鳥居と楠と青空
二人は墓参りに来ていた。
『竹内家之墓』、水が入ったバケツと掃除道具を琥珀が持ち、シヅは榊と白百合、白菊の花を携えて墓石の前に立つ。
墓前で二人は一礼する。琥珀は何度かシヅと墓参りをして、ようやく自然と所作を身に着けた。
早速、二人は墓周りの掃除を始める。墓石に水をかけ、タオルでこする。北面には苔が広がり、指でなぞるとざらついた感触があった。
「…これが100年ものの、墓石ねぇ。」
琥珀は指先をジャリジャリと擦り合わせる。
「これでもきれいな方ですよ、あそこなんか…」
シヅが奥の墓石に目をやる。視線の先には、苔やホコリに覆われ、雑草が生い茂った見るからに手入れのされていない墓。花立てにかけてある色褪せた造花が、孤独な雰囲気を醸し出していた。
「……さぞ寂しかろうな。」
琥珀がぼんやりと呟く。 梅雨の合間の晴れ模様、ジリジリとした日差しが二人の影のコントラストを強めていた。雑草をむしり、落ち葉を掃いて、ようやくお供えの準備ができる。
シヅは花立ての中身を入れ替え、榊と白い花々を添える。そして、ワンカップの酒を開け、シヅの祖父が好きだったエクレアを供えた。
そうして始まる、お墓参り。今日は琥珀が先陣を切る。
「独り立ちですね。」
「……うるせ」
琥珀はしゃんと背筋を伸ばし2回拝礼をして、2拍手する。迷いのない音がふたつ、まるで誰かを呼ぶように辺りに響いた。拍手した手を合わせたまま、祈りを捧げる琥珀。そして、一礼を捧げると琥珀の後ろでシヅが指先で小さく拍手していた。
「完璧でした、ハクさん。」
琥珀はムッと口をへの字に、でもどこかはにかむような表情を見せながら、シヅと交代する。
シヅもまた背筋をしゃんとし、滑らかに二拝、二拍手、一拝を済ませ、お供えしたエクレアをケーキ箱にしまうと、二人は墓をあとにした。
墓地の出口には小さい神社があり、朱い鳥居と青空、ご神木であろう楠の緑が日差しに照らされ色濃く映されていた。その光景は琥珀の内側にゆっくりと滲んで、呼吸の奥にまで届いた。
言葉が追いつく前に、心のどこかが先に震えていた。
すれ違う人にペコリと会釈を交わしながら二人は帰路につく。
「ほんと、宮崎って変わったところだよな。」
琥珀がぼそりと呟くとシヅがそうですねーといいながら返す。
「こっちは神道が主流ですし、この辺は特にですもんね。」
「卒塔婆がない墓場なんて初めてだったもんな。」
「あー、わたしも初めて東京行ったときはびっくりしました。思えば浅草寺が初めてのお寺でしたね。」
「シヅが浅草寺で二拝二拍手しようとする姿が容易に浮かぶわ。」
「……」
「…図星かよ。」
苦虫を噛むような表情をするシヅの頭を人差し指でちょんとつつく琥珀の手を、シヅは払うような素振りを見せる。
「だって、神社にしか行ったことなかったですもん…」
シヅは拗ねるように唇を尖らせる。すると、琥珀は緩やかに口角をあげ、シヅはそんな琥珀の表情に胸のどこかがそっと音を立ったようだった。
「東京でも、宮崎でも、出なければみんな等しく、井の中の蛙だよな。」
琥珀はふっと足元を見る、サンダルから見える自分の足がどこに立っているのかを確認するように。
縹渺とした琥珀の顔をみて、シヅは空を仰いで琥珀に応えた。
「でも、空の青さを知ってたから、わたしたち踏み出して、出会えたんじゃないですかね。」
ハッとしたようにシヅを見る琥珀。
「私が東京に行って、ハクさんと出会って、私が宮崎に逃げ帰ってきたらハクさんが追いかけてきて。」
シヅの瞳がどこか潤いを帯びる、けれど彼女は安心したような表情だった。
「海よりも空が広いことを、ハクさんが教えてくれたような気がします。」
柔らかいシヅの言葉にハクもまた、目頭に熱がこもった。そして、墓参り帰りに見た、鳥居と、楠と、青空の光景を思い出した。
「…俺も今日、空は青いなって思った。」
琥珀は「なあ」と続けた。
「東京ってどっちの方角だっけ。」
突然の琥珀の問いにシヅは一瞬思考を巡らせた。
「えっと…海の方だから…あっちですかね?」とシヅは自信なさげに東を指差した。
琥珀はシヅの指差す方角を見て、ふと後ろを振り返った。
「あぁ、そうか…」
なにかに納得したような表情を浮かべる琥珀。シヅは琥珀の意図を汲めず、首をかしげた。
「そうだな、空は広いな。」
シヅの言葉を噛み、琥珀はシヅの頭をそっと撫でた。
「やっぱり、ここに来てよかった。」
琥珀はシヅの手を握り、パタパタとサンダルを鳴らしながら帰り道を辿る。
「ハクさん、また内緒事ですか。」
「何が。」
「だって、そうか…っていうから。」
「…鳥居と楠」
「…え?」
「空は広いんだろ、シヅちゃん。」
まるで謎解きを与えるような琥珀の口ぶりに疑問が深まるシヅ、けれど。
”やっぱり、ここに来てよかった。”
先ほどの琥珀の言葉がずっとシヅの中でリフレインされていた。
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夜。い草の香りが残る部屋で、シヅはスマホをいじっていた。ふと、琥珀の言葉が頭をよぎる。
――鳥居と楠。
なんとなく気になって、地図アプリを開く。墓地の位置を確認し、あのとき二人で立ち止まって見ていた風景の方角をなぞる。朱い鳥居、楠、空の青さ。
その先にあるものを、指先で追っていく。そして、シヅは確信した。
「……東京の方、だったんだ。」
ぽつりと漏らした声は、誰に向けたわけでもなかった。その事実が何を意味するのかは、よく分からない。
けれど、琥珀が振り返ったあの一瞬を、シヅはもう一度思い返す。
――“やっぱり、ここに来てよかった。”
その言葉が、胸のどこかで静かに響き続けていた。
すると、奥から風呂上がりのペタペタとした足音が。
「ハクさん!」
シヅは飛び起きて、琥珀に答え合わせをせがむのだった。