風来坊必殺拳 「親子飯」2
大魔王都には、様々な種族が暮らしている。
何しろ世界で最も栄えている都であるから、おおよそ考えうるほとんどの種族が集まっている、と言っても過言ではない。
種族が違えば、食事も様々。
多くの種族は雑食であるのだが、稀ではあるものの、肉、あるいは植物しか食べられない、というものもいる。
そのため、大魔王都には多種多彩な食糧が集まっていた。
ただ、集まっている、というのと、手に入りやすい、というのは別の話。
食材として知られているものでも、実際に口にしたことはないもの、というのが、大魔王都っ子には多かった。
そういった食材の一つが、「鶏の肉」である。
鶏は卵を産むため、大切に育てられていた。
また、肉が美味いことから、好む肉食種族が多い。
これを考慮した幕府の政策として、そういった肉食種族に優先して売られるようになっていたのである。
したがって鶏肉というのは、たとえ卵を産み終わった廃鶏や、オスの鶏のものであっても、なかなか手に入らない。
というのが、大魔王都っ子にとっての常識であった。
「はぁー、これが鶏の肉ってやつねぇ!」
ゆえに、目の前に出された肉が鶏のものだと聞き、ゼヴルファーはまじまじとそれを見回したのである。
肉は一口大に切られ、竹串に刺さっていた。
茶色のトロミがかかったタレがかかっており、得も言われぬ良い香りが漂ってくる。
「最近は卵目当てで鶏を飼う家も多くなりましてねぇ。少しは、手に入るようになってきたんですよ」
そう言って笑ったのは、店の女将である。
ここは、大魔王都にいくつもある料亭の中でも、五本の指に入るとされる名店「晴天」の一室であった。
本来であればゼヴルファーのような貧乏魔王が敷居を跨げるような店ではない。
だが、以前に起きたとある事件をきっかけに、ゼヴルファーは時々この店に顔を出す様になっていた。
大魔王都は海に近い都市であることもあり、魚が多く食されていた。
大抵の大魔王都っ子は、一日に一度は、海にかかわりのあるものを口にしている、と言われるほどだ。
そんな中でも、珍重されるものがあった。
旬のものである。
その季節折々に、最も旬とされるものを食べる。
大魔王都っ子が好む、「粋」の形であった。
多くの大魔王都っ子が旬を楽しみにしている魚の一つが、カツオである。
漁が解禁される日の一番ガツオは、大変な高値が付く。
それだけに、これをめぐって時には人死にが出ることさえあった。
少し前の、ある年のことである。
水揚げされた一番ガツオを、「晴天」が競り落とした。
これを手に入れようとしたある魔王家が、「晴天」にこれを譲るように迫った。
だが、既に買い手は決まっており、「晴天」はこれを断ったのである。
顔を潰されたと考えた魔王家は、嫌がらせを始めた。
ついには子飼いにしていた盗賊まで操り、店を襲わせた。
これを止め、解決に導いたのが、ゼヴルファーだったのである。
さて、鶏肉である。
炭火で焼いたのだろう肉は少し焦げ目がついている。
だが、嫌な焦げではない。
むしろ香ばしい香りと相まって、「焼いた肉」から立ち上る、特有の色気のようなものを漂わせている。
「へぇ、それでこうして料理にしてみたってわけかぁ。しかし、こう言っちゃなんだが、晴天で出すにしちゃぁ、少々俗な見た目だねぇ」
「実は、鶏肉を下ろしてくれる農家の方が教えてくださった調理法に、うちの板前が一工夫加えたものなんです」
「なるほど。このタレが、そのひと工夫ってぇやつかな?」
「はい。しおか、醤油をつけて焼く、ということだったんですが。醤油に砂糖やみりんなんかを加えて、タレにしてみたんだそうです」
「はっはぁ。ウナギのタレが元になってるのかねぇ」
早速、齧りつく。
まず感じるのは、何よりも香りだ。
甘辛いタレと鶏の油、それを炙ったのは、おそらく炭だろう。
炭火の香りというのは、それもまた食材を彩る一つの味である。
歯を使って、串から肉を引き抜き、噛みしめる。
弾力、柔らかさ。
最初に舌に感じた甘辛いタレが、口の中で肉と肉汁の味に混ざっていく。
噛みしめ、噛みしめ、飲み込む。
