6 切り捨てるものと、受け入れるものと
かくして、王甥エドアルドの妻として彼の居城で一緒に暮らすことになったルーチェだが。
「おはよう、俺の天使」
朝はエドアルドの腕の中で目覚め、甘い言葉とおはようのキスをもらう。
結婚して初めて知ったのだが、彼は夜寝ている間に着ているものを無意識のうちに脱いでしまう癖があるようで、朝になるとたいてい彼は上半身裸だった。そしてひどいときには下半身も下穿き一枚になっていて、ルーチェは朝から悲鳴を上げてしまった。
朝食を一緒に食べて、玄関までお見送りをする。エドアルドは「ルーチェから『いってきますのキス』がもらえないと、仕事ができない」と大きな体でだだをこねて執事たちを困らせるので、仕方なくルーチェがエドアルドの頬にキスをして送り出している。
エドアルドは毎日本城に行って国王や王太子からの雑用を受けるのだが、ルーチェは基本的に居城にいればいい。かといって居城は執事や侍女長たちのおかげでつつがなく回っているので、ルーチェは神官として聖典の書き写しをしたり怪我をした使用人がいたら手当てをしてあげたりしているのだが。
「奥様、そろそろお付きの者を決めてはいかがでしょうか」
侍女長にそう提案されたのは、ルーチェが居城に戻ってきて二日目の昼間のことだった。
侍女長が言うに、エドアルドの妻であるルーチェのお付きのメイドや近衛騎士になりたい者たちが複数人名乗り出ているのだという。
「旦那様も、奥様の快適な生活と身の安全のためにも専属の者をつけるべきだとお考えのようです」
「……そうね」
聖典の模写中だったルーチェはペンを止め、天井を見上げるような格好になった。
専属のことは昨晩、エドアルドからも聞いていた。エドアルドはとにかくルーチェの身に危険が起きてほしくないようで、「信頼できる者をそばにつけたい」と言っていた。
(確かに、これまでは侍女長についてもらったけれど彼女には別の仕事があるのだから、いつまでも連れ回すわけにはいかないわよね)
「それじゃあ、話を進めてもらえるかしら」
「かしこまりました。もしよろしければ、今から候補の者たちを連れてきますが」
「今すぐ?」
驚いたが、侍女長としては早いところ奥様付の者を決めたいのだろう。思い立ったら吉日とも言うし、早めに行動するのはいいことだ。
「わかった。連れてきてちょうだい」
「かしこまりました」
侍女長がそう言ってルーチェの部屋から出てしばらくして、彼女は数名の若い女性を連れて戻ってきた。
「こちらが、現在手の空いている志願者たちです。皆、ご挨拶を」
「ごきげんよう、奥様。ブリジッタでございます」
「同じく奥様付に志願する、テーアでごさいます」
「ザイラでございます。何卒よろしくお願いします、奥様」
三人の女性たちが、順に挨拶をする。
「どうやら、この三人は奥様とこれまでも親しくしていたとのこと。是非とも奥様のお世話をしたいと真っ先に志願して参りました」
「……」
侍女長はそう言うが、ルーチェは表情を凍らせて目の前の三人娘を凝視していた。
ブリジッタと、テーアと、ザイラ。
忘れない。忘れるわけがない。
彼女らは、ルーチェの友人だった。
居城に来てから知り合った彼女らは同じ年頃で皆平民出身ということで話も合い、暇があれば四人で集まっておしゃべりをしていた。
……気の置けない、仲のいい友人だと思っていた。
だが彼女らは、【1度目】のときにルーチェを裏切った。
マリネッタの陰口を叩いているのでは、と尋ねてきたときは、なんとも思わなかった。次第にルーチェから距離を置いたのも、そういうこともあるかと受け入れられた。
だが――マリネッタからナザリオとの結婚を命じられた、あの日。
マリネッタの崇拝者になっていた彼女らから受けた仕打ちを、ルーチェは忘れていない。
『私たちね、ずーっとあんたのことが嫌いだったのよ!』
『たかが幼馴染みってだけで、エドアルド様に構ってもらってさぁ?』
『望んでもない花嫁を押しつけられるのだから、きっとたーっぷりかわいがってもらえるわよ?』
ルーチェを足蹴にして、笑いものにして、罵声を浴びせてきた三人。
友だちだと思っていた。
ルーチェのことを信じてくれると思っていた。
だが――彼女らは最初から、ルーチェのことを疎んでいた。
友だちなんかでは、なかった。
(ブリジッタ、テーア、ザイラ。あなたたちは今、どんな気持ちで私のことを「奥様」と呼んでいるの?)
