うれしい来客と呼んでないお客【水嬢ティテル・リメーシュの日;夜】
今日も西の空から夕陽の気配がなくなるまで聖務に追われたあとに、うれしい顔が訪ねてきてくれた。
「しばらくね、ニア」
「リン姉!」
わたしは聖座を立って駆け寄り、遅番の女官ふたりも、先代聖女ケイトリンに対し容儀を尽くした礼をする。
もっとも、ケイトリンが聖女だったころから勤続しているのは、いまフィリア教会本山に残っている女官の中ではエレシーダたち数人だけで、ネスティとモニカは王太子妃としての彼女しか知らないが。
「変わりなさそうね、元気でよかった」
といって、リン姉は手を伸ばしてわたしのほっぺを撫でてくれる。
いつのころからか、スルスルと縦にだけ育ったわたしとリン姉の視点は、すっかり入れ替わるようになっていた。聖堂でいっしょに暮らしていたころは、わたしが見上げるがわだったんだけど。
庭園のガゼボでお話することにして、わたしたちは聖堂から表へ出た。すっかり陽は沈んでしまったあとだが、夜風は心地よくて、寒さは感じない。
モニカがカモミールティーをもってきてくれた。この時間には、目が冴えてしまうお茶やコーヒー、ミントティーより、優しいカモミールがいい。気が利いてる。
カモミールティーで口を湿すと、リン姉はすぐに本題に入った。
「テウデリクとはどう? ……押し弱いのよねあの子。王族に生まれてこなかったら結婚できないタイプよあれ」
義弟に容赦ない兄嫁へ、わたしは苦笑いしながら返す。
「嫌いじゃない。ていうか、たぶん六割好き」
「あと三……もう二日しかないのに、残り40パー埋まるの?」
「そのことなんだけどさ――」
こっちは一日中忙しくてだれかに話すヒマがなかったし、駄女神フィリアは全世界伝心する気がないらしいけど、じつをいえばもう世界は危機を乗り越えている、と、わたしはリン姉に暴露した。
「……え、そうなの?」
「うん。だからさっさとみんなを安心させてあげればいいのに、フィリアときたらさ。わたしが言いふらしてまわってもいいんだけど、それだと世界中には伝わらないよね」
「なるほど。ま、あたしもあと二日は黙っておくか」
「なんで……?」
せめて王宮には焦眉の危機が去ったことを報せてもらえればと思って話したのに、どうして秘密にするんですか王太子妃殿下?
リン姉は、悪そうな表情になって口の端をつり上げた。
「だって、それだとテウデリクが必死にならないじゃない」
「……リン姉さ、もしかしてフィリアとめちゃくちゃ話が合うタイプだったんじゃない?」
「ああ、わりとしたねえ、恋バナ」
笑いかたがフィリアとそっくりー!?
いままでずっと頼りになる先輩でお姉ちゃんだって思ってたのに、この女、わたしの敵がわの存在だったのか?!
なんだかんだで、教育水準の高い階層の出身者のほうが治療魔法の概念に到達しやすくて、聖女候補に選ばれる割合も多い中、庶民出身の気さくでくだけた性格したケイトリンは、孤児のわたしと相性がよかったのだが。
「わたしフィリアのせいで、聖女業以外の負担が増えまくってるんだけど!?」
「本来ならもう解放されてていい年月やってるんだよ、ニアは。あたしは見習い期間合わせても八年しかやってない。聖女として愛の力届けないでもいいなら、引退しちゃいなよ。テウデリクと結婚するかどうかは保留でかまわないってことだし」
「ほんっとにフィリアと同じこと言うね?! 現状は、まだ一時しのぎができただけなんだよ。根本的にシステム作り変えないと、100年かそこらでまた同じ問題が起きる」
「いいじゃんフィリアにたまには苦労させてやれば。ニアはフィリアに、ちょっとは苦しめって思ってるんでしょ?」
「どうせ実務やらされるのは聖女」
あのアホ女神はつねに楽しんでるだけだよぜったい。
リン姉は、わたしのことをあきれ顔で見ていた。
