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第三章

「おい、椛!どこにいる!」



そのとき、椛と蒼紫の耳に義雄の怒鳴り声が聞こえた。


お手洗いに行ったまま帰ってこないと清一から聞いて、逃げ出したのではと血眼になって探していたのだ。



「お父さま、あそこ…!」



両親に加え、楓と圭吾もいっしょに探していたようで、椛を見つけた楓の声に義雄はひとまず安堵するも、すぐにまた頭に血が上った。



「椛、こんなところでなにしてる!早く、清一殿のところへ戻るんだ!」



ところが、その椛の隣には袴姿の長身の男が立っていて、やたらと近いふたりの距離に両親は目を丸くする。



「も、椛…!その方はどなたなのっ」


「まさかお前、親の目を盗んで外で他の男を…!貴様、嫁入り前の娘に――」



殴りかかる勢いでズカズカとふたりのもとへやってくる義雄だったが、振り返った蒼紫の顔を見て思わず足を止めた。



「あ、あなたはっ…」



義雄だけでない。


美代子も楓も圭吾も、突然の天道蒼紫の登場に驚いていた。



「天道殿がどうして…。それに椛、いったいここでふたりでなにをしていたんだ」


「…あ、えっと…」



とっさに言い訳が思いつかない椛はぎこちなく視線をそらす。


この婚約がいやすぎて憂さ晴らしにあやかしの大群を倒していた、とはさすがに言えない。



すると、椛と義雄の間に蒼紫が入ってきた。



「奇遇ですね。俺もあの料亭で用事がありまして。その途中、 あやかしに襲われそうになって林のほうへ逃げていく彼女を見かけてあとを追ったのです」



まるで息を吸うように嘘をつく蒼紫に、椛は感心してぽかんと見上げていた。



「椛を助けてくださったのですか…!そうとは知らず、大変無礼な態度を取ってしまい誠に申し訳ございません…」


「お気になさらないでください。大事な娘さんですからね」


「はい、まあ…。それでは天道殿、先方をお待たせしておりますので我々はこれで」



そう言って義雄は手を伸ばし、蒼紫の後ろに隠れる椛の腕をつかんだ。


椛は、『どうにかして』と蒼紫に目で訴えかけた。



「椛、戻るぞ」


「…やっ」



拒む椛を義雄は無理やり連れていこうとする。


しかし、椛が動かない。



不思議に思って義雄が振り返ると、なんと握っているほうの腕とは反対の椛の腕をなぜか蒼紫がつかんでいた。



「天道殿…?いったい、なにを…」


「お父さま、少々よろしいでしょうか」


「は、はい。なにか」



すると、蒼紫は義雄の手を振り払うとそっと椛を抱き寄せた。



「助けたお礼として、俺に娘さんをください。いや、もらいます」



西門家の前でそう宣言した蒼紫は、皆がいる目の前で椛の頬にキスをした。


それはあまりにも突然の出来事で、椛はぽかんと固まっていた。




それから1週間後。


嫁入りの支度を終えた椛は、昨日から蒼紫がひとりで住む屋敷に天道家の嫁として嫁ぎにきた。



馬場家との縁談が進んでいたというのに、蒼紫からの求婚に義雄はふたつ返事で受け入れた。


あの神のような一族と呼ばれる天道家に娘を嫁がせたとなればそれは親としては誉れ高きことで、天道家との縁談を断る理由などなかった。



あれだけ清一と結婚しろと言っていたのに、あっさりと意見を変える義雄の姿に椛は呆れて苦笑いを浮かべた。



馬場家とは婚約破棄となり慰謝料を求められたが、その額よりも天道家からの結納金のほうがはるかに勝っていた。



椛をあやかしから助け、助けられたことによりお互いに運命を感じた――という蒼紫の作り話を両親は真に受けたのだった。



助けられたという出会いも嘘、運命を感じたというの嘘。


浮かれている両親は、まさかこれが利害関係の一致による契約結婚だとは一切疑っていなかった。



椛は、実はかなり前から記憶が戻っていて、事故以前と同様の異能力がありながらそれをずっと隠していた。


これが椛の秘密。



しかし、蒼紫にも重大な秘密があった。


それこそが、椛と契約結婚をした最大の理由だ。



