手学庵お節介帖 「赤い亀」6
大魔王都の運河、水路沿いに現れる屋台街。
定番と言えば、やはり「みほう串」である。
元は「貧乏串」といったのだが、あまりに人聞きか悪いということで、響きが似ている「味宝串」「みほうぐし」として売り出したのが、名の由来だ。
単純な料理で、鍋に張った汁の中に、串に刺した具材を放り込み、煮たものである。
こちらの世でいえば、「串おでん」が近いだろうか。
だが、大魔王都のそれはさらに雑多である。
なにしろ大魔王都には、様々な種族が暮らしている。
草食のもの、肉食のもの、雑食のもの。
魔物がほとんどであるため、ネギやらイカ程度の毒にやられるものはいない。
それでも、おおよそ何を食べるか、というのは、分かれるところであった。
水路沿いの屋台街には、飯を求めて多くの労働者がやってくる。
いわゆる庶民階層が多く、食事にはあまり金を掛けられないものがほとんどだ。
しかし、そういった者達は肉体労働者が多く、食べる量はかなり多い。
そんな悩ましいところを解決してくれるのが、「みほう串」というわけだ。
鳥、魚、イノシシなどの獣はもちろん。
玉菜、芋、ナスなども、正に雑多に放り込まれた「みほう串」ならば、少しは食べられるものが混ざっている。
ほかの料理と比べれば手間もかからないため、値段はかなり安い。
では、味もそれなりか、と言えば。
これが存外、美味いのである。
「鶏と、魚のつみれ、それからキンカ揚げを貰おうかな」
「へい! お待ちを!」
エンバフの注文を聞くと、店主は威勢のいい声を上げた。
粗末な椅子に、長机。
まさに屋台街といった風情である。
注文された品をどんぶりに取ると、店主はエンバフのまえにドン、とそれを置く。
すぐに、料金を払う。
この屋台では具材三つで、銭八枚である。
大体どこの店でも同じようなもので、ここでも同じ額であった。
特別に大きな具や、卵などの高級品であれば、値段が変わることもある。
店によってまちまちなので、店主に聞くか、看板を見て判断することになった。
ただ、大魔王都ではいまだに、文字の読み書きができない、というものが少なくない。
特に肉体労働者、つまり「みほう串」の客層にはそういった者が多く、店主に尋ねることがほとんどだった。
「さて、まずはキンカ揚げからかな」
キンカ揚げというのは、こちらの世でいう所の「さつま揚げ」を小さくしたものである。
丸くて黄金色をしていて、金貨を模して造られたものであった。
大魔王都湾ではたくさんの魚が水揚げされており、それらを使った加工食品づくりも盛んである。
キンカ揚げは、その一つだ。
「ここのキンカ揚げは、小骨の多い小魚をすりつぶして作っているようですね。一種類ではなく、複数種類を混ぜているようです」
そっと伝えてきたのは、ゴードルフだ。
見ただけで、そう判断したらしい。
昔から目のいい男である。
みほう串の汁は、ごく単純なものである。
昆布などでとった出汁に、醤油やみりんを入れたもの。
本当に、ごくごく単純なものだ。
これが良いのである。
いや、そうでなくてはならない、と言っていい。
みほう串の鍋には、様々な具材が入る。
それらから、出汁が出るからだ。
具材同士が出汁を深め合い、みほう串独特の味を作り出すのである。
これを、ある人物が
「大魔王都そっくり同じ」
と評し、大変に喜んだ、という逸話が残っている。
この人物というのは「先代大魔王」様。
つまり、みほう串は大魔王様太鼓判の、大魔王都名物なのである。
さて。
キンカ揚げの味だ。
まず、香がいい。
油で揚げたすり身独特の、美味そうな匂い。
嗅いでいるだけで腹がなりそうな強い香りは、鳥やイノシシなども入っているからだろうか。
丼に入っている汁は、どこかとろりとしていそうなほどに濃厚な、旨味の塊のような匂いをさせている。
少し冷ましてから、齧る。
歯に返ってくる弾力は、思いのほか強かった。
しっかりと練り上げたうえで、油で揚げ固めたものらしい。
むろん、固すぎるわけでは無い。
しっかりと噛み応えがあるといった感じで、「食っている」という実感が湧き上がってくるような歯ごたえだ。
最初に感じたのは、汁の味である。
舌にあたった瞬間、弾けるように滋味深い、様々な出汁が絡まって出来上がった旨味が押し寄せてくる。
