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1  どうせ死ぬのなら

 ……体が、熱い。

 燃えるような熱に、ルーチェはうめいた。


(私……死に損ねたのかしら?)


 熱でもうろうとする中、ルーチェはまだ自分の命があることに内心がっかりしていた。


 せっかく死んでナザリオから解放されると思ったのに、まだ自分は生き地獄を味わわないといけないのだろうか。


「……チェ! 死ぬな!」


(この声は……?)


 耳に優しい、馴染みのある声に、ルーチェは目を閉じたままふっと笑ってしまった。


 やはり自分は、死ぬ間際なのだろう。だって、ナザリオの屋敷に監禁されているルーチェが、愛するエドアルドの声を聞けるはずがない。

 彼はアルベール王国の国王として、マリネッタの夫として、王宮で華やかな生活を送っているのだから――


「目を開けてくれ、ルーチェ! 君を失いたくないんだ!」


 ルーチェの幻聴は、まだ続いているようだ。どうやらエドアルド以外の人の声も聞こえるがそれらは全てノイズとして処理され、エドアルドの声だけがしっかりと届く。


 ……両手が、握られている感覚がある。もしかすると、幻聴だけでなくエドアルドに手を取ってもらっている感覚の幻まで出ているのだろうか。


 だが幻なら、大丈夫だ。

 もうすぐルーチェは死ぬのだから、ナザリオの暴行のせいで鏡を見ることさえ嫌になった自分の腫れ上がった顔や痣だらけの体を隠さなくてもいい。


(でも、死んでしまうのなら……)


「……エドアルド、様」


 ゆっくりと、ルーチェは名前を呼んで目を開いた。

 熱のせいか涙のせいか視界がにじんでいるが、ルーチェの両手を握る人の輪郭だけは見えた。少しぼやけているが間違いない、エドアルドだ。


「ルーチェ、目を覚ましたか!」

「……エドアルド様。私、ずっと、あなたのことが好きでした……愛していました」

「る、ルーチェ!?」


 今際の告白をするルーチェに、エドアルドが驚いている。


(ふふ、そっか。もし告白していたら、こんな反応をしてくださっていたのね)


 死ぬ前に少しでもいい思いがしたいルーチェは、エドアルドの手を引き寄せて自分の頬に寄せた。

 もうずっと、彼の手を握ることはなくなったのでずいぶん大きい手だと思われたが……この温もりは、子どもの頃から変わらない。


「愛しています、エドアルド様。私、ずっとあなたのおそばにいたかった……」

「な、なにを言っている! ルーチェ、君はこれからもずっと、俺のそばにいるんだ! 熱などに負けてはならない!」


 焦りつつも嬉しそうに、エドアルドが言っている。

 ルーチェは熱ではなくて夫からの暴行で死ぬのだが、もうそんな些事はどうでもよかった。


「でも私、もう眠いんです……」

「ルーチェ! 俺も……君のことを、愛している!」


 言いたいことは言ったと思ったルーチェは、まさかのエドアルドから告白の返事があったため、少し驚いた。周りでも、ざわついている音が聞こえる。


(ああ……神様は、私に最後の温情をくださったのね。好きな人に、好きと言ってもらえる。なんて幸せな夢なのかしら……)


 ずっと昔に枯れたはずの涙がルーチェの頬を伝い、エドアルドの指がそれを拭ってくれた。


「ずっと、君への気持ちの正体がわからなかった。でも、君が言ってくれたおかげでわかったよ。俺もずっと、君のことを女性として愛しているんだ!」

「……嬉しい、エドアルド様……」

「だから、死ぬな! 愛しているから……そうだ、結婚しよう!」


(まあ! 神様、これはさすがに大盤振る舞いではないでしょうか?)


 突然のエドアルドのプロポーズに、既に死ぬ気になっているルーチェはくすくすと笑った。


「結婚? あなたが? 私と?」

「そうだ! 君は、俺の花嫁になるんだ! これから夫婦として、一緒に暮らそう! 二人で幸せになろう!」

「……素敵、ですね……嬉しいです……」

「ああ! だから、死ぬんじゃない! 共に生きよう!」


 エドアルドの力強い言葉に、ルーチェは涙をこぼしながらうんうんとうなずく。


(神様、私はもう十分報われました)


 恋い慕う人に好きと言ってもらえただけでなく、プロポーズしてもらえた。

 きっと神はルーチェのことを哀れみ、最期の最期に幸せな夢を見せてくれたのだ。幸せな夢を見たまま逝きなさい、と言っているのだ。


 ふっと、体から力が抜ける。周りでいろいろな人が叫んだりばたばた走り回ったりしているが、とにかく眠い、眠すぎる。


 でも、これが夢なら。


「愛しています、エドアルド様……」


 ルーチェはエドアルドの腕を引っ張り、こちらに傾けた彼の頬に思い切って唇を寄せた。ろくに狙っていなかったので唇が頬をかすめるだけだったが、これで十分だ。


(ああ、私は幸せ者だわ……)


 ルーチェは微笑み、やたら熱を放つ体に誘われるまますとんと眠りに落ちていった。

 次に目覚めたときには天国だったらいいな、と思いながら。













 夫による暴行の末に気を失い、大好きな人にプロポーズされるという幸せな夢を見て命を終えると思ったルーチェだが。


「……ん?」


 ルーチェはベッドの上で目を覚ました。視界に広がる真っ白な天井を見て、それから頭だけを動かして周りを見る。

 どうやらベッドの周りにカーテンが引かれているようで視界は遮られており、しかも消毒液のような臭いがする。


(天国は、消毒液の臭いがする場所なの……?)


