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3.戻れない選択

 次の満月の日まで、残すところあと一週間になった。毎日気もそぞろで、日付を書きつけた紙を何度睨みつけたか分からない。けれど漸く、ひとつ行動に移すことができる。

 もう絶対に気が変わることはないし時間もないからどうか、ともう一度彼にお願いできるくらいの期間とはどのくらいだろうと頭を悩ませたけれど、元々ギリギリに行動するのは心臓に悪くて苦手な性質だ。だから、残り一週間になったら行動しようと決めていた。


 今日グレンさんは、ラナの師匠の魔女、シエラのところに顔を出しているはず。というのも彼の火炎の魔法というのはこの世界でもかなり珍しいもので、異世界から聖女を召喚するために高名な魔女の力を借りるという話になったとき、不遜にもシエラが出した条件が彼の魔力を研究することだったらしい。

 彼はそれを承諾し、それ以来決まった期間の間は、定期的にシエラのところへ通って特殊な水晶玉に魔力を込めているのだとか。

 月ごとに決まっている日取りと時間は、記憶が正しければ今日だったはずだ。


 もしまた話がしたいと前みたいに素直にお願いしたとして、内容を察したグレンさんに暫く時間が作れないとやんわり断られたら、そこで心が折れてしまわない自信がない。

 魔力を提供した後は少しの間だけ魔法が不安定になるから、念の為予定を空けてあるのも知っている。体調が悪くなる訳ではないから、その時に多少話を持ち掛けても迷惑にはならない、はず。


 自分に言い聞かせるようにそう何度も心の中で呟いてから、私は玄関の前で意味もなく白いワンピースの裾の皺を伸ばして、桃色の髪を指で梳いて、それから漸く革靴に足を入れた。

 断られたことをもう一度無理を押してお願いする訳で、しかも内容も内容で、正直この間よりも余程ハードルが高いし気が重い。けれどもう決めたことだからと、気力と勢いだけで扉の外へと飛び出した。


 魔女シエラとその弟子ラナは、普段は森の中に構えた店で魔道具を作ったり、ギリギリ国の認可が下りているような怪しげな薬なんかを売って生活しているらしい。

 異世界人が物珍しいのか自分の魔法陣で召喚したからなのか、シエラは何かと私のことを気にかけてくれていて、一度お店にも案内してもらったことがあった。

……いつでも来てくれていいと言ってもらったにも関わらず、おどろおどろしい雰囲気の店内に所狭しと置かれた怪しげな魔道具が怖くて、あれ以来足を踏み入れていなかったのだけれど。


 あの時の道順を思い返しつつ、やがてたどり着いた森の入り口から躊躇いがちに足を進める。幸いなことに魔法で手が入れられているこの森は危険な魔物が出ることもないし、ほとんど一本道だから迷う心配もなかった。……陽が出ていても鬱蒼としていて不気味だという点には、目を瞑るしかない。

 木々を縫うようにして道を暫く辿り続ければ、やがて遠くの開けた空間に湖が見えてくる。凪いだ水面が相変わらず毒々しい紫色をしていて、私は思わず苦笑を漏らした。


 その怪しげな色の湖から、橋を渡してど真ん中にあるごちゃごちゃした印象の小屋こそ、魔女シエラの魔道具店だ。

 遠目にはログハウスのようにも見えるけれど、まるで子供がイタズラでシールを貼ったかのようによく分からないもの……例えば馬車の車輪や動物の骨、竹箒なんかが外壁に貼っ付けられている。魔道具と薬をイメージしたデザインの看板がなければ、およそ何かのお店だとは思えない。

 とにかく目的地に辿り着けたことに安堵して、足が逸りかけたところで、ふと遠目からでも目立つ色彩を纏ったふたつの人影に気がついて思わず足を止めた。


 ひとつは紫の巻毛に黒のドレスを身に纏ったスタイルのいい美女で、その頭には大きなとんがり帽子が被せられている。海外のハリウッド女優のような妖艶さを持つ彼女こそが、あの魔道具店の店主である魔女シエラだ。

