35年間閉じ込められて働いてきた女
燃える……身体が燃えるように熱い。
鎮瀾郡王が洪潤羽の背にある痣に唇で触れた。
すると身体が燻されるような熱さがたぎり、息ができない。
「っ……はあっ……」
空気を求めるように息を吸おうとすると、鎮瀾郡王は再び激しく御心を打ち付けてくる。
熱い、苦しい、死んでしまう、そう間違いなく思うのに、同時に心の奥にあった淀みのようなものが消えて行くのが分かる。
どうしようもなく苦しいのに、なぜ救われるような感覚になるのか潤羽は分からなかった。
痛みを、苦しみを与えるように鎮瀾郡王が無言で潤羽を抱き続ける。
鎮瀾郡王に抱かれた女は全員死ぬ。
今まで一度だってこの夜伽から生還した女はいない、そう分かっているのに潤羽は快感に喘いだ。
もうこれで終わりで良い。
だって私の人生なんて最初からこんなものだったのだ。
妹の代わりに屍王に差し出されて死ぬのが、私の定め。
だったらもう、この一時の快感をむさぼり尽くすのみ。
潤羽は鎮瀾郡王の唇に口づけをした。
* * * * * * *
妹の代わりに屍王に嫁ぐ一ヶ月間まで、洪潤羽は幸福ではないが、不幸だとも思っていなかった。
五歳の時に実の両親を亡くしたものの、瀾州島で最も有名な鎮瀾祠という祠に引き取られた。
実子である鈴花と全く変わらぬ境遇……いや、それ以上に愛され、大切にされ続けたからだ。
それは瀾州島の特殊な環境が関係していた。
「潤羽お姉さま、身体は大丈夫ですか?」
鈴花はふかふかとしたタオルを持って潤羽の所にきた。
鈴花は、淡い琥珀色の瞳を甘く揺らして、艶やかな黒茶色の髪の毛を揺らしながらタオルで潤羽の長すぎる黒髪を拭いた。
潤羽の髪の毛は35年間切られていないため、長さが2メートル以上あり、瀾州島の瀾淵水を含むと髪の重さは1キロ以上になる。
必死に、それでいて丁寧に潤羽の髪の毛を拭こうとする鈴花の手を、潤羽は優しく止めた。
「鈴花、手が荒れちゃうから」
「大丈夫です、お勤めをお姉さまにお願いしてるのですから、私の手など」
「鈴花の柔らかい手で背中をゆっくりマッサージしてもらうのが一番好きだから、荒れたら悲しいわ」
「そうですか? じゃあ今からお部屋でマッサージします!」
鈴花が陶器のように艶やかで細い指を私の腕に絡ませて、花のような笑顔で微笑んだ。
瀾州島は四方を海に囲まれた孤島で、慢性的な水不足な島だ。この島に自然に湧き出しているのが瀾淵水と呼ばれているものだ。
しかしこの瀾淵水……そのままでは「毒」だ。
触れ続けると肌は爛れ、気を喰らい、神経を冒し、やがて死に至らしめる。
飲料水としては全く使えない「死の水」。
しかしこの水は常に「人の生命力」を求めていた。
この水は人が浸かると飲料水として生まれ変わる。
だから瀾淵水が湧き出す鎮瀾祠には常に人質としての孤児が連れてこられていた。
瀾淵水に浸けられた孤児は、皆五年以内に命を落とした。
ひとりは狂い、ひとりは枯れ、ひとりは溶け、ひとりは逃げようとして崖下に落ちた。
しかし瀾州島唯一の水のため、鎮瀾祠は孤児を人質として買い続けて浸けた。それは島民のため「尊い犠牲」であり「公然の秘密」だった。
潤羽も両親が死んだあと、鎮瀾祠に買い取られたひとりだった。
しかし潤羽が他の子と違ったのは、皆五年持たない瀾淵水に浸けられても「生命に全く問題がなかった」のだ。
はじめて瀾淵水に浸かったのは前任者が死んだ10才のころ。
もちろん最初は肌が荒れた。ピリピリと痛み夜は火照り、息は苦しくなり潤羽は泣き続けた。
しかし瀾淵水に浸かり三ヶ月もすると、潤羽の肌に痣が表れはじめた。潤羽の陶器のように美しい白肌に血が深くにじむような紫斑。
それは潤羽の身体中に現れ、まるで入れ墨のように潤羽の身体を包み始めた。
そしてほとんどの人が体調不良で立ち上がることも出来なくなる五年後……潤羽の身体は紫斑というより……それはまるで滝から龍が舞うような入れ墨へと変化した。そして瀾淵水に浸かるとその龍は光となり潤羽を守り、潤羽は5年誰も持たなかった瀾淵水の中で35年生き続けている。
