王子さまとの初デート!【月の精セルリナの日;午前〜夕方】
テウデリク殿下に、出かける準備してくるんで少々お待ちくださいね、と言いおいて、わたしは聖座の間から引っ込む。
聖女の居室を掃除していたリーチェは、私房に顔を見せるはずのない時間にわたしが戻ってきて最初びっくりしてたけど、殿下とデートすることになったと話をしたら、めっちゃ食いついてきた。
毎日の聖務も園遊会でも大祭でも、無地純白のロングドレスしか着ないから、わたしは寝間着以外の私服を持っていない。事情を察したリーチェが、ワンピースを貸してくれた。
ついでにいつも聖女装を整えてくれる手際で、着つけて髪も結ってくれる。聖女モードだとロング流しっぱなしだからね。
「アルフィニアさま、すごいかわいいです!」
「ありがと」
鏡に映る自分の姿は、これホントにわたしかいな? って感じで思いのほか女の子っぽいけど、ちとスカート短くない? ……ああそっか、わたしが無駄に身長あるから、リーチェの服だと丈が足りないのね。
袖なしの肩で吊るタイプだから、裾以外はぱっと見問題ないけど。
まあ服飾のセンスは間違いなくリーチェのほうが上だから、信じることにして表のほうへ。
……と、聖座の間のわきをとおりかかったところで、ちいさな子が大泣きしている声が聞こえてきた。
確認せずにはいられない。職業病だ。
「いやー、ニアおねえちゃんどこー!? こわいー、おっきいおじちゃんこわいよー!!!」
こそっとのぞいてみると、抱きかかえているお母さんの腕から全力で逃げようとしながら、ちびっこが泣き叫んでいた。名前はたしかトニくんだ。
ザシュキーンエルさんは彫像のように無表情……。
まあ、四歳児からしたら、身長三メートル半で羽根が六枚生えてるでっかいおじ……おにーさんとか、そりゃ怖いわな。
聖女として正しくない恰好だし、通用路から出かけるつもりだったんだけど、これは仕方あるまい。
聖座の間の裏、交神の間がわから入って、ザシュキーンエルさんの巨体の陰からひょいと顔を出す。
「トニくん、おはよ!」
「あ、ニアおねえちゃん!!」
「今日はどうしたの?」
「おみみいたいの」
「お耳痛いかあ。はい、痛いの痛いの、飛んでけ〜」
わたしはトニくんの両耳に手をあてて、治療魔法をかける。おまじないの口上はなんでもいい。
おまじないというのはバカにできないもので、治療の魔法が使えなくたって、ちょっとした痛みくらいは感じなくなるのだ。定形として刷り込んでおけば、大したことないときはお母さんのおまじないで充分効くようになる。
「なおったの。ニアおねえちゃん、ありがと」
「どういたしまして」
さっきまでの大泣きから一転してごきげんになったトニくんを床へおろし、お母さんが頭を下げてきた。
「すみません聖女さま。これからお出かけのところなのに、ご迷惑をおかけしてしまって……」
「いえいえ、このくらいお気になさらず」
「ニアおねえちゃんだいすき」
「あ〜りがと」
わたしの脚にからみついてきたトニくんを抱き上げると、お母さんがあわてる。
「だめよトニ! お出かけ着を汚しちゃうでしょ!」
「ああ、だいじょぶだいじょぶ」
わたしの服じゃなくってリーチェのだから、あとで謝らなきゃいけないけどねえ。
聖堂の表でわたしのことを待っていたテウデリク殿下が、なぜか聖座の間からまだわたしの声がするものだから、戻ってきてしまった。
「あ、ごめんなさい殿下。つい」
「あなたはほんとうに、なによりもまず聖女なんだね。あなたに救いを求めるものの声を決して聞き逃さない」
いやいや、そんなたいそうなもんじゃないですよ。
「ほらトニ、聖女さまはこれから王子さまとお出かけなのよ、邪魔しないの」
お母さんに言われて、トニくんはわたしに引っついていた身をちょっと起こすと、テウデリク殿下のほうを見た。
「おーじさま?」
「はじめまして、トニどの。テウデリクです」
「てうれりくおにいちゃん?」
「よろしく」
手を差し出したトニくんと握手すると、殿下はそのままわたしの腕からトニくんを抱き取り、お母さんへお返しする。
……けっこうちびっこのあつかいに馴れてますね。王家のかたとして、ほうぼうを視察したり慰問してまわるからかな?
