1.一目惚れ
「え? あの、い、今なんて」
「ですから〜、ミミ様が元の世界に戻りたくないんなら、次に月が満ちた日の夜の鐘が鳴るまでに、自分より魔力量の多い男性に抱かれてきてください! できなかったら即時強制送還ですよ!」
赤いレンガ屋根のこじんまりとした家の裏庭、麗らかでのどかな日差しの中。にぱ、と太陽のような笑顔で放たれた、およそその場に相応しくない言葉に呆然としているうちも、見習い魔女のラナは口を挟む隙を与えることなく畳み掛けた。
「なんか純潔がどうだの世界との魔力定着がどうだのってシエラ師匠は言ってましたけど、難しいことはあたし分かんないです! それじゃ、確かに伝えましたからね!」
「あ、待っ……」
引き止めるように腕を浮かせた時にはもう、ラナは呼び出したほうきに跨ってしまっていた。花の匂いを運ぶ風にあおられて紫のワンピースの裾が翻り、ついでに見習い魔女の証である小さなとんがり帽子が落っこちたけれど気がつく様子もない。
失礼しまーす、という言葉と共に金髪のツインテールを靡かせながら、青空を切り裂くように去っていく姿をぽかんと見送って、ミミは呆然と彼女の言葉を繰り返した。
「だ、……抱かれてきて、って……」
その言葉の意味がわからないほど子供じゃない。ぼっと頬が燃えるように熱くなり、そして当然のように真っ先に頭に浮かんだのは、その名の通り炎のような男性の姿だった。
「……グレンさん……」
思えば、昔から無欲な子供だった。物心ついた時から何かを強く欲しいと思ったことなんてなかった。乞われれば大抵のものは譲り渡したし、諦めなさい、従いなさいと言われればその通りにした。
私がそんなだったからなのかは分からないけれど、両親からの愛情というものを感じたことはあまり無かったように思う。所謂中流階級に生まれた両親はいつでも体裁を気にしていて、少しでも世間的に自分より上だと感じる人がいれば目の敵にしてこき下ろしていた。私に構う暇なんてないくらいには忙しそうだった。
私が性格的に両親の影響を受けなかったのは、そもそも面倒を見てくれていたのが殆どお手伝いさんで、二人が干渉してくるのは素行と教育関係ばかりだったからかもしれない。子供のステータスというものは見栄を張る時にはかなり重要な要素だったらしいけれど、私はどんな分野でも、二人の期待を満たすことはできなかった。
成長するにつれ期待の視線は失望へと変わり、やがて無関心になった。両親の中での私の価値は、いかに自分達のステータスが上がる相手に嫁がせるかという、それだけに変わった。身だしなみと、異性関係だけは厳しく監視されて、あとはもうどうでも良いらしかった。
普通なら悲しみや寂しさを感じたり、或いは憎んだり、もっと親の愛を受けようと努力したりするのかもしれない。けれど、私は本当にどうでもよかった。言われるがままやって、頑張れと言われたから頑張って、頑張っても駄目だったから諦めた。門限が厳しくて友人もろくに作れなかったけれど、特別寂しさや羨望を感じたこともなかった。
自分はとても冷たい人間なんだろうか、と時折悩んだりもしたけれど、この環境ならそっちの方が都合がいいのでは、と気がついてからはあまり気にすることもなく。
ずっとこの先こうやって、どこかぼんやりした息苦しさを感じながら生きていくのだろうな、と思っていたのに。
『おお、見ろ、聖女様だ!! 召喚に成功したぞ!!!』
教会らしき場所でそう叫ぶ異国風の服を着た人たちに囲まれて、わあ、と遅れて歓声が上がる。訳が分からなかった。門限に遅れそうだと暗くなりかけた道を急いでいただけのはずだったのに、突然足元に輝く魔法陣が現れて、眩しくてきつく目を瞑って──そうして開いた瞬間にこれだ。
怖かった。混乱に泣いてしまいそうだったし、とにかくその場から逃げ出したくて。逃げ道を探そうと咄嗟に周囲を見回して、……そうして、すぐ傍に立つ彼とぱちりと目が合ったのだ。
