23 不意打ち
今回の魔物を始末する方法として、あちこちに爆竹を設置して驚いた魔物を一箇所に集めるという作戦を採用している。
一網打尽にすればいいので追い込めば後は楽だが、魔物たちが集まってくるまで待つ必要がある。そのため、朝早くに現場に到着して罠の準備をしたものの、昼になってもかかる気配がなかった。
(そうよね。確か【1度目】でも、かかったのは昼過ぎだったわ)
各地に配置されている兵士たちは、警戒しつつも乾燥肉をかじったり水分補給したりしていることだろう。ルーチェたちのいる拠点も穏やかな空気が流れていて、交代で昼休憩をしていた。
ルーチェのテントには三人分の料理が運ばれてきて、テオたちと一緒に食事をした。
「じゃあ、少し行ってくるわね」
「はい、お気をつけて」
食後、手洗いのためにルーチェはフェミアを伴ってテントを出た。
遠征中だと風呂や排泄などもどうしても不便で不衛生なものになるが、これも従軍兵の使命だとルーチェは我慢しているし、そもそも小さな村出身のルーチェには多少の我慢は苦ではなかった。
「……あちらが騒がしいようね」
手洗いの帰りに、東の方から女性の叫ぶ声がした。
そちらを見たフェミアが通りすがりの使用人を捕まえ、少しやりとりをした後にげんなりとした顔でこちらに戻ってきた。
「どうやら、ブリジッタたちが文句を言っているようです。マリネッタ様のためにもっと豪華な昼食を用意しろとか」
「……何様なのかしら」
つい、ぽろっとそんな言葉が漏れてしまいはっとルーチェは口を塞いだが、フェミアはルーチェの口の悪さは気にしていないようで「そうですね」とルーチェ以上に憤慨している。
「従軍中の食事が質素になるのは、当たり前のことです。それなのに文句なんて……いえ、もしかするとブリジッタたちが勝手にまくし立てているのかもしれません」
「あり得るわね」
ブリジッタたちは、媚びを売る先をマリネッタに変えたようだった。おそらくそのルートは【1度目】もほぼ同じで……結果として彼女らは、結婚を命じられたルーチェを足蹴にするまで増長したのだろう。
(……関わりたくないわ)
やはりどうにか理由をつけて、ブリジッタたちを居城勤めから解雇させるべきだろうか。
そんなことを考えていたルーチェは、葉が茂った木の下を通過し――
――べちゃっ!
「きゃあっ!?」
「奥様!?」
なにかが頭の上に落下して、ぬるっとした感覚と衝撃で悲鳴を上げてしまった。
急ぎフェミアが駆け寄りルーチェを座らせ、「これは……」と怒った声を上げる。
「泥……? お怪我は!?」
「だ、大丈夫よ。柔らかかったから」
ルーチェが言うように、衝撃こそあったが怪我をするほどではなかった。
ルーチェの後頭部から背中にかけてを汚しているのは、コケの混じった泥だった。かなり粘性が高いようで背中がぬるぬるべたべたするし、臭いもひどい。
「泥の中になにが混じっているかわかりません。すぐに着替えましょう!」
「ええ……あっ」
フェミアに支えられて立ち上がったルーチェの目の前に、銀髪の美少女がいた。
傍らにブリジッタを控えた聖女マリネッタは泥にまみれたルーチェを見ると、「まあ!」と悲痛な声を上げる。
「どうかなさったのですか、奥様? その汚れは……」
「その……少し、汚してしまいました」
ルーチェが口ごもりながら言った直後、西の方角でドォン、と爆発音が立て続けに起こった。
罠が、発動してしまったようだ。
「マリネッタ様、戦いが始まりました!」
「そうですね。……奥様、こちらのことは気にせずに着替えてきてくださいな」
「しかし――」
おっとりと言うマリネッタに反発しようとしたが、彼女は苦笑いをして口元を手で押さえた。
「負傷した兵士の皆様は、清潔な場所で手当てを受ける必要があるでしょう? その……今のあなたでは、少し難しいかと」
「っ……!」
屈辱だ。
あの泥攻撃がマリネッタの指示によるものなのか全くの偶然なのかまでは、わからない。
だがマリネッタは泥で臭うルーチェを見て、笑っている。
呆れたような、それでいて勝ち誇ったかのような笑みを浮かべている。
……それが、たまらなく悔しい。
「奥様……」
「……かしこまりました。マリネッタ様、申し訳ございませんが西の救護テントに行っていただいてもよろしいでしょうか?」
「ええ。エドアルド様のことはわたくしに任せて、どうぞごゆっくり」
歯ぎしりをしそうになるのを堪えてルーチェが頭を下げながら言うと、マリネッタは軽やかに笑ってから、きびすを返した。にやにや笑うブリジッタも、伴って。
……いつも三人でつるんでいるくせに今ブリジッタしかいないのが、ほぼ答えのようなものだ。
もしかすると先ほど通過した木の上あたりにテーアかザイラがいたのかもしれないが、確かめるにも手遅れだ。
(悔しい……!)