 そしてもう一つ──森の緑の中でとても映える炎のような色彩を、私が見紛うはずもなく。


「グレンさん……」


 その声が呼びかける響きを持たなかったのは、二人の雰囲気が遠目にも分かるほどにただならぬものだったからだ。それは決して甘い意味などではなく──簡単に言ってしまえば、二人は毒々しい湖の目の前で睨み合っていた。それはもう、火花が散るかと思うほどの剣幕で。

 この距離なら気付かれることはないと分かりつつ、思わず隠蔽の魔法を身に纏って木の陰に隠れ、固唾を飲んで様子を伺ってしまう。わざわざ店外に出ているということは、魔力の供給はもう終わったのだろうけれど、とても声を掛けに行けるような雰囲気じゃない。

 あの二人が顔を合わせているのは何度か見たことがあるけれど、特別仲が良いわけでも悪いわけでもなく、至って普通だったはずだ。それが、何がどうしてあんなことになってしまったのだろう。申し訳ないと思いつつ、私は遠くの音を拾うことのできる魔法をひっそりと展開した。


『……か、……ら、……ミミ……』


 最初は無音だったのが、次第にノイズ混じりの音声へと変わり、やがてすぐ目の前にいるかのように質が良く鮮明なものになっていく。拾った会話の中に自分の名前があったことに、どくりと心臓が跳ねた。けれど鼓動が落ち着くのを、当然二人は待ってはくれない。


『……もう一度聞く。何故契約を反故にした、シエラ。ミミには正しい条件を伝えるなと忠告したはずだがな』


『アラ、言われた通りアタシは何も伝えてないわよぉ。マエに北の魔女に関する依頼を断ったこと、これでも悪いと思っているものぉ。報酬もいただいてしまったし、これ以上騎士様に逆らうなんて、恐ろしくってできやしないわぁ。全部弟子のラナが勝手にやったことよ?』


『ッチ、減らず口を……伝えなければそのまま満月の日を迎えるだけで済んだんだ。ミミがあんなふざけたことを言い出すこともなかった』


──頭が、殴られたようだった。聞いたことのない、吐き捨てるような彼の低い声がまるで現実のものとは思えなくて、くらりと視界が歪む。けれどはっきりと聞こえてしまった彼の言葉は、ぐわんぐわんと何度も頭の中で反響した。

 グレンさんは、この世界に残るための正しい方法を、私に知らせるつもりがなかった? そのまま満月の日を迎えればよかったって、……ふざけた、ことって。


 その意味に気が付きたくなんてないのに、変な風に冴えた頭がぐるぐると勝手に思考を回し始める。

 グレンさんが私の申し出を断ったのは、元の世界に戻りたくなった時に取り返しがつかないからだと──悪くても、私に触れるのに躊躇いがあるからだと思っていた。けれど、……まさか。

 呼吸の仕方さえも危うくなって、浅く胸を上下させるけれど、まるで足場がなくなったかのような嫌な浮遊感が胃の中で渦巻き始める。


 彼は、私に、元の世界に帰って欲しかった? 私の意思なんて関係ないくらいに……もう二度と、顔も合わせたくないと思われていた?

 一度だけ抱いてほしいと縋ったのを、ふざけたことだと一蹴されてしまうくらいに……嫌われて、いたなんて、


 何を思うよりも先にぶわりと視界が滲んで、我に返った私はよろけるように数歩後退した。耳を塞ぐ暇もなく、続く二人の会話は否応なしに鮮明に聞こえてくる。


『……でも、ヘェ、その様子だとお願いされたのね? フフ、抱いてあげればよかったじゃない? 随分紳士な騎士様だこと』


『……今すぐその姦しい口を閉じろ、魔女。俺は期限まで何があろうと、どれほど懇願されようと……死んでも彼女に触れたりはしない。月が満ちる日がどれほどに待ち遠しいか──……お前には絶対に理解できないだろうがな』


