056
忙しいほど時間は過ぎ去るのが早い。
俺は勉強も身体もリハビリに全力投球した。
身体を動かすのは早朝。
最初は100メートルも走れば息も絶え絶えになってしまったこの身体。
1週間ほど繰り返すだけで、元の調子を取り戻し数キロ走れるようになった。
どうして動かなくなってしまっていたのか疑問なほどだ。
これについては香さんがとことん付き合ってくれたことが大きいと思う。
退院してからの軽いジョグや筋トレをする際に必ず付き添ってくれていた。
体勢が崩れたときのサポートはもちろん、水分補給やタオルの用意など。
マネージャーよろしく、献身的な付き添いだった。
彼女が隣りにいてくれると、俄然、やる気が漲った。
お陰様で苦に思うこともなく限界を何度も打ち破るように動くことができた。
大変なはずの香さんもとても嬉しそうだった。
・・・これが共鳴の効果だと思った。
きっとまだ1%くらいなんだろうけど、それでも通じるものがあると違う。
あの時、病院のベッドで通い合わせただけでこんなに恩恵を受けられるなんて。
そりゃ、世の人がエクシズムを求めて友情や愛情を求めるわけだ。
身を以て理解することができた。
◇
勉強のリハビリはリア研にて。
飯塚先輩による世界語のリハビリと、今までの総復習。
後輩ふたりに教えながら勉強をすることで理解度を確認してみたり。
集中してやる俺がいるだけだというのに小鳥遊さんも工藤さんも楽しそうだった。
そうして楽しみながら一緒にやっている誰かがいる。
それだけで勉強にも自然と力が入った。
あっという間に部活の時間が過ぎ去る。
後ろ髪を引かれながら部室を後にするという、今までで感じたことがない感覚も味わった。
ああ、充実した部活動ってこんな感じなのかな。
そう考えると中学の部活動の中で俺が得られなかったものがようやく手に入った気がした。
夜の時間はすべて学校から課された課題やレポートだった。
不足分の授業や単位をこれらの提出を以て認定するという約束だった。
そうしないと受験に際しての内申を出してもらえない。
とにかくこなすしかない。
約3か月分の分量だ。相当な数だった。
受験勉強も兼ねているので俺はひたすらに取り組んだ。
夜はひとりだから何の邪魔も入らない。
もうAR値の心配も要らないのだから勉強のことだけを考えていれば良かった。
憂いがないので自然と集中力も上がる。
渡された当初は1か月はかかるだろうと言われた分量を、俺は半月で全て消化した。
無事、内申書の発行を受けることが出来た。
◇
そして。
ついに迎えた12月2日。
中学の目標としていた、高天原学園の受験日だ。
やるべきことはすべてやった。
これで合格しないなら俺はそれまでの男だったということだ。
モブ以下だけど、モブらしくない成果を出してやるぜ。
早朝、寮を出た。
日が昇ったばかりで吐く息は白い。
サテライト会場までは電車に乗って10分の位置。
遅れも考慮して早めに出ていた。
「おはよ、武君」
「香さん、おはよう」
寮の外で制服姿の香さんが待っていた。
いつも走りに行く時間より遅いので俺達にとって早いということはない。
トレードマークのポニーテールが朝日に輝いていた。
「いよいよね」
「うん、このために3年間を使ったから」
「ふふ、緊張してなさそう」
「そりゃね、やれること全部やったし」
「はぁ~凄いよ。そう言えちゃうところ、尊敬する」
香さんは微笑を浮かべて俺を見ていた。
それだけで俺は元気が出てくる。
「じゃ、遅れないうちに行くよ」
「ん。駅まで一緒に行く」
「まだ学校には早いんじゃない?」
「早く着いたら朝練する」
「なるほど」
自然と手を繋いで駅までの道を歩いた。
レゾナンス効果による心地よさは本当に癖になる。
ふたりが同じ気持ちなら段々と身体が暖まって気分も上向く。