鈴花はタオルで髪の毛を拭いている私を見て感動するように息を吐き、
「……瀾淵水が毒だなんて……潤羽お姉さまを見ていたら信じられないんです。だってお姉さま……肌も髪も驚くほど綺麗」
「でも触れたら分かるでしょ? 今指が痛いのでしょう?」
「……そうなんです。すいません、髪も乾かせられない」
そう言って鈴花は赤くなってしまった指先をくっ……と掴んだ。
瀾淵水は普通の人間には恐ろしいほどの毒だ。少し付いただけで肌を荒らす。
しかし瀾淵水に35年浸かり、もう年齢では45才になっている私の肌は20才の鈴花……それ以上に艶があり、髪の毛も美しい。
顔にも全く皺やたるみがなく、顔にだけは表れない痣も関係しているのか……恐ろしいほどに若い。
でも所詮は45才の女だ。潤羽がいることで安心して両親が作った鈴花の本物の美しさには叶わない。
「お姉さま、こっちこっち! 今日はとっても美味しい玉蘭焙茶をお母さまが準備してくれたの」
「鈴花、大声で話さないの。祠にお祈りに来ている人たちに聞こえてしまうわ」
「いいから早く!」
鈴花は潤羽の手を引っ張って長すぎる廊下を楽しげに歩いた。
瀾淵水が湧き出す泉は地下深くにある洞くつの中にあり、関係者以外誰ひとり立ち入ることが出来ない。
そして本当に人質が瀾淵水を清めていると知っている人も限られていて……、
「景明!」
「鈴花。それに潤羽……お仕事おつかれさま」
部屋の中にいたのは、鈴花と潤羽の幼馴染みであり、島中に張り巡らされた配水路を司る瀾水宮で働く官吏、周 景明だった。
景明は切れ長の目に優しい濃茶色の瞳、そしてシンプルな藍色の官服を着ている。
袖に見える蓮の刺繍が家柄を表し、高位の身分だということを示している。
景明の髪は束瀾髻……前髪と横髪を自然に垂らし後方で低く束ねられ美しい。
瀾淵水に何度も触れて赤く染まった前髪がサラリと揺れ、景明は笑顔で潤羽を見た。
潤羽はまだ濡れたままの髪の毛と、化粧を全くしていない自分を恥じ、
「……おつかれさま。まずは髪の毛を乾かしてくるわね」
「ああ、待ってるから一緒に蜜餡包を食べよう。潤羽が好きだと思って買ってきたんだ」
「ありがとう。食べたいなって……思ってた」
潤羽がそう言うと景明は優しく微笑み、潤羽のために一度席を立ち、廊下に出た。
潤羽は急いで奥にある自室に入り、侍女たちと共に重すぎる髪の毛を乾かし始めた。
瀾淵水が湧き出ている泉の石には特別な力が宿っていて、それは切り出して持ち出すと熱を発する。
他の家では木を燃やして炭として熱源を得ているが、鎮瀾祠では瀾淵の石を用いて熱を使い、そこから発した熱風で髪の毛を乾かす。
この石を使うことが許されているのは鎮瀾祠内のみである。
侍女である阿梅は潤羽の**髪の毛を**浸水しない手袋で触れて乾かしながら、
「景明さま、もう三十分以上もお二人をお待ちでしたよ。外を見て髪を整えて」
「そう」
「すごく潤羽さまを大切にされてるんですね」
潤羽は静かに頷いた。
しかしそれが「気を遣った言葉」だということは分かっている。
景明は潤羽を愛しているのではない。瀾淵水を保つために必要な人質だから大切にしているだけだ。
隣の部屋から鈴花と景明の楽しそうな笑い声が聞こえてくる。
「景明さま、今度城内市に連れて行ってください。お店でしか食べられない花餡餅を食べてみたいです」
「実は鈴花のために明日予約してある。一緒に行こう」
「! 本当ですか? では、とっても可愛くします」
そう言って鈴花は声を弾ませた。
景明が愛しているのは妹の鈴花だ。
私は水を清める人質として大切にされているだけ。
私は鎮瀾祠から一歩も外に出ることは許されないまま、45才になってしまった。
なぜなら「存在しないはずの人質」だから。
それゆえ身体中に痣がある醜い女、それが潤羽だった。




