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049

 夏が近い朝。

 夏至が過ぎたばかりなので夜明けも早い。

 肌寒さはなく野宿でもちょうど良かった。

 いつも起きる時間よりは少し早い。

 屋外だから音に敏感になっているせいか。

 俺はその足音で完全に覚醒した。



「こんな場所で野宿なんて」



 今朝、PEで連絡をするはずだった香さんだ。

 視界がはっきりしてくると彼女の状況がおかしいことに気付いた。

 いや、この場所に来ていること自体がおかしい。

 あ、おかしいのは俺の行動だった!



「おはよう、香さん」


「・・・おはよ」



 呆れているのか怒っているのか。

 素っ気ない返事に俺は背筋が冷えた。

 極力、会話もしないようにしていた1か月間。

 香さんも例外ではなかった。

 そろそろ寮に来るような気がして外したというのに。

 まさか、こんなところまで追ってくるとは。



「色々、言いたいことがあるの」


「・・・」



 いつものポニーテールではなかった。

 髪を降ろして走っていたのか。黒い綺麗な髪が随分と乱れていた。

 その吊り目から鋭い目線を俺に向けている。

 じりじりと近付いてくる彼女にたじろいだ。



「でも・・・・・・ぜんぶ、忘れた」



 震える声でそう言って香さんは・・・俺に飛びついてきた。

 少し汗の匂いがした。

 見れば服が汗で濡れていた。

 もしかしてずっと探し回っていたのだろうか。

 俺は何も言うことができず、されるがままで立ち尽くした。



「う・・・うう・・・」



 香さんは泣いていた。

 どんな想いで俺を探していたのか。

 その身体の震えと声とが、全身で俺に訴えかけていた。

 俺はそっと、彼女の背に手を回した。

 しばらく彼女は声をあげた。

 その情動を受け止める。

 俺に出来る罪滅ぼしはそのくらいしかないから。


 どのくらい経ったか。

 少し落ち着いた香さんが身体を離して俺の顔を覗いてきた。

 その口から漏れる声はまだ震えていた。

 


「ね。私、怒ってるの」


「・・・うん」


「遠くへ行って、危ないことをしようとして」


「・・・」



 どうして知ってんだよ。

 先輩以外、誰にも言ってないはずなのに。



「私が怒ってるのは、言ってくれなかったこと」


「・・・ごめん」


「だって・・・止めたって行くでしょ」


「・・・ごめん」



 謝ることしかできねぇ・・・。

 どうすりゃいいのか・・・。


 香さんは表情もなくじっと俺の顔を見ていた。

 長い睫毛に、腫れた瞼。頬に張り付いた髪。

 きっと彼女にとって隠したくなるような顔だというのに、俺にはひどく綺麗に見えた。

 オニキスのような黒い深みを湛えた瞳に俺が映っていた。

 言葉もなく見惚れていると・・・香さんは俺の首に手を回した。

 驚く間もなく、彼女は俺の唇に唇を重ねた。

 

 一瞬が永遠に感じた。

 頬をやんわりと撫でる風さえも煩いほどに。

 顔を出した日の光が目に飛び込んでくる。

 その光さえ止まったかのようだった。


 ・・・。

 ・・・。

 やがて彼女はゆっくりと身体を離した。

 自分の鼓動が速くなっていたことに気付いた。



「ね。もういちど、約束して」



 その言葉は自然と俺の胸に届いた。



「私、約束どおり待ってるから。帰ってきて・・・卒業したら、返事して」


「・・・うん」



 彼女との約束。

 ずっと待ってくれている、あの観覧車での約束。

 俺はそれに必ず応えたいと思った。

 香さんは・・・笑みを浮かべていた。

 気付けば俺も口角が上がっていた。



「・・・ん。お姫様の到着よ」


「・・・?」



 香さんが目をやるほうを見ると。

 そこには息を切らした九条さんの姿があった。



 ◇



 俺の前に立った彼女は・・・憔悴していた。

 髪は乱れ、少しやつれ、汗で服も濡れている。

 明らかに俺を探し回った結果だった。

 香さんは少し離れた場所に立った。

 ふたりで話せ、ということだろう。



「武さん・・・!!」



 駆け寄ってきた九条さんの表情は固い。



「わたし、聞きました! 武さんの先輩から・・・」



 先輩・・・飯塚先輩か? もしかして寮で会ったのか?

