27 従兄弟たち
エドアルドがマリネッタを――渋々ではあるが――連れて行った遠征から帰ってきて、約半月後。
「……おまえの方から話があるとは、珍しい」
もはや標準装備となった眉間の皺と共にそう言うのは、王太子ヴィジリオ。
美形ではあるもののどこか陰険な雰囲気を持つ彼は、デスクを挟んで立つ従弟を疑うような眼差しで見上げていた。
王太子の執務室にやってきたのは、エドアルド・ベルトイア――元王子シルヴィオが王位継承権を捨ててでも共に生きたいと思った女との間に生まれた、王家の血を引く青年。
まだ叙爵はしていないので一応今の身分はベルトイア公爵令息だが、本人はその名で呼ばれるのを嫌い、ただのエドアルドとして過ごすことを望んでいる。
従兄弟だけあり、二人の顔立ちはよく似ている。だがエドアルドはヴィジリオより体格がよく、朗らかで懐の大きいところが臣下たちからの人気を集めている。
十年前、両親を立て続けに亡くしたエドアルドはわずかな臣下を連れてのこのこと王城にやってきた。
彼は自分が王宮では望まれていないとわかっていたが、元王子である父の息子であるため国王のもとに来て今後の相談をしなければならなかったのだ。
あのとき、生まれて初めて従弟とまみえたヴィジリオは、驚いた。
田舎の屋敷でのびのびと育ったというエドアルドは、自分にはない快活な魅力を持っていたからだった。
さて、この孤独な王甥をどうするか。
王位継承争いの種になるのなら即刻消すし、使えるのなら使うのがよかろう。
父王とヴィジリオが相談した結果、「ひとまず使ってみる」ということが決まった。
エドアルドは己の立場を弁えているようでよく働くので、王家の忠実な臣下――魔物退治でもなんでも従順に従う便利屋としてこき使ってきた。
そんな従弟が臣下の女性と恋愛結婚したと聞いても、ヴィジリオはさして関心を持たなかった。
もともと彼は、色恋などに関心がない。自分の婚約者のマリネッタだって、大聖堂との縁を持ちたい父王の命令だから渋々婚約しただけで、そこには愛も恋も存在しないのだから。
「お忙しい中、お時間を取ってくださったことに感謝申し上げます」
「まどろっこしい挨拶などいらん。おまえが用もなしに私のところに来ることなど、考えられない。なにが目的だ?」
ヴィジリオは、単刀直入に申せと命じた。
正直なところ、従弟が本日なにをもって執務室までやってきたのかの真意はまだ読めていない。
実直で公明正大な理想の騎士として人気を集める従弟だが、その頭の中の八割は結婚して間もない妻のことでいっぱいらしい。
だがヴィジリオはエドアルドの妻――名前も見た目ももう忘れた――に関心がないので、その女のことで自分に相談させるようなことはなにもないはずだ。
「では、あけすけに申し上げますと。……私は王位などに全く関心がないので、殿下が立派な国王になってください、とお願いしに来ました」
難解な言葉や言い回しをすることさえやめたらしいエドアルドがばっさりと言ったため、ヴィジリオの頭の血管がミシミシと唸った。
「……貴様、この私になんという口を――」
「手っ取り早く用件を言えとおっしゃったのは殿下でしょう」
ヴィジリオが怒りを露わにしてもどこ吹く風で、エドアルドはけろっとしている。
「私の亡父であるシルヴィオ元王子は、母と結婚するために王位継承権を放棄しました。その息子である私には当然、継承権はないのですが……私に特例で継承権を復活させては、と考える貴族がいるそうですね」
「……なにが言いたい?」
肯定も否定もせずにヴィジリオが問うと、エドアルドは懐から出した書状をデスクに広げた。
それは、エドアルド・ベルトイアの管轄にある私兵団の指揮権に関する書類だった。
「こちらは、隊長である私を含めた我が私兵団全隊を、殿下の麾下としてお使いいただける権利書でございます。こちらにサインを」
「……おまえ、なにを言っているのかわかっているのか?」
さしものヴィジリオも虚を衝かれ、デスクの書類を凝視する。
エドアルドは、居城に勤める兵士たちをエドアルド隊として鍛え上げている。
国王や王太子が命じてきたどの魔物討伐遠征にもエドアルドの部下として同行した彼らは何度も死地をくぐり抜けてきた猛者ばかりで、下手すると王城騎士団よりも練度が高いかもしれない。
彼らは、不安定な立場にあるエドアルドに忠誠を誓う、彼の剣であり鎧でもある。それなのにエドアルドは自身も含めた私兵団を、王太子の下に就かせると言っているのだ。
「私は、あなたと王位を争うつもりはない。その決意の表れです」
トントンと書類を指先で示したエドアルドは、笑顔だ。
「……私が望むのは、愛する妻と共に生きること。そして……いつ妻の身に宿ってもおかしくない我が子と共に過ごすことです。王位などに興味はありません」
「……」
「そのためならば使えるものはなんでも使うし、誰かの傘下に入ることも厭いません。だからこそ、殿下には私の平穏な未来のためによき国王になっていただきたいのです」
「……おまえの家族愛とやらに、私を巻き込むつもりか?」
「そうだとしても結果として、多くの民にとっての幸福にもなるでしょう」
妻との円満生活を自慢されているようで腹が立つので嫌味を返したが、エドアルドは涼しい顔で反論する。
「……陛下や殿下がどのような思惑で私を戦地に送ってきたのかは、だいたいわかっています。わかっていますが、今はそれについてとやかく申し上げることはしません」
「……嫌みったらしいやつだな」
