048
■■九条 さくら ’s View■■
諒さん、若菜さん。
おふたりからお話を聞いてから、ますます分からなくなりました。
あの武さんがそんな乱暴をするわけがない。
絶対に、人の気持を弄ぶような人ではない。
傍にいるからこそ、わたしはそれを知っていましたから。
何度か先輩にも相談をしました。
先輩も最近はPEで話ができないと言っていました。
わたしたちを意図的に遠ざけている、そんな感じがしました。
武さんとのすれ違いが始まってからもう1か月近く過ぎようとしています。
去年の5月頃のように、きっと何か抱えているものがある。
そう予感がしました。
何度か思い止まっていましたが、今日こそ話しに行こうと決心したのです。
でも彼の部屋が見える位置に来たとき、思わず隠れてしまいました。
私の知らない人が彼の部屋に入っていく姿が見えましたから。
どなたでしょう?
武さんが迎え入れたところを見るとそれなりに親しい方のようです。
わたしは思わず・・・また、扉で聞き耳を立ててしまいました。
◇
ーー駄目だよ!!
大きな声でした。
耳を扉につけないでも聞こえるくらいに。
ーー分かってる!? 無事なの1割だよ!? 致死率、90%だよ!?
え?
耳を、疑ってしまいました。
致死率・・・?
90・・・パーセント・・・?
体中から力が抜けました。
その場にへたり込んでしまいました。
何の話だったのか、分かりません。
けれど・・・武さんが・・・危ないことをしようとしているのだと。
それだけは理解できました。
心臓の音がバクバクと鳴ります。
それが煩すぎて部屋の中の声は聞こえなくなりました。
冷や汗が吹き出て、視界がぐるぐる回ります。
駄目、こんなの。
ここで、倒れては、駄目・・・。
◇
何とか。
意識を保ったまま、わたしは立ち上がることができました。
壁に手をついて、何とか、歩けました。
すると、がちゃりと、部屋からあの人が出てきました。
その人の・・・腫れた目が、わたしと合いました。
「あの・・・」
何を、どう言えば良いのでしょう。
でもこの人から、絶対に、話を聞かないと・・・。
「・・・京極君の、お友達?」
「は、い」
声が掠れていました。
何とか意思表示できました。
その人は、少し逡巡したようです。
そうしてわたしに言いました。
「あなたのお部屋でお話、できるかな?」
声が出せなかったわたしは、首を縦に振りました。
◇
しばらくの沈黙の後。
その人は武さんの部活の先輩であると名乗りました。
「京極君はこれから・・・南極へ行くそうなの」
「南極!?」
いったい、どうして?
日帰りの距離ではありません。
あれだけ勉強に追われていた武さんが、そんな余裕があるようにも思えません。
その理由は全く、想像できませんでした。
「私から言えることは・・・彼の目的が、とても危険なこと、というだけ」
「・・・致死率・・・90%・・・」
唯一、聞こえた単語。
それがわたしを今、夢遊病者のように現実離れさせています。
「それが、彼のAR値を変える鍵になるから・・・」
「AR値?」
「高天原学園に入るために必要なの」
もちろん、それをわたしは知っていました。
要項にAR値が30%以上である、と定められていることを。
でも武さんは最初から入学を目指していると言っていました。
当然にこの要件も満たしていると・・・。
「聞いてない? 京極君のAR値、ゼロなの」
「え・・・!?」
初耳でした。
それでは高天原学園に入ることはできません。
知っているのに、あれだけの努力をして受験を目指していたのでしょうか。
「だから、南極。そこに鍵があるかもしれないから・・・」
「・・・それが・・・危ないことだと・・・」
「そう」
この人の言っていることの意味が分かりません。
いえ、意味は分かっています。
俄に、受け入れられないのです。
「明日から、3か月。京極君は行ってくるって」
「明日!?」
これも初耳です。
急な話すぎて、こちらも理解が追いつきません。
「ごめんね。私、今日は時間がないの。これで帰るね」
そう言って、武さんの先輩は帰って行きました。
わたしはしばらく理解が追いつきませんでした。
段々と、今聞いた話が現実のものであると解釈できました。
そうして・・・どうして良いのか分からなくなりました。
とても気持ちが焦っていて身体が震えています。
何かをしなければいけないのに! 今すぐ何かをしなければ。
でも何をして良いのか分かりません。
何処か、危険な崖の上に立っているような感覚でふらふらします。
わたしは迷った末、PEを取り出しました。
連絡先は・・・先輩です。
先輩はコールをすると直ぐに出てくれました。
『お、さくら。こんばんは』
いつも通りの先輩でした。
少し気持ちが落ち着きました。
『・・・どうしたの? 大丈夫?』
先輩はわたしの様子を見て察してくれました。
「先輩」
『うん』
「武、さんが」
『うん』
「その、いなくなって、死んでしまいそうで・・・」
何とか、言葉にできました。
先輩は驚いた表情をしていましたが、慌てはしませんでした。
『いい、さくら。落ち着いて』
「はい」
『そのまま聞いてね。今から私、そっちへ行くから』
「はい」
『ん。できれば、武君のところに居て』
「はい」
どこか、遠い場所で何か起きているようです。
『・・・九条!!』
「! はい!」
『しっかりして! いい、武君のところに行ってて! いいね!』
「わ、分かりました」
そうして先輩はPEを切りました。
・・・行かなきゃ。
武さんのところへ。
わたしは廊下に出ました。
もう夜遅い時間です。
寮母さんに見つかったら怒られます。
でも行かなければいけません。
武さんの部屋の前まで来ました。
ノックをして・・・中に入らなければ。
コンコン・・・
返事がありません。
いつもなら何かしら声がします。
コンコン・・・
もう一度、ノックしました。
やはり返事はありません。
しばらく待ってみましたが、物音ひとつしませんでした。
ドアノブに手をかけました。
がちゃり、と扉を開けました。
中は、真っ暗でした。
もう寝ていらっしゃるのでしょうか。
就寝中に入るなんて、失礼でしたが・・・。
先輩に強く言われましたから、入ります。
静かです。
人の気配がしません。
わたしは意を決して、電気をつけました。
「・・・? ・・・・・・!?」
◇
■■橘 香 ’s View■■
「はぁ、はぁ、はぁ・・・!」
私は走った。
これほど焦燥感に駆られたことは今までにない。
肺が、心臓が悲鳴をあげている。
でも足は止めない。
今は1秒でも早く!
