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4  二人の夜①

 その後、エドアルドは教会の神官を呼び出して結婚誓約書を書き直した。呼ばれたのは代理人としてサインをさせられた神官だったようで、「ルーチェ様が無事に回復されて、よかったです」と本当に嬉しそうに言われた。


 エドアルドは城に行かなければならないようで、ルーチェに「いい子で待っていてくれ」と額にキスをして去っていった。

 そういうことでルーチェが新しく用意された奥様用の部屋の広さに呆然としつつ、リハビリのために侍女長と一緒に廊下を歩いたり庭の散策をしたりしていると、あっという間に夜になった。


「旦那様は、もうじきお戻りです。奥様はお部屋にてお待ちいただければ」

「わかったわ。今日一日、ありがとう」

「とんでもないです。……ああ、奥様。そちらではありませんよ」


 就寝前の入浴と体の手入れをしてくれた侍女長に礼を言って自分の部屋に向かおうとしたら、止められた。

 あれ、と思って振り返ると、オルテンシアが生きていたらこれくらいの年齢だろう侍女長はこほんと咳払いをして、エドアルドの寝室の方を手で示した。


「奥様には、あちらで寝ていただきます」

「……えっ!?」

「本日は、初夜でございますからね。旦那様も、奥様と同衾することをとても楽しみにしてらっしゃるでしょう」


 侍女長は、にこりともせずに言う。中年の彼女にとって、いちいち赤面するようなことではないからなのだろうが……ルーチェの方は、たまったものではない。


(そ、そうだわ! 私たちは夫婦なのよ……!)


 寝ている間に結婚の手続きや部屋の準備などが進められたからあまり意識していなかったが、自分たちは新婚夫婦だ。それもお互いに「好き」と告白しあった上での結婚だから、今夜夫婦が初めて体を重ねると侍女長が思うのも当然のことだ。


(わわわわ!? ど、どうしよう!?)


 助けを求めて侍女長を振り返り見るが、彼女は相変わらずの無表情でお辞儀をして去っていってしまった。彼女の主はエドアルドだから、ルーチェが否と言っても聞く気はないのだろう。


(わ、私、本当にエド様と!?)


 自分の部屋に逃げ帰ることもできず、しょぼしょぼとエドアルドの寝室に入りながらもルーチェはまだ決心がついていなかったし――薄暗い部屋に大きなベッドが置かれているのを見て、いよいよ気が遠くなりそうになった。


 ルーチェだって、年頃の女性だ。使用人仲間とそういう話をすることがあったし、経験豊富なお姉様から生々しい体験談を聞くこともあった。

 だから知識はあるし、そういうことに関する興味も人並みにあった。


 だがどちらかというと内向的で狭い世界で生きていたこともあり、そういうことに関しては潔癖のきらいがあった。そういうことをするなら本当に好きな人としたいし……ルーチェの好きな人は今も昔も、エドアルド一人だ。


 恋愛関係が華やかな仲間の話を聞きながらエドアルドの顔を思い浮かべてしまい、恥ずかしさと申し訳なさでその後しばらくエドアルドの顔が見られなくなったこともあった。


 だがまさか、彼と夫婦になってそういうことをする日が来るとは。


「ルーチェ」

「わっ!?」


 決心が定まらず寝室をうろうろしていたら、背後から声がした。ドアは開けたままにしていたので、廊下の明かりを背に立つエドアルドの姿がはっきりと見え、心臓が爆発しそうになった。


 エドアルドも、既に風呂に入った後らしい。簡素な部屋着姿で、金色の髪も洗いたてのためかいつもより少しだけしんなりしている。子どもの頃、一緒に水辺で遊んだ後の姿が思い出された。


 エドアルドは自分の寝室にルーチェがいることにほっとしたようで、柔らかな微笑みを浮かべてドアを後ろ手に閉めた。


「ただいま、ルーチェ。俺の部屋で待っていてくれたんだな、ありがとう」

「お、おかえりなさいませ。いえ、その、侍女長に言われたので……」

「はは、そうか。でも、ルーチェが恥ずかしがって逃げてしまうことも考えていたから、来てくれて嬉しいよ」


 エドアルドはルーチェの後ろ向きな発言に気を悪くした様子もなく言い、ベッドに腰を下ろした。大柄な彼が腰掛けたことでベッドが軋み、その音だけでルーチェの顔がじわじわと熱くなってくる。


「ほら、おいで」

「……は、はい」


 エドアルドに手招きされたので、ルーチェはおずおずと彼の方に向かい――すかさずエドアルドの腕が伸びてきて、ルーチェの腰を抱き寄せた。


「わあっ!?」

「ああ、ルーチェだ。ルーチェが俺の腕の中にいる。柔らかい、いい匂いだ……」


 一息のうちにルーチェを抱き込んだエドアルドは、熱に浮かされたかのようにうっとりとつぶやく。

 そうしてルーチェの髪に鼻先を埋めて深呼吸するものだから、ルーチェは恥ずかしさのあまり彼の分厚い胸を押してしまった。


「に、匂いを嗅がないでください!」

「どうして? ……ああ、自分だけされるのは不平等だと言いたいんだね? いいよ、俺の匂いも存分に嗅いでくれ」


(そうじゃない!)


 とぼけているのか本気で言っているのかわからないエドアルドに一言文句を言ってやろうと息を吸った直後、エドアルドがより体を近づけてきてルーチェは彼の胸元に顔を押し当てることになってしまった。


(……や、やだ。エド様の、匂いがする……!)


 甘いような少しぴりっとするような匂いが肺を満たし、反論の言葉も消え去り胸がどきどきしてきてしまう。


 ルーチェはエドアルドに付き従って戦場に行っていたから、戦場の臭いはよく知っている。泥や汗が発酵したようななんとも言えない臭いで、特に男性からは強烈な体臭がすることが多かった。


 エドアルドは貴公子として、戦場でも最低限の身なりは整えていたようだ。それでも戦の後の彼からは鉄さびのような臭いがしていたものの、戦う人だからそんなものなのだろう、と特に気にも留めなかった。


 だが、どうしたことだろう。

 今のエドアルドからは、泥とも汗とも違う、なんともかぐわしい匂いがしていた。

 風呂で使った石けんや染髪料の匂いにしてはもっと芳醇で、彼の肌の奥に染みついているかのような匂いに頭がくらくらしてしまいそうだ。


 ルーチェがぼうっとしていることに気づいたのか、エドアルドは少し腕の力を緩めながら体をひねり、ルーチェの体をベッドに横たえた。

 それでもなおルーチェが惚けたように自分を見上げているため、エドアルドは喉の奥で笑う。


「かわいいな、ルーチェ。本当に……君は、かわいい」

「エド、様……」

「ルーチェ。君の全てを、俺に委ねてくれないか?」


 優しく問いながらも、その声に隠しきれない興奮が混じっていることに気づき、ルーチェの肌がぞわっと粟立った。

 エドアルドの右手の人差し指が、そっとルーチェの喉元に触れる。その指先がルーチェの寝間着のリボンに触れて、それを解こうとするかのように引っ張られた。


 いつもは穏やかな青色の目が、獰猛な光を孕んでルーチェを見下ろしている。無意識なのか上唇を少し舐め、その扇情的な姿にルーチェの体が震える。

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