まるで、炎のような男性だった。後ろに撫でつけられた燃えるような赤髪と、紅玉のような瞳。すっと通った高い鼻筋に、薄い唇、きりりと鋭い眉。強面ながら精悍な顔立ちのその長躯の男性は、立派な紋章がいくつもついた黒を基調とした隊服を身に纏っていて、どうしてだか私と同じように、呆然としたように目を見開いてこちらを見つめていた。
馬鹿みたいな話だった。こんな状況で、自分の身に起こったことでなければ、何を言っているんだと一蹴していたかもしれない。……でも。突然訳の分からない所に飛ばされたことも、訳の分からない人たちに囲まれたことも、全部その時だけは、頭からすっぽ抜けてしまうくらいに。
初めて。その時私は初めて──……心の底から、この人が欲しいと願った。二度と戻れないところまで、一瞬で落とされてしまった。
馬鹿みたいで、嘘みたいな、一目惚れだったのだ。
「……おいミミ、大丈夫か?」
気遣わしげな声に、はっと顔を上げる。相談があると持ちかけたのは私の方なのに、物思いに耽ってしまうだなんて。ましてや彼は多忙な中、すぐに時間を割いて邸宅に招いてくれたのに。慌ててすいません、と声を上げれば、いや、と彼は首を横に振った。
壁には著名な画家が手がけたのであろう、美しい湖畔の描かれた絵画。並べられた調度品には曇り一つなく、絨毯や今腰掛けているソファにも精緻な装飾が施してあって、最初招かれた時なんか触れることすら躊躇ったほどだ。
テーブルを挟んで向かいのソファに腰掛けるグレンさんの燃えるような赤髪が、窓から差し込む日差しを受けて本物の炎のような輝きを放っていて、場違いにも見惚れてしまいそうになる。
少しだけ寄せられたその眉は、強面と合わさって気分を害してしまったかと思うところだけれど、ただ心配してくれているだけなのだと、共に旅をするうちに気がついた。そういう優しいところも、知れば知るほど──
かちゃん、と音を立てて置いたカップが揺れる。琥珀の水面に映る自分の表情は酷いものだった。異世界に飛ばされた影響なのか、明るい桃色に変わった瞳と肩あたりまでの癖毛には当時仰天したものだけれど、もうすっかり馴染んでしまった。……もう、元に戻したいなんて考えもしない。
「……グレン、さん」
いやに滲んだ声が出て、縋るように紅玉の瞳を見つめれば、彼の瞳が僅かに揺らいだ。
「……ミミ、余程言いにくいことなのか? 大丈夫だ、何があろうと、俺はあんたの味方だよ。一緒に旅をした仲だろ」
優しい声に、きゅうと胸が締め付けられる。異世界から召喚された聖女に求められた役割は、各地で自然発生した瘴気を癒しの魔力で浄化することだった。
人の負の感情から生まれるそれは、普通なら時と共に自然に還るけれど、時折上手く循環できずその地に留まってしまうのだという。そしてそれは疫病や魔物を呼び込み、異世界から喚び出した聖女にしか浄化できないのだと。
全てを浄化し終えたら、元の世界に帰る方法をお教えします、どうかお願いしますと乞われたけれど、私にとってそれはそう重要なことではなかった。
ただ、旅の護衛の中に、あの赤髪の美しいひとが──……グレンさんが、いると聞いたから。だから何を考える暇もなく、二つ返事で引き受けた。
彼は火炎騎士と呼ばれる炎を操る魔法騎士で、最年少で騎士団の副団長にまで上り詰めたというすごい経歴の持ち主らしい。それも本人から聞いたのではなく、周囲にこそこそとさりげなく話を振って、つぎはぎの情報を寄り集めて知ったものだった。
実際に旅に出るまで、最低限の挨拶をしてからは、私は彼とろくに会話をすることもできなかったから。一緒に旅に出るうちの一人なのだから、少しくらい交友を深めておいた方がいいと分かっていたけれど、どうしても、あの紅玉のような瞳を真っ直ぐに見ることができなかった。この邪な感情が、あの炎のような明かりに隅々まで照らし出されてしまいそうで。
いよいよ旅に出るという時、このままじゃいけないのに、と思い詰めていた時に彼の方から声を掛けてくれなければ、今でも上手く話せないままだったかもしれない。
