3 脇役神官の気持ち
王太子が、エドアルドがマリネッタをたぶらかしていると言っているそうだ。
確かに毎日のようにマリネッタが来ているのだから、そう思われても仕方がないだろう。
だが周りの者たちは、「マリネッタ様は横暴な王太子殿下から逃げ、エドアルド様に匿われている」と主張しており、マリネッタを擁護する方に傾いていた。
今やマリネッタはエドアルドの居城の女主人のようで、毎日のように彼らが連れ立って歩いている姿を見かけるようになった。
「エドアルド様は、マリネッタ様のそばにいるときだけ、日々の激務を忘れて心を楽にできるらしい」
「エドアルド様はいずれ王太子殿下を倒し、マリネッタ様をお救いするつもりらしい」
「エドアルド様とマリネッタ様が結婚して即位したら、きっと素敵な国王と王妃になるだろう」
そんな噂話が、ルーチェの胸をぐさぐさと貫いてくる。
「話をしないと……!」
ルーチェは、エドアルドの近衛騎士の一人にお願いをして少しでもいいから話をさせてほしいと申し出た。
居城の者のほとんどがエドアルドとマリネッタの仲を取り持とうとする中で、ルーチェとも旧知の間柄でその恋心を知っていた彼は、複雑そうな表情になった。
「……ルーチェの気持ちもわかるよ。でも、今のおまえではエドアルド様のところには通せない」
「そこを、どうしても……!」
「だめなんだよ。……おまえ、マリネッタ様付のやつらの目の敵になっているの、わかっているだろう? 今おまえがこうして城に残れているのも、エドアルド様の幼馴染みだからなんだ。おまえが追い出されるのは、俺だって苦しい。だから、おとなしくしていてくれ」
諭すように言われて、ぐっとルーチェの胸が苦しくなる。
マリネッタの人気が増すにつれて、ルーチェの立ち位置は怪しくなっていった。
ルーチェがマリネッタに愚痴を言っているとか横柄な態度を取っているとかいう根も葉もない噂は、治まるどころか悪化していた。
ルーチェはそのたびに否定するのだが、さめざめと泣くマリネッタの姿に絆されたのか、それとも彼女の聖女という地位が噂の信憑性を裏付けたのか、ルーチェを信じてくれる人は日に日に減っていった。
この近衛騎士は、今でもルーチェのことを信じてくれている。だが彼の立場上主だって味方することはできず、だからこうして優しく諭してくれるのだ。
「……そこでなにをしている」
近衛騎士に迷惑をかけるわけにもいかず困り果てていたルーチェだが、久しぶりに聞こえてきた男性の声にどきっと心臓が跳ねた。
この、低くて心地のいい声は。
「エドアルド様!」
声のした方を振り返ると、そこには険しい表情をしたエドアルドがいた。確か今日の彼は、市街地の視察に行っていたはずだ。その帰りなのか、馬の手綱を従者に預けた彼がこちらにやってくる。
「……ルーチェか。なぜ、君がここにいる」
「エドアルド様! あの、少しだけでいいのでお話を――」
「……悪いが、俺は君と話すことはない。それに、体がしんどいんだ」
エドアルドはルーチェの声で頭痛がするのか頭に手をやり、顔を背けた。明らかな拒絶の仕草に、ルーチェの胸が潰れそうになった。
「……大丈夫ですか、エドアルド様? お疲れなら、晩餐はお休みになった方が……」
「いや、平気だ。今日の晩餐の席には、マリネッタがいる。彼女と一緒に食事をすると、すごく体が楽になるんだ」
近衛騎士の気遣いの言葉に対するエドアルドの返事に、ルーチェはいよいよ泣きたくなってきた。
ルーチェでは、エドアルドを癒やすどころか引き留めることさえできない。彼が求めているのは……マリネッタだけだった。
そこでエドアルドはルーチェの方を見て、青色の目を細めた。
「……マリネッタから、君のことを聞いている。俺は、幼少期から一緒にいる君がマリネッタに無礼な仕草をしているということを、信じたくない」
「っ、そうです! 私はそんなことなんて……」
「信じたくないからこそ、下がってくれ。……君がいると、判断が鈍りそうになる。今は、余計なことを考えている場合じゃないんだ」
エドアルドの言葉に、ルーチェは息を呑んだ。ぎゅうっと心臓が悲鳴を上げて、涙が零れそうになり、足下がふらつく。
エドアルドにとって、ルーチェの噂の真偽は『余計なこと』だった。
彼にとって、ルーチェはその程度の存在なのだ。
「ルーチェ……」
ルーチェの肩を、近衛騎士がそっと支えてくれる。エドアルドはその様を少し険しい表情で見てから、マントを翻して去っていった。
エドアルドの姿が見えるまでは、なんとか堪えられた。だが彼が見えなくなった途端、ぼろっと涙が零れて上着の襟を濡らした。
「わ、私、エドアルド様に……!」
「ルーチェ、エドアルド様の言うとおりだ。……おまえは、下がった方がいい」
とんとんとルーチェの背中を叩いてから、近衛騎士は言った。
「今のエドアルド様は、国のことを考えるので精一杯なんだ。……ただでさえ疲弊されているのだから、お心が揺らぐようなことをはしてほしくない。わかってくれ」
励ますように、慰めるように――それでいて、叱るように。
近衛騎士に言われて、ルーチェはうなずくしかできなかった。
……この日がエドアルドと言葉を交わした最後の日となるなんて、ルーチェは知りもしなかった。
国王と王太子、そしてエドアルドは対立し、いよいよ王位継承争いが起きた。
猜疑心が強く自分に従わない者を排除しようとする王太子たちと、大聖堂という後ろ盾を得て彼らを倒そうとするエドアルド。
その戦いに結局ルーチェが加えてもらうことはなく、半年にも及ぶ内乱はエドアルド側の勝利に終わった。
王太子は処刑され、息子を殺された国王は追放処分を受けた。公爵令息であるものの元王子を父に持つエドアルドは国民から熱狂的に迎えられ、国王に就任することになった。
そしてその妃として皆が諸手を挙げて歓迎したのが、マリネッタだった。
内乱中も決してエドアルドのそばを離れようとしなかった聖女は、まさに救国の女神扱いだった。
横暴な王太子に虐げられていたマリネッタは、ある日の夜会でエドアルドと知り合う。運命の恋に落ちた二人は手に手を取って、悪の国王を討ち取った――きっと後世では、そんなストーリーの演劇が好んで行われることだろう。
そうしてルーチェは、演劇の台本にも載らないエドアルドの幼馴染みとして、ひっそりとこの世から消えていくのだろう。
「……それもいいわね」
新国王と王妃の即位記念式典に参加することもできず、エドアルドの居城で身の回りの整理をしていたルーチェはふっとつぶやく。
エドアルドとマリネッタの結婚が発表された日に、ルーチェは一生分の涙を流した。だから、かつて友人だった女性たちがマリネッタ付に任命されたと聞いても、明日の午前中までに居城を出ていくようにと言われても、一切動じなかった。
もう、この城にルーチェの味方はいない。
ルーチェのことを信じてくれた近衛騎士は、内乱の中でエドアルドを庇って戦死した。彼の墓石に花を添えたら、王都から離れるつもりだった。
エドアルドがマリネッタと結婚して治めていく国に、いたくなかった。
王都を離れ、国を出て、どこか別のところで神官として働けたらいい。神官としてお呼びがかからなくても、魔法の訓練は毎日欠かさず行ってきた。愛用の杖もきちんと手入れして持っているから、どこでも働き口はある。
……そう思っていたのだが。