 まだ少し頭が熱っぽいため、ルーチェは本気でそう思ってしまった。ベッドも天井もカーテンも白いというのはいかにも天国らしいが、天国なら花の匂いなどがしてほしかったので、少しがっかりだ。


 とはいえひとまず体を起こそうと腕を伸ばしたルーチェの指先が、カサリとなにかにぶつかった。


「……お花?」


 伸ばした指先が、ベッドのヘッドボードの上にあったものに触れたようだ。

 手探りで引っ張って手に取ったそれは、小さな花束だった。白や黄色、オレンジ色などルーチェが好きな色の花ばかりがまとめられているし、添えられたカードを見ると「ルーチェへ、愛を込めて」と見覚えのある字で書かれていた。


(これは、エドアルド様の字……?)


 体を起こし、花束を膝に乗せたルーチェははてと首を傾げた。


 教会では、死んだ人間は生前持っていた全てのものを手放して天国もしくは地獄に行くと教えられている。だがこれはどう見ても、エドアルドからの贈り物だ。死んだ後の世界に持っていくことはできないのではないか。


(そもそもなんで、エドアルド様からお花が……?)


 花束を目の高さに持ち上げてくるくる回転させながら考え込んでいると、ドアが開く音がした。カーテンのせいで見えないが、誰かが入ってきたようだ。


「あの……」

「……えっ!? 奥様!?」


 とりあえず声をかけたら、若い女性の驚く声がした。そして勢いよくドアが閉まり、「奥様がお目覚めですー!」と叫ぶ声がだんだん遠のいていった。


(……奥様?)


 先ほどの女性は、なにを言っているのだろうか。


(……あっ、もしかしてこの部屋に、私以外の人がいるのかも?)


 もしかするとここは、天国の待合室のような場所なのかもしれない。そうだとしたら、部屋に「奥様」と呼ばれるような他の人がいるのもうなずける。


 うんうんきっとそうだ、とまだ少し頭がぼうっとするルーチェが納得していると、バタバタという足音が近づき、勢いよくドアが開く音がした。


「っ……ルーチェ!?」

「エドアルド様?」


 やはりまだ姿は見えないが、息を切らせたような声には聞き覚えがありすぎる。


 ルーチェがきょとんとする中、シャッとカーテンが開かれた。そしてその先に立っていた人を見て、ルーチェは目を瞬かせた。


(エドアルド様……? でも、なんだか元気そう……?)


 ルーチェが最後に見たエドアルドは王位継承内乱勃発の直前ということもあり、疲れて苛立ったような表情をしていた。だが今の彼は髪も肌もつやつやで、しかもなぜか左手に持っているのは剣や馬の手綱ではなくて花束だった。


 エドアルドはぼうっとするルーチェを見て、ぱっと笑顔になった。


「……ああ、よかった、目が覚めたのか!」

「……エドアルド様、なんてことですか」

「ん?」

「あなたも、召されてしまったのですか……!?」


 ルーチェは、ショックのあまりわなわな震えながら叫んだ。


 ここは、死後の人間が訪れる天国の待合場所(仮)だ。ナザリオの暴行で死んだルーチェがいるのはともかくとして、エドアルドまで来ているなんてあんまりだ。


 マリネッタはルーチェに対して冷酷だったが、エドアルドのことは本当に愛しているようだった。だからせめて、彼には長生きしてほしいと思っていたのに。


「結婚生活がうまくいかなかったのですか!? ああ、でもあなたまで亡くなるなんてあんまりです!」

「なにを言っているんだ? 結婚生活は……その、これから始まるだろう?」

「えっ?」


 頭を抱えて唸るルーチェが首をひねると、エドアルドは頬を赤くして咳払いをした。

 そして持っていた花束をルーチェの枕元に置き、片膝をベッドの上に乗り上げてそっとルーチェの頬に触れた。


「ルーチェ、俺たちの結婚届は無事に受理されている。君は、ルーチェ・ベルトイア……俺の妻だ」

「……つま?」

「そうだ。女性の方から告白させるなんて、甲斐性のないことをして申し訳ない。でも、君に好きと言ってもらえて……俺のプロポーズを受けてもらえて、本当に嬉しかった」


 青色の目をとろけさせてそう言ったエドアルドは、ふふっと笑ってルーチェの両頬をそっと手のひらで包み――


「愛しているよ、ルーチェ」


 甘ったるい言葉に続いて、そっと唇が重なった。


(……んんん?)


 ルーチェの唇を味わうように丁寧にキスをするエドアルドとは対照的に、彼に口づけられたルーチェは混乱の極みにいた。


「っ……? ……わ、あ、あ、あああああ!?」

「ルーチェ?」

「な、なななななにを、私、あなたとキッ……きゃあああっ!?」


 それまで熱っぽかった頭が一気にクリアになり、子どもの頃から大好きだった人にキスされていると気づいたルーチェは悲鳴を上げ、ベッドの上を派手に横転した挙げ句反対側に転がり落ちてしまった。


「ぎゃっ!?」

「ルーチェ!」

「エドアルド様、奥様!?」

「どうかなさいましたか!?」


 悲鳴を聞いたらしく、エドアルドだけでなく他の人たちまで部屋に入ってきてしまい、床に頭から落下したルーチェは呆然としていた。


「……私、死んでいないの?」

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