風来坊必殺拳 「親子飯」1
世に名門と呼ばれる魔王家は数あれど、そのなかで最上位に位置するものは、五つ。
術魔王家。
剣魔王家。
剛力魔王家。
獣魔王家。
いわゆる、大魔王四天王家である。
そこに加えて、もう一家。
名を、鉄拳魔王家という。
初代大魔王に、一番最初に仕えた家であり、最も歴史と格式を持つ魔王家であった。
さぞかし広い領地を持っている、と思いきや、実際はそうではない。
長きにわたった戦が終わり、世が太平となると、鉄拳魔王家は頂いていた領地をすべて、大魔王家へお返ししたのである。
戦しか能がない自分であるから、平和な世では役に立たない。
頂いたご領地を治めるほどの才もなく、ただご迷惑になるだけであるならば、一武人としてお仕えしたい。
初代大魔王はその志にいたく感動し、鉄拳魔王の名は残したまま、ご領地ではなく、禄にて鉄拳魔王家を召し抱えることにした。
世に三百余の魔王家はあるものの、このような処遇を受ける魔王家は、鉄拳魔王家ただ一家のみである。
鉄拳魔王家の城は、大魔王都にあった。
ほかの魔王家も大魔王都の中に自らの住処をもっているが、それらはすべて「屋敷」とされている。
自らの「城」は、ご領地にあるものであったからだ。
ところが、鉄拳魔王家は領地を持っていない。
ゆえに大魔王都内に、「城」を持っているのである。
もっとも、「城」とは名ばかりで、もっと大層な「屋敷」はいくつもある。
世に多い誤解なのだが、鉄拳魔王家は決して裕福ではない。
大魔王家から禄は頂いているが、大した額ではなかった。
初代鉄拳魔王が、「今後は大した働きをしないだろうから」と、ごく僅かな禄しか頂かなかったためである。
何しろそこらの上級兵士と同じ程度、というのだから、魔王家としての体裁を整えるのも一苦労。
これでお役目でもあれば役料や役得で少しは潤うのだろうが、鉄拳魔王家は代々無役。
有事の際に大魔王様を御守りすることがお役目であり、それ以外は特に何もしない、というのが古来よりの仕来りであった。
そのため、鉄拳魔王家は貧乏とは言わないまでも、決して裕福ではない。
召し抱えている家来も、たったの四人。
それ以外に「城」を支えているのは、通いなどの下働きばかりであった。
この四人のうちの一人。
家老であるリットクが、城の中を慌てた様子で歩き回っていた。
このリットクは知恵猫という種族であり、外見は二足歩行の猫そのものである。
「若っ! どこにいらっしゃるのですか! 若っ!!」
大声を張り上げながら速足で歩き回るリットクの前に、半透明の頭が現れた。
壁から生えてきた女の頭に、リットクは飛び上がって驚く。
「うをぉ! なんじゃ、アルガか! 脅かすな!」
「ご老体の大声の方が驚きますよ。何事ですか」
壁をすり抜けて現れたのは、男装の女幽霊、アルガであった。
鉄拳魔王城の家令であり、家の中のこと全般を取り仕切っている。
もっとも、鉄拳魔王城には住み込みで働いているような使用人はおらず、ほとんどが雇いでご近所の奥方や娘達ばかり。
家令が取り仕切るべき使用人など、ほぼ居ないといってよい。
「せっかく掃除の傍ら、シルバーの食器を磨いていましたのに」
「お主はそればっかりじゃな!」
「銀というのには破邪の力があると申しまして、お家安泰の為にもシルバーの食器というのはとても大切でございましてですね、そもそも我が家には銀食器が少ない! もっとこう、ずらりと並ぶような・・・」
「何が破邪の力じゃ! お主が祓えておらぬではないか!」
「そんな、人を邪悪なものみたいに。確かに私は幽霊ですが。ところで、若に何か御用で?」
「おお、そうじゃった! 書類に目を通していただかねばならぬのだ!」
「はっはぁ。逃げられましたか。書類仕事は面倒ですからね」
「若に確認して頂かなければ、新しい皿の一つも買えぬからそのつもりでおれよ」
「鉄拳魔王家当主ともあろうお方が、お家の仕事をほっぽり出してどこぞをほっつき歩くなど、言語道断ですよご老体! 早く見つけ出して、鴨居に縛り付けてでも仕事をさせてですね!」
「だから、その若を探しておるのじゃろうが!」
「そうでした! 先ほど、庭の方へ走っていきましたよ!」
「庭じゃなっ!」
リットクは大股で、庭へと向かった。
そこらの屋敷と変わらぬ大きさの鉄拳魔王城だが、武家の家には必ず庭があるものである。
本来は練兵のための土地、ということになっているのだが、畑や家作を作り、費えにすることが多かった。
この時代、どこの家も家計は苦しい。
だが、鉄拳魔王家の庭は、猛然と草木が生い茂っていた。
一応船などが浮かべられるほどには広い、池などもある。
魔王城にとって、庭とは防衛施設であった。
