虚界の戦場【花木王ファザーンの日;深夜】
戦闘回です。読むの面倒だと思われたかたは、最後の1行だけをどうぞ。
「私を怒らせたな。楽には死なせてやらんぞ!」
耳の痛くなる金切り声とともに、インヴィディアが両翼を広げた。
まるっきり悪神のセリフだが、その背から伸びているのは純白の美しい天使の翼だ。
ただし、攻撃方法はやっぱり悪役が使いそうなやつだった。
周囲の暗がりが渦を巻くや、影が持ちあがって鉤爪を有する手の象に変わり、わたしのほうへ迫ってくる。四本、五本、六本……数えてらんない。
わたしは特大の光球を四方へ放ち、真昼の明るさで大広間を照らし出した。操影傀儡術が打ち消され、闇の手はわたしにつかみかかることを果たせずに無へ還る。
もちろん、インヴィディア自身も大鎌をかかげて斬り込んできていた。つぎつぎと繰り出されてくる斬撃を光の剣で捌くが、わたしは護身術以上の武道を習ったことがあるわけじゃない。
ほおを、脇腹を、太ももを大鎌がかすめる。傷口から血が噴き出すよりもさきに治療術でふさいで、体力を削ぎ取られないように対処。
フィリアから神聖力を供給されながらであればこのまま何時間でも耐久できるけど、いまは全部わたしの自前の霊力だ。そんなに長くは保たない。
インヴィディア、本気でわたしのこと殺そうとしてるしね。即死の呪詛とか治癒封じの呪詛とかありったけ込めて攻撃してきてる。本職の死神に狙われてたらもう死んでたかも。
前髪がまくれあがって、インヴィディアの血走った眼があらわになっていた。
神であるからには真のご尊顔というわけじゃないんだけど、なるほど嫉妬を擬人化するとこうなるのか、って感じの、憎しみと怒りと物欲しげさが混ざりあった、卑しい面だ。
人間こうはなりたくないわね。人間じゃないけど。
……と、上から目線でいたところで、押されまくっているのはわたしのほうだ。本来の力の何万分の一であろうと神は神、人間に勝つ方法はない。
ほかの高位存在から力を借りてるとか、いわくつきの呪具を持っていればべつだが、いまわたしの手元にはなにもないし。
感覚的に、これは鮮明な夢というわけではなく、わたしは物理的にこの空間に引き込まれているはずだ。つまり、ベッドで寝ていたわたしの姿が消えていると、いまごろだれかが気がついてくれてると期待していいだろう。
フィリアと以前話した感じからするに、時間を完全に止めたり逆転させることは神にとっても容易ではないことだと推定できる。いまインヴィディアは、せいぜい時間遅延しかしていないのではなかろうか。それ以上のことをやれば、宮殿にいるフィリアの使徒に察知されるはず。
つまり、表の世界の時間で10分くらい粘っていれば、宮殿内にもかなり天使がいたことだし、この隔離空間に気がついてくれるんじゃないか……なあ。
インヴィディアがどのていどの比率で時間遅延かけられるのかわかんないけど。こっちの感覚で一時間たっても五秒しかすぎてないとかだと、ちょっと無理。フィリアより上ってことはないと考えて間違いないから、それよりは望みが大きいはずだけど。
さっきから「はず」ばっかだな。
「……おまえ、なにを謀んでいる!?」
防御一辺倒で、こっちからはまったく攻撃していないことに気づかれた。
一度跳び退がったインヴィディアは、両翼を広げて大広間の高い高い天井近くまで舞い上がると、羽毛を散らした。
翼から離れた羽根の一枚一枚が、不規則で直角的な動きをしながら、わたしの四方八方から襲いかかってくる。
あー、そういういかにも大ボスが使いそうな攻撃やめろ!
数百枚の羽根を剣で切り払うなんてとうてい無理だ。全周囲に防壁を展開。短剣のような鋭さで飛んでくるインヴィディアの羽根が、防壁にぶつかっては火花を発する。
「そのていどで防げるものか!」
あざけりの声とともにインヴィディアご本人が急降下、大鎌を大上段から打ち下ろしてくる。
「ッ……爆炎楼!」
防壁をたたき割られると判断して、わたしは攻勢に転向。防壁を消すと同時に、自分を中心に巻き上がる炎の渦を呼び出した。
無数のインヴィディアの羽根を焼き払うことはできたが、当人はまさに目にも止まらぬ速さで離脱していた。……やっぱ倒すってのは現実的じゃないな。
避けたってことは、当たれば効くのかもしれないけど。
「ほう、やればできるじゃないか。もうすこし楽しませてみろ!」
戦闘狂みたいなセリフとともに、大鎌を構え直してインヴィディアが斬りかかってくる。いやあんた、そんなキャラじゃなかったでしょうが!
光の剣を振って応戦。やっぱり受けられるのは三撃に二発までで、さっくさっくと身体の各所を刻まれる。傷つくと同時に治すけど。
……うーん、これが一番消耗すくないなあ。治療術なら使い慣れてるから。攻撃術なんてふだん使わないもん。
むしろなんで聖女が破壊魔術知ってるんだよってね。フィリアどつく機会がきたときに備えて自習しただけだけど。聖女は本来こんな術教わらないよ。
インヴィディアの表情に焦りはない。こっちが攻撃に出た場合、どのていどの脅威となるか計れたからか。このまま削りつづけて、霊力が尽きるまで追い込めば確実に殺せると判断したのかもしれない。
しぶとさにしびれを切らして大振りできてくれればなあ、一発あるんだけど。
限界まで時間を稼いで、だれかがこの空間にきてくれるのを待つしかないのか。
……ほんとうに助けがくるかな?