『聖女様、少しあんたと話がしたいんだが、いいか』
『えっあ、……そ、そのっ』
『……そんなに怯えないでくれよ、別に取って食おうだなんて思っちゃいない。一緒に旅に出るんだ、もう少しお互いを知っておいたほうがいいだろ』
穏やかな口調とは裏腹に、彼の目が少しも笑っていなかったことに、慌てていた私はとうとう気が付かなかった。
『あ、お、怯えてるわけじゃないんです、すいません……! ただ緊張していただけで、あの、私も、……グレンさんと、お話したいなって、思ってて……っ』
急なことで、あんまり辿々しい返事しかできなかったけれど、真っ赤な顔で絞り出すようにそう言った私の言葉はどうにか届いてくれたらしい。彼は幾度か目を瞬いて、それからふわりと、蕩けるような笑みを浮かべた。
『そうか、よかった。俺はどうも顔が怖いらしくてな、聖女様に嫌われていたらどうしようかと思っていたんだが……杞憂だったらしい。俺も、あんたと話がしたかった……ずっと』
その笑みが眩しくて、心に焼き付いて仕方なくて、まともに返事ができていたのかも怪しいけれど。とにかくその時から、彼とはよく話すようになった。彼は良く私を気にかけてくれて、そういう面倒見のいい一面に触れる度に、緊張はほぐれていって。
結果的に、旅の中で何かあった時、私は一番にグレンさんを頼りにするようになった。少しでも彼が迷惑そうな様子を見せたり、鬱陶しがったりするようなことがあればすぐにでも自重しただろうけれど、自惚れでなければ、彼は頼られる度に嬉しそうな表情を見せてくれたから。そんなの、浮かれてしまうに決まっている。
旅の中で、彼のことを知れば知るほどに落ちていった。瘴気に引き寄せられてきた魔物を、剣の一振りで一瞬にして焼き尽くした姿を目の当たりにしたときは、私も彼の炎に包まれてみたいだなんて馬鹿な思考が咄嗟に浮かんでしまうくらいに。
欲しいものなんてないと思っていたはずだったのに、一目見た瞬間から、私の「欲しい」は全てグレンさんに持って行かれてしまった。彼の言葉が、視線が、好意が欲しくて、……彼が、欲しくて堪らなくて。
瘴気を浄化し終えて、旅が終わった後も、その気持ちは膨れ上がり、今も少しも変わることなくここにある。どんな形でもいいから、ずっと、……ずっと、彼の傍にいたい。少なくとも、彼と世界を隔ててしまうだなんて考えられない。それを叶えるための条件が、誰かに身を任せることだというのなら──……その相手は、何があったって一人しか考えられなかった。
「……グレンさん。お願いが、あるんです」
「ああ、俺にできることなら」
そう言って躊躇いなく頷いてくれた彼の優しさに、また胸が締め付けられる。息を一つ、吸って、吐いて。とてもグレンさんの顔を真っ直ぐ見ることはできなかったけれど、それでも決まりきらない覚悟ごと、私は音にして吐き出した。
「お願い、です……一度だけで、いいから」
──抱いてもらえませんか、とその場に落ちた声は、どうしようもなく震えていた。
「……は、?」
呆然としたような声に、ぶわりと耳の先まで燃えるような熱が灯って、とても顔を上げられなかった。きつく目を瞑って、言い訳がましく言葉を重ねる。
「そ、そのっ、違うんです。わ、私が元の世界に戻される条件を、ラナから聞いてっ……」
「……ああ。その件なら、俺もシエラから直接聞いているが」
「えっ」
一段低くなった声を疑問に思う間もなく、その衝撃的な内容に思わず顔を上げる。シエラとはラナの師匠である妖艶な魔女で、私を召喚する魔法陣を構築した人でもあった。掴みどころがない印象だけれど、その実力はこの世界でも指折りなのだとか。
けれど問題はそこではなく、この世界に残るための条件──即ち魔力量の多い男性に抱かれてこいだの、じ、純潔がどうだのという話が、既に彼の耳に入ってしまっているということだ。どちらにしろ説明しない訳にはいかなかっただろうけれど、それなら話が早いなんてとても切り替えられそうにない。
