追放聖女が精霊王を探しに来たら泥まみれの岩が出てきた件について
よくある追放聖女もの。
王子に婚約破棄され追放されたセレナは精霊王の棲む森へと向かう。魔法書によれば精霊王のそばにいるだけで希代の魔法使いになれる。
そして彼は非常なイケメンである……はずだったが出てきたのは小汚い岩だった。
なんか違うものが出てきたセレナのやけくそ物語。
冒頭はごく普通に始まる。
「聖女セレナ・マックイーン。婚約破棄とともにその身の追放を命じる」
場所はまあ、ありがちな王宮主催のパーティだ。追放を命じた王子の横には可愛らしい姫君、ただし身分は低い。
「どうしてわたくしがそのような目にあわなくてはならないのでしょうか」
一応お約束なのでヒロインはそうたずねてみる。王子は憎々しげな目つきでヒロインのことを一瞥するとこうのたまうのだ。
「お前はこのマリンにひどい言葉を浴びせ影で嘲笑し、さらにケガをさせたそうではないか。いかに身分差があるとは言え、そんなことをする女を我が妃とすることはできぬ」
王子の横にいるマリンはわざとらしく包帯を巻いた足を庇いながら、ひしっと彼にしがみつく。彼女の家の再興はこの演技にかかっている。そのためにはなりふり構わないつもりなのだろう。
特段マリンにひどいことをしたつもりはなかったが、あまりの教養のなさにきつい注意をしたことは二、三回ほどあった。足の怪我については何も聞いていない。もっとも使用人達にも好かれていなかったので、教えてもらえるはずのことを教えてもらえなかったのかもしれなかった。
たとえば王宮西側の階段は滑りやすいので気をつけろ、というようなことだ。
「……そうですか」
マリン・トワノールは貧乏男爵令嬢だ。領地は荒れ放題で盗賊も跋扈していると聞く。一方の自分はマックイーン侯爵家の一人娘であり磐石の基盤と豊かな荘園、それに代々王家が必要としてきた精霊魔法を伝承していた。この王子との結婚はいわば国のためなのだが、実はしなくても自分には何の問題もない。
「分かりました」
顔はいいのだがけっこうなバカ王子であった。マリンの嘘八百を見抜けないような男と一緒になってもつまらなかろう。それよりももっと面白いことがあった。セレナはついさっきそのことを思いついたのである。
「では謹んでその命をお受けいたします」
会場に集まった者達のざわめきが聞こえる。あまりにあっさりと彼女が要求を飲んだために当の王子ですらあっけに取られた顔をしていた。マリンは嬉しそうであった。してやったりというところであろう。
別に彼女は転生者でもなかったしこの世界がコンピューターゲームの中というわけでもない。ステータスが数字で見えればとても簡単だが、そうでなくてもその人物の程度というのは、そこそこの付き合いがあればあらかた分かるものだ。
「お二人に幸あらんことを」
彼女はそう言い、微笑を浮かべてその場所を出て行った。
聖女がいなくなると国が荒れる。一般的にはそう伝えられているのだが実はそんなことはない。なぜなら彼女にはそんな護国魔法は使えないからである。
「ただいま戻りました」
セレナは自宅に戻ると父親のマックイーン侯爵に挨拶をした。ついでに婚約破棄と追放を食らった顛末も話す。
「どういうことだ?」
そういえば追放者には王宮の兵士がつき、本人の気持ちに関係なく国土の果てまで連れ去られるはずなのだがセレナにはそれがなかった。彼女は普通に馬車に乗り自宅に帰ってきたのである。
「……マリン・トワノールか。あまりいい評判は聞かん娘だ」
マックイーン侯爵はセレナの話を聞きこう言った。国家の中枢部にいる彼には様々な噂話が届いているのだろう。
「周囲も王子の気の迷いだと思っているのであろうな。王子が考え直すのを少し待ったらどうだ」
それですが、とセレナは父親に言った。
「せっかく追放されたことですし、わたしは精霊王を探しに行こうと思うのです」
「なに?」
セレナは精霊魔法の使い手である。一応表向きはそうなっていた。しかし習ったものの彼女はその魔法を使ったことがない。理由は必要なかったからである。
「もう次期王妃でもありませんので時間もあります。それにわたしは精霊魔法を習っておきながら精霊王に一度もお会いしたことがありません。なので会ってみたいのです」
魔法書によれば精霊王は魔法の素となるエーテルなる物質を自在に作り出し、操るとある。なので彼のそばにいるだけでただの人間でも希代の魔法使いになれるらしい。そして魔法書に描かれた精霊王の姿は非常なイケメンであった。