指先が震えそうになったので、ぎゅっと拳を固める。
もう、マリネッタにはなにも奪わせないと決めた。
だが――昔のものに固執したいわけではない。
ルーチェを大切にしてくれない人など、こちらから願い下げだ。
心を決めたルーチェは深呼吸をしてから、侍女長を見やる。
「……彼女らは、専属にはしません」
「えっ!?」
「ルー……じゃなかった。奥様、どうして!?」
「私たち、奥様のことならなんでも知っています! 絶対に後悔はさせません!」
まさか全員まとめて却下されるとは思っていなかったのだろう、三人は口々に悲鳴を上げるが、そのどれもルーチェの心を動かすことはなかった。
「私は、私付にする者を友誼だけで決めるつもりはありません。……お下がりなさい」
「でもっ!」
「奥様のお言葉が聞こえなかったのですか。下がりなさい!」
なおも食い下がろうとしたブリジッタに一喝し、侍女長は三人を部屋から追い出した。
その後ろ姿に少し同情心が芽生えそうだったが、振り向きざまにテーアがこちらをぎろりとにらんできたため、その芽も一瞬で枯れ果てた。
「失礼しました、奥様。……あの三人では、ご不満がありましたか?」
三人を追い出した侍女長に聞かれたので、ルーチェは苦笑いをしてうなずいた。
「ええ。さっきも言ったとおり、友だちだったからという理由だけで専属にするのはおかしいと思ったの。仕事ができるとも限らないし」
「それもそうですね。……女性使用人候補者は他にもおりますので、また後ほど面談の時間を設けます」
「そうしてちょうだい。……騎士の方は?」
「騎士は何分男性ばかりですので、まずは旦那様の確認がございました」
侍女長が言うに、エドアルドは女性使用人に関しては同性であるルーチェ本人が決めた方がいいだろうということでこちらに投げたそうだが、男性の騎士に関してはまずエドアルドによるチェックを通過する必要があった。
「奥様付を志願する者は、最初は十名以上おりました。ですが、その、書類選考の時点で旦那様の合格をもらえたのが一人しかおらず……」
「まあ……」
なんとも言えなくて間抜けな相槌を打ってしまったが、侍女長も申し訳なそうに眉を垂らしている。
「旦那様は、そんじょそこらの男性に奥様を委ねるつもりがないようです。独占欲が強いというか、奥様のことになると心が狭いというか」
「……そうね」
「ですので現時点で旦那様による選考を通過したのがたった一人なのですが、お会いしてみますか?」
「……ええ、よろしく」
むしろ、あのエドアルド関門を突破できた猛者がどんな人なのか、ものすごく気になる。
そういうことで、侍女長が騎士候補者を連れてきたのだが――
「お久しぶりでございます、奥様。テオ・コルブッチと申します!」
侍女長に連れられてやってきたのは、ひょろりとした体格の青年騎士だった。
茶色の髪はつんつんしていて人のよさそうな顔立ちをしており、やや童顔気味だがエドアルドと同じ二十歳だ。
緊張しているのか、少し顔の赤い彼ははきはきと挨拶をする。
「このたび、奥様付に志願いたしました! 未熟者ですが、誠心誠意お仕えする所存でございます!」
「……テオ」
思わず、声が漏れた。
先ほどブリジッタたちに会ったときとは別の理由で、指先が冷たく震えそうになる。
テオは数少ない、ルーチェとエドアルドが地方の屋敷で暮らしている頃から一緒の遊び仲間だ。
彼の両親はシルヴィオに仕えており、シルヴィオがオルテンシアとの結婚のために城を離れる際に一緒についてきたという。
ルーチェよりも長い間エドアルドと一緒に過ごしてきた彼は、ルーチェの恋の相談役でもあった。
だから【1度目】で周りの者たちがどんどんマリネッタ派になる中でも、テオはルーチェのことを信じてくれた。
……そんな兄のように慕っていたテオは、王位継承内乱でエドアルドを庇って戦死した。ルーチェは彼の墓に花を供えたいと思ったのだが、ナザリオとの結婚を命じられたためそれもできなかった。
そんなテオが、生きている。
ルーチェ付に志願してくれている。
彼は、ブリジッタたちとは違う。
どのような状況でもルーチェを信じてくれた優しい人で、エドアルドのことを必死で守る忠誠と友情に厚い青年だと知っている。
エドアルドも、テオの人柄をよく知っている。だからこそ、テオならば大丈夫だと思って書類選考を通してくれたのだろう。
【1度目】で心の支えになってくれた青年を前に、ルーチェはぐっと喉を鳴らした。
「……私付になってくれるの? テオ」
「はい! エドアルド様と奥様をお守りすることこそ、俺の役目だと思っております。必ずや、ご期待に添ってみせます!」
びしっと敬礼して宣言するテオの声は、かなり大きい。侍女長は「もう少しおとなしい者の方がいいでしょうか」とそっと聞いてきたが、ルーチェは笑顔で首を横に振った。
「いいえ。テオ、あなたを専属に任命します」
「本当ですか!?」
「よいのですか、奥様」
舞い上がるテオとは対照的に、侍女長は念を押してきた。先ほどの三人娘は友だちだからといって甘くは見ないと言ったのに、テオの場合は即決したのが矛盾していると言いたいのだろうか。
(矛盾でもなんでも、構わないわ。私には、選び決める権利があるのだから)
ふふっと笑い、ルーチェはうなずく。
「ええ。それにエドアルド様もお認めになったのだから、間違いはないわ。よろしくね、テオ」
「はい!」
テオの笑顔は、どこまでも爽やかだ。
(ありがとう、テオ。今度は、私があなたを守るわ)
【1度目】で最後までルーチェを信じてくれたのに彼の墓参りをすることもできなかった分も、今度はルーチェがテオを幸せにしたいと思えた。




