色気に欠ける夜デート【火侯プロミテネウスの日;朝〜夕刻】
この世界が滅びるのなら引っ越しをさせろ、と要求しにやってきたバカでっかいお客二名の陳述を聞いて、わたしは創世神の見解をわかっているはずの第一階梯使徒に訊ねてみる。
「ザシュキーンエルさん、どうして巨人や竜の退去を認めないんですか? わたしは、この世界へ彼らがやってきたときに、フィリアとどういう取り決めをしたのか知りません」
たぶんだけど、何万年だか、何十万年だか、下手すりゃもっと大昔の話だよね。
人間はまだ影も形もなかったころなんじゃなかろうか。すくなくとも、2000年ほどしか歴史のない「聖女」はまだ存在していなかったはずだ。
ザシュキーンエルさんは、わたしに答えているとも、異種族の王たちへ聞かせているとも取れる口調で話しはじめた。
「女神フィリアは、故地を離れて流浪していた竜族や巨人族が、この世界に棲まうことを認めました。条件は、彼らの持つ大いなる霊性を、まだ若く発展途上であったこの世界へ還元することです。幾百万の歳月を経て、いまの巨人や竜の肉体はこの世界の物質でできています。強大なる竜や巨人といえど、もちろん始祖はもういません。彼らの本質がいまだ異なる世界に起源を持っていることはたしかですが、生きとし生けるものとしては、もはやこの世界の存在なのです」
うーん……この大天使がなに言ってんのかよくわからない。
「詭弁だ! わが竜族の亡骸は鉱脈となり、火山となり、この世界に資源と熱を与えた。巨人族はその技術と知恵を蒙昧であったこの世界の現住生物に伝え、こうして人間が数を増し、陸地の大半に広がることになった。フィリアに要求された対価を、われわれはすでに支払い終えているぞ!」
竜王ゾラノヴォルグターギシュが反駁した。ものすごい重低音で、骨の髄から身体がゆれる。
「あなたがたが支払ったのは、いわば家賃です。それが不足だったとは言いません。ですが、この世界の寿命が残りわずかとなっているにしても、あなたがたへこの世界の物質と霊質を持ち出す許可を与えた憶えはありませんよ」
ザシュキーンエルさんは淡々とした口調だった。フィリアと巨人や竜が結んだ契約に、退去時の負担や責任を定めた事項はなかった、ということなのかな。
「あのー、この世界がなくなっちゃったら、山の土とか、海の水とか、どうなるんですか?」
わからないことだらけなので、わたしはとりあえず思いついた疑問を口にした。
消えてなくなっちゃうなら、べつに持っていかれてもよくない?
「フィリアのもとへ還元されます。物質にせよ、元素的、霊的エネルギーにせよ、根源はひとつですから。世界すべてを自らの本質へ戻したのち、フィリアがあらたな創造を行うのかどうか、それは私にはわかりませんが」
「それなら、この世界に最初にやってきたときに、巨人や竜が外から持ち込んできたぶんに関しては、持ち出しを認めるのが筋なんじゃないでしょうか」
聖女が「店子」の肩を持ったのは意外だったかそうでもなかったか、ザシュキーンエルさんは軽く眉を上げてこういった。
「そうですね、その算定には応じるのが公平なのかもしれません。……どうしますか、ガジャナダンドヌタス、ゾラノヴォルグターギシュ? あなたがたの始祖が最初にこの世界へもたらしたぶんの物質・霊質と同等であれば、あなたがたがそれを持ってこの世界をあとにすることを認めましょう」
これでうまくまとまったのでは? と思ったら、巨人の王と竜の王は固まっていた。
あれ、どしたの?