もし嫁になるなら王子よりも精霊王のほうがはるかによさそうである。希代の魔法使いという肩書きも手に入るから、よしんば国王の命令により国からも追放ということになってもどうということもない。セレナはそんなことを考えたのであった。
「失礼します」
ドアをノックし、執事のモーリーが室内に入ってきた。若干青ざめているようであった。
「王宮から使者と兵士が来ております。セレナお嬢様追放の件についてとのことですが、どういうことでしょうか」
セレナとマックイーン侯爵は顔を見合わせた。どうやら本気だったらしい。
「なんと言っておる」
は、とモーリーは話を続けた。
「セレナお嬢様はニセ聖女につき、この国から追放するとのことです。そして聖女の称号を返上してマリン・トワノールに渡すようにとのことでした。反抗するならばその場で処刑もやむなしとのことです」
思ったよりも王子は血迷っているようだった。はあ、とため息をつくとセレナはモーリーに言った。
「使者の方はどちらに」
「ロビーにおります」
ロビーに向けてセレナは歩き出した。マックイーン侯爵も後に続く。
「わたしは精霊王を探しに行きますわ」
「そのほうがいいようだな」
少し考えてマックイーン侯爵が答える。
「モーリー」
「はい」
セレナは歩きながら今後のことを執事に伝えた。執事はメモを取りながらうなずき、出発の準備をするために親子のもとを離れた。
後のことなど知ったことではない。セレナは全てをぶん投げて精霊王の棲む森の入り口に立っていた。マックイーン侯爵は娘を森近くの村に届けたあと王都の邸宅を引き払ってしまい、辺境の別荘地に引きこもってしまった。もちろん王都の仕事も全部他の者に丸投げである。国の中枢部は大混乱だったが「自分の娘の責任を取らなくては」などと言って放置であった。バカ王子に義理立てする必要などないのである。
森の中に続く細い道を辿り、セレナは精霊王が棲むと言われる大岩のそばに立った。なぜか看板が立っていたのですぐ分かった。
「ほんとにこれなのかしら」
それらしい雰囲気の場所ではある。森は神秘的な空気に満ちており、濃い緑の中に薄いもやがかかってさらにその空気を強めていた。
「ええと、これね」
伝承によれば大岩に捧げものをして呪文を唱えれば精霊王に会えるはずである。
ちなみにその呪文は看板に書いてあった。事前にそれなりに調べてきた彼女はそれを見てがっくりしてしまったのだが、気を取り直して捧げものである花束を大岩の前に並べた。何でも精霊王は花が好きらしい。
「我らが祖なる森を護る偉大な精霊王よ」
セレナは呪文を唱えた。
「願わくば御身を現し我をその御前に」
大岩に異変が起こった。大岩から聞こえる地響きに似た音にぎょっとしつつもセレナは呪文を唱え続けた。
「我を憐れみその御身を現し給え」
閃光が迸った。目を焼かれ、セレナは両手で自分の顔を覆ってしゃがみこんだ。
視界が元に戻った頃、セレナはおそるおそる顔から手を離して正面の大岩を見た。さっきまでなかったものがそこにあった。
「吾を呼んだのはお前か」
大岩の上に花に包まれた泥だらけの小岩が乗っていた。それがしゃべっているのだった。
「精霊王……ですか」
戸惑いつつもセレナは小岩にそう尋ねた。
「そうだ」
それは岩というには微妙な何とも言いようのないサイズで、しかし石というには大きいような気がした。なので小岩と呼ぶしかないようなシロモノであった。
「何用だ。呼んだからには何か理由があるのだろう」
どこからどう見てもイケメンではなかった。そもそも人の姿すらしていない。
いったいどう収拾をつけるべきか、セレナは頭の中をフル回転させつつこう言った。
「わたくしはセレナ・マックイーンと申します」
名乗りと所作を見て、小岩はああ、と言った。
「精霊魔法を伝承する家の者か。王家と何かあったのか」
小汚い小岩のくせに勘がいいのであった。セレナは一瞬考え、今までの出来事をぶっちゃけることにした。ただし、魔法書のくだりは省いた。
「……なるほど。そこで吾のもとに嫁ぐ気だったと」
「そうです」
小岩の声はなにやら楽しそうであった。しばらく笑った後、小岩はこう言った。
「分かった。お前を娶ろう。吾をお前の家に連れていくがよい」
