聖女の仕事はたいへんです【愛の女神フィリアの日;払暁】
純白のロングドレスをまとい、望月を象った白銀の円盤を戴いている杖を手に、ダイアモンドとサファイアとムーンストーンとエメラルドとルビーとトパーズが輝くティアラをかぶり、わたしは聖座に着いていた。
まだ東の空がようやく白みかけてきた、というていどの早朝だが、お偉いさんがたが、血相変えてフィリア教会に押しかけてきている。
「これはどういうことかね聖女アルフィニア!?」
「われわれも寝耳に水でした、文字どおり。夜明けとともに交神の儀を執り行い、われらが主フィリアへ直接神意の確認をいたします。もうしばらくしましたら、一度交神のために席を外させていただくことになりますので、あらかじめご了承ください」
あわてふためいている顧問会議座長のウィッテンマイアー侯へ、わたしは毅然たる鉄面皮で応じる。
わたしだってホントはあたふたしながら、フ●ッ●ン女神を語彙の限り罵倒してやりたい。だが、こっちから直接交神チャネルを開くことができるのは夜が明けてからだ。
だからこそあのクソ女神は、教会の本山があるこの地域が夜間の隙にブロードキャストでぶちまけやがったのだ。ぜったいに狙ってやってる。タダじゃすまさんからなファ●キ●フィリア!
「聖女アルフィニア、こたびの事態、きみの聖女としての資質に問題があったがゆえという可能性、ないと言い切れるかね?」
「われらの主が、聖女が資質に欠いているからといって世界ごと滅ぼすというのですか? わたしから神聖力の行使権能を剥ぎ取り、あらたな聖女へ遷せばすむことです」
この期におよんで官僚的責任者探しモードになっている大神祇長官ユールヴァヌス猊下へ、わたしは不遜な視線で報いた。
たしかにわたしは完璧な〈聖女〉からはほど遠かろう。しかし、歴代三百何十人かの聖女の中で、ドンケツというほどひどくもないつもりだ。悪く見て下の中、たぶん、中の下くらいのはず。
もし、聖女が資質に欠いていたというだけで世界がまるごと滅びてしまうとしたら、それはわたし個人だけの責任ではない。そんな脆弱なシステムを放置してのんべんだらりと今日まで維持してきた、大神祇官房が責任のもう一端を負うべきだろう。
わたしの逆ねじにユールヴァヌス猊下がほおをひくひくさせていると、聖座の間の通用口が開く音が聞こえてきた。まだ大きな正門を開ける時間ではない。
「失礼します! 国王陛下より戒厳令発動の勅命を承り、王国騎士団は総動員体制を整えているところであります。正教会にも厳重なる警備を敷くようにと指示を受けておりますが、立ち入り許可をいただきたく参上いたしました」
聖域内へ足を踏み入れないよう、入り口でかしこまりながらよくとおる声をかけてきたのは、騎士団長の……レオンユードどのだったかな? こんなときだというのに行儀の良い人だ。
「お勤めご苦労さまです。教会はべつに警備してくれなくてもだいじょうぶですから、街頭や各市の城門に人員を配置してください。ヤケを起こして暴動や略奪に走る人が出ないように」
「しかし……お言葉ながら、先だっての女神フィリアの宣告が事実であれば、教会に対する民衆の不信感は……」
「それはあなたたちもでしょう? ほんとうに世界が滅びるなら、一番に焼け落ちるべきなのはこの教会。気にしてくれなくてけっこう」
『せ、聖女アルフィニア!?』
投げやりなわたしの態度に、ウィッテンマイアー侯とユールヴァヌス猊下が青い顔で叫ぶ。
「ここは安全じゃないかもしれませんよ。一週間お屋敷にこもっているほうが、穏やかな最期を迎えられるかもしれませんね」
皮肉げなわたしの言に、半ば以上本気の顔でご両人が席を立ちかかったところで、女官のミシェルが聖座の間へ飛び込んできた。
「アルフィニアさま! 聖堂の屋根の上に、空から羽の生えてる大きな人が!」
「ああ、天使ね。何枚羽?」
「え……た、たぶん、六枚あった、と思います」
「第一階梯使徒か。フィリアは本気ね。……警備は完全に無用になりました。街頭や街道筋にも、天使が降りてきているかもしれません。騎士団のみなさんが超過勤務をする必要はなくなったかも」
わたしの説明に、騎士団長どのは安堵と不服がないまぜの表情になった。
自分が管掌してるはずの仕事を、上が勝手に差配してくるとそういう気分になるでしょ? わかります、さっきわたしもやられたばっかりだから。
「状況を確認し、国王陛下にご報告の上、再度指示を仰いでまいります。失礼しました」
一礼してレオンユードさんは退出していく。お勤めとはいえ、行ったりきたりでくたびれ儲けですね。
さあて、わたしはクソ女神と直接対決してきますか。
「天使が降りてきているということは、天界とのチャネルが開いているはずです。われらが主フィリアと直接交神をしてまいります。一度外させていただきますね」
帰ったほうがいいのかここに留まっているほうがいいのか、判断がつかなくなっているウィッテンマイアー侯とユールヴァヌス猊下を尻目に、わたしは聖座を立って聖域内陣へと向かう。
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聖域内陣はこの世界には存在していない。
フィリア教会本堂の中枢部、白銀盤に刻み込まれている魔法陣の中心に聖女が立ち祈りを捧げることで、天界へ精神体を投射し、神の御前に見えることができるのだ。
「おはようございます、聖女アルフィニア」
まさに慈母のごとき笑みを浮かべ、創世神にして愛の女神フィリアはいつもどおりにわたしを迎えた。
なお、神の姿に定形はない。見る者が考える「究極至善の女神」として現れる。だから、わたしからフィリアがどう見えているかについての詳述は省略させていただく。あなたが見たい最高の女神さまを想像すれば、それが正しい姿だ。
女神を前に、わたしは大きく深呼吸(物理的肉体ではないから意味のある行動じゃないが)をして――
「てめえ勝手にブロードキャストで滅亡宣告とかしやがって! おかげでわたしのメンツは丸つぶれだぞ、どういうつもりだこのBBA!!?」
「そういうところよ。自分でわかっているでしょう、ニア」
「まさかわたしが聖女の器じゃないからって、それだけで世界全部滅ぼす気なワケ? ぶっ殺●すぞクソ女神!!!」
このファ●キン女神が! わたしはユールヴァヌス猊下に「ない」っていっといたのに、マジでそんな理由か?!
