天使の昇天【銀竜エクスディリスの日;早朝】
「……もお~~~! ニア、あなたって子は!! どうして、一番の見どころを、わたくしから隠れたところでおいしくいただいちゃうのよ〜〜〜〜??!!!」
朝一番で第四階梯使徒たちの引くソリで王宮から聖堂へ帰り、交神の間から天界へ顔を出したわたしを見るなり、カプ厨女神フィリアは金切り声で絶叫した。
「いえーーい! やってやったわー!! フィリアざまぁ!」
わたしはぴょんぴょこジャンプしながら、固めた拳を何度も突き上げた。
テウデリク殿下、もといリクとの、あまーいあまーいファーストキスは、この世どころか多元全宇宙で、わたしたちふたりしか知らない秘密となった。
インヴィディア放逐しちゃったから、あの空間もうなくなっちゃったんだよな。残ってくれれば、今後もなにかとシケこめたのに。
ちょっとだけ惜しい。
「あなたたちの心が結びついて愛の花が開くところを、この胸に感じたかったのに〜〜〜!!!」
「へっへっへー、リクのあの初心でかわいい顔は、わたしだけの想い出〜!」
「純真な少年をたぶらかす、玄人の年増女みたいなことを! あなた、とんだ悪女だったのね」
「今後もわたしがリードして、あんなことやこんなことしてやるもんね」
いやま、いうほどわたしも経験豊富ではないですが。ていうか、そんなヒマがここ12年ばかしなかったわけで。
女の子となら、わりとよくちゅっちゅしてたんだけど、聖女候補にされて二年目くらいまでは。エレシーダとか、リン姉とかと。
キスそのものは、リクとがざっと10年ぶり。そして男性とははじめて。
いきなり舌からめられて、リクは13歳の乙女みたいな顔でか細いあえぎ声あげてたけど。すみません、かわいかったものでつい。
これでわたしもオトナの階段を……いや、せいぜい、ようやく人並みの青春に達しただけか。
でも、リクといっしょなら、失った青春を十二分に取り戻せる気がする!
さらば無彩色の世界、二度と戻りはしないぞ灰色の思春期、わたしは、今日になって真の意味で産まれ落ちたのだ。
……とまあ、なんかみょうに脳内がポエミーになってきたわたしだったが、フィリアがいくぶん真面目な顔になってこっちを見た。
「恋をして、好きな人と心を通わせるって、ほんとうにいいものでしょ?」
「リクがわたしのことずっと好きでいてくれたからこうなっただけで、失恋だったら闇堕ちしてた。……聖女にやらせるには、やっぱリスク高いような気がする」
「あら、このさきの聖女に『恋破れたときのリスクがあるから、やっぱり恋愛禁止』って、教えるの?」
「まさか。これまでみたいに、純粋培養で決められた婚約者の王子さまと一発勝負、なんて方法があぶないだけで、むしろ候補のうちに悲恋の二、三経験して、耐性つけるようにしとくほうがいいでしょ」
「フィリア教会が、『聖女の殿堂』から『ビッチの殿堂』って呼ばれるようになったら、どうしようかしら……」
「その前に正しい呼び名広めておくから安心しなさい。『カプ厨クソ女神の殿堂』が正式名称よ」
「あら、わたくしワン・トゥ・ワンの特定カップリングだけを唯一絶対とする気はないわよ? そのときどきの燃え上がる恋が真物なら、プレイボーイやプレイガールの生きかただって否定しないもの」
「……もっとまずいじゃねーか」
フィリア教会が「清廉な乙女の集う治療施設」って一般認識になったのって、わりと奇跡なんじゃないかこれ? ふつうにこの駄女神の主義で運用されてたら、邪淫の館になるぞ。
大神祇官房のイメージ戦略かな。だとしたら、意外とないがしろにできないかも。
……ちょっと真面目になりかけたさきから、速攻いつものアホな雰囲気になってしまったので、わたしは引き戻しをかねて、昨日になってはじめて気がついたことをフィリアに話すことにした。
「そうだ、あんたにお礼を言わなきゃ」
「あら、めずらしいわね? わたくしのアドバイスが、テウデリク王子との恋に貢献したかしら?」
「それは一ミリも役に立ってないから安心しろ。恋のアドバイスが的確だったのはリン姉だけ」
まあ、冷静に考えるとリン姉もそんなに大したことは言ってないが。「ネタバレ」は、リクが最初からわたしが好きだった、ってことだったんだな、とあとで気がついたけど。
それはフィリアも一発でわかってたなそういえば。そのへんは伊達に愛の女神ではないってことだろうか。単に、わたしがにぶすぎるだけだという最有力仮説もある。