「すみません、妻のためならどこまでも性格が悪くなってもいいと思っているので。……私としても、殿下と敵対することは避けたいと思っています。悪い話ではないのでは?」
ヴィジリオは、小鼻をひくつかせた。これは、脅しだろうか。
――エドアルドを王家の駒としてこき使いつつ、いよいよ邪魔になったら魔物との戦いで戦死したことにして消す。
それが、国王と王太子が決めたことだった。
エドアルドは決して、馬鹿ではない。彼は自分が王家に利用されていることを知りながら、これまで従順に命令に従ってきた。
だがいざとなったら、王家の非道な振る舞いを喧伝するかもしれない。……してもおかしくない状況なのだと、言外に含めているのだろう。
「……だからおまえは、私によき王になれと言っているのだな」
「はい。殿下が約束してくださるのでしたら、私は全力をもって殿下の治世をお支えしましょう」
ヴィジリオは、澄んだ眼差しで言う従弟をじっと見た。
しばしの沈黙の後、ヴィジリオのため息が静寂を破る。
「……伯父上に続き、おまえも好いた女のために全てを捨てられるのだな」
「父の子であるという証明でもありますので、光栄です」
「……おまえのそういうところが、ずっと嫌いだった。だが……同時に、うらやましくもあった」
ヴィジリオは一度ぎゅっと目をつぶってから開眼し、デスクのペンを手に取って面倒くさそうに手元の書類にサインをした。
「これは、預かっておこう。おまえの誓いをなかったことにはしない」
「ありがとうございます」
「……だがこれは、保険だ。おまえが誇る私兵団に頼るなど、我が王城騎士団の恥だ。せいぜいこの権利が行使されないよう、賢く立ち回るように」
ヴィジリオが書類をひらひらさせると、エドアルドは微笑んだ。
最初からヴィジリオの反応を予想していたのだろう、してやったり、と言わんばかりの笑みにますます腹が立ってくるが、不思議とこれまでのような苛立ちはさほど感じなかった。
「……結局、私はずっと無い物ねだりをしてきたのかもしれないな」
ヴィジリオがぽろっとこぼすと、エドアルドは「そういうものです」と賛同を示した。
「誰でも、隣の芝を青く感じるものです。ですがもしそうなっても、隣の家に放火して芝を焼き払おうとするのではなく、自分の庭の芝を青くする方向に情熱を向けられるのならば、問題ないかと」
「脳筋のわりに、言ってくれる」
ふんっと笑ったヴィジリオは、そこでふと遠い眼差しになった。
……ここ最近、考えていることがある。
父王にもまだ話せていないのだが、今なら不思議と、この生意気な従弟に話してもいいのではと思えた。
「……マリネッタとの婚約を解消しようと思っている」
「左様ですか」
突然の重大発表にも、エドアルドは動じていないようだ。もしかすると彼も、そうなることを薄々予期していたのかもしれない。
「父上は大聖堂と王家の繋がりを強めるべきだとお思いのようだが、私は違う。政教分離は、どのような時代であれ軽視してはならない。現在の大司教殿ならば問題ないが、欲深い者が次代の大司教になった場合、大聖堂が王家を陰で操ることになるかもしれない」
そのことを危惧する者は、決して少なくないはずだ。
王太子ヴィジリオと聖女マリネッタの婚約。それは現国王と現大司教の仲が良好で、大司教側に権力欲がないから成立するものだ。
そもそもこの婚約は、結ばれた当初から危ういものだった。それにヴィジリオは、おどおどしていて自分の気持ちをはっきり言わないマリネッタのことが好きではなかった。
さらには――
「……あいつの周りには、王城使用人をつけている。だがあいつの近くにいた者たちが次々に辞めていき、大聖堂関係者が新たに登用されているという」
「ご自分の知己を周囲に置いているのですね」
「その時点で、信用ならない。私は大司教殿には世話になったし尊敬しているのだが、マリネッタに関しては最初からいけ好かないし、最近のあいつの言動からも不信感が増すだけだ」
ヴィジリオの話を、エドアルドは静かに聞いている。
以前、マリネッタがエドアルドの遠征についていったことがある。その時点で既にヴィジリオはマリネッタに愛想を尽かしつつも、彼女の聖女という立場を前に出されると大司教の手前強く言えないので、遠征に行くことに関しては半ば放っておいた。
だが、そろそろマリネッタのことは手に負えなくなってきた。
彼女がエドアルドに恋しているのではないかという噂はもちろん、ヴィジリオの耳にも届いている。エドアルドが独身だったならば別の考えもあっただろうが、妻帯者に言い寄る神官など、大司教に報告すればさぞ落胆するだろう。
大司教への報告は、最後の手段にしたいと考えている。
とはいえ、マリネッタが暴走するのを止めるには自分との婚約を解消するのが一番ではないかと思っている。
「今は大聖堂で謹慎させているが、いずれ婚約解消について大司教と話すつもりだ」
「大丈夫なのでしょうか」
「いざとなったら、おまえにも出頭してもらう。こき使ってやるから、覚悟しておけ」
ただし、とヴィジリオは視線をそらした。
「……おまえのことはこれからも使わせてもらうが、おまえの妻には関わらないと誓う」
「殿下……」
「勘違いするな。おまえの妻に近寄れば、おまえが私の寝首を掻きに来るかもしれないから言っているだけだ。だからその分もきりきり働け、エドアルド。……私がよき国王になるかどうか、おまえがその目で監視していろ」
挑戦的に笑ってやると、エドアルドも小さく笑った。
……従弟として彼を紹介されて、早十年。
エドアルドがこういうふうに笑うところを、ヴィジリオは初めて見た。




