静かな夜に包まれた。
それから3時間近くがたち、ようやく椛が眠気でうとうととなりかけていたころ――。
ただならぬ負の気配を感じて、椛は飛び起きた。
「…なんだっ」
同じく蒼紫も布団を取っ払う。
慌てて部屋の窓から外に顔を出すと、向こうのほうに月明かりに照らされた山が見えた。
しかし、ここは平野を利用してつくられた帝都。
「あんなところに、山なんてあったかな…」
「違う。あれは山なんかじゃない」
「え?でも、山じゃなかったらいったい――」
「あれは…、あやかしだ!」
そう叫んだ蒼紫は、瞬時に窓から飛び出した。
屋根を伝っていく蒼紫のあとを慌てて椛も追った。
これまで、大型のあやかしとも対峙したことはあった。
しかし、その大きさはクマほど。
だが、あのあやかしは近くまでいくと垂直に見上げるほどの巨大さだった。
「なにこれ…。本当にあやかし…?」
初めて見る規格外のあやかしに椛は呆然としてしまった。
だが、あやかしが一歩近づくたび地響きが駆け抜け、一瞬息苦しくなるほどの負の力が凄まじかった。
こんなものが帝都に侵入したら、とてつもない人的被害が発生することは目に見えていた。
「わたしがここで食い止めます!その間に、天道さんは近くに住む方たちを避難させてください」
「…わかった!くれぐれも気をつけろ」
「はい!」
あやかしは、帝都に向かってのそのそと歩いてきている。
帝都には多くの人々が生活し、帝の住まいである御所までもある。
住民を避難させるとはいえ、大前提はあやかしを帝都に入れないこと。
幸い暗がりで、周りにはだれもいない。
異能を使う椛の姿はだれにも見られないため、思いきり戦える。
「いつもはわたしが術を出しているとはいえ、あやかしを前にしての実戦は久しぶりで緊張するな」
椛は見たこともない大きさのあやかしにぎこちなく笑いながら、ゆっくりと着物の袖をまくった。
初めから全開で力をぶつける。
早く倒さないと、気配を察知した帝都のあやかし祓いたちがくるかもしれないからだ。
そうなったら、椛は自由には戦えない。
それに、ちょっと腕の立つあやかし祓いがきたところで、この巨大あやかし相手ではあまり意味がない。
幸い、弱点属性関係なく、どの異能を使ってもダメージを与えられた。
この調子なら、避難誘導している蒼紫が戻ってくるまでに倒せるかもしれない。
――そう思ったときだった。
白み始めた空の下に、人影のようなものが現れた。
そして、その人影は瀕死状態のあやかしにそっと手を触れた。
次の瞬間、あやかしは再び目をひん剥き意識を取り戻したのだ。
「グウオォォォォォォオオオ!!!!」
思わず耳を塞ぎたくなるようなあやかしの雄叫びに椛は顔をしかめる。
負の力も増し、明らかにあやかしの力が再生した。
さっきの人影は、あやかしの足元にいた。
人のような形をしているが人のような気配を感じないそれに、椛は底知れぬ恐怖を感じた。
そして、なにかを悟る。
「もしかして…、月影!?」
実際に月影がどんな姿をしているのかもわからないが、椛は本能的にそう思った。
あれは、蒼紫がずっと探している兄の敵。
蒼紫の思いを聞かされた今、ここで逃がすわけにはいかなかった。
「待ちなさい、月影!」
椛は火柱を龍に形作ると、月影目がけて放った。
龍の異能は、とぐろを巻くように体で月影を取り囲むと渦に変化し焼き尽くす。
炎の渦となったこの術からは絶対に逃れられない。
――ところが。
弾け飛ぶように、一瞬にして炎が消し飛んだ。
術が無効化されたことにも驚いたが、それ以上に椛は一切異能が効いていないような月影の余裕の佇まいに驚いた。
呆気に取られ、ほんの一瞬隙ができた。
そこを狙って、椛は真横から飛んでくるあやかしの拳に気づくのが遅れた。
あやかしに殴り飛ばされ、椛は帝都を囲む頑丈な塀に叩きつけられる。
あまりの衝撃に、椛は意識が飛びそうになる。
塀にぶつかる直前に椛は衝撃を和らげる術を発動していたためなんとか命は助かったが、気絶寸前でとてもこれ以上戦える状態ではない。
自分がここであやかしと月影を倒さなければ、帝都に大きな被害が及ぶ。
使命感から体を奮い立たせようとするが、その体はもうボロボロで言うことを聞いてくれなかった。
横たわる椛に月影がゆっくりと歩み寄り、そっと腕を伸ばした――そのとき。
「てめぇ、うちの嫁になにしようとしてんだ」
そんな声が聞こえた瞬間、椛の前から月影の姿が消えたと思ったら、うんと遠くへ弾き飛ばされていた。