石のクセに正気かよ、とセレナが思ったのは言わないでおく。その代わり彼女はこう言ってみた。
「あの、ひとつお願いがあるのですが」
「なんだ」
「人の姿になることは可能でしょうか。不満があるわけではないのですが、その、そのお姿でまわりを説得するのは少々難しいと思うのですが」
「できん。吾はずっとこの姿だ」
ではあの魔法書の絵は何だったのであろう。
「そうですか」
しかしもう乗りかかった船であった。それに今さら小岩に穏便に帰ってもらうすべも考えつかない。
「ありがたき幸せに存じます」
やけっぱちな気分でセレナは小岩を掴み、自分の胸元に抱えた。そしてそのまま来た道を戻った。
泥だらけの小岩を抱え、用意された馬車に飛び乗ってセレナは自宅に帰った。小岩は意外とおしゃべりであり道中の彼女を退屈させなかった。途中に水場があったので彼女は小岩の許可を得て水場で彼をざぶざぶと洗った。
「では婚礼の儀を致しましょう」
実物を見、一通りの話を聞くとモーリーはそう言った。もはやいろんなものを諦めたようであった。マックイーン侯爵も反対はしなかった。
「どうやら本物のようだ。好きにするがよい」
マックイーン侯爵は小岩と話をしたあとそう言った。そして小岩に新居を建てる約束をしたのだった。驚いたのは王子である。
「セレナが結婚だと?」
その頃王子と男爵令嬢のマリンは着々と結婚話を進めていた。なので王子が気にする必要はないのだが、彼はセレナの相手について知りたがった。
「それが……」
どんなに手を尽くして調べてもセレナの結婚相手についての具体的な情報は得られなかった。精霊王の森で知り合ったというだけしか分からない。
「おそらく」
そう前置きをして調査をした者は王子に言った。
「かなり格下の魔法使いに類する者ではないかと思います。追放された聖女と結婚しようなどどいう者はそうそうおりませんので」
それが事実ならマックイーン侯爵家にとってこの縁談は汚点であろう。しかし父であるマックイーン侯爵が反対していないと聞いて、王子はいくらかの不安をぬぐえなかった。
「どこかの有力者かもしれぬ。でなければ式を行うはずがない」
簡素なものだったが結婚式を行うと周囲には連絡がされていた。もしかしたら相手は他国の王族や豪商かもしれない。そんなことになればこの国の王家も安閑とはしていられないであろう。王子はやっとそのことに気づいたのであった。
「何が何でも相手の正体を探れ」
王子は厳命した。マリンのせいで自分の身があやうくなったことに焦りを感じたからであった。
小岩は精霊王を自称するだけあって物知りだった。あやふやになっていた魔法の知識や失われかけていた古代の智恵など、セレナが知りたいことはすべて教えてくれた。また当然と言えば当然だが王国の歴史にも長けており、彼女は自分の家系と王家のなりたちについて毎日学ぶことになった。
「このへんにしておこう」
「はい」
テーブルに置かれたクッションの上が小岩の定位置である。講義が終わって、セレナは小岩の前にさっき摘んできた野花を置いた。そして自分は飲み物の入ったカップを持ってその横にある椅子に座った。
「今日はこれからどうするのだ」
「仮縫いの針子が来ますわ。婚礼衣装の直しがあるそうです」
「そうか」
平和な光景であった。
思ったよりも小岩とセレナは仲よくやっていた。小岩は人ではないが穏やかな人格者であったし、セレナも最初の衝撃が去った後はなかなか面白い話し相手として小岩を扱っていた。何よりも小岩は博学であり、セレナは彼に質問することにより存分に自分の好奇心を満たすことができたのだった。
(人の姿ならいいのに)
イケメンでなくてもよかった。それだけがセレナの不満だった。
ごたごたしたものの結婚式の当日になった。セレナはきれいに洗われ、特注の衣装を着せられた小岩を乗せたワゴンを押す付添い人と、バージンロードを歩いていた。
「では指輪の交換を」
「はい」
セレナはうなずき、小岩は返事をした。その返事を聞き、付添い人は小岩の着ている衣装のすみっこにピンでくっついている結婚指輪を取り外した。セレナは自分の指から指輪を外し神父の前に掲げた。
「待て!」
厳粛な式場に大声が響いた。ざわついた人々の奥にセレナには見慣れた顔があった。元婚約者の王子である。
「なんだこの茶番は! 俺の目はごまかせないぞ!」
