ルーチェは旦那様を癒やしたい
2026年3月1日に、TOブックス・Celicaノベルスより書籍化します
ありがとうございます!
「エド様を癒やしたいのだけれど、どうすればいいのかしら」
ある日の離宮にて。
いい天気なのでベランダで午後のお茶休憩の時間を過ごしていたルーチェがそう切り出すと、給仕をしていたフェミアと護衛のテオが不思議そうな顔をした。
「旦那様の、お疲れを癒やす?」
「そんなの、奥様がエドアルド様にぎゅっと抱きつけばいいのでは」
「あ、ええと、そうかもしれないけれど……本格的にお疲れを取って差し上げたいのよ」
テオの言うことも一理ある……どころか愛妻家なエドアルドならルーチェのハグで本当に疲れが吹っ飛ぶかもしれないが、それでは根本的な疲れを取るには至らない。
王甥であるエドアルドは国王や王太子から敵視されており、日々細々とした嫌がらせ――という名の雑務を押しつけられている。あえて従順にすることで王宮での立ち位置を確保しているエドアルドは文句を言わずに従っているが、今日も「またほぼ無意味なことをさせられる」とぼやいていた。
エドアルドの妻とはいえ王家のあれこれに首を突っ込む権利のないルーチェでは、国王たちに物申すことはできない。だからその分、疲れて帰ってきたエドアルドを癒やしてあげたいと思っていたのだ。
(確かにエド様は、「ルーチェの『おかえりなさい』だけで疲れが吹っ飛ぶ」とおっしゃるけれど、もっと他にできることをしたいわ)
大聖堂の司祭として認められたルーチェだが、残念ながら神官の回復魔法は外傷の治療に適しており、疲れを取るとか頭痛を取り除くとか、そういうのは最高位の司教や聖女でさえ困難だとされている。
「二人なら、健康管理のこととかエド様のこととかに詳しいと思って。何かいい案はないかしら?」
「そうですね……。疲労回復といったら睡眠、食事、入浴、マッサージなどでしょうか」
「奥様にマッサージしてもらったら、エドアルド様は大喜びしそうですね」
さすがルーチェよりも長くエドアルドのそばにいるテオは、彼のことをよくわかっている。フェミアも、うなずいた。
「マッサージの技術なら、私や侍女長様からお教えできるかと」
「本当!? じゃあ是非、教えて! エド様のお体をほぐせるようになりたいわ!」
ぱっと笑顔になったルーチェを、フェミアは嬉しそうに見ている。
一方のテオは、まだ何やら考えている様子だ。
「……あっ、そうだ。俺、エドアルド様がさらに喜びそうなこと、思いつきました」
「えっ?」
「それはですね……」
♢♢♢
エドアルドの疲れを取りたいとフェミアたちに相談した、数日後。
(準備万端だわ!)
もうすぐエドアルドが離宮に帰って来るという時刻、ルーチェは夫を迎えるために離宮の玄関にいた。……ただし、いつもとは場所と衣装が違う。
「奥様、かわいらしいです!」
「絶対旦那様はお喜びになりますよ!」
周りのメイドたちも絶賛する今のルーチェは、彼女らと同じメイド姿だった。
黒いワンピースに白いエプロンを身につけ、髪をまとめてキャップの中に入れている。そうして他のメイドたちに混じってエドアルドをお迎えして、びっくりさせようという作戦だ。
『エドアルド様って、絶対にこういうの好きですよ』とのテオの案にフェミアは困った顔をしていたが、むしろルーチェはノリノリでメイドの制服に袖を通した。離宮勤めのメイドの制服はシンプルながらかわいらしいと、前から思っていたのだ。
ルーチェはメイドたちの中では若干小柄なので、フェミアを隣に据えて皆の中に混じっていると、完全に埋もれてしまった。帰宅したエドアルドが前を通った直後、後ろから忍び寄って驚かせるという作戦だ。
そうしていると玄関のドアが開き、エドアルドが姿を見せた。彼は持っていた荷物や上着を男性使用人に預け、ルーチェたちがお辞儀をする前を通ろうとして――
「……こんなところでどうしたんだい、奥さん?」
「……えっ?」
はっとして顔を上げると、満面の笑みのエドアルドが。ルーチェの前にいたメイドがさっと避けたため彼は真っ直ぐルーチェのところに来て、一息のうちに抱き上げてしまった。
「きゃっ!? な、なんでわかったんですか!?」
お辞儀をしながら様子を見ていたのだが、エドアルドは前を通過する瞬間こちらをさっと向き、ルーチェのほうをばっちり見てきたのだ。メイドの中に混じる妻の姿を探したという素振りもなく、一瞬のことだった。
「それくらい、造作もないさ。……こんなかわいいことをして、どうしたんだ? メイドになりたい気分だったのか?」
狼狽するルーチェとは対照的に、エドアルドは機嫌がよさそうに語りかけてくる。周りのメイドや使用人たちも、あらあらまあまあとばかりに避けていくので、その場にはルーチェとエドアルド、それから呆れた顔のフェミアだけが残される。
(い、いけないわ。ちょっと予定は狂ったけれど、計画のとおりにしないと!)