麻薬とまでは言わないけれど、より深く繋がりたい、なんて思ってしまうくらいに。
この点で新人類になれて良かった、と心から思う。
目に見えないはずの相手の心を受け止める力が宿るなんて本当に信じられなくて。
こうやって共鳴する度に感激してしまうのだから。
「ね、武君」
「うん?」
「今日の夜、発表なんだよね」
「うん。20時だったかな」
「私、行くからさ。待っててね」
「うん、ありがと。待ってる」
気付けば駅に到着していた。
香さんは名残惜しそうに手を離した。
まだ共鳴の熱が消えていない自分の手を大事そうに胸に抱えて。
笑顔で俺を激励してくれた。
「大丈夫! 貴方ならできる!」
「うん、行ってきます」
◇
サテライト会場は広かった。
受験生の机は学校の教室と比べて倍以上離れており、カンニング等ができない配慮がなされている。
もっとも、そんなことを考える奴は合格を掴み取ることはできないだろうけれど。
俺は受験番号の示す座席についた。
まだ時間には早く、人はまばらだった。
もうこの場で教科書や参考書を読み漁るつもりもない。
事前の積み重ねが全てだ。
少し気を落ち着けよう。
俺はこの世界に来て積み重ねた努力の成果というものを見た。
忘れもしない。
あの1年生のときに訪れた弓道場。
あの日、あの場所で。
血の滲むような努力の末、彼女が立っていた到達点だ。
そこは才能なんて関係がない。
本当に努力を積み重ねるだけでしか到達できない場所。
他人の模倣や、軌跡を辿ることでは到達できない、自分自身でしか切り開けない場所。
ひとり、孤独と闘った者だけが辿り着くことができる場所。
そこはひどく綺麗で、静謐な空気が漂い、気高さを示す場所。
誰にも侵すことのできないその人だけの聖域。
その到達点を見た時から、俺は努力というものに殊更、価値を感じるようになった。
だから俺はずっと走り続けることができた。
途切れることなく走り続けた先にある到達点を知っていたから。
単にラリクエ攻略のためのステップとして設定した目標だったけれど。
そこに至るための道標であるあの到達点は、確かに俺の琴線をかき鳴らしたのだ。
もはや何も必要ない。
俺はきっとあの高みにたどり着けると信じていたから。
さあ始めよう。
3年間の成果を示すときだ。
◇
試験は筆記と世界語の口頭試問だ。
何せこの学校は国際学校。入学後は授業を世界語で行う。
世界語で会話できない人間は門前払いだ。
筆記試験の手応えは十分だった。
すべての問題で答えるべき解答が思いついたし、満足いく解答が書けた。
世界語の口頭試問はいわずもがな。
逆に試験官が聞き取れないといった事態が発生したくらいだ。
そうして半日かけた試験はあっという間に終わった。
全てを出し切った。
あとは結果を待つだけだ。
◇
夜。
俺は自室で結果を待っていた。
じりじりと時間が過ぎるのが待ち遠しかった。
気が急いて落ち着かない。
何度か受験をしたことがあるけど、こんなに緊張しているのは初めてだ。
どうしてだろう。
ここまで努力をしたことがなかったからだろうか。
それとも命がかかっているという恐怖心からだろうか。
何をしていても落ち着かない。
ただ、時間が経つのをもどかしく待った。
そうしてあれこれ考えているうちにウトウトと眠りそうになっていた。
はっと気付いたら既に20時を3分過ぎていた。
結果が、出ている。
俺はモニターを起動した。
連絡先に指定している俺の端末に結果が届いているからだ。
手が震える。
心臓が早鐘のように打つ。
これで合格していなかったら・・・。
高々、受験の結果だというのに。
俺の、この世界の運命が掛かっているというのか。
・・・。
・・・。
・・・。
今更、何をしたところで結果は変わらない。
ただ、確認するだけの作業。
だというのに、押せない。
・・・。
・・・。
・・・!
