12 甘いわけ
魔力切れにより倒れたルーチェはその後、丸一日眠り続けた。
倒れた妻を心配したエドアルドがそばについてくれていたようだが、ルーチェがあまりにも長い間眠るので看病するエドアルドもげっそりやつれてしまい、テオに付き添われて渋々テントを出ていったのだった――と、ルーチェは後で聞かされた。
「心配したんだ! ルーチェが真っ青な顔で倒れて、呼吸も浅いから……」
「魔力切れですよ。昔からたびたび起こしていたでしょう?」
目が覚めたルーチェはとにかくお腹が空いていたので、大盛りのご飯を所望した。そうしてスプーンを手に豪快にもりもり食べていたのだが、その間もエドアルドはそばでおろおろしていた。
「食べさせてあげようか!?」と申し出られたが、丁寧に断った。ちまちまと介護されながら食べるより、自分でがつがつ食べた方が早いからだ。
栄養満点のご飯を食べたことでルーチェはすぐに回復したのだが、エドアルドはすっかり過保護になってしまったようだ。
今も拠点のテントにて報告書を書きながらエドアルドはルーチェを自分の両脚の間に座らせて抱き込んでおり、絶対に離すもんかと意地になっていた。
最初は抵抗していたルーチェだが、彼の左腕ががっちり腰に回っていて外れそうにないので脱出は諦めて、テオが差し出してくれるおやつを食べながらエドアルドの気が済むまで待つことにした。
「魔力切れなら、ゆっくり寝てご飯をたくさん食べれば治ります。師匠もそう言っていたでしょう?」
「もちろんわかっているし、これまでは平気だった。だが、ルーチェと結婚した今はもう無理だ。ルーチェ、どうかもう無茶はしないでくれ。君が戦で死ぬことがあれば、俺はこの国を滅ぼすかもしれない……」
「魔王化はやめてくださいね」
少なくとも、無辜の民は巻き込んではならないだろう。
よしよし、と腕を伸ばしてエドアルドの頭を撫でながら言うと、彼はすんっと洟をすすってルーチェに頬ずりをした。そうしながらも右手は器用に動いて報告書を書いているのだから、すごい人だと思う。
(そういえば、旦那様も同じようなことを言っていたわね……)
遠い昔、「シアが望むのなら、この国を滅ぼしてあげる」とエドアルドの父のシルヴィオが言って、オルテンシアからぶん殴られていた。愛する人のためなら国を滅ぼすことも厭わないというのは、エドアルドの血に刻まれた宿命なのかもしれない。
毒の魔物による追撃があったものの、魔物討伐はルーチェの願いどおり死者数ゼロで終えられた。しかも当初の報告書になかった毒の魔物も追加で撃退したことになるので、エドアルドにとっては国王と王太子に持っていくかなりいい土産になったと言えるだろう。
エドアルドは毒の魔物から部下を守ろうとするあまり、自分が毒を吸っているのに無理をして動いた結果、体内に毒を溜め込みすぎて倒れたそうだ。
いかにも彼らしいが、ルーチェの治療が間に合わなかったらそのまま命を落としていたかもしれないので、ルーチェもテオも彼をしっかり叱っておいた。
(それにしても……私の回復魔法は、どうやら想像以上に強力だったようね)
治療中のルーチェは必死だったので知らなかったが、傍らで見ていたテオ曰くものすごい量の光が溢れ、エドアルドだけでなく拠点全体に散らばっていったのだという。
そしてその光が降り注いだ先にいた負傷者の傷がどんどん塞がり、夜が完全に明けた時間にはエドアルド以外の全員が元気に歩けるほどまで回復していたという。
(……これは一度、大聖堂に行ってみた方がよさそうね)
ルーチェはそう考えている。
あいにく、エドアルド隊にはルーチェ以外に神官の魔法に精通している者がいない。自分の魔力量について相談できる者がいないので、大聖堂に行って魔力検査を受ける必要があるのではないか。
(もし魔力量が上がったのなら、私としては大歓迎。それでもし、神官としての位階も上がれば――)
マリネッタと同じ聖女までとはいかずとも、今の階級なしの下級神官から少しでも昇格できれば。
司祭……は無理でも、助祭にでもなれたら。
(私の、エド様の隊の衛生兵としての地位は、より盤石たるものになるわ)
ルーチェは、マリネッタをエドアルド隊に招き入れない方法を考えている。【1度目】では、ルーチェの実力が足りなかったというのが一つの原因だった。
だがもし助祭くらいにでもなれたら、隊の中でのルーチェの存在意義が強まる。マリネッタがいなくても大丈夫、と皆に思ってもらえるはずだ。
そうして、マリネッタを追い払う。
エドアルドに、近づけさせない。
(……もうすぐ、王太子殿下の婚約者としてマリネッタ様がエド様に紹介される時期ね)
バターたっぷりのクッキーを味わいながら、ルーチェは頭の中でカレンダーを捲った。【1度目】と同じように物事が進むのなら、あと一ヶ月ほどでエドアルドとマリネッタの対面の日となるはずだ。
(今回の私は、エド様の妻として対面の場に同席できるはず。二人が必要以上に近づかないように警戒しないと……)
「……よし、できた。おまえ、これをすぐさま城に届けてくれ」
報告書を書き終えたエドアルドが手紙を丸めて、テントの隅で待機していた連絡係の兵士に預けた。
そして彼は続いて、テオの方も見る。
「おまえもご苦労だった。休んでくれていい」
「はっ」
「ああ、それは置いていけ」
すぐさま辞そうとしたテオを呼び止めたエドアルドが「それ」と呼んだのは、テオが抱えているお菓子入りの缶。そこには、暇を持てあましていたルーチェにあげていた菓子の残りが入っている。
エドアルドと十年以上の付き合いであるテオはすぐに意図を察したようで、微笑むと「では、ごゆっくり」と言って缶を置いてテントを出ていった。
エドアルドはすぐさま缶を引き寄せてもう片方の手でルーチェの腰に触れ、ぐるんと体を回転させた。
「わっ……」
「さあ、ここからは夫婦の時間だ。先ほどまでは、テオに任せっぱなしだったからな。俺が食べさせてあげよう」
仕事を終えたエドアルドは満足そうに言い、お菓子の缶から出したクッキーをルーチェの口元に運んだ。
……確かに先ほどはテオからお菓子をもらったが、そのときはテオが差し出す缶の中から好きなお菓子を手に取って食べていた。このような、餌付けもどきはされていない。
「エド様……」
「そんなむくれた顔も愛おしいな。さあ、口を開けて」
抗議の気持ちを込めてにらむが、妻を溺愛する夫には無効どころか愛情を一層募らせたようで、甘ったるい笑みと声で口を開くよう促してきた。
(……本当に。エド様って、こんな人だったかしら?)
