手学庵お節介帖 「赤い亀」5
大魔王都は大きな都市であり、様々な分野の「有名店」がひしめいている。
料亭「蒼月祭」も、その一つだ。
世にいくつもある料亭のうち、「晴天」「オルミシュール・ド・リ・アルヴァ」「蒼月祭」の三店。
これらは「三名店」などと称され、多くの大魔王都っ子にとって一度は行ってみたい、憧れの店であった。
あの、赤い亀。
ヨセギアカガメがいたと思われる池がある土地。
そこで料亭を作ろうと普請をしているのは、なんとその三名店の一つ、「蒼月祭」だったのである。
「まさか、蒼月祭の支店だったとはな」
「はい、池を眺めながら料理を召し上がっていただく、という趣向の店を作ることになりまして」
マウエブロと学者数名を伴って普請場へやってきたエンバフに対応したのは、蒼月祭の番頭であった。
術魔王家のお抱え絵師が、話を聞きたがっている。
番頭はそういわれて、呼び出されていた。
おおよその事情も、伝えてある。
だが、当日に普請場に来てみれば、そこにいたのは元術魔王エンバフその人。
番頭はさぞかし、驚いたことだろう。
しかしながら、そんな様子は全く顔に出さず。
「ずいぶんご無沙汰しております、ご隠居様」
と言ってのけたのだから、なるほど流石は「蒼月祭」の番頭である、と、エンバフも感心したものであった。
蒼月祭は、エンバフも現役の頃はよく使っていた店である。
四天王の一角、術魔王が使っても恥ずかしくなく、飯が美味く、外に秘密が漏れない。
実に使い勝手のいい店だったが、隠居を決め込んでからは全く足を向けていなかった。
店の雰囲気も、味も、申し分はない。
値段も、元とはいえ術魔王をしていたエンバフからしてみれば、大したことはない。
では、なぜ、と言えば。
あまりにも使いすぎたがために、どうにも「蒼月祭」に行くと、「仕事をしている」という気持ちになってしまう様に、なってしまったのだ。
店にはまったく落ち度はない。
完全にエンバフの心情の問題である。
「まさか、顔を知っているものが来るとは思わなかったな。まして、あの蒼月祭の番頭さんがわざわざおいでになるとは」
「術魔王家ゆかりの方がいらっしゃる、ということでしたので。まさか、ご隠居様がいらっしゃるとは思いませんでしたが」
そこで、番頭はふと表情を改めた。
「今回は、沼の亀のことでお話がある、とのことでしたが。まさか、全く別のご用向きが?」
どうやら、エンバフがわざわざ出向いたことで、誤解したらしい。
「いやいや、本当に亀のことでな」
エンバフが事情を説明すると、番頭は驚いたように目を丸くした。
「水路の土の色の違いで、そこまでご推察されたわけですか。いや、流石はご隠居様。まだ、退かれるにはお早かったのでは」
「いや、大したことではないさ。たまさか、詳しいのに知り合いがいたのさ」
自分のしたことと言えば、あれこれと指示をしただけ。
エンバフは全く、そう思っているのだ。
番頭と話していると、水の抜けた沼を調べていたマウエブロが戻ってくる。
一緒にいるのは、術魔王家が抱える学者連中だ。
「どうだったね」
「やはり、ここの池で間違いないようです」
「そうか! いや、よかった」
ほっとして、エンバフは周囲を見回した。
料亭建物のための普請場に、かいぼりをしている沼が見える。
沼といっても今は水が干上がっているから、ただの穴でしかない。
それでも、水があったのだろうな、というのはなんとなくわかる。
料亭の建物は、当然だか中々に大きなものらしい。
しっかりと地盤を押し固めてあり、土台となる岩なども配置してあった。
地面より少々高い位置に建物を作る準備をしているようだが、おそらく湿気対策の為だろう。
大抵の場合、大魔王都の建物は地面よりも高い位置に作られる。
盛り土なども、しっかりと固められているようだ。
見ると、水の抜かれた池に、木組みが作られているのがわかる。
「桟橋を作るのかね。船でも浮かべるのかな?」
それなりの広さがあるから、そういったこともできるだろう。
だが、番頭は首を横に振った。
「そこに座敷をしつらえまして、食事を召し上がって頂こうと思っております」
「なるほど、川床ならぬ、池床というわけか。それはよい趣向かもしれんな」
「西方では、よくある趣向だそうでございまして。実は今回の建物、その西方から職人を呼び寄せて作らせております」
「わざわざ、職人をな」
「はい。大魔王都では見ない形の建物を、と」
水の上に座敷をしつらえ、食事をする。
西方では、夏の暑い時期に時折催される贅沢だ。