なんと、最上位家系の天道家の次期当主でありながら、蒼紫は異能がほとんど使えなかったのだ。


力を絞り出してみても、虫のあやかし一体なんとか倒せるか倒せないかくらいの力しかない。



「天道家の…、しかも次期当主が…、異能を使えない!?」



昨晩、蒼紫からその事実を聞かされた椛は驚愕した。



「いくらなんでも、声がデカすぎるだろ」


「す、すみません。あまりにも驚きすぎて、…つい」



椛は苦笑いを浮かべる。



「でも、もちろんご家族はご存知なのですよね?」


「知らないから、こうしてふたりきりの場で話してるんだろ」


「…ええ!?家族も知らない…!?」



また大きな声が出そうになり、椛はとっさに手で口を覆った。



「でも、わたしが事故した派遣現場に天道さんもいましたよね。最上位家系なので指揮を取ってましたけど、あのときは?」


「もちろん、一体も倒してない。だって、異能が使えねーんだから」



蒼紫は恥じるどころか、もはや開き直っていた。



これまではあやかしに遭遇しても隠れたりやり過ごしたり、まるで自分が倒したかのように振る舞ってきた。


まさか、天道家の次期当主が異能を使えないとはだれも想像しておらず、蒼紫を疑う者などいなかった。



「じゃああのときだって、もしわたしがオオカミのあやかしにやられそうになっても、結局なにもできなかったってことですよね」


「石くらいなら投げられるぞ。それで、気くらい引ける」


「石って…。とても最上位家系の異能者が言うこととは思えませんね。子どもじゃないんですから」



椛は呆れたようにため息をつく。


だが、椛はふと思い出した。



天道家は当主の血筋の人間はすべて異能力に優れており、とくに現当主のふたりの息子は天才的な異能者だと言われていた。


幼いころより兄弟で才格の儀に出席して、最上位家系の地位を守り続けていると。



蒼紫の兄は不慮の事故で、2年前に若くして亡くなった。


跡取り候補であった天道家当主の長男が亡くなったという知らせは、当時異能家系の間でまたたく間に広まった。



椛も葬儀に出席したが、参列者でごった返していたということしか記憶にない。


ただ、すごい家柄のすごい方が亡くなったということだけはわかった。



まさかその家に嫁入りする日がくるとは、あのときの椛は想像もしてしなかったことだろうが。



蒼紫の兄が亡くなる少し前におこなわれた才格の儀では、変わらず兄弟そろって出席していたため、蒼紫の異能も披露されたはずだ。


それなのに、異能が使えないとはどういうことだろうか。



だが、もしかしたらそれはなにかの勘違いだったのかもしれないと椛は気にとめないようにした。



そして、これまでのあの手のこの手で運よくやり過ごしてきたが、近々どうしても人前で異能を使わなければならない事情があるとのことだ。


そのために、椛の力が必要なのだ。



椛が印を結ぶことなくイメージだけで異能が発動させられることをいいことに、あたかも蒼紫が異能を扱っているように陰からサポートしてほしいというのが蒼紫の頼み。



「天道さん…。それはさすがに他人をだますことになるのでは…」


「記憶喪失のフリをしていたお前に、人をだます云々は言われたくないな」



そう言われてしまっては椛は言い返せない。



「で、近々異能を使わなければならない事情っていうのはなんですか」


「来月、冷泉(れいぜい)家のご長女の、雛子(ひなこ)さまが入内されるのは知っているか?」


「…ああ、噂くらいには」


「その際に、帝都に向かわれるまでの道中に、あやかし祓いを用心棒として雇われるそうだ」


「まあ、そのほうが無難ですよね。あやかしの前じゃ、どれだけ護衛を引き連れても異能が使えなかったら無力ですし」


「そういうことだ。そして10日後に、冷泉邸にてそのあやかし祓いを決める選定式がおこなわれるんだ」



蒼紫の目的は、選定式で最も力ある異能者と認められ、冷泉雛子の用心棒のあやかし祓いに選ばれること。



参加は一家系につき、ふたりまでが限度。


他の異能家系と協同での参加は不可とする。



そのために椛は蒼紫と結婚し、天道家の姓になる必要があったのだ。


