2 聖女登場
エドアルドは国王たちから横暴な命令を受けながらも、強くたくましく成長した。
もともと体格は大きめだったが十代後半でますます身長が伸び、二十歳になったときにはそこらの騎士に負けないほど剛健な体を持つようになっていた。
ルーチェも十八歳になり、下級神官としてエドアルドに付き添っていた。この八年間で神官としての立場も確立してきたし、エドアルドの指揮下にある部隊で活動するうちに同じ年頃の女性の友だちもできた。
「ねえ、ルーチェってやっぱりエドアルド様のことが好きなの?」
ある日の休憩時間中に、使用人である女友達にそんなことを言われたためルーチェは耳が熱くなってきた。
「そんなものじゃないわ。私にとってのエドアルド様は、お守りするべき人よ」
かつては「エド」と呼んでいたが、王宮に上がるのをきっかけに呼び方を変えた。
それが当然でもあったし……そうでもしないと、自分の中に芽生えている恋心を増長させるかもしれないからだ。
そう、ルーチェはエドアルドのことが好きだった。
でも身分や立場のことを考えると、言い出すなんてとてもではないができなかった。
「きっといつかエドアルド様は、相応の身分のご令嬢を奥方に迎えるわ」
「そうかしら? エドアルド様はもう、二十歳でしょう? それなのにまだ婚約者どころか恋人の一つも作らないのは、もう意中の人がいるからではって言われているのよ?」
「そうそう。だとしたら、誰よりもそばにいるルーチェじゃないかって」
「そんな……あり得ないわ」
否定しつつも、胸の奥では歓喜していた。
もし、エドアルドも同じ想いを持ってくれているのなら、嬉しい。たとえそれが叶わぬ想いでも、もしエドアルドもルーチェのことを女性として意識してくれているのならそれだけで十分幸せだった。
それなのに。
「彼女は、王太子殿下のご婚約者であるマリネッタ様だ。大聖堂の聖女として、我々の活動に協力してくださるとのことだ」
「マリネッタです。どうぞよろしくお願いします」
ある日、エドアルドが皆に紹介したのは銀色の光を纏う美しい女性だった。
波打つ銀髪は、ほんのり紫がかった神秘的な色。長いまつげの奥に青色の目が覗いており、彼女ににっこり微笑まれた騎士たちはどきどきしたのか、気恥ずかしそうに視線をそらしている。
……なんて、美しい女性なのだろう。
金髪碧眼の見目麗しい美丈夫であるエドアルドの隣に立つ、可憐な聖女であるマリネッタ。
まさに絵になる光景だが……マリネッタは、王太子の婚約者だ。エドアルドといい雰囲気になるはずなど、ない――のに。
「……今日もいるわ」
ルーチェは、軽やかな笑い声を耳にして思わず足を止めてしまった。
マリネッタがエドアルドに協力するようになってしばらく経ったが、マリネッタはエドアルドの遠征などに必ずついてくるようになった。
それだけでなく、エドアルドの居城である離宮で彼女の姿を見ることが多くなった。彼女は王太子の婚約者だが、大聖堂が聖女と認めた高位神官でもある。そういうこともあり、未婚男性であるエドアルドに『仕事のために』会いに来てもおかしくなかった。
どうやら中庭の方で、エドアルドとマリネッタが話をしているようだ。エドアルドに今度の遠征についての相談をしようと思っていたルーチェだが、前に出る勇気が出なくてそのまま回れ右をしてしまった。
「……なにやってるんだろう、私」
廊下を歩きながら、胃と胸がきりきり痛む。
エドアルドにもマリネッタにも、他意なんてない。
いずれ親戚になる者同士として、協力しあっているだけだ。きっと、そうだ――
だが次の遠征で、ルーチェはエドアルドの同行者から外された。
これまでは衛生兵としてエドアルドのそばにいられたルーチェの代わりにその座に座ったのは、マリネッタだった。
そして今回を始まりとして、ルーチェが衛生兵として遠征についていくことは、なくなった。
「……ねえ、ルーチェ。あなた、マリネッタ様の陰口を叩いているって、本当?」
ある日、友人の一人に聞かれたときのルーチェは驚きのあまり、抱えていた洗濯籠を取り落としてしまった。
エドアルド隊の衛生兵としての役目がマリネッタに移ってからというもの、お呼びのかからないルーチェは下働きの仕事を手伝っていた。
だが仕事中にそんなことを言われて、最初はうまく反応ができなかった。
「えっ!? 私が……なに? マリネッタ様に?」
「うん。マリネッタ様のせいでエドアルド様に呼ばれなくなったって、文句言っているの? それに、ご本人に対しても悪い態度を取っているとか……」
「ま、まさか! なんでそんなことになっているの!?」
舌ももつれそうになりながら、言い返す。
マリネッタのことは、確かに複雑に思っている。彼女とエドアルドの距離が近いことにやきもきしたり、衛生兵として呼んでもらえなくなったことに心の中では不満を漏らしていたりもする。
だがそれを誰かに愚痴ったことなどないし、ましてやマリネッタ本人に言うわけがない。
そもそも、下級神官――それも最近は暇を持てあましている――にすぎないルーチェが聖女であるマリネッタと顔を合わせることさえないというのに。
「そんなの、嘘よ! 私、そんなこと言わないわ!」
「落ち着いて、ルーチェ。私たちだって、あなたがそんなことを言う人じゃないってわかっているわ」
友人はそう言って、ルーチェが落とした洗濯籠を拾って渡してくれた。
「マリネッタ様付の神官から聞いたんだけど、絶対に違うと思って本人に確かめようと思ったの。ごめんね、疑って」
「う、ううん、気にしないで。信じてくれたのなら、それでいいわ」
次の仕事場に行くという友人を見送り、ルーチェは洗濯籠をぎゅっと抱きしめた。
ルーチェがマリネッタの悪口を言っているとか、マリネッタ本人に対して悪い態度を取っているとか、そんな噂になっているなんて。
「どうしよう……エドアルド様なら、相談に乗ってくださるかしら」
そこまで考えて、ううん、と首を横に振る。
エドアルドは、日々悪化する王太子との関係をなんとかしようと奮闘している。多忙な彼を引き留めることはできないし……そもそも、彼に必要とされなくなったルーチェでは声をかけることも躊躇われる。
だが、信じてくれる人はいる。マリネッタ付の神官が言っていたそうだが、きっとなにかの間違いだ。しばらくすれば、噂も消えるだろう。
そう思っていたのだが。
翌日から、友人だった女性たちは誰一人として、ルーチェに近づいてくれなくなった。
そして後に、彼女らがマリネッタのそばにいる姿を見かけるようになったのだった。