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2  妄信の果てに②

 その日のうちに、ナザリオはルーチェと結婚した。

 彼はすぐさまルーチェを自分の屋敷に連行して地下室に繋ぎ、『調教』を始めた。


 動物には、暴力でないと命令が通じない。


 ルーチェは、マリネッタに逆らう悪女だ。

 マリネッタの幸せのために、この女を躾けなければならない。


「違います、違います、ご主人様。私は決して、マリネッタ様にそのようなことは……!」


 毎日のように顔を殴ったことでぼこぼこに腫れた顔になってもなお、ルーチェは自分の罪を認めようとしなかった。


 マリネッタの悪口を言ったことも、彼女を貶めようとしたことも、一度もない。

 彼女は何度も何度もそう言ったが、学習能力のない妻に苛立ったナザリオはなおも激しくその体を殴り続けた。


 すぐに彼女の顔はこぶだらけになり、体も青い痣で埋め尽くされた。

 それでもなおルーチェは自分の非を認めないため、ナザリオはその日いつも以上に激しく妻に暴行し――翌朝、冷たくなっているのを見つけた。


 そこでようやく、ナザリオの胸に罪悪感が芽生えた。

 マリネッタのために妻を躾けていたが、死なせるつもりはなかった。

「そうです、私がしました」と認めさえすれば、少しは手加減してやったのに。


 仕方なく、ナザリオはマリネッタのもとに行ってルーチェの死を報告した。

 慈悲深いマリネッタはきっとルーチェの死を悼むだろう、と思ったのだが――


「あら、やっと死んだの? まあ、よかったわ」

「えっ?」


 マリネッタの唇から予想外の言葉が飛び出したため、ナザリオは耳を疑った。


 慈愛に満ちて、どのような人であれその死を悼む心を持つマリネッタが、「やっと死んだ」と言った?


 呆然とするナザリオを前に、自分の指に髪をくるくると巻きつけながらマリネッタは愉快そうに笑う。


「思ったよりもしぶとかったのね。さすが、ドブネズミ。生命力だけはあったようね」

「え、あの……?」

「ありがとう、ナザリオ。あなたが手を下してくれて、ちょうどよかったわ」


 晴れ渡る笑顔で言ったマリネッタは……それだけでなく、ナザリオに衝撃の事実を教えた。


 ルーチェが、マリネッタを害しようとしていたこと。王太子が、マリネッタに暴行を与えていたこと。


 これらは全て、マリネッタが作り上げた嘘だった。


「嘘……? では、ルーチェは無実だったと……?」

「そうねぇ……無実といえば無実かしら? 少なくとも、あのドブネズミからなにか言われたりされたりした覚えはないわ」


 マリネッタはけろっとして言い、指に巻き付けていた髪をふいっと払いのけた。


「だって、そうでもしないとエドアルド様がこっちを見てくれないのですもの。そのエドアルド様も最近、伏せってばかりだし……やっぱり、薬を盛りすぎたのかしらね」

「く、薬?」

「そうよ。あなたがエドアルド様に盛っていたのは、解毒剤。あれと対になる毒を、ブリジッタたちに渡していたのよ」


 マリネッタは毒と解毒剤を使って、エドアルドの精神をコントロールしていたことを明かした。それを聞いたナザリオは、愕然と目の前の聖女を見ていた。


 ナザリオは、マリネッタが辛い立場にあるのだと思っていた。だから、王太子もルーチェもナザリオにとって排除対象で、自分の非を認めないルーチェは大嘘つきだと決めつけていた。


 だが、違った。


 パリン、パリン、と、これまで信じていたものが脆く砕け散っていく。


 マリネッタのことを信じていた。信じていたから、彼女のためになんでもやってきた。


 だが、マリネッタは自分に仇なす者を排除するためなら手段を選ばなかった。

 エドアルドを愛していながらも、彼の心をつなぎ止めるために毒を盛ることも厭わなかった。


 ナザリオが殺した妻は――全くの無実だった。


「そん、な……」

「ねえ、ナザリオ。あなただって同じでしょう?」


 ナザリオの動揺に気づいたのか、マリネッタは笑顔の下に凍えるようなものを孕みながら、ナザリオを詰った。


「あなただって、ドブネズミの嘘の噂を流したでしょう? ドブネズミには好きな男がいると、嘘をついたでしょう? エドアルド様に毒を盛る作戦に、加わったでしょう? それなのにどうして今、自分だけが被害者みたいな顔をするの? 知らなかった、なんて通用しない。おまえも、同罪なのよ」

「え、あ……」

「……まあ、いいわ」


 すんっと顔を背けたマリネッタは、椅子から立ち上がった。


「そろそろお見舞いに行かないと、エドアルド様が心配されちゃうからね、行ってくるわ」

「……は。あの、妻の遺骸は――」

「ああ、それなら気にしないで」


 振り返ったマリネッタは微笑み、パチン、と指を鳴らした。それに応じて、壁際に控えていた神官たちがざっとナザリオを取り囲む。


「あなたの屋敷に火をつけて、証拠隠滅するわ。ナザリオ、あなたも一緒に死んでちょうだい」

「……は?」

「聖女の命令で結ばれた神官の夫婦は、互いを愛して炎の中でもなおその手を離さず、事切れた。わたくしはその話を聞いて涙を流し、幼馴染みを亡くしたエドアルド様と共に悲しみを分かちあう……うん、いいシナリオだわ」


 朗らかなマリネッタの言葉が、信じられない。受け入れられない。


「そういうことで。今までありがとう、ナザリオ。さようなら」


 マリネッタは弾む声で言うと、軽やかな足取りで去っていった。


「っ、マリネッタ様――あ、がっ?」


 思わずその背中を追いそうになったナザリオの首の後ろに、重い一撃が入る。

 鈍い痛みが広がり、ごほっと血を吐き出して床を赤く染める。


「……こいつの屋敷に、火をつける手筈を」

「油を撒いて、屋敷の者を皆殺しに……」


 神官たちのそんな会話が聞こえた気がしたが、やがて全ての音が聞こえなくなった。

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