椛と契約結婚したことにより、蒼紫は急遽選定式への出席を申し込んでいた。



「でもそれなら、わたしじゃなくたってご両親に参加してもらえばよかったのではないのですか?」


「…それじゃだめだ」



苦しそうに絞り出す蒼紫の声に椛が顔を向けると、蒼紫は下唇を噛みしめていた。



「俺には、雛子を帝都まで送り届ける義務がある。昔、約束したからな」


「…約束?冷泉雛子さまとお知り合いなのですか?」


「雛子は俺の幼なじみだ。泣き虫で目が離せなくて、妹みたいな存在だ。『ずっと俺が守ってやる』ってガキのときに約束したんだ」



蒼紫は雛子が入内すると決まったとき、その道中に必要なあやかし祓いは自分だと、自分でなければならないと強く思った。


しかし、実際は虫のあやかしでさえも倒せないほどの力しかなく――。



「だから、俺のためにがんばってくれよ。椛」


「なんですか、その人任せな発言はっ…」



と不服に思ったが、椛はすぐにはっとした。



「…あれ。今、わたしのこと“椛”って…」


「当たり前だろ。嫁の名前くらい覚えてる」



これまでは、“あんた”や“お前”としか呼ばれなかったのが、初めて名前で呼ばれ、椛は不覚にも照れてしまった。



それから椛と蒼紫は、ふたりで息を合わせる練習をした。


蒼紫が印を結んだタイミングで、椛が異能を発動させる。



端から見れば、蒼紫が異能を繰り出し、椛は後ろでただ見守っているだけのようだ。



しかし、蒼紫の異能を結ぶスピードはこれまで見てきた異能者の中でも段違いに速く、タイミングを合わせるのが大変だった。


しかも椛は印を学んだことがないため、どの印がどの属性の異能を生むのかも勉強しなくてはならない。



「遅い。印を結んでから術が発動するまでに間があったぞ。不自然だろ」


「そんなこと言われたって、天道さんの印が速すぎるから、もう終わったの!?ってなるんです」



椛は頬を膨らませてムスッとする。



「違う!今度は速すぎる!まだ印を結んでる最中だっただろ」


「あーもー、注文が多いなぁ」



蒼紫に叱られるたび、椛は小言を漏らし――。



「なんでそうなるんだよっ。今の印は、どう考えたって火の術だろ。なのに、水の術を出してどーする!」


「仕方ないじゃないですか!後ろからだとそう見えたんですからっ。文句があるなら自分でしてください。あっ、そういえば天道蒼紫さんは異能が使えないんでしたっけ?」



煽るような態度の椛に、蒼紫の目尻がピクリと動く。



「へー、そういう態度取るんだ。早々に契約破棄か?それなら、異能が使えないフリしてるって突き出してやっても――」


「ハイ、すみません!まじめにやります」


「わかればよろしい」



毎日のようにケンカもし、そのたびに椛は言い負かされて奥歯を噛んだ。



「それに、べつに異能がまったく使えないわけじゃねぇよ」


「えっ、そうなんですか?じゃあ、わたしに頼らないでくださいよ」


「あのなー、何事にも“使いどき”ってのがあるんだよ。俺が異能を使うときは、命をかけて守りたいと思ったときだけだよ」


「命をかけるって、大げさじゃないですか?」



椛はクスッと笑ったが、遠くの空を見つめる蒼紫の顔は今までに見たことがないくらい真剣だった。


そんな蒼紫に椛は思わず見惚れてしまっていた。




そして、それから10日後――。


冷泉邸での選定式当日。



椛と蒼紫は晴れ着姿で会場に現れた。



「見ろ。天道蒼紫だ」


「あの隣にいるのは、最近嫁いだという西門椛か?」


「ああ。だが、西門椛は今も異能が使えないはずでは…」


「そう聞いている。西門椛はお飾りで、天道蒼紫の力だけで十分ということか。相当な自信だな」



蒼紫は羨望のまなざしを向けられ、時には嫉妬や妬みの言葉を陰でささやかれるが、そういうものには一切気にもとめていない余裕のある立ち居振る舞いだった。



選定はトーナメント形式で、2対2で異能を使っての攻防戦。


相手を規定線より外に出すか、相手に『参った』と言わせるか、相手の急所を突く寸前まで追い込むと勝ちとなる。