宮殿にいるのは、シャンデリアで光っている第五階梯使徒と、わたしを乗せたソリを引いてきた第四階梯使徒。
ザシュキーンエルさんみたいな上級天使ならともかく、デルタやイプシロンだと、神であるインヴィディアが慎重にしかけたこの罠を見破ることはできないかもしれない。
わたしがベッドから消えていることに、朝までだれも気がつかないなんてことはないはずだけど、一時間やそこらはかかるかも。
この空間に引きずり込まれてから、体感時間としても大して経過はしていない。さらに遅延までかかっているとすれば……。
一瞬の半分ほど、インヴィディアの攻撃が遅れた。
予想していた方向とは反対から、殴打が飛んでくる。大鎌の刃のほうではなく、石突きだ。
思いっきり左にもらった。視界がゆがむ。
「ッ……!」
「もらった!」
柄を短く持って、インヴィディアが下から大鎌の刃を抉り上げてきた。
ざむ、とわたしの胸に刃が埋まる。きっさきは完全に背中側へ抜けていた。
神経遮断で痛覚は感じないが、身体の奥から口のほうへ鉄の味が広がってくる。
やられた……けど、接触したなら。
インヴィディアの胸ぐらをつかんで……狙いの起術をする前に投げ飛ばされた。そっか、あっちも引っ込めようと思えば大鎌一瞬で消せるのか。
空中を泳いでるあいだに、創傷を修復。刃を体内にねじ込まれたままじゃなくてよかった。でもけっこう出血したな。キツいかも。
受け身を取って、跳ね起きる。あー、ちょっとフラつく。
「……ちぇっ、もうちょっとだったのに」
「おまえ……いまなにをしようとした?」
「放逐よ。招かれざる客を自分の世界へ追い返す術」
これは、悪魔やら邪神が攻めてきたときに備えて、聖女として習得している術だ。かつては時空の裂け目から来襲してきた魔族を撃退して、ほんとうの意味で世界を救った聖女もいたそうな。
あえてネタバラシをしたのは、間合いを詰めすぎることを警戒させるためだったんだけど、インヴィディアは紅唇を舐めて、慎重な残忍さというべき声音を発した。
「大したものだなフィリアの聖女よ。神に一矢報いる術まで持っていたか。……ああ、おまえの定命者にしておくには惜しいたぐいまれなる精神の強さと、そんな人形を得たフィリアが妬ましいぞ!」
インヴィディアが、嫉妬の神としての本性に震えている。その身体が、ひと回り大きくなり、背中からあらたな翼が一対生えてきた。
第三階梯使徒相当だった器が、第二階梯使徒級に強化されたのか。
「インヴィディア……」
「うらやましい、妬ましいよ……フィリアと、おまえが!」
動きがまったく目で追えない。あごを蹴り上げられたのだと気がついたのは、天井近くまで身体が浮いてからだった。
あごの骨どころか、頭蓋底骨まで割れて脊椎も損傷していただろう。意識が飛んでいるから、たぶん脳もダメージを受けてた。
傷を負ったら自動回復、に起術式を組み替えておかなかったら確実に死んでる。ガンマからベータにインヴィディアの姿が変わった時点で、これヤバいなと感じて変更しといてよかった。
インヴィディアは翼による飛行ではなく、脚力だけで床を蹴り、天井を蹴ってわたしの直上にまわり込んできた。
おそろしい勢いで打ち込まれてきた手刀がわたしの身をふたつに折る。複数の骨折と内臓破裂を自動治癒しながら落下し、床に激突してまた自動治癒が発動。
……痛みこそ感じないけどこりゃ駄目だ。勝負にならないどころか、これ以上は時間稼ぎもできない。
嫉妬を感じるとパワーアップするって、さりげなくチートじゃないかな。格上殺し用の能力じゃん。
なんでわたしに嫉妬するワケ? あんた神でしょうが、もうちょい慢心してなさいよ!
ギッタギタにされてるけど、さっき刺されて以降、体力自体はまだ減っていない。自動治癒でどんどん霊力が消耗してるけど。
立ち上がったわたしだったが、とっくに目の前にまわり込んできていたインヴィディアから、シンプルな前蹴りを食らって壁にたたきつけられた。蹴られたときと壁に衝突したときで、また治療術が二度作動する。
インヴィディアがしばらくぶりに大鎌を手にした。
なんだかんだでゾンビの100倍しぶといわたしに、そろそろ苛立ってきたか。
「……いたぶりがいのないやつだな。なぜ泣き叫ばない」
「痛覚機能してたら、とっくにショック死してるわよ」
人間というか、生き物ってのはそんなに頑丈にできてないわい。自分の世界の世話をロクにしてない神にはわかんないかもしれないけど。
「なんだ……苦痛もないのか。つまらんな、では、そろそろ殺すとしよう」
「まだこっちはすっからかんまで半分あるからね。一発でやり損なったらどうなるかは覚悟しときなさい」
はったりです。さすがにもうほとんど余力はない。
でも、上手いことつかめれば放逐で吹っ飛ばせるかも。
死角から攻撃されないよう壁を背に、一気に飛びつけるように腰をためて――
インヴィディアの姿がふっと消えた。
決め打ちで壁を蹴って、虚空へ向け突っ込んだわたしを迎え撃ったのは、インヴィディアの右ひざだった。
読まれてた!
壁へ弾き返されたわたしへ向け、大鎌が振り下ろされてくる。
これはさすがに死ぬかな。
仮に肩口からまっぷたつの傷がふさがったとしても、そこでもう霊力切れるし。攻め手がなくなったら終わりだ。
目を閉じるまでもなく動きが見えやしない、と、死の間際にしては呆けていたわたしだったが、いきなり眼前に人影が現れ、澄んだ金属音が響いたので、さすがにまばたきした。
「え……」
テウデリク殿下!!!?