口の中に味が残っているうちに、酒を流す。
この日の酒は、熱燗で付けてもらっていた。
大魔王都っ子は、体を温める目的で酒を飲むことも多く、熱燗、ぬる燗が好まれた。
最近では冷で飲むことも増えてきたが、ゼヴルファーとしては、やはり落ち着くのは熱燗である。
「いやぁ、こいつはぁうめぇや。甘辛ってのは、好きなのも多いしなぁ」
どういうわけか、大魔王都っ子というのは醬油と砂糖を使った「甘辛」を好んだ。
酒飲みは塩辛いものを好むのだが、甘味を楽しみながら酒を飲む、という手合いも少なくない。
何しろ多種多様な種族が入り乱れているから、飲み方もそれぞれである。
「だが、やっぱりこいつぁ、晴天じゃぁ、難しいだろうなぁ。ほら、俺見てぇに厨房のそばで飲み食いさせてもらってるならともかくさ。部屋に届けるまでに冷めっちまうよ」
「やっぱり、お肉の料理はそれが難しいですねぇ」
料亭というのは存外に広い。
厨から客室までの距離も、相応にあった。
今、ゼヴルファーと女将が居るのは、厨房のすぐわきにある一室で、客間ではない。
「温かい料理を召し上がっていただく工夫はしていますが、これは特に、焼き立てがおいしいでしょうし」
「違いねぇ。こいつはもっと狭ぇ店か、運河沿いの屋台街なんかで出した方がいいかもしれねぇな。そしたら、一財産築けるぜ」
「あら。確かにそのほうが美味しそう」
「まっ、こんなに美味いのにはありつけねぇだろうけどな」
串焼き料理、というのは、やはり屋台街の料理という印象があった。
みほう串を筆頭に、ウナギの串焼きを食わせる店なども、屋台街には多い。
ただ、ウナギの串焼きの方はピンキリで、なかなかうまい店にあたるのは難しかった。
何しろ「タレ」と「焼き」というのは料理人の腕が問われるものであり、少なくない修業が必要な「技術」なのだ。
「うちの板長も、せっかく鶏肉が手に入るんだから、何かいい調理方法を、と頑張ってくれているんですがねぇ」
「まぁ、普段扱い慣れねぇものだからなぁ。簡単にはいかねぇさね」
「工夫するしかありませんね」
「出来れば、永く悩んでほしいところだがなぁ。そのほうが、こうして御下がりにありつけるってもんだ」
ゼヴルファーは、味見役なわけである。
女将や板長などは、是非お座敷で、と言ってくれるのだが、流石にそれはゼヴルファーが気後れする。
こういった場で、味見要員、あるいは用心棒として飲ませてもらえるなら、そちらの方が気楽であった。
何より、その方がこうして、客に出される前の「試し料理」を味見することもできる。
「うちの庭でも、飼って見るかねぇ。どうせなんに使うわけでもねぇ庭なんだし」
「お城の庭で育った鶏なら、さぞ良い卵を産むでしょうね」
「おお、そうだなぁ。毎日卵が食えるとなりゃぁ、本当に飼ってみるのも手かな」
「まぁ」
そんな話をして笑っていると、女中がやってきた。
「すみません、女将さん。修繕が終わったそうです」
「あら、もう終わったの! 流石に仕事が早いわね」
「おう、大工でも入れてたのかい?」
「そうなんです。お部屋の修繕をお願いしていまして」
またぞろ、酔っ払いが何か壊しでもしたのだろう。
料亭で飲む客というのは、上品な客が多い。
だが、たまに羽目を外してしまい、思わぬ「粗相」をしてしまうものもいた。
もちろん店側としては被害を被るのだが、相手は「晴天」に来るような客である。
庶民が聞けば驚くような額の「詫び料」を置いていくので、実は店側としては、少々壊してほしいぐらいだったりする。
この辺りのことをゼヴルファーが知ったのも、「晴天」に親しく出入りするようになってからだ。
そんな事情があるから、客を上げる前の料亭というのには、大工が仕事に入ることが少なくなかった。
多い時など、一月のうち半分ぐらい、大工が入ることもある。
「実は、初めて仕事をお願いする職人さんでして。少々、仕事の出来を確認してまいります」
「そりゃぁ、面白そうだな。俺もついていっていいかい?」
「ええ、もちろん」
よしとばかりに、ゼヴルファーはお猪口に残った酒を飲み干し、立ち上がった。