フィアンセとはいえ、結婚前に彼のベッドに入り込むのはビッチなのではないか【地母イリーシャの日;午前】
聖女制度の変更にあたり、大神祇官房と王国各政庁も交えて調整が必要である――正攻法での正面突入作戦は見事に当たり、わたしは取り次ぎの間での二時間待ちコースをスキップして宮殿に入り込んだ。
舞踏会をやっていた大広間の一フロア下、地上階の大ホールでは、数日間に渡って滞在していた各国の公使、君侯のお歴々が本国へ帰るにあたって、仰々しいごあいさつを繰り返してしているところだった。
わたしは建前上「聖務」としてきたので、聖女フォーマルたる白のロングドレスにティアラをかぶっている上、聖笏まで持っているせいでめっちゃ目立つ。
こっそりとおり抜けるのは無理なので、時間がないため略式にて失礼しますと、こっちから一礼ずつだけ交わしてエンドレス儀礼地獄にハマる前に突破した。
聖女がこれまで年中無休で、毎日の治療業務と、大災害や旱魃防止のための天候操作に追われていたことは全世界に周知されている。
わたしが史上はじめて事務仕事に取りかかる聖女であり、時間は限られている、と理解してもらえた。
ベネシュ卿はじめとする司政官はみな多忙で、急なスケジュール調整は難しい、と苦慮顔の政務次官どのへ、具体的草案がまとまるまで大臣のみなさんのお手は煩わせません、それまではテウデリク殿下をお貸しいただけると、話し慣れていることだし助かるのですが、と、建前二割下心八割の話をして、官僚エリアも突破。
王家のプライベートゾーンへ踏み込んだわたしを、王太子妃であり先代聖女のリン姉が出迎えてくれた。
「ニア、おはよう。フィリアが公約どおり作ってくれたせっかくの休日なのに、いきなり仕事なわけ?」
「エレシーダたちがたたき台をちょっと作ってくれてたから乗ったけど、一番の目的はあなたの義弟ですよ、ケイトリンお義姉さま」
わたしがにやりとすると、リン姉も、うひひと笑う。下世話な話大好きなところは、ほんとうにフィリアそっくりだなあ。
「おー、さっそくやるねえ。行くとこまで行っちゃう?」
「さすがに正式な結婚前にキス以上はしないよ。わりと仕事のほうも真剣にやらないと終わんないやつだし」
エレシーダにもらった計画書素案を見せると、リン姉はざっと見てからおでこに手をやった。
「うわ……知恵熱出てきそう。これホントに自分でやるの、ニア? 大神祇官房に丸投げでよくない?」
「ユールヴァヌス猊下たちにも手とアイデアは出してもらうけど、白紙委任はまずいよ。わたしはリクと結婚して以降も聖女をつづけることになる。制度としてちゃんと詰めないと、二重権威が生じたら問題になるから」
「ニアはほんっとに真面目だね。いっそ神聖フィリア帝国の初代女帝として、全世界統一すればいいんだよ」
「そんなことしたら、あとの聖女の仕事が増えるだけじゃん。治療とお天気管理以上のめんどうを、最低限に抑えるための計画だよ」
「賢いなあ、ニアは」
もう考えたくない、って顔で、リン姉はわたしをハグして頭を撫で撫でしてきた。
「ところで、リクは?」
「昨日のフィリアの大暴露食らって以降、顔真っ赤にして自室で布団かぶってるよ。……あー、いま思い出しても笑う。もう、なんであんな食べちゃいたくなる顔すんのかな、ニアのものじゃなかったら、あたしが襲っちゃうところだったよ」
わたしから手を離して、リン姉は自分のお腹を抱えて思い出し笑いをしはじめた。
……こらこら、冗談とはいえ、兄王子のみならず弟王子までいただいちゃおうとか、欲張りがすぎるぞ。
ていうか、リクも顔真っ赤な上に、わたしより重症か。いやそうなっても仕方ないよね。
「ホント、マジあのクソ女神はさ。わたしも逃げ出して、しばらくぷるぷるしてた。エレシーダたちがフォローしてくれなかったら、ちょうど天使帰っちゃったところだし、仕事に穴あいてたよ」
