聖女に休日を【月の精セルリナの日;朝】
物理的肉体に戻って大きく伸びをするわたしへ、待機していた女官のセラーナが声をかけてきた。
「アルフィニアさま、テウデリク殿下がお見えになられておいでです」
「知ってる。だから帰ってきたの」
交神の間から聖座の間へ行ってみると、待っていると思っていた殿下の姿はない。
「……あれ、テウデリク王子は?」
「聖女さまの入室許可が降りるまで、聖域外でお待ちになるとのことです」
と、開門時間前に堂内を掃き清めていたエレシーダから声が返ってくる。
あーそっか、もう婚約者じゃないからか。律儀なひとだな。
「入ってもらって」
「承知いたしました」
開門前から表で行列を作っている治療希望者を捌くために待機していたミシェルが、大きな正門ではなく通用口を開けて表へ出ていく。
聖座の間に入ってきたテウデリク殿下は、王族であることをしめす緋色の外套と紫の肩帯を身に着けていなかった。今日は第二王子としての立場ではないということのようだ。
なんのご用事なのやら、ますますわからなくなった。
大広間の入り口で一礼してから歩んできた殿下は、聖座の五歩前で片ひざついて。
「聖女アルフィニア、早朝のお忙しい時間に先触れもなく推参いたしましたこと、不調法お詫び申し上げます」
「いえいえやめてください、堅苦しいごあいさつなんて。ご用件おうかがいします」
わたしが本題をうながすと、殿下はまっすぐにこちらへ視線を向けてきた。
――まじまじ見てもやっぱりきれーなお顔ですね。確実にわたしより「美人」の相だよなあ。わたしもたまに「イケメン」とは言われるんだけど、それ褒めてるんかー?ってなる。
「アルフィニア嬢、私は婚約破棄を宣告された身ではありますが、あらためて、あなたに真剣な交際の申し込みをいたしたく参上しました」
「はあ……。殿下、もしかして、だれかに叱られました?」
テウデリク殿下のセリフに、横でセラーナとエレシーダが「きゃー」とか盛り上がってるけど、わたしは殿下が無理してないかちょっと気になった。
世界のために自分の貴重な青春の大半を滅して奉公する聖女がいるのは事実として、じゃあ王族男児は聖女をもれなく引き取るのが義務なのか、っていうのにはじゃっかん疑問がある。
まあ、王家だって統治のための公機関としての面があるわけで、清純でかわいい聖女は嫁にして、そうじゃないなら拒否するとか選り好みしやがるなら、おまえら下野しろってなるけど。
わたしの質問に、殿下は肩をすくめた。
「義姉に怒られたよ。『婚約破棄と言われてなんであっさりうなずいたの? 聖女に殿がたと親密になるようなヒマがあるわけないでしょう、どうして自分の愛を証明させてくれと答えなかったの。世界が滅びたらあなたのせいよ、テウデリク』とね」
「ふふっ」
殿下がまったく取り繕おうとしないので、つい笑ってしまった。正直者だなあこのひと。
テウデリク殿下のお義姉さまである、王太子妃ケイトリンは、先代聖女であり、五歳で聖女候補として教会へやってきたわたしへ、三年間聖女業のなんたるかを教えてくれたひとでもある。
「正直に言って、兄と、聖女だったころの義姉が、形式的な婚約者として以上の仲だったようには見えなかった。婚約者時代の兄たちが、私とアルフィニア嬢より強い想いで結ばれていて、私たちにはそれがないから世界が滅びるのだと言われるのは……癪だ」
と、殿下はやや子供っぽくくちびるを曲げた。
聖女が現役のうちは、婚約者とはいえみだりに狎れ狎れしくしたり触れたりするな、と王家のほうでは教えていただろうに、いまさら「愛情不足だ」とか言われるのは、なんだよそれってなりますね。
「そのことについては気にしなくてだいじょうぶですよ、殿下に責任はありません。昨日今日で破綻したわけじゃなくて、この2000年間で積もりに積もった制度疲労のせいですから。悪いのフィリアなんで」
わたしが手をぱたぱた振ってそういうと、殿下はすこし怪訝そうな顔になった。
「歴代の聖女には〈真実の愛〉があり、あなたは〈真実の愛〉を得られていないから世界は危機に陥っている、という話ではなかったのかな?」
「あー、それがちょっとややこしいところで、システムの矛盾というか、配管の継ぎ間違いというか、フィリアに一番効率よく愛の力を届けられる時期の聖女は愛を知りえないという、凡ミスをフィリアがやらかしてまして。緊急リカバリーの手段が、現役聖女が〈真実の愛〉に目覚めればいいっていう、まあ無茶ぶりなんですよ」
わたしの説明はざっくりすぎて、あんまりよくは伝わっていないようだった。
完璧に伝わっちゃうと、フィリアがポンコツクソバカ究極駄女神だってことがバレちゃうから、それはそれでよくないだろうけど。
相変わらず解釈力が高い殿下は、わたしの不足がちな説明からでも要点を読み取ってくれていた。
「つまり、アルフィニア嬢、あなたと私のあいだに〈真実の愛〉が芽生えれば、世界は救われるということに間違いはない――これでいいだろうか?」
「はい、フィリアはいちおうそう言ってました」
質問にわたしがうなずくと、テウデリク殿下は一度立ち上がり、わたしの目の前まで歩を進めて、ふたたびかしこまった。すっごい眼力でこっちを見て。
「聖女としてではなく、ひとりの女性として、アルフィニア嬢、私があなたを愛している、ゆるぎない真実の愛を捧げることができるのだと、証明する機会を与えてほしい!」
「きゃー、熱烈!」
「すてきです!」
こら外野ー、うるさいぞ外野ー! 当事者より前に勝手に盛り上がって口開くな!
