わたしがもらった生命と呪い【水嬢ティテル・リメーシュの日;未明】
話の核心に関わる過去の話です。
「アルフィニア、またダニエルをひっぱたいたのかい」
「ダニーがわるい。ディーシェはピニャのためにアメをもらってきたのに」
「ダニーは、自分からピニャにアメを渡すために預かったんだって言ってるよ」
「うそばっか。ダニーをつれてきて。ほんとうのこといわせてやる」
「……ニア、正しきことは尊いことよ。でもね、力ずくで従わせても長くはつづかない」
シワだらけの腕が伸びてきて、わたしを抱きしめる。胸も骨っぽくて、抱っこされてもちっとも柔らかくないんだけど、でもわたしはこのハグが大好きだった。
「……わたしはおばあちゃんみたいに、ちゃんと口でせつめいできないから」
「言葉を尽くしても、どうせそれだけでは伝わらないものよ。たいせつなのは気持ち。だから、わかってもらえないときは、たたくんじゃなくて、相手の手を握ればいいの」
「……こんどはそうしてみる」
ひさしぶりだな、おばあちゃんのこと夢に見るの。
わたしのじつの祖母じゃない。
みなし児を集めて、自分ひとりで寝起きして、着替えをして、準備さえしておけば勝手に食事をすませることができるていどまで育てたら、あたらしい里親へ引き渡す。そんなことを、何十年もつづけているひとだった。
女神フィリアの信徒ではあったが、教会組織には入っていなかった。人格だけなら、間違いなく聖女よりよほど上だったが。
いつのころからか、マザー・テルマと尊称されるようになっていたけど、ガキんちょどもはみんな「おばあちゃん」と呼んでいた。
なお、わたしはその後も、おばあちゃんの言いつけを守らず、わからず屋のことはぶん殴っていた。
・・・・・
あれは、寒い寒い、冬の日のこと。
自分の世話は自分でだいたいできるようになったわたしは、そろそろマザー・テルマの家を卒業するころあいに差しかかっていた。
とうとう雪が降ったその晩、はしごの昇り降りを自力でこなせる年長者の特権として、わたしは暖炉の熱気が溜まる屋根裏部屋で寝ていた。
聞かん坊のわたしとちがって、ダニエルとディーシェは引き取り手がすんなり決まり、もうマザー・テルマの家をあとにしていたから、ほかほかの空間を独占して、いい気分でいた。
……なんか、ふだんより暑っついな、と思って目を醒ましたときには、もう、あたり一面が炎に包まれていた。火事だなんて、寝起きの五歳児にはわからない。
わら布団に火が移ってまたたくまに燃え広がり、あと10秒うつらうつらしていたら、そのままあの世行きだっただろう。
間一髪でわら布団からは這い出したけど、火元は下階で、逃げ道はなかった。
恐怖もなにも感じなかった。意味がわからなすぎて。だんだん狭まってくる炎の輪から身を引くのも、単に熱いから反射的な行動にすぎなかった。
「――フィニア! ニア!」
「おばあちゃん……」
完全に火に呑まれていて、とても上がってこれないはずの階下からの昇り口にマザー・テルマが顔を出したのを目にしても、わたしはただおどろいただけだった。
マザー・テルマはわたしがまだ生きていると見るや、躊躇ない動きで火の海を突っ切り、わたしを胸に抱え込むと、採光窓へ体当たりした。
ほんの数瞬の無重量感ののちに、衝撃。
……わたしは五秒くらいじっとしていたけど、おばあちゃんが解放してくれないので、固く抱きしめられている状態から自力で抜け出した。
炎の中へ飛び込む前に、全身水をかぶってきたのだろう、完全に乾いていたけど、マザー・テルマの服はまだ燃え上がってはいなかった。衣の端がくすぶっていたのは、まわりに薄く積もっていた雪をすくって消した。
「……おばあちゃん」
返事はなかった。
「おばあちゃん、おきて」
マザー・テルマが自分を助けてくれたのだ、ということはなんとなくわかってきた。
「おばあちゃん、ありがとう、わたしはだいじょうぶだから。だから……おきて」
なぜおばあちゃんは目を醒まさないのか。炎のせいばかりではないはずだ。
わたしが視線を上げたところで、バチバチ、バリバリと音を立てながら家の上階が崩れた。
そうか、あの高さから落っこちたから、ケガをしたんだ。
「おばあちゃん、どこがいたいの?」
火災の朱とは異なる、青白い光が灯った。
わたしの両手が輝くと、焼けただれていたおばあちゃんの手足がきれいになった。それだけではなく、落下で折れた骨がつながり、衝撃と折れた骨によって傷ついていた内臓や血管が、熱気を吸い込んで焼けていた気管や肺が、治っていくのが感じられた。
自分が治療魔法を発動させているということを、このときのわたしはまったく意識していなかった。