「どうしたの? タダじゃすませなかったよね?」
「ボッコボコにした。ガチで。最後は泣いて土下座してきて、さすがにトドメは刺せなかった」
「あっはっはっはっは…………フィリアに土下座させるとか、あんたホントすごいね!」
まあ、実際にはほかの神から神聖力もらうなり、神殺しの実績がある呪装特器物がないと、フィリアを真の意味で傷つけることはできないんだろうけど。
でも昨日のインヴィディアなら倒せてたくらいはボコった。
「フィリアのやつ、本心でやってるからタチ悪いんだよなあ」
「うん、ニアみたいなタイプの子、フィリアはぜったい好きだから」
「……わかるんだ」
「あたしもニアが大好きだからね」
笑いすぎでちょっと涙を浮かべながら、リン姉は本心からの優しい目でそう言ってくれた。
「わたしもリン姉大好き」
「まあまあ、ここで百合百合な仲を深めるのも悪くはないけど、愚弟を部屋から引っ張り出してあげてよ。そろそろご飯くらい食べなきゃ」
「そうだね」
+++++
リン姉にリクのお部屋まで案内してもらって、ノックをしてみたけど、応答はない。
「テウデリク殿下、アルフィニアです、開けてくれませんか?」
わりと大きな声でそう言っても、無反応。
「ねえリン姉、リクほんとうに中にいる?」
「鍵かかってるし、中からしかかけらんないタイプのだから、いるはずなんだけどな。チビのころはバルコニーから抜け出して森に遊びに行ったりしたことあるけど、さすがにもうやんないだろうし」
「……どうしよう」
「解錠していいよ。あたしは聖女になる前もなってからもいまも、回復術以外はぜんぜん駄目だけど、ニアはほとんどなんでも使えるでしょ」
「昨日リクがわたしを助けにきてくれたとき、リン姉はリクになんの術かけてあげたの?」
「効果持続身体再生。一時間くらいは、どこを傷つけられても即座に回復するやつ。手足切断されても一瞬。試したことはないけども、首刎ねられたら胴体のほうが生えてくるはず。その場合は全裸になるけど」
「……さすが」
万能型といえば聞こえはいいけど、わたしの治療術はフィリアの手助けがあって、ようやくリン姉の地力レベルだ。上には上がいる。
解錠の術をかけてドアノブに手をかけたわたしへ、
「じゃあ、おねがいね」
と、義弟を心配する姉の顔で言い残し、ケイトリンは廊下を向こうへ去っていった。
「……リク、はいるよ」
王子さまの私室という印象からすると、内装はずいぶんシンプルだ。天井からさがっているシャンデリアと、据付の棚は豪華な装飾が施されてるから、壁紙やその他の調度品は、リクがこの部屋を使うようになってから、質素なものに変えたのだろう。
質素といっても、実用以上の飾り立てがされていないというだけで上等な作りだが。
本棚が多い。歴史の本に、哲学書に、紀行書に、科学や天文学の本? わたしとはだいぶシュミちがうなあ。わたしは自習用の魔術書以外は、ラヴリー・ソフィア先生の恋愛小説しか持ってない。
居間を抜け、寝室へ。
ベッドの上の掛け布にはふくらみがあった。リクはたしかに寝ているようだ。
「リク、起きて」
動かず。
「ニアだよ、勝手に入っちゃってごめん。でも、リクが一日以上部屋に閉じこもってるって聞いてさ」
動かず。……もしかして布団の下はクッションかなにかが入ってるだけなのか?
「フィリアのデリカシーゼロな暴露がショックだったのはわかるけどさ、わたしとキスしたのバラされるって、そんな恥ずべきことかな?」
じゃっかん語気が荒くなりながら掛け布を取りのけると、リクは意識なく横になっていた。
籠もっていた熱気がわたしのほおを撫でる。
「……て、熱あるじゃん!!? リク、だいじょうぶ?!!」
おでこがかなり熱い。わたしはあわてて治療術をかけた……が、違和感。これは治癒魔力を注入して治るものではないと、治療対象の状態を読み取る感覚が伝えてくる。
そうか……!