頬が燃えるように熱くなるのを感じながら、私は逃げ出したくなる衝動を必死に堪えてどうにか口を開いた。
「そ、それなら……その、……魔力量が、多い人じゃないといけないって聞いて、こ、こんなことお願いできるの、グレンさんしか居ないんです……った、頼っていいって、言ってくれたから、だから」
直接そうと口にしたことはなかったけれど、私が元の世界にあまり未練を持っていないことには、きっと彼も気がついているはずだ。何せ殆ど話題にすら出さなかったのだから。
旅が終わった後でも、何かあったらいつでも頼ってくれていいと言ってくれた彼の厚意を、こんなところで持ち出すなんて卑怯かもしれない。それでも、そこにつけ込んででも、私は彼と同じ世界で生きていきたい。優しい彼なら、きっと──……
けれど私のそんな甘い期待は、彼の低い声に切って捨てられた。
「悪いが、それだけはできない」
「……え、」
私は思わず呆然とした声を上げて、ぱっと顔を上げた。彼は平坦な声に相応しく、見たことがないほどに冷たい瞳をしていて、ドク、と心臓が嫌な音を立てる。血の気が引いていく私がどう見えたのか、彼は取りなすように柔らかな笑みを浮かべた。
「はは、言い方がきつかったな、悪かった。そんなに深刻そうな顔しないでくれよ。そもそも次の満月までまだ日があるだろ? もしもその間に気が変わった時、取り返しのつかないことになる。……なあ、もう少しよく考えてみろよ」
「……で、でも、いくら考えたって私は、」
「ミミ」
「っ」
彼は炎を操る騎士のはずなのに、まるで氷のように冷たい声で呼ばれた自分の名前に、思わず息を詰める。肩を揺らした私を、グレンさんはどこか翳りを帯びた昏い瞳で見つめていた。
「……あんたは聞き分けの良い、良い子だったよな? ずっと。なあ、もう少し、よく考えてみろ。今まで過ごしてきた世界が、そんなに気に入らないってことはないだろ。秤に掛ける余地くらいあるよな?」
「……は、い、」
「良い子だ」
にこ、とグレンさんが柔らかな笑みを浮かべる。私の大好きなそれは、いつもなら心を解してくれるのに、今はどうしてだか胸に鉛が落ちていくような心地がした。
まだ何か言い募る余地があるんじゃないかなんて、口を開きかけては閉じて、けれど言葉の糸口も見つからないままに結局きつく唇を噛み締める。
秤に掛ける余地があるなんて大嘘だ。いくら悩んだって考えたって、グレンさんの反対側の天秤に掛けられるものなんて、一つもあるはずない。私が、生まれて初めて、心の底から欲しいと願ったものなのだから。
その後、彼は貰い物だというクッキーを出してくれて、ここ最近の楽しかった話や他の旅の仲間の近況を教えてくれた。その声はいつも通り、とても穏やかだったけれど。……それでも、二度と私がお願いしたことへの話題に触れることは許さないという、張り詰めた空気がどこか漂っていて、それに胸が切り刻まれるような心地がした。
彼は、気が変わったら大変だと言っていた。グレンさんは優しくて思慮深いから、それも嘘ではないんだろう。……でも。こんなにも頑ななのは、単純に彼が、私に触れたくないからなんじゃないか。男性は、そういうことを好んでしたがるというから。ましてやグレンさんは、自惚れでなければ私に親しみを覚えてくれていて、優しくしてくれているから。
それなら、きっと一度きりのことだと、自分しかいないのなら仕方ないなと、応えてくれるんじゃないかって──彼の優しさにつけ入って、こんな、はしたないお願いをして。……軽蔑されて、しまったかもしれない。
そう考えただけで地面が足元から崩れていくようで、美味しいはずのクッキーの味も少しだって分からなかった。彼の声すら耳を右から左へと通り過ぎていって、……それからどう挨拶をして、どうやって彼の邸宅から出てきたのかすら、もう思い出せない。
ただ馬車の揺れに身を任せていれば、そのうち赤レンガ屋根の小さな住まいが目の前に現れて、私は御者にお礼を伝えると絡れそうになる足を叱咤して玄関を開けた。