 そうか、だから香さんも知っていたのか。

 九条さんは息も絶え絶えに続ける。



「武さん・・・教えてください」


「ん・・・」


「AR値のために、南極に行くって、本当ですか?」



 俺は頷いた。

 不安げな銀色の瞳に、俺はまた捉えられていた。



「その・・・死んでしまうって・・・致死率、90%って・・・!!」


「・・・」



 それ、肯定なんてできねぇよ。

 言ったら即、取り押さえられて行かせないってなるだろ。



「死にに行くわけねぇだろ。生きたいから行くんだ」


「そんな・・・!? 高天原に入るためですか!?」


「・・・そうだ」



 入学はあくまで目標だけど、嘘ではない。



「そんな危ないなら・・・高天原なんて一緒でなくても良いです!」


「・・・」


「わたし、あなたが無事でいてくれるなら、どういうかたちでもいい!」


「・・・」


「一緒に別の高校に行ったっていい! だから・・・危ないこと・・・・・・」



 彼女の甲高い声は途切れ、続かなかった。

 九条さんは俺の胸に飛び込んできた。

 頭を押し付けて、ぽかぽかと肩を叩いた。

 俺はそんな彼女の頭を、優しく撫でてやることしかできなかった。



「・・・」


「武さん」


「ん・・・」


「駄目・・・ですか・・・」


「・・・うん。俺は行く」


「・・・嫌、です」


「それでも」


「嫌です!」



 九条さんは強く俺の肩を叩いた。

 その痛みも、心を抉るその声色も、甘受するしかなかった。

 うう、と呻くような声を出しながら・・・。

 彼女は泣いた。

 しばらく、そのまま泣き続けた。


 少しして。

 その肩の震えが収まったのを見てから俺は口を開いた。



「俺には・・・俺の役割がある」



 彼女は頭を上げ、俺の顔を見た。



「そのために高天原に行くんだ。九条さんと同じ道を行くためじゃない」


「・・・!!」



 九条さんの目が大きく見開かれた。



「九条さんの、俺への気持ちは本当に嬉しい。ずっと支えになってた」


「だったら・・・!」


「だから。俺は九条さんへの気持ちを考えないようにした」


「・・・!」


「道が違うんだ。一緒にいると悲しませちまう」



 九条さんはずっと、その銀色の瞳で俺の目を射抜いたまま。

 張り詰めた声で訴えた。



「わ・・・わたしは! 貴方の傍にいるのは、わたしの我儘です」


「・・・」


「もし道が違ったとしても、近くにいれば歩み寄れます」


「・・・」


「そのためなら、わたし、何でもします。何でもできます」


「・・・」


「今が駄目なら・・・何年先でも・・・いつか・・・」



 落涙しながら言葉を紡ぐ彼女は、それでも俺から視線を外さない。



「貴方が教えてくれた、わたしの暖かい、この気持ちは・・・」


「・・・」


「絶対に、無くなりませんから!!」



 ・・・。

 そう、これだ。

 俺は、ここで前回、選択を間違えた。

 だから。



「それが・・・重すぎるんだ」


「・・・!?」



 ずっと射抜いていたはずの銀色の瞳が、初めて動揺した。



「え・・・」


「・・・」


「・・・」


「・・・」


「その・・・・・・ご迷惑・・・なのですか・・・」


「迷惑、だ」


「居て欲しくない・・・・・・ということですか・・・」


「そうだ」


「でも・・・! わたし・・・!!」



 そうして再び、彼女は俺の胸に飛び込んできた。

 俺は・・・肩に手を添え、その身体をやんわりと押し返した。



「・・・・・・!?」



 もう言葉が出てこないようだった。

 どうして、とその表情が訴えかけてくる。

 俺は優しく笑みを浮かべた。

 一瞬、彼女はそれに期待したのか表情を緩めた。

 だが俺はゆっくりと、首を左右に大きく振った。


 何度かの瞬きのあと。

 彼女は両手を口に添え・・・。

 眉間に皺を寄せ・・・。

 滂沱の涙を朝日に煌めかせながら・・・。

 数歩、後ずさった後に・・・。

