15 あなたをもっと知りたいから②
エドアルドは会場のことを執事と侍女長に任せ、ルーチェの手を引いて椅子から降りた。テオには後方での護衛、フェミアには寝室の準備をするよう命じてから、二人手を取りあって会場を出る。
(風が気持ちいい……)
少し風に当たろうと廊下の中程で立ち止まり、ルーチェは頬を撫でる風の心地よさに目を細めた。外はすっかり夜で、火照った顔には夜風の冷たさがちょうどいい。
頬にかかる髪を指先で払いのけて風に当たるルーチェの隣に、エドアルドが立った。
「……言うのが遅れたが。改めて、司祭就任おめでとう、ルーチェ」
「ありがとうございます、エド様。エド様も、先の遠征での活躍お疲れ様でした」
夫婦で互いを称えあったところで、エドアルドが「まいったな」と頭を掻いた。
「俺がルーチェを守ると決めたのに、いつの間にか俺のかわいい妻は大聖堂の司祭にまでなっていた。これでは、俺が君に守られてしまうな……」
「なにをおっしゃいますか。私があなたをお守りするのは、当然のこと。エド様を守れるだけの力を持てて、私はとても嬉しいです」
「俺もだよ。……ただ」
そこでエドアルドは少しうつむき、隣に並ぶルーチェの左手をぎゅっと握った。
「……嬉しいことなのに、少しだけ不安だ。ルーチェが、無理をするのではないかと思ってしまう」
「……」
「この前の遠征だって、そうだ。毒を受けて倒れたのは、俺の自己管理の甘さが原因だ。だがそのせいで、俺はルーチェに倒れるほどの魔法を使わせてしまった。ルーチェはこれからも必要があれば、倒れるほどの魔力を使うのではないかと思ってしまう」
エドアルドの推測は、正しい。
彼は、ルーチェのことをよくわかっている。
「……そうですね。もし同じようなことがあれば、私は全力を振り絞ってでも魔法を展開して倒れるでしょう」
「ルーチェ!」
「それくらい、私にとってのあなたは大切な人なのです。たとえ倒れても、傷ついても……あなたを守りたい。そう思っているのです」
手をぎゅっと握り返し、ルーチェはエドアルドを振り返り見た。
エドアルドは、悲しそうな顔をしていた。いつもは鮮やかな青色の目が、夜の闇のせいか暗く沈んだ色に見える。
「でも、大丈夫です。私はあなたを守りたいけれど、あなたを守れるのなら死んでも本望だとは思っていません。だって……私はエド様と一緒に生きると決めたんですから」
「ルーチェ……」
「あなたを守り、私も生きる。……それが、司祭になった私の誓いなのです」
空いた方の手で自分の胸に触れ、ルーチェははっきり言った。
【1度目】のルーチェは、弱かった。
神官としての力もないし、誰かに物申せるような正義感もないし、エドアルドに想いを告げる勇気もなかった。
マリネッタは確かに、何枚も上手だった。
だがそれ以上に、ルーチェが弱すぎた。
守りたいものを守るためには、力が必要だ。
(今の私はもう、マリネッタ様になにも奪わせはしないと決めている)
神官としての仕事も、仲間も、愛する人も……あの女には、絶対に渡さない。
自分の欲望のためなら弱い者を虐げることも厭わず、同じ人間を「ドブネズミ」などと罵るような者に、負けたりはしない。
エドアルドはしばしじっとルーチェを見ていたが、やがてふっと笑った。
「……そうだな。それでこそ、俺が愛した女性だ」
「エド様……」
「すまない、ルーチェ。やはり俺も酔っているようだな。柄にもなく、弱気になっていたようだ」
「いいえ、こうしてお気持ちを告げてくれたことが嬉しいですから、気にしないでください」
ルーチェは心から言って、エドアルドの方に身を寄せた。彼はルーチェの肩を抱き寄せ、フェミアが整えてくれた髪型が崩れないよう気をつけながらそっと頬を撫でてくれる。
「……ルーチェ。実は先日、王太子殿下から手紙が届いた」
「手紙?」
「ああ。今度、殿下の二十二歳の誕生日会が開かれる。それに、俺たちも出席するようにとのことだった」
エドアルドの言葉に、夫に身を寄せることで凪いでいたルーチェの心臓がどくんと跳ねた。
王太子の、二十二歳の誕生日会。
それは――【1度目】の人生で、エドアルドがマリネッタと初めて会う日だ。
(ついに、あの日が来る……)
ぎゅっとエドアルドの胸元にしがみつき、ルーチェは努めて明るい声を上げた。
「まあ、そうなのですね。私もお呼ばれしているのなら、嬉しいです」
「ああ、是非とも夫婦で参加するように、とのことだ。王太子殿下も、司祭になったルーチェに会ってみたいそうだ。だが俺はルーチェを見世物にするつもりはないから、ルーチェが嫌ならなんとしてでも言い訳を捻り出して断るが……」
「いいえ、行きます。行かせてください」
エドアルドの気遣いは嬉しいが、ルーチェははっきり答えた。
【1度目】でのルーチェは、エドアルドの幼馴染みにすぎないので誕生日会に招かれることはなかった。だからそのときに彼がマリネッタと知り合ったことも、後で知ったのだった。
(でも今回は、エド様の妻として堂々と同席できる。そして……マリネッタ様から、エド様を守れる)
ようやく、マリネッタに一矢報いることのできるチャンスが来たのだ。
この機会を逃してなるものか。
「私、あなたの妻として立派に振る舞います。だからどうか、おそばに置いてください」
「……わかったよ、ルーチェ。一緒に行こう」
エドアルドは微笑み、片腕でルーチェを抱き寄せて額に軽いキスを落とした。
「……ああ、どうしよう。今、ルーチェがすごく神々しく見える。美しいだけでなく意志まで強いだなんて……君がまぶしすぎて目がくらみそうだ」
「お酒のせいですね」
「君の背中に、翼が生えているようにさえ見える。やはり君は、地上に舞い降りた天使だったんだな」
「それも、お酒のせいかと……」
ルーチェは冷静に突っ込むのだがエドアルドはどこ吹く風で、ルーチェの背中を丹念に撫でながら体を寄せてきた。
「ルーチェ……愛しい、俺のたった一人の天使。どうか、もう少しだけ君のことを知る機会を与えてくれないか?」
どこか熱っぽい、エドアルドのお願い。
その「君のことを知る機会」というのが、おしゃべりをしようとかという健全なものではないことに、初心な小娘ではないルーチェは気づいていた。
つまり……これまでずっとお預けだったふれあいを、少しだけ進めたいと言っているのだ。
ルーチェに触れる許可がほしい、と。
「えっ……あ、あの、エド様。それは……」
「だめか?」
熱っぽい青色の瞳が、真っ直ぐルーチェに注がれる。
「ルーチェが嫌がることは絶対にしないと約束する。だが……他の誰も知らない君のことを、俺に教えてくれないか?」
「……」
「ルーチェ……」
そんな、甘えるようなねだるような目で、見ないでほしい。
(私、ずっとエド様に「待て」をしていたのよね)
当初は、思いがけず結婚して焦りやら混乱やらで拒絶してしまったというのがある。だがエドアルドと夫婦として一緒に歩き、戦場でも共に戦ってきた。
ルーチェだって、もっとエドアルドのことを知りたいと思っている。自分のことを、エドアルドに知ってほしいと思っている。
だから――
「……はい。私のことを知って……あなたのことも、教えてください」
「ルーチェ……!」
「愛しています、エド様」
背伸びをしたルーチェが思い切って唇を重ねると、情熱的なキスが返事として返ってきたのだった。