あの子のところへ行かないと!
夜道を駆け、静まり返った寮の入り口に到着した。
消灯時間を過ぎているはずなのに扉は開いていた。
少しだけ呼吸を整え、私は扉に手をかけた。
寮母には不思議と遭遇しなかった。
彼の部屋の前に来た私は、迷わず扉を開けた。
明かりはついていた。
中に入ると・・・銀髪の可愛い後輩がフローリングに座り込んでいた。
「さくら!」
呼びかけると彼女は縋るような目を私に向けた。
「いませんでした・・・」
嫌な予感は当たる。
一番、当たって欲しくないところで。
「落ち着きなさい。ほら」
生気のない顔つきの彼女を抱擁して落ち着かせる。
ずいぶんと呼吸が浅い。
PEの様子からも相当に衝撃を受けたのだろう。
「落ち着いて、さくら。私が来たから」
「・・・」
ぐっと、私の服を掴んで身体を震わせている。
小刻みな震えは身体が理解を拒否している証拠。
断片的な単語で物騒なことを言っていたわけだし。
一刻も早く知りたいという欲求を抑え込む。
私はそのまま彼女が落ち着くのを待った。
◇
10分。いや、20分。
そのくらいだったろうか。
ようやく彼女の震えは収まった。
「さくら」
「はい」
「話せるね」
こくりと頷いた後輩を抱擁から開放し、その正面に座り込む。
視線を合わせて彼女の顔を見れば、未だ挙動不審に視線をあちこちに動かしていた。
「九条!」
「! はい!」
「ほら、話す」
「はい」
先輩と後輩。
もっとも長く付き合ったこの関係性が、一本、芯を通した気付けになる。
「最初から。何があったの」
「はい。今日、武さんのお部屋にお話に行こうと思ったのです」
ゆっくり、彼女から話を聞き出す。
具現化研究同好会の先輩が彼の部屋を訪れたこと。
盗み聞きをして衝撃を受けたこと。
出てきたその先輩と話をして、彼が危険に身を投じようとしていることを知ったこと。
行き先は南極で3か月不在にすること。
出発は明日だということ!
「あなたが来たときにはもう居なかったのね」
「はい」
「・・・この時間なら電車は動いてない。九条、探すよ」
「! 分かりました!」
やるべき事を示す。
彼女は強い。
その意思が指向性を持ったとき、誰にも止められない強さになる。
私は彼女とふたりで夜の街へ駆け出した。
◇
駅前の広場。
街区の公園。
通学路。
商店街。
暗い夜道に人影は無かった。
また、心臓が悲鳴をあげている。
額から汗が滴り落ち、前髪が頬に張り付く。
まさかと思って学校まで行ってみたけれど、校門は閉まっていて入れそうな様子ではなかった。
生まれ育ったこの街のことはよく知っている。
だから人が一晩、身体を休められそうな場所が多くないことも知っていた。
それでも探す場所は多い。
走りながら考える。
人は知らない場所には行かない。
彼が知っている場所はどこだ。
沢山、話をした。
その中で聞いた場所。
彼の行動範囲だ。
学校と寮の間にある場所はもう行った。
駅前も行った。
学校も行った。
他に・・・彼はいつも何をしていた。
「はぁ・・・はぁ・・・はぁ・・・」
限界が来た。
目が眩み、そのあたりの壁に手をつき、肺に酸素を送る。
既に空は白み始めている。
時間が無い。
彼はいつも朝が早いと言っていた。
もうすぐ起きて動き出す時間ではないのか。
いつもこんなに早く・・・彼は何をしていた。
そうだ、走り込みをしていると言っていた。
学校がよく見えると言っていた。
春は桜が綺麗だと。
それは・・・土手だ。
そう、河川敷!
◇
私は気力を振り絞って走った。
一晩中駆けた足は悲鳴をあげ、何度も攣っていた。
走るのは苦手だったけれど、何とか身体が動いてくれている。
行かなければならない。
そうしなければ絶対に取り返しがつかない後悔をする。
どうして・・・どうして!
秘密にしていたまま何をしようとしているの!
私に教えてくれない。
でも私は問い質してこなかった。
彼がその立ち位置を望んでいたから!!
言いたいことはいっぱいあった。
聞きたいこともいっぱいあった。
時間だけがぜんぜんなかった。
私はPEを起動し、一言、文字を打ち込んだ。
そして息も絶え絶えに震える足を引きずって歩き出した。
土手の下の河川敷。
薄暗い中に見える大きな木の下。
そこに、私が一晩中、探し求めていた姿を見つけることができたから。
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