巨人王ガジャナダンドヌタスが、うめくように言う。
「……われらが眷属の大半を、おいていけというのか」
「だから言ったでしょう、あなたがたはもはやこの世界の存在なのだと。もっとも、かつてあなたがたの始祖が故郷の世界を脱したさいにも、同じようなことがあったはずですがね。そのとき存在していた、すべての竜や巨人が父祖の地を離れたとは思えない」
あー、そっか。移住してきたときより、いまのほうが人口(?)多いんだ。
ていうか、これはひとごとじゃないどころか、わたしら人間はもっとやばい状況なんだよな、よく考えなくても。このままだと、人類はひとりもこの世界から脱出できずに全滅だったわ。
官僚的無情な平静さを保つザシュキーンエルさんの顔を、うらめしげに睨みつけるガジャナダンドヌタスとゾラノヴォルグターギシュだったが、大天使に情に棹される気配はみじんもなかった。
べつに冷酷だとか意地が悪いということではなく、ザシュキーンエルさんには決定権がないのだ。
……わたしが勝手に決めて、とおるのかな?
「ええっと、ゾラノヴォルグターギシュさん、ガジャナダンドヌタスさん、あと三日ほど、お時間いただけませんか。いちおう、わたし次第で、この世界は崩壊せずにすむかもしれないんで」
ぐい、と巨大な顔がふたつ、こっちの正面に戻った。……ちょっと見慣れてくると、ザシュキーンエルさんよりはよほど表情豊かだな。
「聖女よ、あなた個人は信に値する。しかし、わが眷属すべての命運を預けるわけには……」
そういう竜王ゾラノヴォルグターギシュへ、わたしはいかにも聖女らしい顔で聖女らしいセリフを言い放った。
「わたしの不徳でこの世界の崩壊がまぬがれえないと確実になった場合は、あなたがた全員の安全な退去を保証します。……その代わりに、この世界の生き物も、すこし同行させてほしいんです。故郷の世界がなくなってしまっても、生き延びることができるように」
ななめ横にいるからザシュキーンエルさんの顔は見えなかったけど、たぶん驚愕していただろう。
フィリアの自腹をザクザクぶっ刺す大盤振る舞いを独断でぶち上げたわたしに対し、しかし第一階梯使徒は、異議を唱えたり拒否を言明したりはしなかった。
無論、天使は女神の手足であり耳目だから、フィリアにわたしの大言は伝わっているだろうけど。
ふっふっふ……明日の朝が楽しみだわ。
神破の金枝がなくても、フィリアの脾腹をえぐってやることはできるわね。
さっさとわたしを免職にしなかったフィリアが悪い!
+++++
「あなたこそまことの聖女だ」
「われわれ竜族は、永久に聖女アルフィニアの名を忘れることがないであろう」
……だなんて、おおげさなこと言って巨人王と竜王が海の彼方へ帰っていったあと、わたしは聖堂に戻っていつもどおりに人々を治療しながら一日すごした。
聖女がめっちゃでかい巨人と竜の上陸を阻止して追い払った――とうわさがたちまち広まって、教会にすごい数の参拝者が押し寄せてきたけど、わたしはフィリアへのいやがらせ以外なにもしてません。
治療のご用がないかたの聖堂立ち入りはご遠慮いただいております。いやほんと、ただ拝まれるだけの仕事とかやってるヒマないから!
フィリア教会の敷地は広いんで、聖堂以外を見物したりお祈りして帰ってくださいね。いまなら屋根の上にホンモノの大天使がいるよ! ……いや町中も野山も天使だらけだから、もはやあんまりめずらしくないか。羽根の数多いだけで。
……とっぷり陽も暮れ、ようやく最後のひとりを治療し終わったところで、テウデリク殿下のご来訪を告げる先触れの人がやってきた。
治療業務終わったから、さっさと天候操作かたづけて、私房に引っ込んでご飯食べてお風呂入ったらラヴリー・ソフィア先生の新作ちょっとだけ読んで、さっさと寝たかったんだけど、仕方ないので聖女モードのまま待機。
すぐ近くまではいらしていて、治療希望者が捌けるのを待っていたのだろう。殿下はすぐに聖座の間へ姿を見せた。
「聖女アルフィニア、あなたが天使の軍団を指揮して巨人と竜を退けたと、騎士団から報告を受けました。王家を代表して、感謝と御礼を申し上げるためにうかがった次第です」
……なんか、どんどん話の尾ひれが増えてるぞ!?