わたしの罵詈雑言は毎度のことなので、フィリアは軽く肩をすくめただけだった。
「あなたは落第聖女だけれど、胆だけは歴代最太ね。至善至上の最高神へ面と向かってぶっ●すとか、人間はふつう口にできないどころか、考えることすらできないはずよ。あなた、恐怖の感情が欠落してるわよね」
「わたしが落第だっていうなら、さっさとあたらしい聖女を立てなさい。世界を巻き込むな」
そもそも最初からわたしを聖女になんかするんじゃないよ。ほんとうに至善至上の最高神だったら、そのくらいわかるはずでしょうが駄女神!
全力眼ぶっぱのわたしに対し、フィリアはわざとらしくため息をつく。
「あなたのその私心のなさだけは聖女にふさわしい。だからきっと、わたくしに、この世界の維持を継続するだけの神聖力を届けることができるはずよ」
「……あい?」
「世界の滅亡は、決定事項、確定されたことではないわ。わたくしに充分な神力が戻れば、世界を保つことは可能です。だから天使を派遣して、早まったことをする人が出ないように手配だけはしておいたわ。最後に残るものはつねに希望よ」
そういうフィリアの声には、たしかに疲れがにじみ出ていた。神がくたびれているというのは、これまで考えもしなかったことだ。
「神聖力お届けって、世界中の人たちで一日五回『フィリアさまバンザーイ!』『女神さまマジラヴ〜!』って唱えればいい……ってわけじゃないわよね?」
「もちろん。人間にいくらおだてられようが、それで世界すべてを支えることができたら世話はないわ。邪神の社を壊したり、土着の信仰儀式を禁止したりして、代わりにフィリア教会の分社をいくら建てたところで、わたくしの神力が増すわけではない」
……これまでのフィリア教会の活動、だいたい全部無意味じゃん。
「なんで残り一週間になってから、そういう大事なこと言い出すのよ?」
「神は自分でも持ち上げることのできない岩を創り出せるか? ……というパラドックスはご存知?」
「はいはい。神はいうほど万能なのか、全知全能の中には『不可能』性もふくまれていなければならないのではないか、しかし『不可能』なことがある神は全知全能ではないんじゃないか、っていう思考実験でしょう」
「そう。つまり神はふだん、己の不可能性を自覚してはいないということ。気がついたときにはあと一週間だったのよ。前日になってからとか、世界がまさに崩壊し出してからはじめて気がついた、とかよりはまだいいじゃないの」
「駄〜女神、駄〜女神! 反省しろ反省を!!」
やっぱ至善至上の最高神にはほど遠いわこのポンコツ。
ジト目のままヤジを飛ばしたわたしだったが、フィリアは女神らしからぬ邪悪な笑みを浮かべた。うん、いまの笑いはぜったいに邪マだった。
「世界の存亡を決めるのはあなたよ、聖女アルフィニア」
「……は? ちょっと他人に責任おっかぶせるのやめなさいよ!」
「仕方ないじゃないの、人の子が交わす愛こそが、わたくしの神力を高め、至善至上の存在としたのだから」
「いやおかしくない? 世界が創り出されたから人間は現れたんでしょ。その人間の愛があんたの力の源って、因果と結果が逆転してるじゃないの」
目の前の女神は、たしかに創世神にして愛の神である。しかしその神聖力の供給源が人間の愛だというなら、そもそも創世ができないではないか。
「べつにおかしくもないわよ? わたくしはかつて、数多存在した創世神のひと柱であった。わたくしは創造した世界に生まれし人の子のいとなみの中から、愛をわが糧とすることを選んだ。死を糧とした神もあり、戦を糧と決めた神もいた。世界の上に日月がめぐり、定命の者たちが興亡を繰り返すにつれ、神々の中でわたくしは一頭すぐれた神力を得るに至り、最高神の座を占めることになった。要するに、わたくしは天界で行われた、創世コンペの最優秀賞者ということよ」
箱庭製作コンテスト優勝者って……。なんか、めっちゃ女神の格が下がったんですけど、わたしの中で。
「世界が滅びれば愛の力の供給もなくなって、あんたは最高神の座を追われるってことよね? だったらもうちょい下手に出なさいよ」
「あら、べつに世界がなくなっても、わたくしは困らないもの。そりゃあ、最高神としての栄誉は気分の良いものだけれど、それ以上じゃないわ」
……この邪神ぶち殺●して、世界にあらたな管理神を迎える方法ありませんかね?