「……あらん。わたくし、ほかにニアの役に立ててたかしら?」
「昨日というか今日の真夜中に、リクと話してて気がついた。わたしはずっと、他人と話すときに心の中で壁を作ってたんだって。リン姉やエレシーダ相手だと素直になれることもあるけど、基本的に自分の本音をだれかに話したりはしてなかった。わたしがまったく遠慮しないで話せる相手は、昨日までのフィリアと、今日からのリクだけ。……いままでありがとうね、わたしのほんとうの姿と向き合ってくれて」
おばあちゃんに甘えるときしか見せたことのない、愛情をむさぼる獣の顔に12年ぶりになって、わたしはフィリアに抱きついた。
おばあちゃんの若きときの身を仮の姿としているフィリアは、わたしの想い出よりずーっと柔らかい感触で、でもマザー・テルマと同じ優しさで抱きしめてくれた。
「これまで、たくさんの女の子が聖女としてこの空間へやってきたわ。わたくしを完全無欠の真の神だと信じて疑わず、わたくしに命令されることだけを望む娘もいれば、女神などというものは、地上で最も光貴なる存在である聖女の権威を裏打ちするだけの傀儡だと見做している娘もいた。まあ、たいていの娘にとっては、親戚のおねえさんか、オバちゃんみたいなものだったけど。……あなたほど、聖女そのものの存在価値と意義について真剣に考え、わたくし自身にも世界の主宰神としての自覚と責任を要求する聖女はいなかった。あなたは、これまでで一番の聖女よ、ニア」
「理屈っぽいわね、あんたらしくない」
「わたくしだって、まだ神としては若くてピチピチよ。成長するの、あなたが成長させてくれた」
「あ~ら経験不足だったから失敗しちゃった、で世界滅ぼすのはやめてよね」
「子育ては親自身を成長させるでしょう? それと同じことよ。万全は尽くすけど、失敗しないと完全保証まではできないわ」
「……軽いなあ」
でもまあ、神と人間のスケールのちがいだけで、そういうモンかもしれない。
一度力を込めてわたしを抱きすくめてから、フィリアは腕を離した。
「あ、そろそろ太陽が地平線を離れるわね。地上に派遣している天使たちを撤収させるわ。みんなあなたにあいさつしたがっているから、戻って見送ってあげて」
「全世界伝心で、みんなにもう心配ないよって教えたの?」
わたしが各国首脳相手に演説したから、人間の八割には伝わってると思うけど、人間じゃない種族の中には知らないひともけっこういるんじゃなかろうか。
「それはこれから。天使たちを引き揚げながら、陽の出の時間になった地域に順繰りで伝えていくわ」
「あっざと! 演出過多!」
「たまにはいいじゃないの。わたくしは原則地上に干渉しないんだから。ほら、早く戻って。ザシュキーンエルなんかを回収し損なったら、神聖力大量流出よ。あなたとテウデリク王子に三日三晩ちちくり合ってもらわないと」
「はいはい。まあ、言われなくても、リクとはこれからたっぷりいちゃこらするけどな」
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交神の間に戻ったわたしへ、女官のネスティが興奮した様子で話しかけてくる。
「アルフィニアさま、天使たちが空に舞い上がっていくって、外で並んでる人たちが騒いでます!」
「フィリアに聞いた。安全宣言して、使徒回収するって。表に出よう、仕事中の人も一度手を離していいから」
「承知いたしました!」
ネスティは思念感応の増幅結晶に触れ、教会各所の女官たちへ、フィリアの直接神言があるので表で整列するよう伝える。
聖座の間で待機していたリーチェもいっしょに、外へ。
列整理をしていたセラーナも、聖堂の奥やほかの建物で掃除や朝食の準備をしていた女官たちも、治療希望者のみなさんといっしょに天を仰ぎ見ていた。
雲ひとつない早朝の青空の半ばを白く染めながら、無数の天使たちが穹窿の高処へと昇っていく。
白く見えるのは、第三階梯使徒と、第四階梯使徒の翼だ。
それ以上の数の第五階梯使徒が、まるで天に召される霊魂のごとく、地上からふわふわと青い光の玉の姿で上昇し、空の青に溶け込んで見えなくなっていく。
「聖女アルフィニア、短いあいだでしたが、ごいっしょできてとても楽しい時間でした」
わたしを乗せたソリを引いて、王宮とのあいだを往復してくれた八体の第四階梯使徒が、一度こっちへ降りてきてあいさつしてくれた。