旅の後、最初は当然のように王宮に滞在したらいいと言われて、気後れしてお断りしたら今度はとんでもなく豪華なお屋敷にすごい数の衛兵やら使用人やらをつけられそうになり、保護の魔法が掛けられたこの小さな住まいで納得してもらうまでの説得が大変だった、なんてことをふと思い返す。……結局、火炎騎士の邸宅の近くなら、って許してもらえたんだっけ。
旅に出る前は、もっと望んで良い、欲しいものはないのか、と散々聞かれた。瘴気を浄化する大切な旅の中、聖女のやる気がなくなってしまったり、或いは精神を病まれては困ると思ったのだろう。
数十年、或いは数百年の間隔で召喚されていた歴代の聖女達は、宝飾品だったりあらゆる美食だったり美男子の山だったり、とにかく凡人が羨むようなものをそれぞれ望んでは、それを全く知らない世界での心の拠り所としていたらしい。
ですからミミ様も遠慮なさらず、貴女様は国をお救いになられるのですから、と、先に並べたようなものがこれならどうだと目の前へと差し出されて、けれど私はどれほど綺麗な宝石にも、見たことがないほど豪勢な食事にも、跪いて上辺の愛を囁く美しい男性達にもほんの少しも心惹かれなかった。
ただ、その間一言も発さずに、焦げつきそうな目でこちらを見ていたグレンさんに気を取られるばかりで。
あの時の彼は、機嫌が悪かったのかもしれない。だっていつも温かな色を湛えているあの美しい紅玉の瞳に、ほんの少しも光がなかったから。
聖女様の心をお慰めしたいのです、と沢山の男の人のうちの一人に手を取られた時なんて、気持ち悪くて反射的に振り払うまでのほんの一瞬、昏く澱んだ、けれどマグマのような激情が彼の瞳に宿ったようだった。
……嫉妬してくれたのかも、と浮かれるには、旅に出る前のまともに会話もしていなかった時期なのだから無理があるけれど。それでも今思えば、機嫌が悪いというよりも、彼は優しいからろくに話したことのない聖女のことでも心配してくれたのかもしれない。
でも彼が心配してくれている間、私の心は醜い想いで一杯だったのだと知ったら、グレンさんには軽蔑されてしまうだろうか。
──他に何もいらないから、あの人が、グレンさんだけが欲しいと。あの人の傍にずっと居られるのなら、危険な旅でも辛い聖女の務めでも、何でも全力でやってみせますと。そうこの場で伝えたら叶うのだろうかと、そんな馬鹿なことばかり考えていたのだから。
危うい足取りで寝台まで辿り着き、頭から勢いよく枕に顔を埋めれば、後から後から涙が零れ落ちてきて、ひぐ、と子供みたいな嗚咽が漏れた。恥ずかしくて、惨めで、苦しかった。でもそんな風に思うことすらも自分勝手で、ひたすら彼に申し訳なくて。
……だけどどんなに申し訳なく思ったって、絶対に諦められないのだから、もう本当に救いようがない。
聖女としての私の魔力量は相当なもので、少なくとも周りで条件に該当する人を、グレンさん以外に私は知らない。けれどそんなものがなくったって、私にはグレンさんしかいなかった。彼以外とそんなことをするなんて、想像だけでも吐き気がする。絶対に無理だ。
……分かってる。だったらどんなに惨めでも、死にそうなくらい恥ずかしくても、もう一回、グレンさんにお願いしてみるしか道はない。
次の満月の日までは、あと半月近くある。もう少し日が近付いたら、そうして、よくよく考えた結果だからと縋ったら。……あなたしかいないと涙ながらにお願いしたら、もしかしたら。
グレンさんから私に触れたくないのなら、彼は何もしなくたっていい。頼りない知識を総動員して、私がどうにかするから、だから。……グレンさんがいい。グレンさんじゃなきゃ、嫌だ。
腫れぼったい瞼の熱が引かないまま、そんな身勝手なことをぐるぐると考え続けているうちに、私はいつの間にか眠りの淵に足を捕らわれていた。
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