そして、トーナメントを制した家系が冷泉雛子のあやかし祓いとして任命されるのだ。


選ばれれば多額の報酬金を得られるため、多くのあやかし祓いたちが参加していた。



「いいか、椛。人前での実戦は初めてだから、最後にもう一度だけ確認しておくぞ」


「はい」



蒼紫と椛は、建物の陰に隠れて最終確認をおこなっていた。



「蒼紫!」



するとそこへ蒼紫を呼ぶ声が聞こえ、椛は慌てて異能を封じた。


やってきたのは、深みのある赤色の着物に身を包んだ小柄でかわいらしい娘だった。



「雛子、どうしたんだ…!」



蒼紫がそう呼んで駆け寄るものだから、この人物が冷泉雛子だと知って椛はとっさに姿勢を正す。



「蒼紫の姿が見えたからきちゃったの。急遽参加してくれると知って驚いたわ。でも、一度は断ったのにどうして」


「あのときは、どうしても外せない用事があってな。でもそれがなくなって、選定式がおこなわれると聞いて、それなら正々堂々と参加して勝ち取ろうと思ったんだよ」



ふたりの話を聞いていると、どうやら道中連れていくあやかし祓いは予め蒼紫に頼んでいたようだ。


しかし、蒼紫は異能を使えないことを隠していたため、適当な理由をつけて辞退。


そうして、代わりのあやかし祓いを決めるために選定式をすることになったようだ。



「蒼紫の力なら、こんなことしなくたって一番になれるのに」


「どうだろうな。俺も腕がなまってるからな」


「フフッ、またそんなこと言って。新しい奥さんの前で恥はかけないでしょ」



雛子のまん丸い目が椛へと向けられる。



「はじめまして。冷泉雛子と申します。蒼紫とは幼いころからの付き合いですの」


「は…はじめまして!椛と申します」



帝の将来の妻となる高貴な存在である雛子に話しかけられ、椛は緊張でガチガチに固まる。



「そんなに緊張なさらなくても。かわいいお嫁さんね、蒼紫」


「そうか?普段はこんなんじゃねーよ」


「蒼紫がいじめてるんじゃない?」


「するかよ!」



雛子と話す蒼紫は、まるで子どものように無邪気な顔を見せる。



「でも、蒼紫が結婚するって聞いたときは驚いたなぁ。蒼紫、椛さんのこと大切にするのよ」


「…ああ」


「椛さん。蒼紫のこと、よろしくお願いしますね」


「は、はい」



契約結婚とは知らない雛子の言葉に、蒼紫と椛はぎこちなく微笑んだ。



「でも、まさか雛子が入内することになるとはな。おめでとう」


「ありがとう。内裏に入ったらこうして蒼紫の顔も見ることもできなくなるから、最後に会えてよかった」



そうして、雛子は満面の笑みを見せた。


椛には、その瞳にうっすら涙が滲んでいるように見えた。



親しげに話すふたりを、椛は一歩引いた場所から眺めていた。



『『ずっと俺が守ってやる』ってガキのときに約束したんだ』



蒼紫の言葉を思い出す。



その約束を果たすため、蒼紫は椛と契約結婚をしてまでこの場にやってきた。


雛子が帝の妻として内裏に入るそのときまで、そばで見守るために。



だから、帝都に着くまでの間のあやかし祓いは絶対に蒼紫でなくてはならない。


椛はそう強く思った。



そうして、ついに選定式が始まった。



「俺たちの息の合わせは、まだ未完成なところがある。何度も術を繰り出したら、どこかでタイミングがズレて気づかれるかもしれない。だから――」



『一発で仕留める』


これが、蒼紫から出された指令だった。



初戦の相手は、上位家系で名の知られたところだった。


しかし、2対1という通常であれば不利な状況でありながら、試合開始早々、蒼紫の印に合わせて椛が陰で異能を発動。



“一発で仕留める”という約束を意識しすぎたせいで、椛はいつもより力を込めすぎてしまい、相手のふたりは吹っ飛び気絶してしまった。


さすがにやりすぎだと蒼紫に睨まれる。



「な、なんて威力だ…」


「しかも、天道蒼紫の印…見たか?速すぎて目で追えなかった」



蒼紫が繰り出していると思っている椛の規格外の異能力に、周囲の参加者たちは圧倒されていた。