醤油の塩っ気が、単純だからこそしっかりとそれらの手綱を握っている。
ついでやってくるのは、すり身の美味さ。
骨ごとすりつぶしているからなのか、骨せんべいのような香ばしさがある。
すり身と油の相性が良いのだろう、キンカ揚げ自体が実に美味い。
これが、ほかの具材から出た出汁をしっかりと取り入れた汁を、たっぷりと吸っている。
「いや、この店はあたりだな」
みほう串というのは、店ごとに味が全く違う。
よく顔を出す客の種族によって、鍋に入れる具材が異なるからである。
海沿いであれば、魚人や鳥人相手に魚が多くなる。
大魔王都のはずれであれば、安く手に入るため野菜などが多く。
武家や普請場の近くであれば、肉類が多くなる、といった具合だ。
ふらりと立ち寄って、自分の好みにぴったりと合うみほう串と出会えるというのは、かなりの幸運であるといっていい。
もっとも、どこで食っても、みほう串というのは大抵美味いものである。
この、「好みにぴったりと合う」というのは、こちらの世でいう所の「好みのラーメンを探す」というのに似ているだろうか。
どこで食べてもまず美味いのだが、「好みにぴったり」となると、探すのがいささか難しくなるわけである。
「む、もうなくなってしまった」
キンカ揚げが、いつの間にかなくなっている。
二枚もついていたのだが、知らぬ間に食べてしまったらしい。
ここは美味いな。
そうゴードルフに声を掛けようとしたが、エンバフは口をつぐんだ。
ゴードルフが凄まじく集中した表情で、みほう串を食べていたからである。
下手に声を掛ければ、噛みつかれそうな形相だ。
美味いものを食ったときなどに、ゴードルフはこういう顔になることがあった。
必死になって、味を分析しようとしているのだろう。
現役で密偵をやっていた時代にも、見たことがないほど真剣な表情だ。
放っておくことにして、次は鳥、鳥肉に取り掛かる。
何の鳥肉かは、わからない。
きっと店主に聞いても、「なんだったかな?」とかえってくるだろう。
とぼけているわけでは無く、本当に忘れているのだ。
こちらの世で「とりにく」というと、大抵は「鶏の肉」を指す。
だが、大魔王都近くでは食用の鶏を大量に飼育している施設などは、なかった。
手に入る「鳥の肉」というのは、狩りなどで手に入ったものが大半である。
そのため、日によって手に入れることが出来る鳥の種類は全く異なるし、まして「安く」となれば、猶更のこと。
安さが売りである「みほう串」では当然のこと、その日に安かった鳥の肉、が入れられることになる。
多くの具材を用意しなければならない「みほう串」の店主は多忙であり、一々「何を入れた」などと覚えていられないことがほとんどなのだ。
「おお! これはっ!」
肉を口に入れ、驚いた。
柔らかいのである。
しっかりと火は通っているから、生の柔らかさではない。
おそらくこの肉は、高い温度でぐつぐつと煮込まれなかったのだろう。
じっくりゆっくりと火を通すと、肉というのは案外硬くならない。
この鳥肉は、そういう味である。
使う炭の量を「ケチる」からこそ、じっくりと火が入るのだ。
これが「たくさんの炭」で煮たりすると、かえって煮詰まりすぎ、汁が濁ってしまったりする。
「このつみれも、いけるな」
やはり何の魚かわからないつみれである。
これがまた、美味い。
噛めば口の中でほろりと崩れ、それがなんとも心地よい。
「にぎりめーしーぃー、えー、にぎりめしー」
握り飯の振り売りである。
屋台街では、主食を用意していない店も少なくない。
食性の違う大魔王都の住人向けにあれこれ用意すると、大変な荷物になるからだ。
そこで、主食となるものを売り歩く「振り売り」が出てくる。
この振り売りは握り飯を売っているようで、天秤棒に引っ掛けたざるに、握り飯が乗っていた。
「一つ貰おうかな」
「へい、ありがとう存じやす! 丼に入れやしょうか?」
「そうしてもらおうか」
屋台の店主も心得たもので、文句など言わない。
むしろ振り売りも商売仲間であり、協力し合っていることが多い。
この屋台も、ご多分に漏れないようだ。
握り飯といっても、振り売りの握り飯はあまり塩が効いていないことがほとんどである。
弁当や保存食ではなく、売る直前に炊いた飯を握った物だからだ。