さてと。よし、今度こそ出かけましょう。
ザシュキーンエルさんにあらためておねがいして、エレシーダとセラーナに、ちいさな子はまず女官が診て、人間の治療魔法で治せそうならそのまま処置するように指示する。
ミシェルに、エレシーダたちが疲れてしまったときに交代できるよう、控室に手が空いている女官を待機させておくよう伝えて……こんなもんかな?
なにか見落としてるとこないかな、と、出かける気があるんだかないんだかあやしいわたしの様子にあきれるでもなく、殿下は歎息をついた。
「アルフィニア嬢、あなたは毎日休みなしでこれだけの人々の治療を……?」
「九年やってりゃ馴れますよ」
聖女は治療魔法ていどなら事実上無限に使えるから、ふだんはバックアップ要員の手配とかは気にしないですむんですけどね。
……それはそうと、
「ニアちゃんかわいいよ」とか、
「ああもう、仕事のことなんか忘れなさいって!」とか、
「楽しんでいらっしゃいな」とか、
「お似合いですよおふたりさん」とか、
「はよちゅーしろ」とか、
……あんま冷やかさないでくださいみなさん。
恥ずかしいんで。
+++++
わたしはふだん、フィリア教会本山の敷地の外に出る機会ってほとんどない。
今年の大祭はさ来月だし、年初の園遊会のときに王宮へ行って以来、半年ぶりだ。
かなり広いから、散歩とかするぶんには困らないしね。
……それにしても、外は天使だらけだな。
辻という辻に、背中に双翼を持ち、狼とか虎とか熊の頭をした第三階梯使徒が立っているし、そこらじゅうに青い光の玉みたいな第五階梯使徒がふよふよ漂っている。
あと一週間で世界が滅びるだって?! だったら最後にひと暴れしてストレス発散してやろう! なんて気を起こしても、これじゃ狼藉なんかできっこない。
頼りなげな見た目の第五階梯使徒でも、悪意や邪念を検知して、鎮静ビームを放ち大のオトナをノックアウトできるのだ。
第三階梯使徒は外見の印象そのままの頑健な戦士であり、よっぽど修行ができてる一流でなければ人間に勝ち目などない。
場合によってはあと五日で世界が滅びてしまうというのに、いたって平和なのは皮肉なのかなんなのか。
そこかしこで、子供たちが第四階梯使徒をおもちゃにしていた。
メルヘンな色合いをした、豚とか馬とか羊といった生き物に羽の生えた姿をしているので、ちびっこからすれば動く大きなぬいぐるみだろう。
家畜に子供がじゃれついているのには目を配っておかないと不意の事故が怖いけど、相手は天使というわけで、親御さんたちは完全におまかせ状態だった。肩の荷がおりて息抜きできますね。
今日の殿下はおしのびなので従者なし馬車なし。でもわたしは馬に乗れないのでふたりして徒歩だ。
のどかな光景の中を殿下と並んで歩いていたら、ちびっこに空中浮遊クッションあつかいされている第四階梯使徒の一体が、わたしに気がついてぱたぱたと寄ってきた。
「これは聖女アルフィニア、ごきげんうるわしゅう」
「おつかれさま。子供ウケがいいのもたいへんですね」
「仕事ですから」
……空飛ぶ豚さんがすごい礼儀正しい言葉をしゃべるのって、なかなかシュールだな。
豚さんの背中にもたれていたちびっこが、ひょいと身を起こした。最近は調子が良いのか聖堂に顔を見せないけど、以前はよくお母さんに連れられて治療しにきていた女の子だ。
豚さんがわたしの名前を呼んだから顔を上げてみたものの、見憶えのある聖女スタイルとは服装がちがったからだろう、女の子はしばらくまじまじとこちらを見ていた。
「……せいじょさま?」
「おはよ、ジナちゃん」
「おはよーございます、ニアさま。きょうはおふくちがうんだね」
「お休みもらったの」
「……となりのおにいさんは、カレシ?」
興味しんしんな目で、ジナちゃんはテウデリク殿下を視線でなでまわす。どうやら、王子さまだとは気がついていないようだ。
「アルフィニア嬢に認めてもらうため、鋭意努力中のところだよ」
殿下がそういうと、ジナちゃんはにやり、と笑った。
「みた目はごーかく。あとはニアさまのささえになれるかどうかだね。せいじょはたいへんなんだから」
「そうだね。聖女に頼ってばかりだったと反省している。聖女から頼りにしてもらえる人間にならなければ、と思っているよ」
「そのいきやよし。あたしにいわせればニアさまのほうがオトコマエだけど、まあおにいさんもイイセンいってるから」
ふっふっふ、とやたら大物じみた態度で、ジナちゃんは豚さん天使の背に鎮座ましましたまま飛び去っていく。
ジナちゃんのおしゃまな評論にわたしは微苦笑していたんだけど、テウデリク殿下はちがうところでおどろいたらしい。
「アルフィニア嬢、あなたはいったい、何人の顔と名前を憶えているんだい……?」
「治療をしたことのある人は、たぶん全員憶えてます。わたしは特別物憶えがいいほうってわけじゃないんで、聖女業のためにフィリアが寄越してきた加護だと思いますけど」
顔を見れば名前が浮かんでくるけど、具体的にこれまで何人を治療したかはさっぱりわからない。
聖堂へ治療をしてもらいにくる希望者は、一日あたり500人くらいだから、のべ人数なら単純に計算して……160万人少々?