よく分からない状況である。そもそも王子はセレナのことを振り、男爵令嬢のマリンを選んだはずであった。なので彼女は精霊王を自称する小岩との結婚を選んだのである。そしてこの結婚式に王子は呼ばれていない。セレナがいやがったこともあったし、マックイーン家としては王家ともはや付き合う理由もない。簡略化をたてにマックイーン侯爵は、王家に結婚報告の書面を送って終わりにしてしまったのである。
王子はずかずかとバージンロードに侵入してきて彼女と付添い人の間に立った。さんざ調べたものの、セレナの結婚相手は誰なのか分からなかった。なので直接乗り込んできたのである。
「俺が恋しくておかしくなってしまうとは思わなかった。まさかこんなヤツと結婚してしまうなんて……」
言いながら王子は付添い人を指差した。付添い人は困った表情になった。
「いや違います。私はその……」
小岩が王子に注視しているのが分かった。目はないがセレナには感じ取れるのである。
「こんなヤツは捨ててまた俺についてきてくれるな? 君は俺がいないと駄目なんだろう?」
小岩が爆笑していた。付添い人も感じ取ったらしい。笑いの波動のようなものが小岩を中心に発生していた。
「……は?」
何を言っているのか分からなかった。しばらく沈黙したあと、セレナは王子に言った。
「マリンとのことはどうなっているのです」
「もちろんマリンとは結婚する」
高らかに王子は答えた。
「けど君は俺がいないと駄目になってしまうんだ。こんな、どこの馬の骨ともしれないヤツに君を渡すわけにいかない。だったら……」
セレナが王子をぶん殴りそうになった時であった。
「おまえがこの国の第一王子か」
小岩が王子に話しかけた。なんとも愉快そうな声音であった。
「誰だ?」
王子はきょろきょろとその辺を見渡した。声のするあたりを見てみるが誰もいない。ぴかぴかに磨かれて特注の衣装を着せられた中途半端な大きさの岩が、付添い人の押しているワゴンに置いてあるだけである。
「フリッシュ・ドバイユ。ドバイユ国第一王子だな。なるほど大したたわけだ」
くくく、と小岩は笑った。
「王位を継がせるにも人望もないので、有力貴族の一人娘、セレナ・マックイーンとの結婚で地盤を固めようと父王は思ったが本人が蹴ってしまった。今は第二王子が最有力候補に上がっていると。で、あわててセレナ・マックイーンを奪い返しにきた」
「なぜそれを知っている!」
「侯爵殿に教えてもらったのでな」
毎晩毎晩、夕食後に小岩とマックイーン侯爵は別室で楽しそうに話をしていたのだが、そんな内容だったとはセレナは初耳であった。
もしや、と王子は言い、付添い人を指差した。
「お前が言っているのか。さては腹話術師だな。王族を侮辱するとは」
「めっそうもございません」
ぎょっとして付添い人は否定した。その間にも小岩が大笑いする波動は周囲に広がっていた。
「こいつはバカなのか」
「そうです」
間髪を入れずにセレナは答えてしまった。王子が青くなる。
「君までそんなことを言うなんて。俺は何を信じればいいんだ」
一呼吸置いてセレナは小岩に言った。怒りで息が詰まりそうになったからであった。
「あの」
「なんだ」
「御身でこいつをぶっ叩いてもよろしいでしょうか」
すでに追放された身である。こわいものなど何もなかった。
ひとしきり笑ったあと小岩は言った。
「思う存分やるがいい。後片付けはしてやる」
「ありがとうございます」
礼を述べるとセレナはめかしこんだ小岩を両手でしっかりと持ち、振り上げた。
「やめろ!」
王子の悲鳴が響き渡り、直後にいろんなものが壊れる音がした。そして結婚式はうやむやのままに終わった。
王子は命からがら逃げ出したため無事であった。付添い人もケガはなかった。新婦は両腕が筋肉痛になったがそれだけであり、マックイーン侯爵もほうぼうに詫び状を書く羽目になったが何事もなかった。
無事でなかったのは教会の床と新郎である。教会の床はマックイーン家で修理することで話がついたが、新郎のほうは大理石の床に叩きつけられて粉砕されてしまっていた。粉々に飛び散り、ものも言わなくなってしまった小岩を見て、いくら頭に血が上っていたとは言えセレナはこの時本当にひどいことをしてしまったと思ったのであった。
「ここで待っていて」
「かしこまりました」
セレナは花束とかき集めた小岩のかけらを持ち、あの精霊王の森に向かった。前日の夜にそのかけらを見て泣いてしまったが、道中の馬車ではそんなことはおくびにも出さなかった。おかかえの御者にも「精霊王の森の入口につけて」と淡々と伝えた。