「そ、そうです! おかえりなさいませ、あなた。今日はお疲れのあなたを、私が癒やしてさし上げますね」
あらかじめ用意していた言葉をなんとか引っ張り出してエドアルドにかけると、彼はぱちくり瞬きをしてから嬉しそうに頬を緩めた。
「なんて嬉しいことを言ってくれるんだ! ありがとう、ルーチェ。でも君が特別なことをせずとも、こうして俺の帰りを待ってくれるだけで十分嬉しい」
「いえ、今日はとっておきです!」
案の定ルーチェに甘いエドアルドだが、なんといってもルーチェは既に『練習』をしてきたのだ。
「エド様の疲れを、このルーチェがばっちり取り除いてみせます!」
エドアルドには先に入浴してもらい、その間に用意を済ませたルーチェは、バスローブ姿で寝室に上がったエドアルドを迎えた。
「さ、こちらにうつ伏せになってください」
「……これはもしかして、体をほぐしてくれるのか?」
エドアルドがすぐに気づいたのは、ベッドサイドのテーブルにマッサージ用の香油やタオルなどが置かれていたからだろう。
ルーチェはうなずき、バスローブを脱いで下穿きだけになったエドアルドをベッドに寝かせた。
「侍女長から教えてもらった、とっておきのマッサージです。しっかり練習したので、ご満足いただけるかと」
「……待ってくれ。練習ということは、誰かを練習台にしたのか?」
「はい、テオです」
「あいつ!」
「テオのときは服を着てもらったし、周りにはフェミアたちもいましたからね?」
エドアルドが瞬時にテオにヤキモチを焼いて上半身を起こしたので、ルーチェはどうどうと頭を撫でてあげた。
「だから、安心して私に身を任せてください」
「……わかった。よろしく頼む」
まだ少し不満げなエドアルドだったが、ルーチェが香油を両手に出して彼の背中に伸ばすと、気持ちよさそうに弛緩してくれた。
(わ、エド様の体、すごく硬い……)
エドアルドはテオよりも大柄でかつ、体つきもがっしりしている。背中は筋肉と骨でぼこぼこしているし、香油を伸ばす面積も広い。香油を使う練習のときはフェミアの背中を借りたのだが、そのときとは手触りも全然違う。
皮膚にしっかり香油を伸ばし、リラックスしてもらう。
「かゆいところはありませんかー?」
「ふふ、大丈夫だ。ルーチェの手が温かくて、うとうとしてしまいそうだな」
「うとうとしてくださって大丈夫ですよ」
エドアルドの声が、少し間延びしている。これはいい傾向だと思い、ルーチェは早速テオに試したときと同じように、エドアルドの背中をぐっと指圧したのだが。
「ん、んーっ……!」
「……」
「……エド様、ちゃんとツボにきていますか?」
「……。……もちろんだ」
「正直に言ってください」
「……ツボには、きていない」
エドアルドがくぐもった声で言ったので、やはりそうかとルーチェは額の汗を拳でぬぐった。
侍女長から教わったとおり、テオに練習台になってもらったときと同じように指圧を始めたのだが、エドアルドの背筋の硬いこと硬いこと。まるで鉄板のような背中は生半可な力では指圧さえできないようで、筋肉の奥にあるツボまで全然届いていなかった。
(想像以上に、エド様の背中が硬すぎた……そして私が弱すぎた……)
「ごめんなさい、エド様。私の力では、弱すぎますね……」
「そんなことない! ルーチェの優しい手のひらに触れてもらえて、すごく嬉しい!」
エドアルドがさっと顔だけをこちらに向けて、早口に主張する。
「だから、無理しなくていい。こうして君が俺のために頑張ってくれるだけで、俺は嬉しいんだ」
「エド様……」
「なんなら交代で、俺がルーチェの背中のマッサージをしてあげるから――」
「ではこれの出番ですね!」
エドアルドが何やらもごもご言っているが、ルーチェはサイドテーブルの引き出しから『とあるもの』を出して、はしゃいだ声を上げる。