俺は画面を開いた。
ぱぁっっと、桜の花びらが画面全体を舞った。
「おめでとうございます、合格しました」
という、質素な言葉。
憎らしい演出だった。
「は、はは・・・」
想定では大声をあげて、飛び跳ねて喜ぶはずだった。
そんな想定は想定でしかなく。
俺は全身の力が抜けてその場にへたり込んだ。
「あ・・・あれ・・・」
なんだ、これ。
身体が動かない。
涙が溢れてきて、嗚咽が喉を支配する。
「う、うう・・・!!」
一体、どうしたというのか。
ほら、喜べよ、俺!!
だけど身体は思惑とは別に、うめき声をあげることしかできなかった。
「・・・武、君?」
「うえ、ううう・・・!!」
いつの間にか香さんが来ていたようだ。
そういえば来るって言ってたな。
「武君!!」
「ひっ・・・ううう・・・」
合格したよ、と声に出したかった。
けれどそれさえ呻きに変わってしまった。
香さんがこちらに駆け寄る。
そして何も言わずに俺を胸に抱きしめてくれた。
暖かい。
琴線が振り切れてしまった俺は、ただ大きく呻きながら香さんに抱き締められた。
「うえぇ!! ううぅぅぅぅ・・・!!!」
◇
・・・。
・・・。
・・・。
ようやく・・・。
その嗚咽が収まってくる。
ずっとしゃくりあげていてちょっと気恥ずかしかった。
「ん・・・香、さん」
「・・・」
何とか震える声が出た。
でも香さんは力を弱めず抱擁したままだ。
「俺・・・やったよ」
「・・・」
香さんは変わらず抱きしめてくれている。
「馬鹿・・・」
「・・・?」
「そんなの、言わなくても知ってる」
香さんの声も震えていた。
俺はちょっと強引に、心地良い抱擁から抜け出した。
香さんと顔を合わせる。
香さんも・・・泣いていたようだ。また目が腫れている。
「貴方が見せてくれたのよ? 頑張っている姿」
「・・・」
「1番近くで見ていたんだから。結果なんて見なくてもわかる」
香さんは微笑んでいた。
その全幅の信頼が心地よくて・・・。
俺は自分の意志と裏腹に、また目に涙を溜めてしまった。
「あ、あれ・・・おかしいな・・・」
「ううん、おかしくない」
「だって、止まらない・・・」
「うん。それでいいの」
香さんはまた、抱擁してくれた。
俺は・・・今度は呻きではなく・・・湧き上がる声をあげた。
「うう、うわあああぁぁぁぁ!!」
ぎゅうっと。
力強く。
ずっと、香さんは抱きしめていてくれた。
◇
やたら、気恥ずかしかった。
これ・・・香さんの大会の後の弓道場のときと、立場が逆だ。
こんな感じだったんだな、香さん。
「えっと・・・」
抱擁を終えた後、ずっと微笑んで俺を見ている香さんが居た。
ずっと鼓動が煩くて落ち着かない。
え、これ、どうすんだろ。
何を言えばいい?
「武君」
「うん」
「お疲れ様でした」
「・・・うん、ありがと」
言わなくて良かった。
香さんが言ってくれた。
「長かったよね」
「うん」
「休みなしってきついから。私のときもそうだった」
「・・・そうだね」
走り終えた後、か。
そうだよな、俺、終えたんだ。
「さすがに疲れたよ・・・」
「ん。それじゃ、デートしようか」
「え?」
「私のとき、そうだったじゃない? だから貴方も」
「・・・あはは」
ようやく笑い声が出た。
随分と腹の底がすっきりしていた。
「うん、行こう。どういう所に行きたい?」
「貴方が一緒ならどこでも良い。あ、でも景色が綺麗なところが良いな」
香さんは終始、穏やかな笑みを浮かべていた。
この日、俺は無事にこの3年間の目標を達成することができた。
俺は・・・あの高みに。
あの静謐な聖域に、香さんの隣に、到達できたのかな。
このお話でじんと来た方、筆者と琴線が近いです。
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