以前と同じように大岩の前に立ち、花束と小岩のかけらをそなえる。
「ごめんなさい」
涙が出てきた。彼はもういない。彼女がその体である小岩を砕いてしまったからだ。
「あんなヤツ放っておけばよかった。まさかこんなことになるなんて」
後悔してもしきれなかった。ちなみに王子の方はセレナの結婚式で騒ぎを起こしたのが国王にばれ、毎年王家より贈られる小額の寄付金とともにトワノール男爵領に封じられた。簡単に言えば婿にやられてマリンとともに王宮に出禁になったのであった。王位継承者は支持者が多く人望もある第二王子になり、ある意味周囲はほっとした。
聖女の称号はセレナに返され、追放の話はなしになった。なのでマックイーン侯爵も別荘から王都に戻ってきていた。
「あ、そうだ」
駄目もとで彼女は召喚の呪文を唱えてみることにした。なんでもやらないよりはやったほうがよい。
「我らが祖なる森を護る偉大な精霊王よ」
大岩に異変が起きた。前回より早い。
「願わくば御身を現し我をその御前に」
くくく、と笑い声がした。セレナは思わず詠唱を中断して大岩のほうを見た。
「そなたに呼ばれるのは二度目だな」
「精霊王!」
大岩の上に誰かが腰掛けていた。魔法書の絵どころではないとんでもない美丈夫である。セレナはまじまじとその姿を見つめた。
「本当に精霊王ですか」
「そうだ。聖女である我が妻セレナ・マックイーンよ」
まわりには大量の花が浮かんでいる。その花はセレナが持ってきた花束にあったものと同じだった。
「あの、そのお姿はいったい……」
以前に人の姿にはなれないと彼は言った。しかし物言いと声音はあの小岩と一緒である。
「ああ」
精霊王は頭を振って答えた。見た目は若かったが威厳のあるしぐさであった。長い髪にまとわりついたバラの花から花びらがはらはらと零れ落ちる。セレナは思わず見とれてしまった。
「依り代によってはそこから抜けられないものがあるのだ。前のがそうだ」
ふっ、とその姿が揺らいだ。精霊王は続けた。
「依り代が壊れてしまったのでな。すまぬが手頃な石を持ってきてくれ」
「は、はい」
セレナは急いでそこらへんにある中から適当な大きさの石を探した。大きすぎず小さすぎず、かつ持ち運びがいいように角がなくて見栄えのいいものを見つけてきて、彼女は精霊王の前にその石を運んだ。
「よい石だ。それにこれなら時折抜け出ることができよう」
「本当ですか」
「ああ。そなたは美形の夫が欲しかったのであろう。この姿でいいならそうするぞ」
「あの、それは……」
一言も言ってないのになぜ知っているのだろうか。セレナは真っ赤になってしまったが精霊王は気にしている風でもなかった。
「よいよい。知っておった」
ふわりと精霊王は笑った。
「聖女とは本来、吾の妻たるものの称号だ。しかし時代が下り、王家が吾の代行をするようになった。吾も人の世に出張るのは面倒なのでそのままにしておった」
精霊王も聖女も本来は存在すればいいだけのものであった。聖女が精霊魔法を修めるのはその時代からの名残である。
「存じ上げませんでした」
「そうだろうとも。教えなかったからな」
いろんなことが億劫になった精霊王は聖女の家系に古代の言い伝えを教えるのをやめてしまった。
「以前はこの森まで聖女が来たが、皆、泥だらけの吾をそのままにして帰ってしまった。持って帰ったのはそなただけだ」
呵呵と彼は笑った。
「気持ちは分からんでもない。泥まみれの汚い石で服を汚したくもないだろうし、吾に嫁がなくてもよい縁談はたくさんある。そなたの身分なら王妃でなくても公爵妃ぐらいにはなれよう」
呆然としつつセレナは精霊王の話を聞いていた。
「あの、でも、聖女ならば決まりごととして御身を持ち帰らなくてはいけないのではありませんか?」
「出現しなかったといえばそれでよい」
特に聖女としての資格は剥奪されないので、彼女らはそのまま帰って他の者と結婚したのだということだった。その流れで王家は代々聖女を娶ることになったらしい。
「なので今回は面白い娘が来たと思ってな」
彼はセレナの見つけた石を気に入ったようだった。とんとん、と指先でその石を叩くとしゅっと精霊王の姿は消えた。
「では帰ろう、我が妻よ」
セレナは大事にその石を抱えると来た道を戻った。今度は絶対に投げないとそう誓ったのだった。