 もと来た道を駆けていった。



 ◇



 言った・・・。

 言った・・・。

 俺は・・・ついに・・・。

 フラグを・・・折った・・・。


 目標を達成したはずなのに・・・。

 俺の胸はずきずきと激しく痛んだ。

 とめどなく涙が溢れる。

 呼吸が乱れ、嗚咽が口を突いた。



「・・・なんてもの、見せてくれるの・・・」



 香さんが傍に立っていた。

 俯いた俺はその顔を見ることはできなかった。



「ひどい断り方」


「・・・」


「・・・諒くんや若菜ちゃんの話も聞いてる。どうしてそんな遠ざけるの」


「・・・」


「距離を置かないと相手が傷つくからって・・・貴方がそんな傷ついてまで・・・」


「・・・」



 ふわり、と。

 頭が優しく包まれた。

 香さんが俺の頭を胸に抱いたのだ。



「覚えてて・・・その痛み。それが・・・答えだから」


「・・・」



 どういう意図で言った言葉なのか。

 涙声のその言葉を、慟哭に突かれていた俺に解釈する余地はなかった。



 ◇



 またしばらく時間が経った。

 気付けば鋭い朝日が穏やかになり。

 夜明けの空気が、街を動かす朝の空気に入れ替わっていた。



「ね。九条のことは任せなさい。私が何とかしておく」


「・・・うん、ありがとう」


「もう時間なんでしょ?」


「あ・・・」



 見れば、乗る予定だった電車の時刻が迫っていた。



「行ってらっしゃい。酷い顔だから、駅で洗って行くんだよ」


「む・・・香さんも酷いから。早く帰ってシャワー浴びて」



 互いの顔を見て。笑みを交わして。



「それじゃ、行ってきます」


「うん。必ず、帰ってきて」



 俺は駆け出した。

 後ろは振り返らなかった。

 もう、伝えるべきことは、ぜんぶ伝えたから。



 ◇



 港南の最寄り駅を降りた俺は、周辺を探した。

 探し人はすぐに見つかった。



「おはよ、京極君」


「先輩、おはよう」



 飯塚先輩は俺を見つけるなり駆け寄ってきた。



「行っちゃうんだね」


「うん」


「あの。お願いがあるの」


「何だよ、ここで会うのがお願いじゃなかったっけ?」


「もうひとつ」



 珍しく先輩の我儘だ。

 聞かないわけがない。



「これ。お守りなんだ」


「ん・・・ありがと」



 差し出されたのは小さな朱色の巾着袋。

 黒い長い紐がついている。



「これを、肌身離さず持っていて欲しいの」


「首から下げてればいい?」


「うん」



 先輩に言われるがまま、その朱色のお守りを首からぶら下げた。

 長めの紐だったので、お守りはシャツの中に隠れた。

 これなら目立たない、かな。



「うん。帰ってくるまでずっとそうしててね。それがお願い」


「わかった」


「ん。じゃ、私、行くから。本当に気を付けて」


「うん。ここまで来てくれてありがとな」


「ふふ。どうか、元気で。行ってらっしゃい」



 先輩はそう言って笑顔で駅に入っていった。

 ・・・。

 これで、別れの挨拶は最後だ。

 あとは、行くだけだ。



 ◇



 集合場所には既に様々な関係者が集まっていた。

 積荷を搭載するためのトラックや燃料車。

 操船技術者たち。

 国の関係者と思しき、お偉い様方。

 各国の研究員。

 ホストとなっている御子柴研の面々。

 その後ろに朱色に船体が塗られている大きな船があった。

 白く輝く艦橋にさまざまなレーダーが搭載されている。

 8代目南極観測船しらせ。

 その堂々たる威容に、若干、気を呑まれながら。

 俺は芳賀さんたちが集まっている場所へ歩いて行った。


 この日、第250次南極観測隊は定刻に港南の地を離れ、一路南極へと出航した。




今回は中学編の中で、数か所ある泣きどころの1つでした。


少しでもじんと来た方は、ぜひ ☆ 評価をいただければ幸いです。


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