……ケガもヤケドもすっかり治ったのに、おばあちゃんは目を醒まさない。
「なんで……どうしておきてくれないの?!」
このとき、わたしは周辺の雪を溶かし、土中に埋もれていた草花の種を強引に芽吹かせて季節はずれのお花畑を出現させたそうだが、自分では気がついていなかった。
ただ、おばあちゃんをぜったいに起こすんだ、という、子供っぽい強情さだけがわたしを突き動かしていた。
わたしは泣きながらあらんかぎりの気力を込めて、光の玉を発生させた。
これでおばあちゃんは目を醒ますんだと、どこから湧き出したのかわからない確信とともに、マザー・テルマの胸へ光球を押し当て――
「だめよ、受け取れないわ」
「……おばあちゃん!!」
どうだ、やってやったぞ――そのときのわたしの心情を、ひと言で表せばこうなる。まったく、意固地なところはいまも変わっていない。
わたしの腕を取って、マザー・テルマはいつものようにほほ笑んだ。
「生命はね、ひとりにひとつしかないの。それはあなたのものよ」
「いいよ、おばあちゃんがもらって! あげる!」
「おばかさん。私は、あなたを助けるためにやったのだから、がんばりを無にしないで」
「なにいってるのおばあちゃん? いいから、これうけとって!」
いまのわたしは、人間に完全な蘇生術を行使することはできず、自分の一命を受け渡す生命譲渡にしかならないことを知っている。
もちろん治療魔法を起術したことさえはじめてだった、当時のわたしはそんなこと知らないし、マザー・テルマも、頑固で聞かん坊なアホのアルフィニアに、いちいち説明しようとはしなかった。
「あなたはとても大きな力を持っていたのね、アルフィニア。あなたなら、私の何百、何千、何万倍もの人々を助けることができるわ」
「よくわかんないけど、おばあちゃんといっしょならやる! だから、はやくこれうけとって!」
「私の代わりに、たくさんの人々を救うと、約束してちょうだい、ニア」
「わかったってば! はやくこれを! もってるだけでけっこうしんどいんだけど!」
「……もう、困った子ね」
微苦笑すると、マザー・テルマは両腕をわたしの背中にまわして、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「約束しなさい、アルフィニア。私の代わりに、たくさんの人々を救うと」
「わか……った……」
「善い子ね。これまで、100人ちょっとの子供たちと出会ったけれど、あなたのことが一番好きよ、ニア」
「わたしも、おばあちゃんがいちばんすき! だから……?!」
わたしは、ようやく気づいた。おばあちゃんの胸にしっかりと抱きしめられたのに、心臓の音がしないのだ。
マザー・テルマは、いつもの、いや、それ以上に優しい顔で、こういった。
「ありがとう。きっとあなたは、この世界のだれよりも、愛し、愛される存在にな――」
「おばあちゃん……? ねえ、やくそくするからうけとってって、いったよね?」
ハグされたときに集中が切れて、生命の本質が凝縮した光球は消散し、わたしの身体へ戻っていた。
それによってかりそめの蘇生をしていたマザー・テルマも、ものいわぬ肉体に、生命だったものになっていた。
「なんで、なんで……おばあちゃん、ずるい! インチキだよそれ!!」
わたしは半狂……いや、九割九部狂乱で泣き叫んだ。実際には、マザー・テルマは自分との約束をわたしに誓わせ、わたしから生命を受け取るのはちゃんと拒んでいた。もう心のすみで、この時点でわたしは気がついていた。
「おばあちゃん、おきて、おきて! おきてよっ!!!」
わたしはありったけの治癒魔力をマザー・テルマの亡骸へ注ぎ込んだ。光の中で、顔や手足のシワが消え、真っ白な髪は美しい金髪になり、肋骨の浮いていた胸がふくよかになっていった。生命力の過剰注入で、肉体が若返ったのだ。
それでも、魂は戻らない。
精根尽き果てたわたしはそこでぶっ倒れ、マザー・テルマがまっさきに避難させていた年少組がオトナたちを呼んできて、焼け落ちた聖母の家と、その前に広がる異様な光景を目にしたのだった。
……ある意味で、わたしはおばあちゃんを生き返せなかった以上に、遺骸を若返らせてしまったのを後悔することになった。
もっとも美しかったころのマザー・テルマの姿であることはたしかで、面影もわかるけれど、わたしが大好きだった「おばあちゃん」とはべつの顔かたちに変えてしまったので。
マザー・テルマが育てていた孤児のひとりが超常事象を引き起こした――うわさはすぐに広まり、ユールヴァヌス猊下率いる調査チームが「聖女候補」としてわたしを迎えにきたのは、その三日後だった。