といっても、一度きりの人もいるし、ほとんど毎日くる人もいるから、やっぱりあいまいだ。それでも100万人前後は固いわけで、わたしの自前の脳みそだけでそんなに憶えていられるはずはない。
「この国に住んでいて、聖女に治療を受けたことがないという人はまずいないはず。つまり、あなたは国民全員の顔と名前を憶えていることになるのか……」
「ここ九年くらいなら、一度も大きなケガや病気をしていないっていう人はいるんじゃないでしょうか」
あと、当然ながらほかの国から治療を求めてやってくる人もいる。フィリア教会の各分社でも治療はやっているけど、人間の治療魔法には限界があるから。フィリアから神聖力を直接受け取って「死んでなけりゃなんでも」治せるのは聖女だけだ。
……正確にいえば、死人を生き返すことも、天寿を無視して不老不死を実現することも、理論上は不可能ではない。やらないことになっているし、フィリアは禁術に力を貸してはくれないが。
わたしは終始あっけらかんとしていたんだけど、殿下はため息をついた。
「この国……いや、この世界は、聖女にあまりにも依存しすぎだな」
「そこは気にしても仕方ないですよ。だいたいフィリアのせいですから。フィリアぶちのめして、ほかの神が司るシステムに変更できるか試してきましょうか?」
一度は本気で「このフ●ッ●ン女神ぶち殺●してやろうか」とか考えたしね。実際に反乱起こして倒せるのかはあやしいけど。
フィリアの神聖力は剥ぎ取られるから、ほかの神に助力を頼む必要があるだろう。
天界での最上位席次争奪って、本気になってる神はどのくらいいるんだろうか。フィリアはあんまり重視してないって口ぶりだったな。
たとえば、戦の神と死の神に鞍替えするとして、いつもニコニコぶっ●殺し合いによって維持される世界というのは、まあ、あんまり穏やかじゃない。
……と、物騒なこと考えていたわたしだったが、殿下は気を取り直したのか、声のトーンを明るく切り替えた。
「とにかく、今日はあなたの休日だ。どこか行ってみたい場所とか、なにか食べたいものがあれば、なんでも言ってほしい」
「そうですねえ……正直、行きたい場所っていうのはまったく見当がつかないです」
「……それはそうか。これまで一度も休みがなかったのだから、羽根を伸ばすならどこへ行こうとか、考えることさえないよね」
「でも食べたいものならあります。お肉と、甘いもの」
教会での食事も決してまずいわけではない。ないんだけど、やっぱりちょっと淡白で、味気ない。
わたしの俗な欲求ストレートな注文に、テウデリク殿下は笑った。
「わかった。それなら、王室御用達店と、私……ぼくの個人的おすすめ、どっちにしようか?」
「殿下のオススメで!」
ここは即答。王室御用達店なら、のちのち王家に嫁げばいくらでも行けるし!
……なーんてゲスな発想のわたしの内心を知るよしもなく、テウデリク殿下は一日わたしのエスコートをしてくれましたとさ。
私は悪徳物書きなので、ファンタジーで展開するときは無造作にヤードポンド法を度量衡にしたりしやがるのですが、今回は深く考えずにメートル法でいきます。