5 二人の夜②
(私は、エド様に求められている。女として、妻として……求めてもらっている)
それは、とても嬉しいことだった。
初恋の人と結婚し、身も心も捧げられる。仕方なくではなくて、お互いが相手を求めて結ばれる。
それはきっと、ルーチェが子どもの頃から密かに願っていた夢だ。
だが――
「……だめ、エド様」
今にも胸元のリボンを解こうとするエドアルドの指先を、ルーチェは決死の覚悟で押し返した。
「まだ……だめです。ごめんなさい」
「……そうか。まだ、早すぎたかな?」
ルーチェが拒絶してエドアルドが残念そうな素振りを見せたのは一瞬のことで、彼は苦笑して潔く手を引っ込めた。
「すまない、ルーチェ。君と結婚できて、舞い上がっていたようだな」
「あなたが謝ることではありません。その、私も、嫌じゃないんです」
エドアルドを傷つけてしまったのではと、ルーチェは体を起こして彼の手を握り、急いで弁解する。
嫌ではない。むしろ、ルーチェだって嬉しい。
だが……今はまだ、そのときではない。
もしエドアルドがマリネッタに恋をしなくても、彼はいずれ国王と王太子と敵対するかもしれない。
【1度目】のルーチェはずっと補欠で、最後の戦いでも同行できなかった。だから、あの疲れ果てていたエドアルドがなにをしたのか、どんな気持ちだったのか、知ることもできなかった。
だが、今は違う。
ルーチェはエドアルドの妻としてそばにいることが許されるのだ。
「私、あなたと共に戦いたいのです。私は下級とはいえ神官だから、衛生兵としてこれからもご一緒できます」
「……だが、俺はもう君を戦場に連れていきたくない。城で待っていてほしいんだ」
エドアルドが、悲しそうに言う。それはきっと彼の本心だろうが、ルーチェは唇を噛んで首を横に振った。
「私の知らないところでエド様に傷ついてほしくないのです。どうか、これからも私をおそばに置いてください。私は戦うあなたを、誰よりも近くでお守りしたい。置いていってほしくは……ないんです」
聖女のマリネッタばかりを連れていき、ルーチェが置いていかれた【1度目】のときのような思いは、もうしたくない。
だから。
「……まだ、子どもができることは、したくないのです」
「ルーチェ……」
「……ご、ごめんなさい。その、絶対に子どもができるわけじゃないですものね! あの、今のはなかったことに――」
「大丈夫だよ、ルーチェ」
しばらく考え込んでいた様子のエドアルドが優しく言い、こつん、と自分の額をルーチェの額に軽くぶつけた。
「正直な気持ちを言ってくれて、ありがとう。君の言いたいこと、よくわかったよ」
「エド様……」
「本当に、嬉しいんだ。もしルーチェが自分の気持ちを殺してでも俺に従順であろうとしていたなら、俺は自分が許せなかっただろう。こうして考えを言ってくれるのは、俺にとっても安心できることなんだ。だから、謝らないで」
至近距離でそう言ったエドアルドは体を離し、ルーチェの髪をそっと撫でてくれた。
「俺は、君に城にいてほしい。暖かくて安全な場所にいて、俺の帰りを待っていてほしい。そう思っていたけれど、それは俺のエゴだな。君は、俺のそばにいたいと思ってくれている……それは、とても幸せなことだ」
ありがとう、とエドアルドは微笑む。
「君の気持ち、わかったよ。ルーチェ、これからも俺と共に戦ってほしい。神官としての君の力を、これからも俺に貸してほしい」
「っ……もちろんです! ありがとうございます、エドアルド様」
「どういたしまして。ただまあ、ルーチェに触れられないのは残念だけど……万が一にも、戦場で君のお腹が大きくなったらいけないものな」
そう言うエドアルドの手のひらが、そっとルーチェのお腹に触れる。その手つきにはいやらしさが全くなくむしろルーチェの体を労るように撫でてくれるので、緊張するどころかふわっとした安堵に包まれた。
「それに、俺たちは友人関係から夫婦になるまでの段階を、すっ飛ばしすぎた。ルーチェが無念のうちに死んではならないと思って焦ってプロポーズしたが、恋人期間も婚約者期間も飛ばしてしまったな」
エドアルドは悔しげに言って、ルーチェのお腹に触れていた手を頬に重ねてきた。
「だからまずは、恋人としての時間を楽しまないか?」
「恋人……」
「そう。王宮に来てからというもの、俺たちは幼馴染みなのにゆっくり話す機会もまともに取れなかった。だがこれからは夫婦として堂々と一緒にいられるのだから、二人きりの関係を楽しむ時間を設けよう」
エドアルドの提案に、ルーチェはぽかんとしてしまう。
「そ、それは素敵な話ですが……でも大丈夫なのですか? 国王陛下や王太子殿下が、なにか言ってくるかも……」
「あの二人といえど、俺と妻との時間に横槍を入れさせたりはしない。みみっちい嫌がらせはしてくるだろうが、ルーチェのことは俺が守るし……ルーチェと過ごす時間が待っていると思うと、嫌がらせの一つや二つくらいかわいく見えてくるさ」
エドアルドは挑戦的に笑うとルーチェの赤みがかった茶色の髪に指を通し、耳の縁をなぞるように指を滑らせた。その甘い指先にルーチェがぶるっと身震いすると、喉の奥で笑う音がした。
「かわいい、俺のルーチェ。これからめいっぱい、君のことを愛させてくれ」
「え、エド様……」
「君がいいと言ってくれるまで、いつまでも待つよ。そして君が笑顔でうなずいてくれる日が来たら、君の全部をもらいたい。それでいいかな?」
耳元で甘くささやかれて、ルーチェの体だけでなく心も震える。
エドアルドは、元王子を父に持つ王甥だ。そしてルーチェは平民なのだから、ルーチェの気持ちなんて無視して無理矢理抱いたとしても、誰もなにも言えない。
それなのにエドアルドはたくさん譲歩して、ルーチェが傷つかないように配慮してくれた。
その気持ちが嬉しいし、彼がルーチェを愛している、大切にしようとしてくれているのだとわかって、心が震える。
「エド様……ありがとうございます。私のたくさんのわがままを叶えてくださって……」
「君のわがままだったら、いくらでも叶えたいくらいだ。……さあ、俺のお姫様。君を胸に抱いて夜を越す権利を、この俺に与えてくれないか?」
まるで物語に出てくる騎士のような所作で問われたルーチェは、くすっと笑って彼の胸に身を預けた。
「もちろんです。……エド様、好きです」
「俺も大好きだ……ずっと愛しているよ、ルーチェ」
ルーチェを抱きしめたエドアルドが、幸せのにじむ声で言う。
ぴったりと重なった二人の胸元からは、トク、トク、とほぼ同じ速度で拍を刻む心臓の音が聞こえていた。