異神の来訪【花木王ファザーンの日;夜】
完全な安定のためにはさらなる改善を必要とするが、世界は当面の危機を乗り越えた――
通信魔法によって各所へ速報が届けられ、世界各地は安堵の空気に包まれた……と思う。いや、それぞれの現地がどうなってるかまではわかりませんからね、王宮にいるわたしには。
とりあえず王国は急遽午後から半休に決まり、開放された宮殿の前庭に人々が集まってきた。お菓子や飲み物が振る舞われ、お祭りみたいな雰囲気になる。
わたしはバルコニーに立って、歓声を上げるみなさんへ手を振るマシーンと化すことになった。
……べつにわたしが世界を救ったわけじゃないんで、そんなにありがたがらなくてもいいですよ?
そんなことをしているうちに陽も暮れて、ディナーも王宮でいただくことになった。ランチより皿数多くてより豪華ってだけでおいしいのに変わりはないから、食べていっていいなら遠慮はしませんけどね。
紳士淑女のみなさまはアフタヌーンモードからイブニングモードにお召し替えが必要だけど、聖女はつねに白のロングドレスでとおせるから便利!
聖職者と軍人はこういうところが楽でいい。
今度はテウデリク殿下と同じテーブルだった。……これは、好き勝手におしゃべりできる、飯屋での食事のときのほうが楽しめたかな。お味はさすがに宮廷料理のほうが上だけど。
晩餐会後には本格的な舞踏会になって、殿下と四曲踊った。殿下はリードうまいなあ。いつもはどちらさまと踊ってるんだろう。わたし「あんどぅーとらあんどぅーとら」しか憶えてないのに。
……さて、いい加減帰るか、と思ったところで、大后ユージニアさまと王妃ブリュンヒルデさまが「泊まっていきなさい」と言ってきた。
いま教会に戻るのも明日の朝でも、大して変わらないからいいかな。天使に送ってもらえば時間はかからないし。
宮殿内にも、シャンデリアの明かりにまぎれて第五階梯使徒がいて、ザシュキーンエルさんと常時連絡しているというので、明日の朝イチで帰りますと伝えてもらうよう頼んだ。
パーティのつづく大広間からは辞去して、懇談室で歴代聖女のみんなと、ひとしきり「駄女神フィリアあるある」で盛り上がってから、お泊りの準備はしていなかったので、リン姉に寝間着を借りて寝室に案内してもらった。
+++++
……ふいに、真夜中に目が醒めた。いつもと枕とお布団が別物だからかと思ったが、どうもちがう気がする。
わたしはそもそも、けっこう寝入りがいいほうだ。
静かすぎる。
宮殿の中で、来賓用としては一番いい部屋を使わせてもらっているとはいえ、物音ひとつしないのはみょうだ。聖堂の寝室より静まり返っているわけがない。
すぐそこにひかえているはずの夜番の小間使いの気配も、廊下に立っているはずの衛兵の気配も感じられなかった。
わたしは窓を開けてバルコニーへ出た。夜空の月と星に、なんか違和感がある。宮殿の中庭へ視線を落として……やっぱり。
ここは翼棟の最上階だけど、本丸の大広間ではまだ舞踏会がつづいている。
一件落着のムードになったことで、ちょっとお酒が進みすぎて夜風に当たっている人なんかがいるはずだし、そうでなくとも衛兵がひとりはぜったいに立っているのに、人影がない。
ここに人間――いや、生き物は、わたししかいない。
物理的には宮殿から移動していないのだろう。座標がひとつズレている。
わたし自身はどうだろう。物理的肉体なのか、あるいは実体感の強い夢か。
バルコニーから寝室へ戻り、今度は居間のほうへ。さらに扉を開けて、控えの間にやはり小間使いさんがいないことを確認。
廊下へ出ると、寝る前に案内されてきたときより暗くなっていることに気づいた。シャンデリアで光っていた第五階梯使徒がいないのだ。
フィリアの使徒までも見当たらないということは。
「インヴィディアの仕業ね。用事があるなら聞くわよ」
わたしが声を上げて呼ばわると、回廊の彼方でちらっと光がまたたいた。昨日の夜中に聖堂に侵入してきた、イプシロンもどきと似ている。
素直についていくべきだろうか。
フィリアは腐っても最高神、格下であるインヴィディアがわたしを通常の世界から隔離しているにしても、そんなに広範囲を自分の領域にはできていないはず。
たぶん、宮殿の敷地から物理的に抜け出せば、インヴィディアが囲い込んでいるこの異空間から脱出できる。境界線上に壁くらいはあるだろうけど、一点突破ならぶち破ることも不可能ではない。
……いや、話くらいはしておくか。
インヴィディアがフィリアの対抗馬として本気の努力をかたむけてくれるなら、この世界(いまいるここは少々ちがうが)の住民にとって不利益はないわけだし。
イプシロンもどきの光に誘導されるまま、長い長い宮殿の回廊を進んでいくと、大広間の前にたどり着いた。
大きな扉が、ごぅん、とひとりでに開く。
ひとつ次元をまたげば、たくさんの紳士淑女が懇親していたり、踊っているさなかなのだが、わたしの周囲に広がっているのはひたすら無人の空間だ。