「聖女引き受けてやっただけでありがたいと拝まれるのが筋であってさ、アフターサービスのことまで考えてあげる義理なんてないでしょ。真面目すぎるよニアは」
「フィリアは、いざとなったらこの世界をいつでも放り出せるんだよ」
「口で言ってるよりは真剣だって。すくなくとも、長い場合でも100年そこらで死んで、その後の心配を一切しなくていいあたしらよりは。ニアさ、フィリアが引き継げって言ってきたら女神やる気?」
「それがぜったいヤダから、どうにか解決しようとしてるんじゃないの」
「……ニア、あんたは、自分ならこれまでの聖女より大きな仕事ができると思ってるワケ?」
リン姉の声がいきなり冷ややかなものに変わり、わたしはくちびるを噛んだ。
聖女経験者以外からこれを言われたら、さすがにわたしもブチギレて、フィリア相手のときと同様に罵倒で応じただろう。
だが、ケイトリンの言葉に安直な返しをすることは許されない。わたしと同じ苦労をしてきたのだ。
わたしはケイトリンの眼をまっすぐ見て、いま聖女制度に手直しを加えるべきだと思った理由を率直に話す。
「このさきの聖女に、わたしと同じ思いをさせたくない。もっと自由に生きて、自由に恋をしてほしい」
「……あんたは損な性格してるね」
ケイトリンの声に冷たさはもうなかった。
リン姉は椅子を立って、わたしのほうへ近寄ってくると、優しく抱きしめてくれた。
「……なんか、最近みんな、わたしのことをやたらハグしてくるんだけど」
「かわいいもんニアは。だれも頼んでないのに、勝手にがんばるし」
「わたしの考えかたって、傲慢なのかな」
「あんたのこと傲慢だなんて言うやついたら、そいつは卑屈すぎる。あんたはだれかのためにやってるわけじゃないし、恩を着せる気もない。あたしなら、受け取る相手がいないかもしれないところに、心を込めてプレゼントをおいたりしないよ」
「……無駄な考え?」
「物質だったらね。でも、ニアが残そうとしてるのはモノじゃない。1000年後には、ニアの思いやりに気がつく人はだれもいなくて、ただ、残された愛の恩恵を受けるようになる。……あたしなら、そんなことまでしてやる義理はないって、ほっとく。えらいよ、ニアは」
涙が出ていた。リン姉は、わたしがやろうとしていることを、わたし以上に理解してくれていた。わたしは、そこまで考えてなんていなかった。
「わたし……けっきょく、褒めてほしかったのかも」
「ニアは、マザー・テルマが先払いで褒めてくれたぶんだけで、いままでずっと無理してきた。あたしはいつでもいっぱい褒めてあげる。フィリアも、褒めろって要求すれば、いくらでも褒めてくれるよ」
「ありがとう、リン姉。……でも、フィリアからどんだけ褒められても、ありがたみないんだよねえ」
「神さまのくせになんか軽いよね、フィリア」
わたしたちは大声で笑った。あの駄女神に威厳を感じないのは、聖女共通認識か。
椅子から立って、わたしはリン姉に思いっきりハグをお返しする。
「リン姉が会いにきてくれてよかった」
「だいじょうぶだろうとは思ってたけど、とりあえずあたしが生きてるあいだは世界が安泰そうで安心したわ。ヤバげだったら、ぶっちゃけてなんとかしてもらうつもりだったけど」
「……どういうこと?」
「ネタバレだよ? 聞いちゃう?」
身を離して、わたしが首をかしげると、リン姉は悪そうな顔で笑った。
ネタバレ……?
「わかんない、教えて」
「……ああ、マジでわかってなさそうだから、ヒミツ。フタ開くまでのお楽しみ」
「え……なにそれ??」
「サプライズのほうが面白いでしょ?」
「それ、わたしにとって面白いんじゃなくって、リン姉がだよね?!」
「あたし以外にとっても。あらかじめバラされてないほうが、ぜったいにいいから!」
ニヤニヤと手を振りながら、リン姉は帰っていってしまった。
……いったいなんのことなのよ?!