『……アーア、ミミったら本当に可哀想ね。こんな腹の中が真っ黒焦げな、ヒドイ男に無邪気に懐いているんだから……』


──もう、何も、聞きたくなかった。これ以上ここにいたら立ち上がることすらできなくなってしまいそうで、私は絡れそうになる足を叱咤すると踵を返し、弾かれたように走り出した。

 風を切りながらもぼろぼろと熱い雫がこめかみに伝って、うまく呼吸もできずに酷く息が苦しくて。けれど足を止めようとは少しも思えなかった。どんなに距離を取ったところで、現実が変わるわけじゃないのに。


 嫌われていた。グレンさんに、もう顔も見たくないと願われるほど、選択権すらも与えず元の世界に帰してしまいたいと思われるほど。……私が、初めて欲しいと願った、世界の全てに、それほどまでに疎まれていた。


 隠蔽の魔法を解除し忘れたせいで、すれ違う街の人々は私に気がつくことなく、過ぎ去った風に僅かに振り返るばかりで。けれどその視線すらも煩わしく思うほどに、心の中はぐちゃぐちゃだった。

 危うい呼吸を繰り返しながら、走って、走って、漸く見えた赤レンガ屋根の住まいの玄関扉を飛び込むように開ける。鍵を掛けることさえも忘れて扉に背を預けると、私は今更疲労を思い出したようにずるずるとその場に座りこんだ。


「……う、ぅ……っ」


 あとからあとから溢れる涙が、次々に床に染みを作る。私は膝を抱えると、危うい嗚咽を漏らしながらワンピースの裾に顔を埋めた。……いつから。一体いつから、彼に嫌われていたのだろう。

 旅の途中、彼に頼りすぎていただろうか。本当は煩わしく思っていたのだろうか。あの暖かい笑顔も、舞い上がってしまうような優しさも、全部全部私が聖女だから、気遣っていてくれて、いたのだろうか。

 本当は、裏でこんな小娘のお守りはうんざりだなんて、思っていたのかもしれない。……それなら、それなら最初から、優しくなんてしないでほしかった。仲良くなれたかもなんて、そんな甘い期待を抱かせないでくれたら、今こんなに苦しむこともなかったのに。


……今更そんな風に手を離されたって、私はもうとっくに、グレンさんなしでは生きていけないのに。


 彼が優しくしてくれた思い出が、その裏にあった彼の心情を思えば真っ黒に塗りつぶされていく。けれど、その間に積み重ねられた私の想いだけが、ほんの少しも減ってはくれない。どれだけ嫌われていても、……疎まれていても、諦められない。この恋を、執着を捨てるなんて、私だって、もうどうやったらいいか分からないのだから。

 どんなに嫌われていたとしても、酷い態度を取られることになったとしても。……グレンさんのことを見ることすらも叶わなくなるだなんて、絶対に嫌だ。


 けれど、彼があそこまで拒んでいるのだから、状況は絶望的だった。どんなに私が懇願したって、あの言い様ではきっと受け入れてはくれない。……それなら彼以外の魔力が多い人を探して、と頭の隅で考えて、次いで想像しただけで吐き気がして口元に手を当てた。相手が誰であれ、思い浮かべただけでこれでは、実行になんて移せるわけがない。

 悲哀と絶望の上に塗り重ねるようにして、焦燥が募っていく。本当ならいつまでだって泣いていたいけれど、次の満月までもう一週間しかないのだ。悲しくても苦しくても、どれほどに胸が痛くても、何か行動に移さないとあっという間に時間が過ぎてしまう。