そのあとも椛の無双により、対戦相手は蒼紫に術を仕掛けることすらできなかった。



椛と蒼紫は、ふたつ分かれた会場のうちの片方でトーナメント戦を制した。


あとは、もうひとつの会場で勝ち残った一組との対戦が最終だ。



「どうにかバレずに勝ち上がれたな。それにしてもお前の術、本当にすごいな。印を結ばずにできるのもそうだが、さすが最強のあやかし祓いだ」


「そう呼ばれていたのは過去の話ですよ。今は“無能の嫁”って陰で言われてるのは知ってます」


「べつに好きに呼ばせておけよ。それに、椛の本当の力を知ってるのは俺だけで十分だろ?」



蒼紫に頭をわしゃわしゃとなでられ、椛はとっさに顔が赤くなった。


偽物の夫婦であるはずなのに、ふとしたときに蒼紫は椛が望んでいる言葉をかけてくれるのだ。



もうひとつの会場の勝者が出そろったということで、雛子を含めた冷泉家が待つ屋敷へと案内された。


最終戦は、雛子たちの前での実戦となる。



雛子と目が合い、蒼紫は目で合図を送った。


そこへ、対戦相手が現れる。



そのふたりを見て、椛は目を丸くした。


なんと、蒼紫たち同様に勝ち上がってきたのは楓と圭吾だった。



「…楓!?」


「…椛!?」



双子のふたりは同じような顔をして驚き、声が重なる。


しかも、楓と圭吾のあとに応援にきていた両親もやってきたのだ。



「驚きましたな。これはこれは、蒼紫殿ではございませんか」


「へ〜、まさか西門家がお相手とは。これはやりづらくなりました」


「いや、本当に。それにこちらの会場では噂になっていましたよ。向こうの勝者は、すべてひとりで負かしてきたと」


「俺ひとりの力ではありませんよ。椛がそばで見守ってくれているおかげです」



蒼紫は相変わらず、息をするように嘘をつく。


たしかに、ここまで勝ち上がれたのは蒼紫ひとりの力ではない。



それに、椛はそばで見守っていたわけでもない。


蒼紫の術を出すタイミングに合わせ、集中するのに必死だった。



「どうぞお手柔らかに」


「こちらこそ」



微笑み合って握手を交わす蒼紫と義雄だが、その瞳には絶対に負けられないという熱い闘志が宿っていた。



小一時間の休憩が設けられ、蒼紫と椛は作戦を練ることにした。



「相手は西門家だ。これまでの相手のようにはいかないぞ」


「わかっています。楓と圭吾の実力は把握していますから」



試合中はずっと集中していた椛は、離れたところにある錦鯉が泳ぐ池のそばでぐーんと腕を伸ばしていた。



さて、どうしたものか。


元家族相手に術をぶつけられるだろうか。



椛は、池の水面に映る自分の顔に向かって語りかけてみる。



すると、後ろから足音がして振り返ると、そこにいたのは楓だった。



「椛、天道家へ嫁いでから具合はどう?記憶は変わらず?」


「…あ、うん。思い出せる兆しもないかな」



本当は、ある程度前から記憶は取り戻している。


最近では、その秘密を知っている蒼紫の前では自然体でいられたが、バレてはいけない楓を前にすると緊張感が高まった。



「椛、お願いがあるんだけど」


「…なに?」



楓は視線を落とし、どこか言いづらそうに唇をきゅっと噛みしめる。


その仕草に、双子の椛はなんとなくわかった。



「最終戦、棄権してくれるよう蒼紫さまに頼んでもらえないかしら」



ああ、やっぱりね。


椛は心の中でつぶやいた。



「椛も私たちと蒼紫さまが競い合うのは見ていて嫌でしょ?それに2対1なんて不利な状況で、私たちに勝てるはずないもの。それなら、どちらかが棄権して――」


「それなら、棄権するのは楓と圭吾にしてよ。蒼紫は絶対に棄権なんかしないよ」



今回雛子を守るために、椛と契約結婚をした。


蒼紫は飄々としてなにを考えているのかわからないように見えて、いざというときには信念を貫く男だと椛は知っていた。



「じゃあせめて、蒼紫さまがどんな異能を得意かだけでも…!」


「教えるわけないじゃん。それに、2対1でも負けるかもしれないと思ってるから、わたしに言ってきたんだよね?これでも一応双子の妹なんだから、楓の考えることはなんとなくわかるよ」