そして、蒼紫がすぐさま椛のもとへと現れる。
「て…天道さん、今のは…」
月影を飛ばしたのは、明らかに異能の術によるものだ。
しかし、他のあやかし祓いが周囲にいない中、この場で異能を使えるのは――。
「なにも心配するな。あとは休んどけ」
蒼紫はニッと白い歯を見せて笑った。
その表情に、椛は嫌な予感がした。
「天道さん…、ダメ――…」
椛は、力を振り絞って蒼紫の後ろ姿に手を伸ばす。
だが、その手が蒼紫に届くことなく、椛はそこで意識を失った。
気がつくと、椛は病院の真っ白な布団に包まれて眠っていた。
椛が意識を取り戻したことに気づいた看護師が慌てて医者を呼びにいく。
「よかった、目覚められて。昨晩未明のあやかし騒ぎのことは覚えていますかな」
「は…はい、巨大なあやかしが現れて…」
椛はおぼろげな記憶をたどるように、ぽつりぽつりと言葉を漏らす。
そのとき、蒼紫の後ろ姿が鮮明に蘇って、椛は目を見開く。
「…それで!そのあやかしはどうなりましたか!?月影と…、あと天道さんは――」
「まあまあ、落ち着いてください。あやかし祓いのあなた方がご尽力してくださったおかげで、巨大あやかしは消滅しました」
帝都に侵入する手前であやかしを倒したことにより、帝都に住む人々には一切被害は出なかった。
それを聞いて、椛はほっと胸をなで下ろす。
だが、そのあやかしを倒したのが蒼紫だと聞いて、椛はとてつもない不安にかき立てられた。
『異能を使おうと思えば使える。ただ月影の呪いなのか、そうしようとすると心臓を握り潰されるみてぇな激痛が全身に走るんだ』
そのせいで、蒼紫の兄は亡くなった。
だから、蒼紫が異能を使ってあやかしを倒したとなれば――。
「…天道さんはどこですか!」
椛は自分の体のケガのことなど忘れて、蒼紫の病室へと向かった。
蒼紫は、病院の一番奥にある病室にいた。
椛が入ると、力なくベッドに横たわる蒼紫がいた。
「天道さ…」
椛は言葉を詰まらせながら蒼紫のそばに立つ。
医者の話では、蒼紫の体に外傷は見られなかったが、大量の吐血をして椛の隣に倒れていたところを発見された。
まるで心臓を握り潰されているかのように、異様に鼓動が弱いがどうすることもできないという。
回復の見込みは医者にもわからず、あとは本人の気力次第だということだった。
椛は蒼紫のそばにいることしかできなかった。
蒼紫は、きっと無理やり異能力を引き出したに違いない。
それで――。
あのとき、自分が意識を失いさえしなければ、蒼紫がこんなことになることもなかったのに。
椛は血が滲むほどに唇を噛みしめ、自分の力が及ばなかったことに責任を感じていた。
次の日になっても蒼紫は目覚めない。
鼓動の音も弱くなりつつあり、医者からは今夜が山場かもしれないと告げられた。
「天道さん…。ねぇ、起きてくださいよ」
椛は食事も喉を通らず、ずっと蒼紫のそばに寄り添って見守る。
太陽は西の空に傾き、空がオレンジ色に染まり始める。
あの太陽が沈み、再び東の山から出てくるときには蒼紫は――。
よくないことが頭の中をよぎり、椛は孤独と恐怖で体が震えた。
空は闇に包まれ、窓から入る月明かりが蒼紫の手を握る椛の姿を照らす。
蒼紫だって、こんなところで死でいいなんて考えていない。
きっとまだまだやり残したことがあるはず。
“あとは本人の気力次第”という医者の言葉に、蒼紫を目覚めさせるのは、“この人となら生きたい”と思える人がそばにいないとだめなのかもしれないと椛は考えていた。
…椛はわかっている。
それは自分ではなく、雛子なのだと。
契約結婚で妻になっただけの椛と、幼いころからいっしょにいた雛子とでは蒼紫と過ごしてきた時間があまりにも違いすぎる。
蒼紫が“絶対に守りたい”と思えるほどに心を動かした雛子の声を聞けば、蒼紫も意識を取り戻すかもしれない。
椛は胸がズキッと痛みながらも、眠る蒼紫に気丈に笑ってみせた。
「わたしが戻ってくるまで、もう少しだけがんばってください…!今から雛子さんを呼んできますから!」
そうして、椛は蒼紫のそばを立った。
内裏に入った雛子が御所から出るのが難しいことくらい椛でも理解していた。
だが、こうして自分がそばにいたところで意味がないと椛は思っていた。
ところが、そのとき――。
「…なんで、ここで雛子の名前が出てくるんだよ」
そんな声とともに、そっと椛の手が握られた。