「ねえ、フィリアにも今度頼んでおくけど、大祭のときに、またソリを引いてくれない?」
「そのような大役を仰せつかることができますならば、もちろん、よろこんで!」
「ぜったい呼ぶから、またね!」
わたしは子供のように両手を振りながら、馬さんと牛さんと羊さんとカモノハシさんの姿をした天使たちを見送った。
お母さんやお父さんに連れられて治療待ちのちびっこたちも、手を振りながら「ばいばーい!」と口々にわかれのあいさつを投げかける。中には、お気に入りの自律空中クッションがいなくなっちゃうと、泣きはじめてしまう子もいた。
巨きな影が、わたしたちの上に覆いかぶさってきた。この六日間教会を守ってくれた、第一階梯使徒ザシュキーンエルだ。
彫像のような身を聖堂の屋根から離し、わたしの前へと降下してくる。
常人の二倍強の身の丈で完璧な均整の筋骨をして、背に六枚の翼が輝くその姿は、まさに大天使だ。
「聖女アルフィニア、おわかれしなくてはならないのが残念です」
「うーん……ザシュキーンエルさんはちょっとコスト高いから、気軽にまたきてね、ともいえないですからね」
「本来私は地上に現出するよう創られた存在ではありませんが、おそらく唯一であろうこの機会に、あなたのような端倪すべからざる人間にお目にかかれたこと、永久にわが励みと戒めとして銘記してまいります」
「よくわかんないけど、わたしはそこまでごたいそうな人間じゃないですから」
いろんなひとに過大評価されちゃってるけど、ザシュキーンエルさんが一番なに言ってんのかわかんない……。
「あなたのような決断力と滅私の精神を具えた人間が捨て身となれば、神であろうと殺しうる。フィリアの神域を護る存在として、今後決して定命者であろうと侮ることはありません」
「は、はあ……」
脳筋か! ていうか、神どうしで刺客の放ち合いとかカチコミ合いってのはやっぱあるのね……。
ザシュキーンエルさんが、その大きな大きな身を屈し、わたしと視線を合わせた。うやうやしく大きな両手でわたしの右手を取り、甲に接吻する。
「それでは、失礼いたします、聖女アルフィニア」
「もしフィリアの神聖力にすごい余裕ができたら、たまに聖女代理として、治療役にきてくださいね」
「そのような機会が、もしありましたら」
彫像の印象をより強くする、なんか固そうな顔にかすかな笑みを浮かべて、ザシュキーンエルさんが天へと舞い上がった。まったく重さを感じさせない、翼で空気を漕いでいるのではなく位相を操作している動きだ。
空舞う無数の天使を背景に昇天する六枚羽の大天使――まさに神話のような光景が広がる中、頭の中に女神フィリアの声が聞こえてきた。
『みなさま、このたびはご不安とご心配をおかけし、まことにご迷惑さまでした。こちらは女神フィリアです。世界の維持に喫緊の問題が生じていた件は、みなさまのご理解ある行動と、巨人族、竜族、その他多くの知的存在の、種族の枠を超えた相互理解と友愛……そして、聖女アルフィニアとテウデリク王子のラヴラヴなちゅーによって解消されました』
……オイコラ、やめろクソ女神!!!!
個人のプライベートを拡散報道するんじゃねえ!!!!!!???
「アルフィニアさま、したんですね、テウデリク殿下とキスしたんですね!!!」
『ヒューヒュー』
『おめでとう!』
『おめでとうございます!!』
あ"あ"あ"あ"あ"あ"あ"〜〜〜〜〜やめて、500人強でいっせいにはやし立てるのやめてぇぇぇぇぇっっっっ!!!!!!!
「にあしゃまちゅーしたの?」
「だれ、だれと?」
「おーじさまっていってたでしょ」
ちびっこたちまで!!!? かんべんしてよ!!!!!!!
「もう、みんなして、からかわないでーーーー!!!!!!」
わたしは、顔どころか首まで真っ赤になって逃げ出した。
いちおうみんな空気は読んだようで、門の外で女官たちが治療業務を開始し、昼すぎにちょっと重症のおばあさんが連れてこられるまで、わたしのことをそっとしておいてくれた。
それまでずっと、わたしは聖座の上で丸くなってぷるぷるしてた。
……ぶっ●殺す、あのフ●ッキンクソ女神ぜってーぶち●殺す。
ひどいオチがついたところで最終回です! ご愛読ありがとうございました。
……ウソウソ、まだもう少し続きます。
ちゃんと殿下といちゃいちゃするよ!