椛は口角を上げて不敵な笑みを浮かべる。


楓は悔しそうに唇を噛みしめて、その場に立ち尽くしていた。



「そもそもさ、楓はわたしのお願い聞いてくれなかったじゃん。馬場家との縁談を破棄してくれるようお父さまに頼んでって言ったとき」


「あれは、西門家のためだったから…」


「今も西門家のためだよね」



椛は切なげに微笑む。



「わたし、なんだかんだで楓だけはわたしの味方でいてくれるって思ってたんだよ。異能が開花しないわたしを見捨てずに励ましてくれた、あのときの楓が好きだった」


「あのときって、そんな昔のこと……ちょっと待って!もしかして椛、記憶が――」


「さあ、なんのこと?」



なにかを悟りかけた楓に椛はとぼけてみせる。



「棄権しろっていうのも、どうせお父さまに頼まれたんでしょ」


「そ、それはっ…」


「でも、天道家は絶対に棄権なんてしない。そっちが陰でこういうことをしようとしてくるなら、余計に燃えてきた。本気で西門家を倒しにいくから覚悟して」


「倒すって、椛はただ見てるだけなんじゃ…」



楓の言葉に、椛は意味深ににこりと微笑むだけだった。



「遅かったな。どこ行ってたんだよ」


「ちょっといろいろあって」


「いろいろ?」



不思議そうに首をかしげる蒼紫に、椛はゆっくりもと歩み寄る。



「天道さん。最終戦、わたし絶対に勝ちたいです」


「おっ。どうした急に、やる気になって」


「これに勝ったら、わたしの気持ちに踏ん切りがつけそうな気がするんです。だから――」



と言葉を続けた椛の頭をこれでもかというくらいに蒼紫がわしゃわしゃとなで回した。



「勝つよ。天道家次期当主の俺と最強のあやかし祓いのお前相手に、勝てるやつがいると思うか?」



異能が使えないくせに、自信しか感じられない偉そうな蒼紫の笑みに椛は勇気づけられた。



「最後は、椛に任せる」



蒼紫はすべてを託すように、椛の肩を力強くたたいた。




そして、ついに最終戦――。


両者は向かい合って立つ。



蒼紫の後ろには椛がいて、楓と圭吾の後ろには応援にきた両親の姿もあった。



「はじめ!」



審判の合図を聞くやいなや、楓と圭吾は印を結ぶ。



楓は火柱を、圭吾は雷を放つが、蒼紫は軽々とその攻撃を避ける。


蒼紫は身体能力も高かった。



蒼紫の印を読み取った椛は水の術を発動し、大きな水の塊をふたりにぶつける。


しかし、圭吾が術で盾をつくり防がれてしまう。



これまでの対戦相手であれば防ぐ術もなく決着がついたが、やはり西門家のふたりは強かった。


だが、蒼紫と椛の強さは揺らがない。



あっという間にふたりを追い込み、氷の術でつくった刀で蒼紫が圭吾の喉元に突き立てた。


これで圭吾は戦闘不能と見なされる。



残りは楓だけ。


すると、ここで蒼紫が後ろにいる椛にチラリと視線を送って微笑んだ。



『あとは好きにしろ』


椛には蒼紫がそう言ってくれているように感じた。



『最後は、椛に任せる』


あの言葉の意味も理解した椛は口角を上げた。



椛は風の術で竜巻を発生させると、それを楓に向けた。


あまりの威力に楓は抵抗できずに、その場に留まるので精一杯だった。



かまいたちが巻き起こり楓を傷つけるが、切り裂かれるのは着物だけで体は決して狙わない。



「楓、双子の姉として今までありがとう。でも、楓はもう昔の楓ではないってわかったから。これがわたしからの餞別」



椛は小さくつぶやいた。



すると、はっとした表情をして楓が顔を上げた。


まるで、椛の声が聞こえたかのように。



そうして、楓は竜巻に押し出され規定線から出たことにより戦闘不能と判定。


勝者は天道家となった。



「お疲れ、椛。最後の竜巻、すごかったな。風の異能だとわかってとっさに印を結んだが、合わせるので必死だったわ」


「わたしの大変さ、わかってくださいましたか?それに、天道さんが最後はわたしに任せると言ってくださったので好きにさせてもらいました」