そちらを見たエドアルドの視界に映ったのは――ルーチェの右手に握られた、細長い木の棒のようなもの。料理用の麺棒に見えなくもないが、メイド服姿のかわいいルーチェが手にするには不釣り合いなほど、物騒な代物だ。
「……それは、なんだ?」
「いざというときのために侍女長から渡された、ツボ押し棒です。これを使えば、どんなに硬い筋肉でもゴリッゴリにほぐせるという逸品です」
「そ、そうか。……やけに先端が、尖っていないか?」
そう指摘するエドアルドの声が少し裏返っているが、ツボ押し棒を手の中でぽんぽんと弄んでいたルーチェは満面の笑みだ。
「これくらい尖っていないと、物足りないという人もいるそうです。この使い方もマスターしたので、任せてください!」
「マスターしたのか……?」
「はい、さっきテオに使いました」
ルーチェはそう言うが……そういえば先ほどの出迎えのとき、その場にテオがいなかった。
……気のせいであってほしいと思いつつ、いやな予感がエドアルドの脳裏をよぎる。
「そ、そうか。だが、俺はルーチェの手のひらだけで十分だよ」
「まあそう言わずに。はい、じゃあお背中の筋肉をほぐしますねー」
「本当に大丈夫だから、その物騒なものをしまって……ぐわああぁーっ!?」
寝室に、エドアルドの絶叫が響いた。
ちょうど廊下を通っていたフェミアは、悲痛な声が聞こえてくる夫婦の寝室のドアを見て悲しそうに目を伏せてから素通りし、少し先の部屋で伸びているテオのところに差し入れを持っていってやったのだった。
ルーチェのとっておきマッサージを受けたエドアルドはその夜、ベッドで撃沈した。
だが翌朝目が覚めた彼は、不思議そうに首を傾げていた。
「……今日は、すごく体が軽い」
「それってもしかしなくても、昨日の私のマッサージの効果でしょうか?」
成人男性二人分のマッサージをしていい汗を掻きぐっすり眠ったルーチェは、期待の眼差しでエドアルドの上半身を眺めた。昨夜の渾身マッサージの名残か夫の体のあちこちに痣のようなものこそあるが、本人はものすごく調子がよさそうだ。
「きっとそうだな。……ルーチェはすごいな。神官としての魔法の才能だけでなく、マッサージ師としての素質もあるなんて」
「ふふ。それじゃあ私、神官を引退したらマッサージ屋を開きましょうか?」
「……他の男にはもうしてほしくないから、店を持つのはだめだ。やるなら俺専属になってくれ」
なおもテオに対して妬いているらしいエドアルドがそう言うので、ルーチェはふふっと笑ってからエドアルドの肩に寄りかかった。
「じゃあ、そうします。……今晩もお帰りになったら、マッサージをしましょうか?」
「いや、今晩は……別のことがしたいな」
そう言うエドアルドが何やら含みのあるような微笑みでこちらを窺ってくるので、彼の意図を正しく理解したルーチェの頬がさっと熱を持ち始める。
「……で、でも、今日もエド様は公務で」
「ルーチェも今日は、大聖堂でのおつとめがあるだろう? 昨夜はさんざんルーチェに泣かされたから、今晩はお返しでルーチェが悲鳴を上げるくらいほぐしてあげるよ」
「言い方がよくないです!」
もうっ、とエドアルドの背中をペチンと叩くルーチェのことが愛おしくて、エドアルドは妻をしっかり抱きしめて幸福に浸っていた。
♢♢♢
その後もルーチェはたびたびエドアルドのためにマッサージをしたのだが、あのツボ押し棒を見せるだけで夫が青ざめるので、あれっきり棒の出番はなくなった。
そうしてサイドテーブルにしまわれてしまったツボ押し棒だが、一騎当千の騎士であるエドアルドに唯一絶叫を上げさせた伝説の武器として、離宮勤めの者たちの間で密かに噂になるのだった。
書籍版には、『彼』の救済の書き下ろしエピソードがあります。
是非!