椛が驚いて振り返ると、弱々しくも微笑む蒼紫と目が合った。
その瞬間、椛は目の奥が熱くなって涙があふれた。
「蒼紫…!」
椛が蒼紫に抱きつくと、蒼紫はニッと口角を上げて椛の背中に手を回した。
「なんかすっげー寝てたみたいだな、俺」
「…そうですよ。だからわたし、なんとしてでも雛子さんを呼んでこようとして…!」
「だから、なんで雛子なんだよ」
「だ…だって、天道さんにとって雛子さんは大切な人で…、…す、好きなんじゃ…」
それを聞いた蒼紫は、一瞬間抜けなくらいに目が点になっていた。
そして、すぐに笑い出す。
「んなわけねーだろ!俺が雛子のことを好きって、どういう勘違いなんだよ」
「…えっ!ち…違うんですか?でも、絶対守るって…」
「そんなの、家族も同然なんだから守って当たり前だろ?てか、もしかしてそれってヤキモチ?」
「ち…、違いますよ!」
蒼紫があまりにも大笑いするものだから、椛はすねて顔を赤くして頬を膨らませる。
そのあと、蒼紫から椛が意識を失ったあとの話を聞かされた。
巨大あやかしのそばにいたのは、椛が睨んだとおりやはり月影だった。
しかし、蒼紫があやかしを倒したあと、月影はなにもせずに姿を消したとこのことだった。
「あやかしを倒すのに力を注いで、正直月影とやり合えるような体じゃなかった。だから、逃がしたことは悔しいが、こうして椛と俺の命があるだけよかったと思ってる」
月影は朝日が昇りはじめると消えていったそうで、もしかしたら太陽が関係しているのではと蒼紫は考えていた。
「でも、どうして異能を使ったんですか。無理やり力を引き出したら、どうなるのかもわかってたんですよね…?」
「ああ、わかってた」
「それなら――」
「前に言っただろ?俺が異能を使うときは、“命をかけて守りたいと思ったとき”だって」
そう語りかける蒼紫のまなざしが椛を捉える。
そのまっすぐに自分を見つめる瞳に椛は思わずドキッとした。
「大事な嫁を守るためなら、俺は命だって惜しくねぇよ」
「な、なにを言ってるんですか…!わたしは、利害が一致しただけのただの契約妻で、それにその契約期間ももう終わるわけで…」
雛子を帝都に送り届け、そこであやかし騒ぎが起こったことは想定外だったが、蒼紫は無事に目を覚ました。
本当に、もうこれで蒼紫との関係は終わり――。
「勝手に終わらせるなよ」
蒼紫はそう言うと、椛の腕をつかんで引き寄せた。
「俺は、必ず月影を倒す。ただ、もう一度力を引き出したら今度こそ本当に死にそうだから…」
そうして、椛の様子をうかがうようにチラリと目を向ける。
「それには、やっぱり椛が必要だ」
まだ必要とされていたことに、椛の胸がうれしさで高鳴る。
気持ちが込み上げ、椛は思わず言葉を詰まらせる。
そんな椛を蒼紫はやさしく抱きしめた。
「契約延長。これからも俺のそばにいろよ」
蒼紫の言葉を椛はひしひしと噛みしめる。
「はい、よろしくお願いします」
椛は、蒼紫の腕の中でこくんとうなずいた。
その後、蒼紫は劇的な回復を見せ、3日後には無事に退院した。
帝都の外で迎えの車を待っていると、中型のあやかしが姿を見せた。
蒼紫は腕まくりをしながら、あやかしに歩み寄る。
「椛。火の異能を使うから、よろしく――」
「ここはわたしがやりますから、病み上がりの天道さんは下がっていてください」
椛は、蒼紫とあやかしの間に割って入ると、くるりと振り返って微笑んだ。
「椛がやるのか?でも、だれに見られるかわからねぇぞ」
「大丈夫です、すぐに終わらせますので。それに、天道さんが出たからといって、実際に異能を使うのはわたしなのでやることは同じです」
「ははっ、言うようになったな」
椛と蒼紫は見つめ合うと同じように微笑んだ。
この國には、今日も至るところであやかしが現れてはあやかし祓いがそれを滅する。
そのあやかし祓いの頂点に立つのが最上位家系、天道家。
しかし、天道家の次期当主――天道蒼紫が異能を使えないという事実は蒼紫と椛だけの秘密。
また、その蒼紫の妻である椛が、実は記憶をすべて思い出し、最強のあやかし祓いとして名を馳せた規格外の異能が使えるという事実も、ふたりだけの秘密。
椛と蒼紫は、お互いの秘密を守るために契約結婚をした偽の夫婦。
本来そこに、愛などあるはずもなかったが――。
そんなふたりが目指すものは、月影の正体。
月影を倒し、蒼紫の力を取り戻すその日まで、椛は今日も最強の異能力を隠し続ける。
Fin.