「よかった、ちゃんと意味伝わってたんだな。それで、踏ん切りはついたか?」



椛はそっと胸に手を当てる。



まだどこかで、楓とは昔のように仲いい姉妹に戻れると思っていた。


だが、絡まった糸は思ったよりも複雑で、解けたところで所々に残ったほつれまでが解消されるわけではなかった。



家族のために、楓のためにと思うのはもうやめよう。


どこにもぶつけることができなかった思いを、さっきの風の術で楓にぶつけたのだから。



「わたしはもう西門椛じゃない。“天道椛”として新たに生きていこうと思います」



しがらみを取っ払った椛の顔は晴れ晴れとしていて、それを見た蒼紫は安心したように微笑んだ。



「蒼紫殿、おめでとうございます」



ふとそんな声が聞こえて振り返ると、義雄が手を揉みながらやってきた。


その後ろには悔しそうな表情を浮かべる美代子と楓の姿もあった。



「ありがとうございます。西門家のおふたりもお強く、どちらが勝ってもおかしくない試合でした」


「いやいや、ウチでは足元にも及ばず。それにしても最後の風の異能、あれはどうやって?もしよろしければ、天道家と西門家の縁で教えいただければ――」


「申し訳ございませんが、お教えすることはできません」



強い口調と鋭い蒼紫の視線に、義雄は思わず口をつぐんだ。



「それに椛を嫁にもらいましたが、西門家の皆さまと縁を結んだつもりはありません。椛は天道家の人間ですので、都合のいいときだけ椛を頼るのはやめていただきたい」


「…なっ。自分の娘なのだから、それくらいいいでしょう!それに、椛だって育ての親の言うことなら――」


「娘を力の優劣で判断し、家のために駒として扱うような人に椛のなにがわかるというのですか。心配なさらなくとも、椛のことは大切にいたしますのでご安心ください」



そうして、蒼紫は西門家から引き離すように椛を抱き寄せた。


義雄は悔しそうに唇を噛み、美代子はうろたえ、楓は呆然としていた。



椛は目の前に立ち尽くす3人に目を向ける。



ここまで育ててもらったことに対して両親には感謝はするが、見ていたのは椛の力であって、椛自身は見てもらった試しがなかった。


力があれば褒め、なくなれば無関心。



だが、一番椛が落胆したのは楓の態度。


昔のやさしかった楓は幻だったのではと思うほど、力を持った椛への嫉妬や、今は西門家を背負う人間としての重圧で椛と向き合うことはなかった。



だから、今日はそんな家族と――楓と決別する日。



椛はもう振り返らない。


契約結婚という変なことには巻き込まれたが、椛は自分のためにこれからを歩んでいくと決めたのだ。



こうして、雛子の入内に付き添うあやかし祓いは天道家のふたりと決まり、選定式は幕を閉じた。




その帰り。



「俺、椛の親父さんにあんな偉そうなこと言ったけど大丈夫だったかな」


「気にしなくていいと思いますよ。本当のことですから。おかげでスッキリしました」



夕焼け空を見上げながら椛は微笑んだ。



「ちゃんと俺たち夫婦っぽく見えてたか?やっぱり、キスくらいして見せびらかしたほうがよかったんじゃ――」


「そんなことしたら、火の異能で燃やしますよ?ほんとやめてください。あのときだって、寒気がしたんですから」



椛は、契約結婚を申し込まれたときに頬にキスされたことを思い出して身震いする。



すると、蒼紫が椛の手を取った。


急に手を握られ、椛はあからさまに嫌な表情を見せる。



「…なんですか、これは」


「なにって、握手」


「握手?」


「ああ。今日はお疲れさま、俺たちよくがんばったっていうお互いを称える握手だよ」



蒼紫は握手と言い張るが、どう見ても握手とは握り方が違う。


一瞬振りほどこうとも考えたが、気温も落ちて肌寒くなったせいか、蒼紫の手のぬくもりが妙に心地よかった。



…一応、夫婦だし。



そう自分に言い聞かせた椛は、蒼紫の手をそっと握り返すのだった。

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