おかずに添えて食うものだから、むしろ味付けは薄く、あるいはまったくないほうが良い。
この握り飯も、ただ飯を丸めただけだった。
汁の入ったどんぶりに、ドボンと入れる。
「ご隠居、良ければ、こいつでどうぞ」
屋台の店主が、飯の上に刻みネギを乗せてくれた。
手渡された箸でもって、握り飯を崩し、汁と混ぜる。
美味い。
口に入れる前からわかる、これは間違いなく美味い。
すぐにかき込みたいが、その前に串の追加を頼まなければならないだろう。
たったの三本では、全く足りない。
だが、選ぶのもおっくうだ。
「ご主人、六本ほど見繕ってもらえるかな。適当で良いよ」
「へぇ、ありがとう存じやす!」
早速、飯をかき込む。
「はぁーっ」
思わずため息が出るぐらい、美味い。
店主が持ってきたのは、キンカ揚げが二つ、貝の中身が二つ、それに、小エビと、白ネギであった。
エビと貝は、水路でとれたものだろう。
手学庵に来る子供達が普段採っているものも、こういったところに卸されているわけだ。
店主が選んだ四種類の串は、どれも素晴らしく美味い。
キンカ揚げはもう少し食べたいと思ってたので、ちょうどよかった。
貝も味が染みていて、コリコリした食感がたまらない。
驚いたのは、小エビだ。
三匹ほどが刺さっているのだが、殻ごとそのままなのである。
聞いてみると、殻は剥かず、そのまま齧るといいとのことだった。
嚙んで見て、驚く。
どうやらこれは、一度揚げているらしい。
「天ぷらやなんかの店に頼みましてね、一度揚げてもらってるんですよ」
屋台街ならではの連携である。
とにかく、美味い。
エンバフは猛然と飯をかき込みながら、串を齧っていった。
すっかり食い終わったのだが、エンバフは席に腰を掛けたままでいた。
少々食べ過ぎたので、腹を落ち着かせているのだ。
もちろん、気分が悪くなったり、動けなくなるほど、というわけでは無い。
心地よい余韻に浸っている、という具合だ。
「おう、今日はローチ鍋の親父は来てねぇのかい?」
「出てねぇなぁ。大方、まだ寝てるんだろうさ」
「ちぇっ! せっかく食おうと思ってきたのによぉ」
「はっはっは! あの店に狙って通えるのなんざぁ、大魔王都広しといえど一人だけだろうぜ」
聞くとはなしに、そんな会話が耳に入ってくる。
ゴードルフが、ハッとした様子で目を見開いた。
「あの店が出るのは、ここでしたか」
「あの店?」
「最近になって料亭の晴天がローチの鍋を始めて、かなり評判を呼んでいるのですが。実はこの鍋、屋台街の店主から習ったものらしい、という噂がありまして」
「ほう。ローチをな」
ローチというのは、運河、水路でよく取れる、細長い体の淡水魚である。
こちらの世でいうドジョウに似ているのだが、顔立ちはどちらかといえばハゼに似ている。
これもやはり、手学庵に通う子供達がよくとっている魚だ。
「あの普請場の連中も、なかなか食えねぇって嘆いてたなぁ」
ここで、エンバフはピンとくる。
「普請場の連中というのは、あの池の近くのかね?」
「ええ、そうですよ。なんでも大魔王都に来るのは久しぶり、なんて連中が多いそうでして」
「ほう、久しぶりに、かね。ほかで仕事があったのかもしれんね」
「へぇ、そんなようなことを言ってましたぜ」
久しぶり。
西方から呼び寄せた職人だという話だから、少しおかしいだろう。
初めてきた、というのならばまだわかる。
だが、「大魔王後に来るのは久しぶり」という連中が「多い」というのが、エンバフには気になった。
「蒼月祭の番頭が言っていた話と、少々違うようだね」
「番頭が勘違いをしているか。あるいは嘘を吐いているか。といったところでしょうね」
「物騒なことにならなければよいがな」
この夜、遅く。
ゴードルフがさっそく、普請場の職人達を探って戻ってきた。
白湯をすすりながら戻りを待っていたエンバフに向けられたのは、どうにもすっきりしない顔である。
「なんだ、何かあったのかね」
「はっ。どうにも、分からないことが。全く想像がつきません」
困惑した表情で、頻りに首をひねっている。
大魔王様の寝所にすら、訳もなく忍び込む男である。
それがこれほど悩むというのは、よほどのことだ。
「あの連中、それほどの輩だったのか」
流石のエンバフも、表情を引き締める。