鉄拳魔王家も、そこらの屋敷と変わらぬ大きさとはいえ、「城」は「城」。
相応の備えをしておかなければならない。
「エルゼキュート! エルゼキュートはどこじゃ!」
「はーいー」
間延びした声が返ってくる。
草木の間からのっそりと現れたのは、驚くほど端麗な容姿をした、長い緑の髪を持つ女。
ドライアドという精霊であり、この鉄拳魔王城の「庭師」。
城の周りを覆う庭全てを把握し、その防衛を任されている家臣である。
名を、エルゼキュートという。
「若がこちらに来たと聞いたが、どこに行ったか知らぬか!」
「ええとー、ですねー。リットク様がーきたらー、大魔王城へ逃げたとー、言っておくようにー、言われましたー」
「まったく、悪知恵を働かせてっ! お主もお主だ、エルゼキュート! そもそも、それを言ってしまったら意味がないじゃろうが!」
エルゼキュートは少し不思議そうな顔をした後、ポン、と手を叩いた。
ようやく、言ってはいけないことも口走ったことに、気が付いたらしい。
このエルゼキュートは、けっして考えが足りないわけではない。
ドライアドという種族全般が、このように良い言い方をすれば「おっとり」。
悪い言い方をすれば、「どんくさい」のだ。
「それで、若はどこに行かれたのじゃ!」
「池のー、向こう側にー」
リットクは話を聞き終わるより先に、動いていた。
早くしなければ、逃げられてしまう。
そんなリットクを、エルゼキュートは手を振って見送る。
草木をかき分け進むと、開けた場所に出た。
少し先には、壁がある。
その先は、鉄拳魔王城の敷地の外であった。
木を伝って壁を上られたりしないよう、少し間をあけてあるのだ。
そこにいたのは、半人半馬型の戦闘用アイアンゴーレム。
古月・宗兵衛であった。
大魔王家から下賜された「大業物」であり、一騎当千のつわものである。
そのソウベイの手には、大工道具が握られていた。
戦闘用アイアンゴーレムであるソウベイは、戦場での仕事全般に明るい。
つまり、建物の修復などの、大工仕事もこなす。
鉄拳魔王の馬廻ということになっているソウベイではあるが、日ごろの仕事は魔王城の修復や、荷物運びであった。
「おお、ご老体! 走り込みですかな! いやはや、そのお歳で尚も体を鍛えられているとは! 感心至極にござるな!」
「違うわっ! ソウベイ、若を見なんだかっ!」
「若でしたら、先ほど外に出ていかれましたぞ!」
「なんと、どこからじゃ!」
「以前より、壁に空いていた穴にござる!」
「おお、あれか!」
少し前にごたごたがあって、空いてしまったものである。
直す費用もかかるし、目立たぬ場所だということで、放置されていたものだ。
「たしか、そこのあたりに、むむ!?」
確かに穴が開いていたはずの場所が、塞がっている。
「どういうことじゃ! 穴はどうしたっ!」
「どうも何も、某が今しがた埋め申した!」
「そうか、今朝方修理するといって居ったな。むむ!? しまったっ! 罠じゃったかっ!」
してやられたことに、リットクはこの時になって初めて気が付いた。
そこらの武家屋敷と変わらぬとはいえ、「城」は「城」。
鉄拳魔王城の城壁には、特別な防御が施されている。
外壁の屋根と「城」の屋根を繋ぐ形で、結界が張り巡らされているのだ。
外に出るには、表門か、あるいは裏門を使うしかない。
そのどちらも、ここからは遠い位置にある。
「若が出ていかれたのは、いつのことじゃ!!」
「そうに御座るなぁ。600も数えぬ程度前にござろうか」
「ええい、仕事の早い! もっと時間をかけて修繕をすればよいものを!」
「はっはっは! 穴をふさぐだけにござるからなぁ! 工作機器を使えば、あっという間にござるよ! まあ、材料がちと高こうござるが!」
「ええい、取り逃がしてしもうたかっ! 若ーっ!」
悔しげに地団太を踏みながら、リットクは歳には似つかわしくない、張りのある大声を上げた。
大魔王都の大通りを、一人の男が歩いていた。
着流しに草履をひっかけた、いかにも遊び人風の男である。
これがなかなかの二枚目で、すれ違う娘達が振り返ったりなどしている。
当の本人は、そんな視線など気にもしていない。
いや、気が付いていない、といった方がいいだろうか。
ふいに、大きなくしゃみをする。
「へっきしっ! ああ、リットクあたりが俺のうわさでもしてんのかなぁ?」
この男、いかにも町人といった風情ではある。
だが、その正体は鉄拳魔王家現当主、鉄拳魔王ゼヴルファーその人であった。
「いや、単純に冷えてきたのかな。なんぞ、あったけぇもんでも食いに行くか」
そう決め込むと、ゼヴルファーは目当ての店に足を向けるのであった。