大広間の真ん中あたりまで歩いていくと、玉座が設えられている、高くなっているほうに紫色の光が生じた。
そっちを向くと、光の玉ではなく、双翼をそなえ明確に人型をした天使が立っていた。
「あなたが女神インヴィディアの使いかしら?」
「この器は第三階梯使徒相当だが、思考と意志はインヴィディアのもので間違いない」
仮想影体か。投影体とはいえ、神さまが自らお出ましとは、なかなか豪華なおもてなしですね。
ふつうの第三階梯使徒は人身獣面だけど、インヴィディアの投影体は人間のものに近い頭部をしていた。
長い黒髪が目元を隠していて、表情はうかがえない。白い肌にあざやかな紅唇が強烈な印象を放っていた。
向こうからは自己紹介のみでなにも言ってこないので、こっちから話しかける。
「昨日代理人さんにお伝えしたとおり、いますぐフィリアをどうこうする気はないですけど、あなたがフィリアの競合として――」
わたしの話を無視して、いきなりインヴィディアの影が動いた。
反射的に床へ身を投げだしたわたしの視界のすみを、銀色の線が左右に引き裂く。
「……チッ」
「なんのつもり?」
わたしは床の上で一回転して、すぐに動けるよう、立てひざになってインヴィディアへ問いただす。
さほど深々とではなかったが、右の二の腕を斬られていた。一瞬で治療したから血も一滴くらいしか出てないけど。
インヴィディアは虚空から取り出した巨大な鎌を肩に渡して、紅すぎるくちびるを開いた。
「おまえがこれ以上聖女をつづければ、この2000年で徐々に衰えていたフィリアの神力がもとに戻り、さらに増すことになる」
「造反の誘いを断ったから即始末? 神のくせにずいぶん短気ね。長期的視点ゼロ」
「まったく逆だ。私はあと一万年でも待つさ。おまえはフィリア自身よりも厄介なんだよ。あの女を排除する道具にならないのなら、いますぐ消すのが私の計画に適う」
……インヴィディアは聖女システムの配管エラーに以前から気づいていて、ずっとフィリアを追い落とす機会を狙っていたのか。
それにしても、わたしは迷惑な過大評価をされてしまったものだ。
「いまさらわたしを消したって、フィリアの凡ミスはもう修正ずみよ。つぎの聖女からはたっぷりと愛が届けられるようになる。あんたがやるべきなのは、フィリアの失策待ちじゃなくて自分の得点を積み上げることでしょう」
「アハハハハハ! おまえはまったくおめでたいな。神が世界を創るのは、自分の力を高めるためさ。世界をより棲みよくして虫ケラどもに歓迎してもらおう? くだらん、フィリアもそんなことは考えちゃいない。だからこそ、おまえは邪魔なんだがな」
「あんたがフィリアよりずーっと格下だってことが、よくわかるセリフだったわ」
田畑を耕し、種を播き、水をやって肥料をあげて、雑草抜いて害虫をぷちっと踏んづける――その労力は、播いたぶんの数十、数百、数千倍になって返ってくる。
それと同じことだって、神だというのに理解できないのだろうか。あるいは、妬みの神というインヴィディアの特性のゆえか。
「黙れ! 私は、あの女を超えるべき存在なんだ!!」
大鎌を振りかざして飛びかかってきたインヴィディアの動きに合わせて、わたしも前に出る。
手のうちに光の剣を発生させ、振りおろされてくる大鎌の刃の下、柄に打ち合わせた。
「嫉妬なんて、相手が自分よりも上だって認めてるようなものじゃないの。どうしてそんな感情を司ることにしたのか、理解できないわね」
「無駄な抵抗はやめておけ。この場には神性封止陣が作用している。フィリアの力を受け取ることのできないおまえに、勝ち目など万にひとつもないぞ」
「あんたが神そのものならね。でもフィリアの目を盗み、フィリアの力がこの空間へ作用しないようにしているなら、あんた自身の神力も大半はそっちにまわっている」
人間の自前の霊力なんてたかが知れているから、聖女にしかるべき資質なんてものはない、と以前に考えたことがあったけど、こういうことがありえるなら、やっぱりあるていどは自衛できたほうがよさそうね。
フィリアの神聖力のみに依存していたら、供給を断たれた時点でもう無力になってしまう。
インヴィディアのくちびるがゆがんだ。
「たとえ本来の万分の一の力であろうと、神に人間風情で勝てるわけがあるかッ!!!」
すさまじい剛力で押し込んでこようとするインヴィディアに対し、わたしは一瞬手元の光刃を消した。実体剣じゃないから、出したり引っ込めたりは自在だ。
急に押し返す力がなくなってつんのめったインヴィディアを躱し、左足でお尻を蹴りつけてやる。
ぶざまに床に突っ伏したインヴィディアだが、大鎌を拾いあげると同時に全身を伸展させて飛び退り、こっちの追撃の間合いから逃れた。とんぼを切りながら五歩向こうで着地し、こっちへ向き直る。
黒髪のヴェールを突き抜けて、おっかない双眸の光がわたしを睨みつけてきた。
よかろう、眼飛ばすのはこっちも得意だぞ。
「わたしはフィリアの聖女である以前に、マザー・テルマの娘よ。憶えときなさい三流女神」