まあ、バカでかい巨人と竜をはさんで、天使がずらっと並んで隊列作ったり、儀仗とはいえ光の剣や槍かかげてるのをはたから見たら、聖魔大戦っぽく映ったかもしれないけど……。
「ゾラノヴォルグターギシュさんとガジャナダンドヌタスさんは、この世界がまもなく滅亡するっていうフィリアの宣告を聞いて、心配になって話を聞きにきただけです。いちおう、わたしがなんとかするって説明して帰ってもらいました」
なんとかといっても、プレッシャーが増えただけで打開方法は見えてないんだけどね。……真実の愛って、ホントなんなんだろ?
候補は目の前の王子さまなんだけどさ。わたしがテウデリク殿下から、なにを感じればフィリアの神力が増すというのか。
「竜王と巨人王が自らやってきたのか……」
さすが王家のおかた。わたしは「長っがい名前」としか思わなかったけど、ちゃんと巨人族や竜族の有力者に関する記録が伝わってるんですね。
「それでですね、殿下――」
ついでだから、「最悪の事態になった場合の避難計画」について話しておこうと思ったところで、ぐきゅ〜、とわたしのお腹が盛大に鳴った。
げふ……業務時間内だったら、聖座の間じゅう騒々しいからぜったい聞こえないんだけどなあ。
自分がどんな顔で硬直してるのかはわからない。とりあえず、ほっぺのあたりがすごいひりひりする。
テウデリク殿下は聞こえなかったフリをするでもなく、笑いもせず、緋色の外套を脱いで紫の肩章をはずすと、声をひそめた。
「こっそりご飯食べにいこうか」
「……はい!」
やった! 王子さまのおごり(ここ大事)でご飯!
わたしは、本来は教会関係者以外立ち入り禁止の通用口を開けて、殿下といっしょに聖座の間から抜け出した。今日の終番はリーチェなので、共犯には最適だ。
さすがに聖女の恰好のままでは目立ってしょうがないので、殿下には聖堂の外で隠れていてもらうよう頼んで、一度私房へ戻り、今日もリーチェから私服を借りる。
「朝帰りでもいいですからねえ」
「バカ言うんじゃないの」
教会の敷地内でのかくれんぼなら、わたしはだれにも負けないだろう。従者のみなさんの目を盗み、殿下の手を引いて外部へ脱出し、ご飯を食べて、涼しい顔して裏口から聖座の間へ戻った。
外套と肩章を身に着け直した殿下が、文字どおりなに食わぬ顔で聖座の間の正面口から辞し、帰っていく。予定より一時間ほど長話だったな、としか従者の人たちは思わなかったはず。
ちなみに、ご期待に添えない展開だとは思いますが、ご飯を食べながらの話はけっこう真剣でした。
最悪の場合は、巨人と竜の世界脱出に、この世界の生き物たちもすこしずつ便乗させてもらう、と説明したとき、殿下は真顔で、わたしはどうするのかと聞いてきた。
「わたしは残ります。責任取らないといけないし」
「それなら、ぼくも残るよ」
「真実の愛って、死が確実な場合に心中することではないと思うんですよ」
「じゃあ、たとえばの話として、ぼくがうそをついて、きみだけを竜と巨人に預けて脱出させたとしたら、愛ゆえだったと信じてくれるかな?」
「……うらむ」
「それなら、世界が消えてなくなる最後の瞬間まできみのそばにいるよ」
「……それもやだ」
「なら、ぼくたちふたりだけ、まっさきに竜や巨人たちに頼んでこの世界から逃げ出すかい?」
「それだけはやってはいけないことなんです」
「あなたはどこまでも聖女だね」
殿下はあきれているわけではなく、かといって、王族という、聖女と似たような責任を負う立場に属している人間として、感心だけしているわけでもなさそうだった。
わたしがどうして得もなく、べつにフィリアへ篤い信仰心があるでもない(むしろ謀反気しかない)のに、意固地に「聖女」でいるのか、よくわからないのだろう。
わたしにとって、これは一種の呪いなのだが……。