 冷え込む玄関先から動くこともしないままに、泣き過ぎてずきずきと痛む重だるい頭の奥でぼんやりと考える。


──……要は。要は、どうにか事さえ成せてしまえれば、彼と世界を隔てることはなくなるわけで。あれほど頑ななグレンさんを、嫌いな私相手でも後先忘れてその気にさせてしまえるような、何かさえあれば──


 相手の意思を度外視するなんて、平静であれば考えるだけで自分を咎めるようなことだった。けれど追い詰められた時に限って、それが素晴らしいアイデアのようにすぐ目の前に浮かんでくる。……そんな現実的でないものが、けれどこの世界には確かに存在しているのだと、知ってしまっていれば尚の事。

 私はゆらりと危うい足取りで立ち上がると、すっかり冷えた身体や痛みを訴える頭を労ることもなく、逸る心のままに寝室へと足を向けた。目当ては柔らかな寝台ではなく、その横にある木製のチェストだ。


「確かここに越して来た時、ラナから……、」


 扉を閉めることさえ忘れて、辿り着いたその場所の引き出しを急いた手つきで開ければ、細々とした日用品の下、埋もれるようにして目当てのものはそこにあった。


『シエラの魔道具店 〜特別な薬も承っております!〜』


 装飾的な紫の文字と看板にも施されていたデザインが踊るその冊子を手に取って、私は縋るような思いでぱらぱらとページを捲る。集客のために作ったというカタログをミミ様もどうぞと渡されたとき、先に店舗の立地を考え直した方がいいんじゃないかと口には出さずに思ったものだけれど、今となっては助かった。

 項目ごとに分けられているページに、飛ばし飛ばしに目を通していく。

 飼い猫が万年生きる薬、一晩で頭から下の毛が全部生えなくなる薬……ポップな字の上を滑るようだった指先が、次の項目でぴたりと止まる。


「あった……」



──躊躇いが、ないわけじゃなかった。こんなものに頼ったって、もう取り返しがつかないくらい嫌われているのだから。この上にさらに蛮行を塗り重ねたところで、彼との関係に先なんてない。ちゃんと分かっているけれど、……それでも。

 彼と離れればどちらにしろ、私の人生に先なんてない。グレンさんと出会う前の、死ぬ理由がないから何となく生きていたあの頃には、もう戻れないのだから。




 気紛れに空を散歩していたラナを捕まえてその薬を注文したとき、彼女はぱちぱちと目を瞬いて、それからにっこりと笑みを浮かべると、かしこまりました! と元気のいい返事をくれた。泣き腫らした顔や思い詰めたような声については特に詮索されることはなく、ほっと胸を撫で下ろす。

 気遣いだとかプロ意識だとかそんなものではなく、きっと全く興味がないだけなのだろうけれど。「アノコったら物凄くおっちょこちょいな上、何も考えてないのよねぇ」というかつてのシエラの声が頭を過って、思わず力のない笑みを漏らした。師匠としては頭が痛いことだろうけれど、それだけ気楽に生きられるのは心から羨ましい。


 準備に少し時間が掛かりますけどいーですか、と提示された日付は、まさに次の満月の日の夕方で。タイムリミットは日付が変わる夜の鐘までなのだから、普通に考えればあまりにも直前すぎる。

 それでも、私は躊躇うことなく頷いて返した。ギリギリに行動するのは苦手だなんて自認していたのが嘘みたいだ。……もしかしたら、まだ躊躇いが残っていて、心の中の弱い私が猶予を欲しがっているだけかもしれないけれど。

 これは間違いなく、自分の本当の心を押し殺してまで親身に接してくれたグレンさんへの裏切りだ。もしもこの数日で私が怖気づいて、行動に移すのをやめれば、そちらの方が余程彼のためになるのだから。


 けれど私は、自分が悩んで、罪悪感に苦しんで泣いて、……その後、最後に結局何を選ぶのか、きっと本当は分かっていた。



 本当に、最低だけれど、……理性なんてものは、あの日。この世界に喚び出され、彼の姿を一目見た、あの時から──

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