「……魔力吸収!」
リクを蝕んでいるのは、八人の歴代聖女からありったけ注ぎ込まれた強化術の反動だ。
ふつうの人間は、一度に大量の魔力霊力に露曝される機会がない。それぞれ超一流の術者であるリン姉たちから施術を受け、許容量を超えてしまったのだ。
インヴィディアと戦った直後はなんともなかったのに、一夜明けて急に悪化したのは、強化術の作用時間がどんどん終了していったからだろう。
本体の術が稼働を停止して消費されなくなった魔力が残留しつづけ、自分自身は術を使うことがないリクの体内にだんだん溜まっていって……
そこにフィリアのゴシップな暴露が重なり、恥ずかしさで一時的に私室へ戻ったリクは、そのまま意識を失ってしまった。
……最悪なタイミングの重なりかただな!
明日もう一回フィリアしばき倒そう。下手すりゃわたしのリクが死んじゃってたじゃん!!
本来聖女には用事がない術を使って、余分な魔力を、リクの身体から吸い出す。
神やら魔族やら竜やら超高位魔術師なんかと戦うとき以外に使い道がないというか、これまで実践で一度も出番なかった術だけど、憶えておいてよかった!
だんだんとリクから熱が引いていき……わたしの愛しいひとが、うっすらと目を開けた。
「……ここ……は……」
「リク、気がついた? だいじょうぶ?」
「え……アルフィニア嬢……?」
「ちがう! ニアでしょ、ニ・ア!」
リクは意識を取り戻したばかりで朦朧としているというのに、わたしはひどい女だ。
緊張と心配からの解放と安堵が一気に押し寄せてきて、抑制が効かなくなって、わたしは荒々しくリクのくちびるを吸っていた。舌をねじ入れ、リクの舌を巻き取ってこちらの口内へ引っ張り込む。
涙がぼろぼろ流れていた。
もうぜったいに離さない、ぜったいに失いたくない、このひとはわたしのもので、わたしのすべてはリクのものだ。
意味のわからないうちに、私室へ無断侵入してきた女から無理やりキスされているという状態の、完全な被害者であるリクだったが、両手でわたしのほおを包み込んで、彼のほうから強く押しつけてきた。
とろんとなって総身から力が抜けたわたしの隙を逃さず、リクはからみ合っていた舌をほどき、ゆっくりとくちびるを離す。拒絶するような無理やりな振り払いかたじゃないのが、たまらなくツボだった。
虚脱したわたしは、彼の上に覆いかぶさりながら、うわごとみたいにつぶやいていた。
「リク……愛してる」
「愛してるよ、ニア。……ただ、ちょっといろいろ状況がわからない。順番に説明してもらっていいかな?」
リクは冷静だった。わたしもさすがに我に返る。
「えー……あの……その……ごめんなさい、勝手にお部屋入ったりして!!」
まずそこからだよね。もう生涯添い遂げる気満々といっても、じつは婚約破棄したまんま結び直してないし。
わたしが全面的に悪いというか、意識混濁中のリクに強引にキスしたのはあきらか犯罪である。
……結論としては、「フィリアが悪い」ですませました。
不調をだれかに伝える間もなく倒れてしまったリクにはなんの責任もないし、リン姉たちだって、ちょっとナイーヴだなあ、と思いはしても、ほぼ10年越しの初恋が実ったばかりのリクにとって、フィリアのデリカシーがない暴露の仕方は、丸一日ベッドで悶絶してても不思議はないかな、ってなるていどには痛烈な不意討ちだったわけだし。
さすがに今日のお昼すぎまでお部屋から出てこなかったら、だれかが様子を見にきてただろうけど。でも、魔力飽和症の対処ができる術者なんて、そうはいないし。
……いや、わたしだからリクを助けられた、ってのはうぬぼれすぎか。ブリュンヒルデさまやユージニアさまは魔力吸収くらい使えそう。
ひととおり説明して、わたしもフィリアにやられてから午前中いっぱい顔真っ赤でぷるぷるしつづけた、とぶっちゃけて、ふたりして大笑いしてから……またいっぱいちゅーした。
エレシーダから書類もらって、大神祇官房庁にもリクといっしょに行くって予定を最初から決めてなかったら、正式な結婚前には進んじゃいけないトコまでいきかねなかった……。
ちょっとわれを忘れかけたわ。リクのくちびるおいしい……味的な意味じゃなく。
まだ我慢できるよ。式さえ挙げちゃえば、それ以降は遠慮しないですむし!
つぎで最終回です。