観念して口を開くと、そうっと口内にクッキーを差し込まれた。一口では少し大きいそれをちまちまと食べる姿を、エドアルドが心底幸せそうに眺めている。
「ルーチェの唇は小さくて赤くて、おいしそうだな。つやつやのぷるぷるで……味見をしたくなってくる」
「見ないでくだひゃい」
「はは、それは無理なお願いだ。……そういえばテオから聞いたのだが、俺が二本目の解毒剤を飲む際、ルーチェが口移しで飲ませてくれたそうだな?」
「んぐっ……そ、そうでふ」
今の今までほぼ忘れていたことを蒸し返されたルーチェがむせながら肯定すると、エドアルドは「残念だ」と眉を垂らした。
「そのときの記憶が、全くない。解毒剤の甘ったるい味しか、覚えていないんだ。記念するべきルーチェとの二回目のキスの記憶がないなんて、とてももったいないことをした」
「……そうですか」
クッキーを飲み込んだルーチェは、頬が熱くなってきたのがばれないようそっぽを向いた。
エドアルドは覚えていないようだが、ルーチェはただ単に唇を重ねて薬を飲ませるだけではない。相手は夫だからいいだろうと思って舌を使って口内に薬を塗り込んだり、舐め取った薬をもう一度飲ませたりもしたのだ。
(記憶がなくて、本当によかった……)
そんなことを考えながら、ルーチェはエドアルドの肩にあごを載せて抱きついた。
「ルーチェ?」
「……それじゃあ、二回目のキスはノーカウントです」
ちょうど顔を横に向けたところに見えるエドアルドの耳に唇を寄せ、ルーチェはささやいた。
「二回目のキス……やり直します?」
「っ……ああ、する! 今すぐする!」
「すごい勢いですね……」
「ルーチェから誘ってくれるなんて、滅多にないだろう! この機会を逃すわけにはいかない!」
すっかり乗り気になったエドアルドはお菓子の缶をテーブルに置き、ルーチェの腰を両手で支えて少し顔の距離を取った。
エドアルドの青色の目に、ルーチェの姿が映っている。きっとエドアルドから見ても、ルーチェのハシバミ色の目にエドアルドの顔が映り込んでいるのだろう。
「ルーチェ」
低いささや声に続き、そっとエドアルドの顔が近づいた。そうして重なった唇は、頑強な体を持つ彼にしては意外なほど柔らかい。
(……ああ。ちゃんとしたキスは、これが初めてだわ)
ファーストキスは、ルーチェが熱でもうろうとしているときにされたため正直あまり記憶に残っていない。
その後も、エドアルドの方が遠慮しているのかルーチェの気持ちを尊重してくれているのか、キスは頬や額にするだけで、唇に与えられることはなかった。
さらに待ちに待った二度目のキスはエドアルドが生きるか死ぬかの瀬戸際のことだったし、そもそもあれは治療目的だ。
(だとしたら、これが私たちのファーストキスかもしれないわね)
唇が重なり、しばらくして離れていく。
「……甘いな」
「お菓子を食べていたからでしょうか?」
「そうかもしれない。……確認のために、もう一度してみても?」
エドアルドが至極真剣な声音で……だが目元に笑みを浮かべながら言うので、ルーチェも微笑んで夫の首にしがみついた。
「ええ、どうぞ。……何度でも、確認してくださいな?」
「ルーチェ……!」
お許しをもらえて喜ぶ夫から何度もキスを受けながら、ルーチェは彼の髪をそっと撫でた。
(エド様。私、必ずあなたのこの笑顔を守ります)
妻として、幼馴染みとして――神官として。
彼を支えられるのは世界でたった一人、ルーチェだけなのだから。