+++++
リン姉が教えてくれなかった「ネタバレ」の意味がわからずじまいだったせいか、一度寝入ったにもかかわらず、めずらしく夜中に目が醒めてしまった。
寝ておかないと明日がしんどいのは目に見えているので、わたしは無理にでも意識を落とそう(最終手段としては強制睡眠の魔法がある)としたが、ふっと光が視界をよぎったのでベッドの上で身を起こした。
寝室のドアの隙間から、一瞬だけ光が差し込んだのだ。真っ暗だから目立つ。
ドアをちょっとだけ開けて廊下に首を出してみると、光の玉が遠ざかっていくのが見えた。
第五階梯使徒がどうしてこんなところにいるのか。
寝間着のまま、廊下へ出る。
聖女の寝所のすぐとなりは、当直女官の待機室だ。のぞいてみると、ミシェルがうつらうつらしていた。無理に起こすことはない。
たぶん、心の中で強く呼びかければ、屋根の上にいる第一階梯使徒ザシュキーンエルさんが応対してくれるはず。
だが、わたしは単体でただよっている、あの第五階梯使徒がどうも気になった。
ザシュキーンエルさんひとりで充分だからなのだろう、フィリア教会の敷地に、ほかの天使はずっといなかったのに。
あとを追っていくと、光の玉は地下へと降りていく。食料庫とか、冬場に使う全体暖房のボイラー室なんかがあって、聖女としては用事のない階層だ。
おさないころはかくれんぼをしたり、つまみ食いのために忍び込んでいたから、構造は勝手知ったるものだが。
探してまわること五分、いまの時季は火が入っていない巨大なボイラーの中で、光の玉を見つけた。
よく観察してみれば、ふつうの第五階梯使徒とは微妙に色味がちがう。
わたしに気がついた、というよりは、わたしが追いかけてくるように仕向けていたのだろう、光の玉が声を発した。
「よく見つけてくれました、聖女アルフィニア」
迷走霊魂みたいな見た目だが、天使は天使、知性は人間より上なので、しゃべることができるのは当然だ。
「あなた、フィリアとはべつの神さまの使徒ですよね?」
「ひと目で見抜きますか。さすが」
「天使を地上へ派遣するためにほかの神々にも頭を下げたって、フィリアが言ってたから、意外じゃないですけど」
わたしがそう言うと、異神の使徒はチラチラとまたたいた。面白がっているのか、感心しているのか。
「聖女アルフィニア、あなたの密かなる願いを叶えて差し上げるために、女神インヴィディアの代理人として参上しました」
「……わたしの密かな願い?」
「女神フィリアを討ち、あらたなる世界の保護者を迎え入れるという、あなたの非凡なる発想に、わが主インヴィディアはたいそう感服しております」
「あー、そういう。三日前に声かけてくれれば、マジで乗ったのに」
わたしの気抜けした返事に、女神インヴィディアとやらのエージェントは光を明滅させた。
人間なら、意味がわからず目をぱちくりさせている、といったところか。
「……三日前とちがって、いまは女神フィリアの専横から、この世界を解き放つ意思がない、と?」
「この世界が、フィリアとその被造物だけのものじゃない、ってわかったところなんで。巨人族とか竜族とか、たぶんほかにもいると思うんですよね。彼らと今後も仲良くしていくには、フィリアをシメてべつの神さまと管理者を交代させるより、フィリアにもっとまともな運営をやらせる方向に持っていくほうがいいって、そう考えてるところなんです」
わたしの言うことが予想外だったのかもしれない。光の玉はゆらゆらと空中で旋回してから、声音を変えた。
「わが主インヴィディアは、フィリアよりもこの世界を素晴らしいものに変えることができますし、聖女に滅私奉公を要求することもありませんよ」
「インヴィディア自身の世界は、どんな感じなんですか? フィリアに対抗するって意味では、ほかの神は自分の世界の魅力をアピールして、竜や巨人に引っ越してきてもらうよう勧誘するのがいいんじゃないかと。そういう競争が機能してれば、フィリアももっと前から真面目にやってたはずですし」
竜や巨人がこの世界に棲みつづけてるってことは、ほかの世界はもっと居住環境がよくないか、あるいはすでに創世神に放棄されてる可能性があるって意味なのよね。
ほかの世界のこととか、これまで考えたことなかったけど。
ていうか、あの駄女神が「最高神」って時点で、わたしも察しをよくしとかないといけなかったな。天界いうほど大したことないんじゃね疑惑が。
「……なるほど。あなたはじつに慧眼だ、聖女アルフィニア。わが主インヴィディアが、フィリア以上の存在であると納得していただく必要がありますね。近いうちに、またお目にかかりましょう」
異神のメッセンジャーは、そういって空中で花火のように飛び散った。
気配が一瞬で完全に消えたということは、空間移動ではなく次元跳躍だ。天界へ帰ったのだろう。
わたしはこれでも聖女だから、ふつうの人間より霊的存在の気配を察知する感覚ははるかにするどい。
……端的にいえば、インヴィディアがフィリアより格上である証拠なんて出せないから、逃げやがったな。
ブレーンとはメンブレーン(menbrane)を2次元の膜、スクリーンと見て、多数の次元が重なり合って存在していると定義するひも宇宙論の用語です。もちろん用語だけの借用で、この作品世界の多元宇宙に高度な理論性はありませんし作者も理解はしていません。
物理的に空間を移動せずにとなりの宇宙へ遷移できる、という可能性だけを都合よく使っています。