「寒い時期には流石にそういったことは出来ませんが、池に船を浮かべて釣りなどを楽しんでいただくのもよいかと思っております」
「釣った魚を調理して食わせるわけか」
いろいろと考えるものである。
おそらく、ほかにも色々と工夫を用意してあるのだろう。
隠し玉は店が始まるまで、取っておくに違いない。
むろん、それを聞き出そうとするほど、エンバフも野暮ではなかった。
「では、店が始まったら、寄らせてもらおうかな。亀のことも気になるしな」
「それは、是非。お待ちしております」
マウエブロと研究者達を残し、エンバフは手学庵に向かって歩いていた。
表情はどうにもさえない。
「ゴードルフ。どう思う」
「少し妙ですね」
いつの間にか、その隣にはゴードルフが立っている。
突然現れたのにもかかわらず、周りの誰も、そのことに気が付いていない。
「わしもそう思った。まず、土を捨てるほど、掘っている様子が見えない。隠し地下蔵、などを作っている様子はあったかな?」
「はい。一角に小屋を建てて、その下を掘っておりました。ただ、蔵ではない様子でしたね。地下通路、といった趣でした」
ゴードルフがその気になれば、昼間、真横に立たれたとしても、気が付くことは出来ないだろう。
そのゴードルフの手にかかれば、作業中の普請場に侵入しての調べ物など、朝飯前である。
まあ、本当に朝飯のまえであれば、ゴードルフは準備に忙しく、隠密仕事どころではないのだが。
「さもありなん、か。池に敷かれていた土は、水辺の底の、そのまた下の土、と言っておったものな」
ヨセギアカガメがいた場所に敷かれていた土のことである。
学者によれば、この辺りの、それも少し下の方の土、ということであった。
「一体何をしておるのか。そもそも、蒼月祭の連中は、その地下通路とやらのことを知っておるのかな」
「普請場の職人達が、勝手に掘っているのかもしれません」
ゴードルフがこういうということは、そういった気配があった、ということだ。
「西方から呼び寄せた職人、ということでしたが。確かに技術はあるようでしたが、それにしては少々様子がおかしかったですね」
様々な場所に潜入してきた男である。
当然、西方にもよく潜り込んでいた。
現地の様子なども、よく知っている。
「それと、一人二人、人相書きで見た顔がありました」
「ほう、何者だったんだね?」
「コソ泥です。一人働きのもののはずなのですが、妙に周りと息があっている様子でした」
泥棒が普請場に紛れ込むことは、ままある。
盗みを働くか、あるいはまっとうに働く気になったか。
「息が合うのは、良いことなのではないかな」
「普通ならば、そうなのですが。どうも、何度か一緒に危ない橋を渡った、というような。そういう息の合い方です」
阿吽の呼吸、というのだろうか。
特に声などを掛け合わずとも、当然のように連携して仕事をしていたのだ。
もちろんよほど気心が知れていれば、珍しくはない。
だが、こういった普請場で仕事をする場合は、大声で声を掛け合うのがふつうである。
そうすることで、周囲に自分達が何をしているのか、知らせる意味合いもあるからだ。
「妙に静かすぎるのですよ」
「まるで泥棒仕事の最中、といった具合かな」
「まさに」
「妙なことになってきたな」
亀の出身地が分かったと思ったら、思わぬことに行き当たった。
全く、世の中というのは不思議なものである。
「少し、調べてみてもらえるかな」
「わかりました。少々お時間をください」
「うむ。まあ、のんびりやってくれ。と、言えるほど時があれば、良いのだがな」
「今夜にでも、調べておきます。その前に、ご隠居」
「んん? なにかな?」
「昼は、あそこで食べませんか」
ゴードルフが指さしたのは、水路の横に立つ屋台街であった。
昼時になると突然現れるそれは、大魔王都の名物である。
水路沿いの土地は、水路を管理する魔王家の管轄であった。
通常であれば、建物などを設置することは許されていない。
だが、一定の時間に限り、こうして屋台を出すことは許されていた。
むろんのこと、管轄の魔王家には相応の場所代が払われている。
「ううむ、そうだな。たまには良いか」
この日、料亭の跡地に行くということで、手学庵は早めに切り上げていた。
当然、子供達には昼食を食べさせてから帰らせたのだが。
エンバフとゴードルフはばたばたとしており、昼食をとる暇はなかったのである。
「そういってくださると思っていました!」
ゴードルフは嬉しそうに手を打つと、いそいそと屋台に向かっていく。
全く、凄腕の忍が、ずいぶん人間臭くなったものである。
エンバフにはその変化が、おかしくもあり、うれしくもあった。