32 聖女との決着①
大聖堂の奥にある、絢爛豪華な聖女の部屋。
「あなたに会えてよかったわ、ベルトイア夫人。知り合いが誰もいなくて、ずっと寂しかったの」
瀟洒なテーブルを挟んでルーチェの反対側に座る銀の魔女――マリネッタはほわほわとした笑顔で言っている。
「あなたも聞いているかしら? わたくし、少し体調が優れなくて、しばらくお部屋で体と心を休めるよう大司教様から命じられたのです」
「……はい。マリネッタ様が一日でも早く快癒されますことを、心より祈っております」
そう言いながらも、ルーチェは内心舌打ちをしたい気分だった。
中庭でマリネッタに捕まったルーチェは、なんだかんだ理由を並べ立てられテオもろともマリネッタの部屋に連行されてしまった。
幸いだったのはこのときフェミアがそばにおらず、マリネッタの取り巻きらしい神官に連行される途中、階段の陰でじっとこちらを見るフェミアの姿が見えたことだろうか。
(フェミアはきっとすぐ、居城に戻ってエド様に報告してくれる。そして私のそばにはテオがいるから、手荒なことはされないはず……)
だがそのテオも、「女同士の会話ですからね」ということでドアの近くぎりぎりまで追いやられている。
視界の端に、心配そうな顔でこちらを見るテオの姿が映った。
「ありがとう、ベルトイア夫人。……そうだわ。エドアルド様との結婚生活は、順調?」
「はい、おかげさまで」
「それならよかったわ。まさに清廉潔白な騎士という雰囲気のエドアルド様だからきっと、居城でも奥方を敬愛なさっているだろうと思っていたわ。とってもお優しいでしょう?」
いえ、敬愛どころではなくて、『待て』のできない猛獣のようになってルーチェが立てなくなるほど抱き潰してくるし、ことあるごとにキスを求めてくるほど愛が重いですが、と思ったが言わなかった。
言ったときのマリネッタの顔はきっと見物だっただろうが、後が怖い。
マリネッタ付の女性神官が、ワゴンを押してやってきた。
聖女が使うにふさわしい茶器一式は、見事の一言に尽きる。エドアルドの妻として居城で不自由のない生活を送るルーチェだが、夫婦揃って質素堅実ということもあり、こんな上等な茶器は見たことがなかった。
マリネッタはルーチェが茶器に見入っているのに気づいたようで、心なしか嬉しそうに笑った。
「とても素敵でしょう? 聖女就任の際に大司教様から贈っていただいたティーセットよ」
「ええ、とても美しいです」
「ありがとう。美しいだけでなくて、このカップで飲むお茶は本当においしいの。ベルトイア夫人は、おつとめの後で喉が渇いているでしょう? どうぞ飲んでいってくださいな」
マリネッタは愛想よく微笑み、女性神官に「お茶の仕度を」と言った。
先ほどフェミアが持ってきてくれた水を飲んでいるので、喉は全く渇いていない。そうでなくても、敵陣まっただ中でお茶を飲むなんてとんでもない。
(なんとか飲まずに済ませたいけれど……)
テオの方を見ようとしたが、あいにくルーチェとテオの間に女性神官がいるため彼とアイコンタクトを取ることができない。
(だとしたら、エド様が来てくださるまで粘るしかないわね……)
ルーチェが考えている間に、二人分のお茶が用意された。
ソーサーにも繊細な模様が描かれており、ただテーブルに置かれているだけで芸術品のごとき美しさを放っている――のだが。
(……待って。私の方、ちょっとお茶の量が多くない……?)
そう気づけたのは皮肉にも、マリネッタご自慢のティーカップのおかげだ。
ティーカップには内側にも模様があり、縁沿いに野いちごの蔦のような線があった。それが基準となり、マリエッタのカップよりルーチェのカップの方が水面が高いことに気づいてしまったのだ。
といっても、その差もほんのわずかなものだ。しかもすぐにマリネッタが自分のカップを手に取り紅茶を上品に飲み始めてしまったので、もう比較することもできなくなった。
(気のせい? ……いえ、もしかしてこの中に、なにかが入っているのでは……?)
たとえば、薬とか。
女性神官は最初、二人のカップに同じだけの紅茶を注いだ。そしてルーチェの隙をついて、ルーチェのカップにだけなにかを投入した。その分だけ、水面が上昇したのではないだろうか。
「おいしいわ。さあ、ベルトイア夫人もどうぞ?」
「……ありがとうございます。ですが、実は先ほど仕事の後に水を飲んでおりまして……」
「まあ、そうなの? でもちょっとだけでも飲んでいきなさいな。体にいい成分の含まれたお茶だから、きっとお気に召すわ」
マリネッタはカップをソーサーに置き、上品に微笑んだ。なんとしてでも、ルーチェに紅茶を飲ませたいようだ。
(……なにかが、入っている)
もはやそれは疑う余地もなく、ルーチェは汗で湿る両手をぎゅっと握った。
その仕草は、テオにも見えたのかもしれない。ドアの方で「あの!」とテオが声を上げた。
「奥様は、おつとめが終わり次第居城に戻られることになっています! お戻りが遅ければ、エドアルド様も心配なさるかと……」
「大丈夫よ。そんなに長く拘束するつもりはないわ」
「ですがっ……!」
「……女だけのお茶会に、男性はやはり無粋ね。追い出しなさい」
マリネッタがすっと表情を消して命じた途端、テオの隣にいた男性神官が彼の両腕をがっと掴んだ。
「テオ!」
「ベルトイア夫人、安心して。彼には外に出てもらうだけだから」
「私の護衛に手荒なことをしないで!」
ルーチェは思わず声を上げる。
男性神官がテオの腕を無理な方向にひねり上げていて、彼が苦悶の表情になっているからだ。
(こうなったら……!)
「テオを追い出しても無駄です! ……マリネッタ様、私に専属侍女がいるのはご存じですよね?」
覚悟を決めてルーチェがマリネッタに問うと、その質問の意味を正しく理解したらしいマリネッタがさっと気色ばんだ。
「……なるほど、侍女を連絡係にしたのね? 姑息なことを……」
「奥様っ……!」
「動くな! ……ベルトイア夫人になにかあってもいいの?」
テオを制したマリネッタが指示を出すと、それまで黙って立っていた女性神官がさっと動いた。彼女はルーチェの喉を押さえつけて椅子の座面に押し当て、空いている方の手にルーチェのティーカップを持った。
「……残念だわ、ベルトイア夫人……いいえ、ルーチェ。おとなしくしてくれたなら、あの騎士だけは帰してあげたのに」
「……嘘ばっかり。私もテオも、無事に帰す気なんて最初からなかったでしょう?」
喉を押さえられ、咳き込みそうになりながらもルーチェは気丈に微笑んだ。
「マリネッタ様……やはりこれが、あなたの本性なのですね」
「やはり? ……ふうん、そう。気づいていたのね」
マリネッタがつまらなそうに言い、女性神官がティーカップをルーチェの唇にくっつけた。
あと少し傾けば、ルーチェの口内に紅茶が流れ込んでくる。
少しでも抵抗しようときっと唇を引き結ぶと、女性神官はカップを下げた。だが彼女はルーチェの口にスプーンを突っ込んでこじ開け、代わりにマリネッタがカップを持った。