反乱を企む魔王家が悪巧みをしているのか。
あるいは、滅んで幾星霜も経つというのに、いまだに人族による復権を狙う「勇者崇拝者」共か。
だが、ゴードルフは不思議そうな顔をして、すぐに手を振った。
「ああ、いえ。連中はただの盗賊でした。想像がつかないというのは、連中が食べていたもののことでして」
思わず「そんなものどうでもよいわ、ばかもの!」と怒鳴りそうになってしまったエンバフだが、ぐっとこらえた。
ゴードルフからしてみれば、正体の割れた「普請場の職人」達の方が、どうでもよいのだろう。
しっかりと調べ、正体をしっかりと掴んでいる。
そのうえで、「連中が食べていたもの」のことの方が重要だと、ゴードルフは判断したのだ。
「お前にとってはそうかもしれんが、蒼月祭にとってはそうでは無かろうが」
「ああー、確かに。その通りですね」
よほど、「連中が食べていたもの」というのが気になっていたのだろう。
ゴードルフは「言われて気が付いた」という様に、首を振って気を取り直すような仕草をする。
「今しがた言いましたように、連中は盗賊でした。地面を掘っているのは、いわゆるモグラ。穴を掘って蔵などを狙う手口を使っているからのようです」
「では、職人だというのは嘘八百か」
「そうではありません。連中は間違いなく、腕のいい職人のようです。建物や土木などに関しての技術も高いようで。それを、盗賊仕事にも生かしている。ということのようですね」
高い技術力を持っていながら、それを禄でもないことにしか使えない者、というのが、世の中にはいる。
どうやら、あの連中もその手合いらしい。
「ということは、狙われているのは蒼月祭ではない。ということか」
「近くに、呉服屋。パパ・シュタシア裁縫店の蔵があります。狙いはそこのようですね」
パパ・シュタシア裁縫店とは、高価なドレスや着物が売りの呉服屋である。
魔王家どころか、大魔王城の大奥すら得意先としている、大店であった。
「間違いないのか」
「はい。そのような相談をしておりましたので。ただ、その時に連中が食べていたものが、もう気になって気になって」
ゴードルフは再び難しい顔を作ると、低い声で唸り始めた。
そういわれると、エンバフもいささか気になってくる。
「何を食べておったというんだね」
「なんでも、煙でいぶした食べ物だそうでして」
「ほう、燻製か。珍しいな」
「ご隠居、ご存じなのですか!?」
「ああ、大魔王都ではあまり見ないな」
香りのある木を燃やし、その煙で食材を燻す。
大魔王都では珍しいが、他地域ではそうでもない。
「お前さんが侵入した魔王領でも、あったと思うがな」
「まったく気が付きませんでした。いえ、そうですね。多分興味がなかったから、気にも留めなかったのだと思います」
そういうことは、よくある。
何かに興味を持ち、知識を得る。
すると、それまで見ていたものが、全く違った景色を見せるようになるのだ。
ゴードルフにとって、それは食であるようだった。
「惜しいことをしました。あちこちに行っていたのですから、その土地土地の料理を調べておけばよかった」
「お前、隠密の仕事を何だと思っとるのだ。まあ、よい、よい。この件は、わしが手を出すことではないな。北町奉行の、飛弾魔王ラブルフルード殿に手紙を書く。すぐに届けてもらえるかな」
「はっ。お任せを」
大魔王都北町奉行、飛弾魔王ラブルフルード。
若くして要職である北町奉行に任じられた、実力のある人物である。
エンバフとは、とある事件をきっかけに顔見知りとなっている。
「ふむ、しかし、モグラか。それに、燻製のぉ。ふふっ、これは、面白いかもしれんな。一つ、ラブルフルード殿にお願いしてみるか」
エンバフは己の頭に浮かんだ「悪い悪戯」に、思わずにんまりと笑顔を作った。
現役の頃ならば、思いついたとしても「やってみたい」などと露ほども思わなかったであろう悪戯である。
それを、元の立場を笠に着て、ラブルフルードに頼み込み、やらせてもらおうと考えたのだ。
隠居をしてからというもの、へんに毒されたのはなにもゴードルフだけではなかった。
エンバフも、現役の頃ならば全く考えられない、茶目っ気のようなものを覚えていたのである。
もっともそれに振り回される方からすれば、迷惑この上ない話であろう。