こんな幼稚な罠に引っかかったのも悔しいし、絶対に守りたいと思ったエドアルド隊の衛生兵としての仕事をかっさらわれたのが、ますます悔しい。
「……フェミア、手を貸して。体を洗って、着替えたいわ」
「ええ、もちろんです! ……申し訳ございません、奥様。私がついていながら……!」
「あなたのせいじゃないわ」
フェミアはテオのような護衛ではなくて、あくまでも侍女だ。彼女に常に全方位警戒させるというのが無理な話だ。
すぐさまルーチェは着替え用のテントに向かい、泥まみれの服を脱いで川の水で体を洗った。体だけならともかく髪まで汚れていたので、臭いが落ちるまで洗うのにかなり時間がかかってしまった。
急いで着替えて、髪を乾燥させるのもそこそこにルーチェは西側救護テントに向かった。魔物との戦闘が続いているようで、負傷者が続々運び込まれているのが見えた。まだ、ルーチェの仕事は残っているはずだと思ったのだが――
「……杖がない?」
「……申し訳ございません、奥様。奥様が不在の間、誰も入れなかったのですが……」
意気消沈したテオの言葉に、ルーチェは絶句した。
テオが言うに、ルーチェとフェミアが出ていった後のテントの入り口のところでテオが守りを固めていた。
そうしているとマリネッタが来て、「奥様は今、服を汚したので着替えている。その間、わたくしがここのテントに入ることになった」と説明した。
それならばと、テオはテントの中に残されているはずの杖だけは回収しようとしたのだが、なぜかどこにも見つからなかったという。
「マリネッタ様がお越しになるまで、誰一人として通しておりません! 誓います!」
「……ええ、あなたを疑うつもりはないわ」
ルーチェは真っ青になるテオをなだめながらも、心臓がばくばく言っていた。
杖なら、いざとなったら新しく買い直せる。だが杖は基本的に、最初に与えられたものを引退するまで使うことになっている。
だから、予備なんてものはない。新しい杖をもらうには教会に申請しなければならないから……今のルーチェでは、衛生兵として役に立つことができない。
(まさか……!)
はっとルーチェは、テントの方を見る。中にマリネッタがおり、負傷した兵士を次々に回復魔法で癒やしているようだ。
テントの入り口にはマリネッタが連れてきた大聖堂勤めの騎士の他、ブリジッタとザイラの姿もあった。
「私たちはマリネッタ様のお付きです」と言いたげな顔をしている二人だが――なぜか、その口元がにやついているようだ。
(杖を、盗られた!?)
ふざけるな! と怒鳴りそうになり、ルーチェはなんとか堪えた。
(怒ってはだめよ。ブリジッタたちが盗ったという証拠はない。でも……)
そこで、ルーチェは思い出した。手洗いに行く前、自分は愛用の杖を椅子の脇に敷かれたシートの上に置いていたのだ。
(まさか……)
ルーチェは急ぎ、西側救護テントの裏に回った。自分が杖を置いていた場所の、ちょうど裏側。
その部分のテントの裾周辺を見ると、一度強く引っ張られたような跡があった。
(なるほど。正面にはテオがいるから、裏側からテントの裾を引っ張って隙間を広げ、そこから杖を引っ張り出したのね……)
杖はルーチェの身長の半分ほどの長さだが、厚みはそれほどでもない女性の拳が入る隙間さえできれば、そこから杖を引き出すこともできるだろう。
「奥様……」
「……東側の救護テントにいるわ」
声が震えそうになりながら、ルーチェはテオとフェミアに言った。
「今の私がここにいても、皆の邪魔になる。だから、東の方に下がっているわ」
「……かしこまりました」
「テオ、フェミア。あなたたちのせいではないのだから、責任を感じないでちょうだい」
ルーチェはそう言って専属の二人を励ますものの、三人揃ってしてやられたのは確かだ。
(エド様……)
いつもは頼もしくて、一秒でも早く会いたいと思う夫。
だが今は、彼に合わせる顔がなかった。