……というのは内心だけで、わたしは女官たちを睨むのに横目を飛ばしたりはせず、殿下の眼を見返す。
蒼いきれいな双眸に、意志の強さがくっきりと浮かんでいた。
動機は義姉に「甲斐性なし」とあおられたからであって、自分の器量が兄に劣っているわけではない、という反発と、王族としての責任感であろうけど、自分の意思とは無関係に婚約者ってことになっていただけで、個人としての好悪の念はなかった、というところはわたしも同じだ。
「デートのお誘いってことで、いいですか?」
「もし、いまからあなたと表を散策できるのなら、それにまさる悦びはないよ」
「ありがとうございます。ええと……12時間か、13時間、お待ちいただけますか?」
殿下のお言葉はうれしいんですけど、ここで開門時間でーす。
テウデリク王子を呼びに表に出てから、そのまま列整理をしていたミシェルが、聖堂の大門を開いた。
聖堂前の広場は、早朝から治療を求める人々で埋め尽くされている。
……んー、今日もいっぱいいるね。陽のあるうちにはぜったい終わらないわ。
仕事だ仕事、と聖座を立ったわたしへ、エレシーダが横から口をはさんできた。
「わたしたちでも簡単な治療魔法は使えます! アルフィニアさまはテウデリク殿下とお出かけになってください!」
「いや、仮に全員軽症でも、この数は無理でしょ」
ころんだ擦り傷とか頭痛腹痛ていどならともかく、虫歯なんかになると、もう並の人間の治療魔法じゃ歯が立たないしね、歯の病だけに。
「世界があと五日でなくなっちゃうかどうかの瀬戸際なんですよ!?」
セラーナはほとんど怒っていた。……じゃあちょっと、今日は聖女お休みいただくんで、みなさん帰ってください、って言ってみてくれない? わたしにはちょっとその勇気はない。
ていうか、世界がマジで滅びるかもって思ってる人、いないのかも。
役立たずのフィリア教会め! って石投げにくる人がいないのが不思議なくらいで……って、そうかめっちゃ強そう(そして実際に単騎で大陸まるごと消し飛ばせること確実)な警備員がいたっけ。
と、わたしが世界の秩序が保たれつづけている理由を思い出したところで、当の大天使が聖堂の屋根から降りてきて、開け放たれた大門の戸口に現れた。
おどろいた群衆が左右にわかれて道を開ける。
六枚羽の第一階梯使徒が、のっそりと聖堂の中へ入ってきた。
屋根の上にいたから大きさよくわからなかったけど、でっかいな。身長はわたしの二倍ちょいあるぞ。
「人々の治療は私が引き受けましょう。聖女アルフィニア、あなたは出かけるといい」
「……すみません、おねがいしちゃっていいですか?」
「もちろん。われらフィリアの下僕は、聖女であるあなたの下僕でもある」
大天使なんだから、治療魔法の腕前はすくなくとも聖女と同等、たぶんそれ以上のはずだ。
「じゃあちょっと、代わってもらっちゃいますね。……ええと」
「ザシュキーンエルです」
「ここはたのみます、ザシュキーンエルさん」
「おまかせを」
いやあ、大天使に業務代わってもらってデートに行く聖女とか、確実に史上初だな。